NO. 393割礼

テキスト:創世記17:
9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。
10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。
11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。
12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。
13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。
14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」
15 また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
16 わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」
17 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」
18 そして、アブラハムは神に申し上げた。「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」
19 すると神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。
20 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。
21 しかしわたしは、来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てる。」
22 神はアブラハムと語り終えられると、彼から離れて上られた。
23 そこでアブラハムは、その子イシュマエルと家で生まれたしもべ、また金で買い取った者、アブラハムの家の人々のうちのすべての男子を集め、神が彼にお告げになったとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。
24 アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳であった。
25 その子イシュマエルが包皮の肉を切り捨てられたときは、十三歳であった。
26 アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。
27 彼の家の男たち、すなわち、家で生まれた奴隷、外国人から金で買い取った者もみな、彼といっしょに割礼を受けた。”

本日は「割礼」という題でメッセージをします。
かつてのイスラエルの民が割礼をしていたことはよく知られたことです。
また、聖書の中で、
この割礼が重要視されていることも確かです。この割礼とは何を意味するものなのでしょう。
それを見ていきたいと思います。

順に見ます。

”9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。
10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。”

アブラハムはロマ書によれば、我々クリスチャンの信仰の先祖です。
ですから、彼の生涯に起きたことは、昔のできごとではあるものの、しかし、
その意味していること、たとえていることは、今のクリスチャンのための教え、
霊的な真理を秘めているのです。

さて、その彼、クリスチャンの大先祖である彼に対して、
主は契約を結ぼうといわれました。

契約ということを考える時、はっきり理解しなければいけないことは、
契約とは、ギブアンドテイクすなわち、きちんと条件を履行した者は契約の祝福にあずかるということです。しかし、もし、契約に書かれたことがらを破るなら、いくら契約事項にすばらしい約束が描かれていてもそれは「実行されず、実現しない」ということです。

ちょっと難しい表現でしたがたとえば、部屋の賃貸契約のことを考えたらわかるかもしれません。契約書には
「平成16年の10月1日から3DKの部屋に住むことを許可する」なんて、書かれており、
大家さんの印まで、押してあるので、これをもって、晴れてこのマンションに住むことができます。これは、
良いことばっかりの様ですが、しかし、契約書の文言は、これだけではありません。
「家賃10万円を毎月25日までに振り込むこと」などと書いてあります。
こちらの義務もあるのです。
そして、この義務を果たさないと部屋から追い出されてしまうのです。

さて、神との契約に関しても同じことがいえることを知りましょう。
この日神がアブラハムと契約を結ばれたように、同じ神は我々、アブラハムの子孫とも契約を結ばれます。
そして、神は我々との契約を守り、入るべき天の御国に入れて下さり、祝福にあずからせてくれるでしょう。ただし、我々が契約を守ればの話です。
さて、その守るべき契約条項として、「割礼を守る」ことが書かれていることに目をとめましょう。
これは、特別なこと、契約の中での必須事項なのです。

”11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。”

さて、割礼とは何かということですが、具体的には、男性器の先の皮を切り取ることです。
そんなことして大丈夫なのかと思う女性もいるかもしれませんが、このあたりは、
皮が2重になっているので、外の皮を切っても特に体に問題ありません。
さて、このことはまた霊的なことがらのたとえでもあります。
パウロはロマ書の中で割礼に関連してこころの割礼に関して語っています。

”ロマ2:29かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。”

ですから、割礼というと人の体に関することがらの様に思えますが、それは実はたとえに過ぎず、
本当に聖書が語ろうとしているのは、「こころの割礼」であることがわかるのです。

「肉を切り捨てなさい」とのアブラハムへ語られたことばはまさに我々クリスチャンに対して語られていることがらです。我々は肉を捨て、そして、霊すなわち、御霊の歩みに入るよう語られているのです。

肉や霊に関してガラテヤ書ではこう書かれています。

”ガラテヤ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。”

ここには、2つの歩みが書かれています。すなわち、
1.肉による歩み
2.肉を離れた御霊による歩み

そしてこれは創世記で語られている2つの人々に対応します。

1.割礼を受けない人
2.割礼を受け、肉を切り取った人

そして、この心に割礼を受け、肉から切り離されるか否かということは、
その人がクリスチャンとして、神から祝福を受け、また御国に入るためには、
大きな重要なポイントです。何故ならこの割礼が、
「わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。」と書いてあるからです。

