No.385 杖を飲み込む

”テキスト:出エジ7:8 また主はモーセとアロンに仰せられた。
9 「パロがあなたがたに、『おまえたちの不思議を行なえ。』と言うとき、あなたはアロンに、『その杖を取って、パロの前に投げよ。』と言わなければならない。それは蛇になる。」
10 モーセとアロンはパロのところに行き、主が命じられたとおりに行なった。アロンが自分の杖をパロとその家臣たちの前に投げたとき、それは蛇になった。
11 そこで、パロも知恵のある者と呪術者を呼び寄せた。これらのエジプトの呪法師たちもまた彼らの秘術を使って、同じことをした。
12 彼らがめいめい自分の杖を投げると、それが蛇になった。しかしアロンの杖は彼らの杖をのみこんだ。
13 それでもパロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が仰せられたとおりである。”

本日は「杖を飲み込む」との題でメッセージしたいと思います。

かつて出エジプトの日、パロの前で、杖合戦、蛇合戦が行われました。
モーセ、アロンの杖は蛇に変わり、またエジプトの魔術師の杖も蛇に変わったのです。
そして、この蛇同士は相戦い、ついにはアロンの蛇はエジプトの魔術師の杖を飲み込みました。

このことはかつて実際に起きたことですが、しかし、終末に生きる我々に語りかけることがらがあります。
なぜなら、聖書は終末の日に再度出エジプトが再現されることを暗示しているように見えるからです。
終末に関して記してある黙示録には、モーセの様に、水を血に変える預言者が現れ、またモーセの歌も聞こえるからです。終末の日に再度出エジプトが再現される、というより、かつての出エジプト記の記述は、
終末の本番の出エジプトの予表であるととらえるなら、このこと、
すなわち、ここに描かれている杖合戦、蛇合戦も再現されることが予想されます。
そのことを考えてみたいと思うのです。

”8 また主はモーセとアロンに仰せられた。”

この日、長らくエジプトで苦しんでいた神の民に対して、モーセとアロンが遣わされました。
モーセはその名の通り、神の民をエジプトから「引き出し」ました。
同じように終末の日、エジプト化し、すっかりこの世化した教会に対して、モーセの役割を果たす人々が遣わされるでしょう。
そのことをマタイの福音書は、「御使いを遣わして四方から選びの民を集める」と表現しています。
御使いということばは、ギリシャ語において、人の働き人についても使われています。
ですから、この日、主の民を集める、選びの民、選抜の民、神の民を出エジプトするべく、
遣わされる紙の働き人達があらわれるのです。

彼等はこの世につき、惑わされた人々からは、カルトだとか、トンデモだとか呼ばれ、異端扱いさえされるかもしれませんが、しかし、神により遣わされた人々です。

かつてモーセの日にエジプトに2種類の民がいました。片やエジプトの人々であり、彼等は裁きと災いに会いました。もうひとつの民はイスラエル人であり、彼等はこのエジプトにおける多くの災いの真ただなかにあっても守られました。また、命を救いました。これらの2つの民は終末における2種類の神の民の予表であり、終末の日にも主につく神の民、また他方、エジプト化し、この世化した神の民がいます。
彼等には滅びが予言されています。
 

”9 「パロがあなたがたに、『おまえたちの不思議を行なえ。』と言うとき、あなたはアロンに、『その杖を取って、パロの前に投げよ。』と言わなければならない。それは蛇になる。」”

さて、ここで神は「不思議を行なえ」というように不思議について語っています。
この不思議とは、いわゆる「しるしと不思議」に関することがらであり、終末に起きると前もって
預言されている「選民をも惑わそうとして偽預言者がしるしと不思議」を行う時代のことがらです。

この時代は既に始まっており、あの嘘つき狼少年ピーターことピーターワグナーを始めとする
怪し気な自称使徒、預言者だのといいつのる人々がオカルトまがいのしるしと不思議を行っています。

”『その杖を取って、パロの前に投げよ。』”

ここで神のいう不思議は杖に関することです。杖は、「人の歩み」、信仰の歩みを助けるものとして、
「教師」のたとえだと私は理解しています。ですから、これは、教師、預言者に関する不思議なのです。

”それは蛇になる。”

さて、モーセやアロンが杖を持っていたとして、またそれを投げたとして、別段不思議なことは
何もないのですが、しかし、この時、起きた不思議なことは、それが杖が蛇に変わったことです。

これは大変な不思議ですが、しかし、さらにたとえの意味あいがあります。

蛇は何をたとえているのでしょう?

それは、「蛇のごとくさとく」との言葉のように、悟る、知恵がある、そのようなことを語っているように思えます。

それで、聖書は、終末の日、出エジプトの日に「杖が蛇にかわる」すなわち、
教師、預言者に知恵が与えられ、悟りが与えられるという、そのような「不思議」が起こることに
ついて語り、預言していることがわかります。

しかし、その日、教師、預言者に知恵が与えられ、蛇の知恵が与えられるということは、
裏返すと、すなわち、今の教師、牧師なりには、知恵がないのか、悟りがないのか?
という疑問が起きます。

個人的な意見を率直にいわせてもらうなら、残念ながら、その通りだとしか言えません。

たとえについて語り、強調したイエスのことばを捨て去り、「聖書は国語的に読むもの、文字どおり読むもの」などとわけのわからないことばを壊れたテープレコーダーの様に繰り返し語り、
聖書に書いていない「2回に渡り再臨するキリスト」などという悪霊的な教えだけは不思議にもどこかから読み取って来る、愚かな人々に、知恵があるとは思えません。
というより、この書を読めない愚か者教師としか言えないでしょう。

