NO.406反キリスト


”テキスト:1ヨハネ4:1 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
2 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。
3 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
4 子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。
5 彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。
6 私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。

本日は、「反キリスト」という題でメッセージしたいと思います。
終末に関して聖書が書いてあることがらを見ていくと、反キリストについて書いてあることに
気付きます。
また偽預言者について書いてあることに気付きます。

このこと、反キリストまた偽預言者等のことばからわかることは、終末の日に
キリスト教、また教会などが全くなくなってしまう、またキリスト教が廃絶されるわけでもなさそうなことです。しかし、聖書は終末と関連して反キリスト、偽預言者について記しています。
それで、終末の日の問題とは、「キリストまがいの者」また「預言者まがいの者」による問題であることがわかるのです。
すなわち、終末の問題、迫害、困難とは、聖書の「せ」の字も知らない、信じない、未信者によるもの、
また神の存在すら信じない、無神論者によるものではないことがわかります。
逆に終末の日の問題とは、聖書や、キリスト教の内状に通じ、また教会について詳しく知っている者達によるものであることがわかるのです。
 

それで、終末の時代に生きようとする我々は次の様な心構えが必要と思われます。
すなわち、終末の日にクリスチャンとして、正しく歩もうと心掛ける人々は、

*聖書を持っているから逮捕される、クリスチャンである、教会に行っているいるというだけで、
迫害されるということは、あまり心配しなくてよいでしょう。

*しかし、心配すべきことは別にあり、それは、キリスト教会の中に偽キリスト、反キリスト、また偽預言者が現れてくること、その危険は大いにあり、それにだまされる人が多いはずなのです。
 

終末の日はどういう日なのでしょう。キリスト教が禁止されるのでしょうか?
そうでもない様です。黙示録の4つの馬の箇所には、白い馬が勝利を得ることが書いてあります。
これからますますキリスト教はさかんになり、見た目には、「福音の大勝利の時代」が来る様に思えます。

しかし、問題はあり、それは、キリストの代わりに反キリストをつかんでしまう危険です。
また、真の預言者の代わりに偽預言者をつかんでしまう危険なのです。
要するに終末の問題、困難は、「偽者をつかんでしまう危険、問題」なのです。

終末の日とはどんな日なのでしょう?
それは、ありとあらゆることがらに関して偽りが横行する、そんな日ではないかと
私は思っています。

すなわち;

*真のリバイバルの代わりに偽リバイバルがあり、獣の霊のリバイバルがあります。
*真のイスラエル12部族の「日の上がる方」すなわち、東の地における聖霊の
印、すなわち聖霊により回復の代わりに悪魔的な民族によるイスラエル建国、またパレスチナ人
虐殺があります。
*真の福音伝道のかわりに獣の国アメリカの他国侵略と連動した世界宣教、
世界の国の民主化、キリスト教化があります。これから、ますます
キリスト教は世界でさかんになるでしょう。
*真の使徒、預言者のかわりに偽使徒、偽預言者がたちます。
*真の啓示の代わりに第3の波系の預言者、カンザスシテイの偽預言者を始めとした
人々による、偽りの啓示が横行するでしょう。
*キリストの再臨のかわりに偽の再臨の教理を声高に叫ぶ人々が来るでしょう。
すなわち、2回にわたる再臨のうち、最初の一回目の時、キリストは霊として来る。そして、
その見えない霊は使徒、預言者に受肉する。霊を受けた彼等は地上におけるキリストの
代理者となる、などとのトンデモ教理が横行します。

この理解に沿って、テキストを見ていきたいと思います。

”1 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。”

終末に関連して起きて来る偽りは霊に関連したものです。
ですから、霊だから、預言があるから、いやしがあるから、金粉が舞うから、リバイバルだからといって、
何でも信じるべきではないのです。

”それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。”

多くの鳴り物入り、また大きな宣伝を打って紹介される預言者、また使徒が多いのですが、しかし、
我々は彼等を試す、すなわち試験するべきなのです。

試験とは?
例えば、その人が本当に自動車を運転できる技術があるかどうかを「運転免許試験」で確認します。
自信満々であっても、発進するやいなや、いきなり教習所の壁に車をぶつけてしまう技量の
持ち主であっては、試験不合格です。