不動産契約において、家主がきちんと契約を履行して部屋を貸してくれるためには、
我々が「きちんと家賃を払う」ことは大きなポイントです。
同じ意味あいで、クリスチャンがこの「割礼」を行うか否かは、
神が我々を契約どおり、御国に入れていただく、神の祝福を受ける鍵となることを
知りましょう。
 

”12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。”

「八日目に、割礼を受けなければならない。」と書いてありますが、8はゲマトリア(数秘学)からいうと、復活に関係のある数です。ですから、肉を切り取る、これが古い人からの復活、死人の復活なのです。
ラザロの復活等、聖書の復活の記事がたとえていることがらは、また、この肉から切り離されることなのだと思えます。

”13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。”

「永遠の契約として」と書かれています。ですから、この肉を切り離された人こそ、永遠の命を受け継ぐ人々であることを知るべきです。
 
 

”14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」”

もし、私達が無割礼である、すなわち、肉から切り離されないならどうなるのでしょう?
「そのような者は、その民から断ち切られなければならない。」と書かれています。
すなわち、彼は神の前に神の民とはみなされず、それゆえ、神からの祝福にはあずかれません。
また彼は「わたしの契約を破ったのである。」といわれます。
ですから、彼は神の契約を破り、その結果、もしかすると永遠の命を得ることが危なくなるのです。

「家賃を毎月25日までに振り込むこと」という不動産契約を破ると、契約違反ということで、
部屋を追い出されます。同じく、この割礼の契約を破るなら、祝福から追い出され、
永遠の命が危ないことを覚えてください。
 
 

”15 また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
16 わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」
17 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」”

さて、今まで、割礼のことを書いていたのに、突然話題が一変し、サラが子を生むことに移ります。
これは全く割礼と関係ないことがらなのか?
そうでもないと私は思います。
何故か?それは、このあたりの文章が割礼に関するひと続きの文章の中に挿入されている、
入れ子構造になっているからです。
何をいっているのかというと、この章は、

1-14節:割礼(1)
15-22節:(サラが子を生むこと)
23節以降:割礼(2)

こんな構造になっているからです。この様な入れ子構造の文はよく聖書に出てきます。そして、この様にすることにより、
聖書が語ることがあります。それは、入れ子、まん中に含まれるあまり前後と関係なさそうな
文章は実はそう見えるだけであり、実際は前後と深いつながりがあるということです。
ここでいえば、サラが子を生むことは、割礼と関係のあることがらなのです。

ここでいう100才のアブラハム、
にうまれた子供は実際にはイサクですが、しかし、それはまたキリストの予表であることが
新約聖書に書かれています。

ですから、「100才のいわば死んだ様な」、アブラハムから子供が生まれるということは、
すなわち、我々の様な罪に死んでいた者からさえも、子が生まれる、すなわちキリスト
の命が生まれるということを語っているのです。
 

これは割礼すなわち、肉を切り離すことと関係があります。すなわち、
肉を切り離す人は、そのうちにキリストを宿すことになるからです。

”17 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」
18 そして、アブラハムは神に申し上げた。「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」
19 すると神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。
20 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。
21 しかしわたしは、来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てる。」”

ここに神はイサクと契約を立てると語っています。
くり返しますが、イサクはキリストの型です。
ですから、神が契約をたてるという時、我々とというより、実は我々のうちに宿ったキリストと契約を結ぶということがいえます。
神との契約、律法を守る力は我々になく、ただ、我々の内に宿った新しい命、すなわち、
キリスト以外これを守り行う方はいません。

”22 神はアブラハムと語り終えられると、彼から離れて上られた。
23 そこでアブラハムは、その子イシュマエルと家で生まれたしもべ、また金で買い取った者、アブラハムの家の人々のうちのすべての男子を集め、神が彼にお告げになったとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。
24 アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳であった。
25 その子イシュマエルが包皮の肉を切り捨てられたときは、十三歳であった。
26 アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。
27 彼の家の男たち、すなわち、家で生まれた奴隷、外国人から金で買い取った者もみな、彼といっしょに割礼を受けた。”

ここでアブラハムに属す全ての男は神との約束どおり、割礼を受けたことがわかります。
彼等は神との約束を守り、それゆえ民から断ち切られませんでした。同じく、
今の時代の我々も心の割礼を受ける、すなわち、心の中の肉を切り取り、肉を脱却し、
また、肉の歩みを離れ、霊すなわち、聖霊に導かれた歩みに入るべきです。

終末における主の御心を行いましょう。

ー以上ー