預言者のためし、試験とは?
偽預言者の試し、試験に関しては申命記に明言されています。
すなわち、その預言が実現するか、しないかの試験です。

”申命記:18:20 ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。」
21 あなたが心の中で、「私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか。」と言うような場合は、
22 預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。”

そんなわけで、預言がおおいに外れているベニーヒン、ピーターワグナーだのは、偽預言確定の嘘つきどもということになりますし、こんな嘘つきに追随する盲目な教会は聖書を知らない愚か者ということになります。また2004年日本リバイバルなどをよせば良いのに預言してしまったビルハモンも
この年が過ぎると情けなくも「偽預言者決定」という烙印を押されてしまうことになります。
こんな人物を妄信する愚かな人々もかつてのバアルに入れ込んだバアル教信者、バアルが
何もできないので、大いに恥をかいた愚か者達の様に情けない結末になるのでしょう。

聖書は明らかに終末の日に関連して「偽預言者によるわざわい」を語っています。
ですから、終末の日とは、聖書を読むことが禁じられたり、また預言やいやしやキリスト教が
禁じられる日ではありません。

逆にますますキリスト教はさかんになり、大いに宣伝され、大いに人々が教会に来る様な
日になると思われます。

それでは問題は何か?問題は、クリスチャン、教会の数は増えるものの、その質、実質は、
変質し、正しい教理も偽りの教理も見抜けない、本物の預言者も偽預言者も見抜けない、
多くの人が偽預言者に従っていくという、それが問題なのです。

その偽りの中で、偽預言者にだまされた人々は、真に主につく人々を迫害する様になる、
それこそが聖書のいう艱難時代なのです。
 

ですから、今この偽預言者を見抜けないということは、後の日にそれらの人々は迫害に
加担する様になる可能性があるのです。

”2 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。”

「人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。」と書かれています。
ということは、このこと、すなわち、「イエス・キリスト」が肉体を持って来ることをあまり強調しない人々は、怪しい、すなわち反キりスト系の人々だということになります。

さて、このこと、すなわち、「肉体を持ったキリストの来臨」を語らない、怪し気なグループが
この時代、すでに存在していることを我々は知っています。
それはあの偽預言大外れの自称使徒、ピーターワグナーを始めとする第3の波系の面々です。
彼等はなんと、「2段階にわたる再臨のうち、最初の再臨の時、キリストは、目に見えない霊として
来臨する」などとまさに「肉体を持たないキリストの来臨」について語っているのです。
そうです、まさにこのみことばが前もって預言した反キリスト登場の時代に何と我我は居あわせているのかもしれないのです。

”3 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。”

この第3の波系の人々がいう「再臨」に関する教理の一つの特長は、「キリスト」ではなく、「使徒、預言者」が強調されていることです。
すなわち、この目に見えないキリストの霊が受肉した使徒、預言者は地上におけるキリストの代理として、
権威を帯びる、彼等は地を治める、彼等に従わない者は反キリストである:
などと要するに人間を高く挙げ、強調する教理なのです。
キリストのことなんてちっとも強調していません。まさに、「イエスを告白しない霊」であり、
これは、「反キリストの霊」なのです。

”あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。”

このヨハネのことばは、すでに2000年近く教会で読まれていました。
しかし、このヨハネのことばが語っている様な時代、すなわち、全世界の教会が、
「肉体を持ったキリストを告白しない人々」に席巻されるという事態は今迄ありませんでした。
しかし、今は違います。この怪しい第3の波系の「肉体を持ったキリストを告白しない」怪しい
教理は欧米を始めとする全世界の教会を席巻しつつあるのです。
確かに「今それが世に来ているのです。」という時代が到来したのです。

”4 子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。”

「そして彼らに勝ったのです。」とのことばが暗示していることは、終末は戦いの時代であるということです。主につくクリスチャンはその日何に対して戦いをいどむのでしょう?相手は誰なのか?
はっきりいいますが、これがわからなければ戦いになりません。

明日戦うのが誰かで戦いかた、用意が異なるからです。武蔵は、明日戦うのが、「物干竿」の異名を取る、長い刀を持った佐々木小次郎であるとわかっていたので、武蔵は船の上で櫓を削って戦いに備えたのです。

くり返しますが、我々は終末の日にどの様な人々と戦うのでしょうか?どの様に備えればいいのでしょうか?

この箇所が語るのは、明らかに終末の日に主につく人々に戦いを挑むのは、「反キリスト、偽預言者」といった類いの人々、すなわち、教会、キリスト教、教団といったクリスチャンと同じ土俵の戦いになるということです。

ですから、我々は何を備え、何を見張り、何を注意するべきか?
それは、すなわち。キリスト教会の動向に注意を持ち、目を見張り、
見ておくべきなのです。

明らかに終末の日の戦いは聖書を土台としたもの、教会を土台としたもの、
教理を土台としたものとなるからです。
その様に理解する時、
ここでいう「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。」とのことばの中の「彼等」ということばが指す人々がどの様な人々だか理解できます。

ここでいう彼等は明らかに反キリスト系、偽預言者系の人々だからです。

ですから、終末の日の戦い、終末の日に主につく人々が戦う戦いとは、明らかに
この種の人々との間に交わされる教理論争、教会内における戦いであることを知るべきです。
そして、今あの第3の波系の人々が全く聖書とぶつかる教理をふりかざし居丈高にこの怪しい教理を
押し付けようとしているということは、実は聖書でかねてから預言されていたあの
「戦いの時」に何と我我は入りつつあるのだということを知るべきなのです。

「あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」

第3の波系の教え、働きは、明らかにこの世の霊、教えであり、方法です。
そして、悲しいことには、この教えが欧米の教会を席巻しつつあるのです。
しかし、この戦いの結末はまたはっきりと預言されています。
それは、「あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。」とのことば通り、
主につく者の勝利です。黙示録にも、勝利を得る男の子の働きにより、蛇が天から落とされることが
描かれています。
天はロケットが飛ぶ天ではなく、主につく教会のことです。

”5 彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。”

第3の波系の教えの特徴は、「この世」の教えであるということです。
「リッチになる、金持ちになる、富はわがもの」という繁栄の教えは、
「枕する所」もなかったイエスの教えというより、この世の教えです。
また、統治主義、神の国を今、再建主義等が語る、「地上が」あたかも神の国になるかの様な教えは、
明らかのこの世、地上に重点を置いた「この世」の教えなのです。セルフイメージだのの教えも
人間的なこの世の教えなので、この世の人も耳を傾けるのです。

「この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。」

しかし、この世の人々は彼等の教えに耳を傾ける様になるでしょう。
何故ならこれらの教えはこの世に属しているからです。

”6 私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。”

繰りかえしていいますが、これから大きな戦い、剣すなわち、みことばに関する論争が起きることを知ってください。その論争の中で、麦と毒麦の区分、羊とヤギの区分が起きることを覚えてください。
その区分はどの様にして起きるのか?

それは、この論争の中で自分がどの側につくかで、その人の区分がされてしまうのです。
その時、ある人々は主につく民の声に耳を傾けるでしょう。「神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け」と書かれている通りです。

しかし、逆に多数派となった、第3の波系の人々の声に惑わされる人々もいるでしょう。
そちらの方が数が多いかもしれません。このことをさして、「神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません」と書かれているのです。

このことにより区分、分離が行われてしまうのです。「私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます」と書かれている通りです。

まとめますが、聖書が反キリスト、偽預言者ということばを通して語っている終末の日は、
すなわち、偽物と本物との区分が難しい、その様な時代のことです。

その日、心配しなければならないのは、キリスト教がこの世から消えてしまうことでも、教会が
なくなってしまうことでもありません。また聖書が没収されるわけでもないのです。
しかし、心配すべきは、教会の中で偽物をつかむこと、偽キリスト、偽預言者をつかむことです。
この吟味の失敗は永遠の命を失うことにつながるでしょう。

そして、その恐るべき日は何ともう始まりつつある様にも思えるのです。
主に忠実な歩みをしましょう。

終末における主のみこころをおこないましょう。

ー以上ー