現在の多くの牧師、教師はかくのごとく、愚か者、聖書の基本も知らない愚か者に成り下がっていますが、
しかし、その日、不思議なことが起きます。
それは、杖が蛇に変わるという不思議です。

愚かで無知であり、悟りのない頑固者だった教師達が蛇に変わり、知恵と
知識を持つものとなるという不思議です。

”10 モーセとアロンはパロのところに行き、主が命じられたとおりに行なった。アロンが自分の杖をパロとその家臣たちの前に投げたとき、それは蛇になった。”

さて、ここで2種類の杖、蛇が描かれているのですが、そのうち、まずモーセ/
アロンの杖が蛇になりました。このことのたとえを読み取るなら、モーセ、すなわち終末の日に
エジプト化した教会からの脱出を導く教師達は蛇と変わる、すなわち彼等にはその日、
天からの知恵と知識が与えられる、それに基づき、彼等は出エジプトの働きを成し遂げる、その
様に読み取れます。

具体的には彼等はどうなるのか?今、想像できるのはこの様なことでしょうか。
彼等には聖書のことば、またそこに隠された終末に関するたとえ、奥義、知識を悟る、知恵と
知識、悟りが与えられる。
また、彼等には今の時代を正確に見抜く知恵が与えられる、また彼等には今の教会の問題点、
その解決を悟る、知恵が与えられる、そんなところでしょうか。

そして、彼等をとおして多くの信者達は出エジプトのわざ、すなわち、この世につき、裁かれるべきエジプト化した教会からの出エジプトを敢行する、そのように理解できます。

”11 そこで、パロも知恵のある者と呪術者を呼び寄せた。これらのエジプトの呪法師たちもまた彼らの秘術を使って、同じことをした。”
 

さて、このこと、モーセ/アロンの杖が蛇になること、すなわち、その日、主につく教師達に知恵と
時を悟る悟りが与えられることはひとつの事実ですが、しかし、終末の日にもう一つのことが起きることをも聖書は語っています。
 

それは、「エジプトの呪法師たちもまた彼らの秘術を使って、同じことをした。」ことです。
この日、エジプト側の呪法師、すなわち、魔術師達も同じことをするのです。
すなわち、この世についた教師達にも知恵が与えられるのです。
しかし、これは、魔術からのもの、悪魔来のものです。

さて、このこと、魔術の知恵、悟り、啓示に関していうなら、それは、既に起きていることを
述べたいと思います。

我々が欧米のキリスト教会を見るならこのこと、すなわち教会の教師が蛇の様になり、
知恵や啓示を受けたと称することは、今すでに起きています。いいえ、この流れは
欧米のキリスト教会を席巻しつつあります。

欧米においては、あの狼少年ピーターこと、嘘つき預言者のピーターワグナーや、
これまた、日本において、恥をかきっぱなしの情けない自称預言者、ベニーヒンを始めとした
怪しい面々が、New thing(新しいことがら)とか、新しい啓示とか、トランスフオーメーション(変革)、パラダイムシフトだとか何しろ新しい啓示、新しい教理についてかたり始めています。
それは、具体的には、教会の回復、統治主義(ドミニオニズム)、キングダムナウ(王国を今)、
五職の教え等です。

これは、一見すばらしい啓示、教え、画期的な教えの様に見えるので、
多くの人が惑わされつつあります。

それではこれらの働きの正体は何か?これらの運動は、この流れの人々がペンサコーラ、トロントリバイバルを支持していることからもわかるように、神からのものではありません。
逆にこれは、他の霊、他のもっと魔術的なもの、すなわち、エジプトの魔術師による
働きなのです。

今これらのリバイバルに働く霊は神からのものではなく、この啓示、教えは、
他の霊、すなわち、魔術の霊からきていることを知りたいと思います。

”12 彼らがめいめい自分の杖を投げると、それが蛇になった。しかしアロンの杖は彼らの杖をのみこんだ。”

ここを読んでわかることは、モーセ/アロンの杖は一本であるのに対し、その反面、
エジプトの魔術師達の杖は複数であり、数が多いことです。

ですから、終末の日には、エジプトすなわち、この世につく者達の教師の方がずっと数が多く、数の
上では優勢になることがわかります。
このことは、今現実になっており、欧米では、この流れ、すなわち、魔術的な聖霊の第3の波系の
自称使徒、預言者の数が非常に多くなっています。何でもカンザスシテイにはこれらの自称預言者が
たくさん集まるところがあり、聞き伝えによれば、「カンザスシテイー嘘つきクラブ」とかいう名前で、
嘘つき預言を吹聴しているということです。聞き伝えなので、多少名称に間違いがあるかもしれませんが、
内容的にはそんなところでしょう。そこには、えらそうなビルハモンとかいう自称預言者もいるようですが、この男も性懲りもなく、「日本に2004年にリバイバルが起きる」と預言したそうです。
今年は、2004年ですが、今年の終わりまでに日本にリバイバルが起き、クリスチャン人口が倍増でもしない限り、こいつもただの大口野郎、聖書的には、石打ちで殺されるべき、悪霊預言者だということになります。

「しかしアロンの杖は彼らの杖をのみこんだ。」

さてここで杖合戦、蛇合戦が行われます。
これらの2種類の杖、蛇は相共に戦うのです。激しいつばぜり合い、決死の戦いが
展開されてくるはずなのです。

ですから、私達が終末の日に生きるなら、非常に大事なことがら、もっとも力を入れるべきことがら
は何かをよくよく、理解しなければなりません。
この日、終末の杖合戦、蛇合戦が行われ、それは他でもない教理やみことばに関する戦いなのです。

私達がこの日、時を知り、主の用に立つものとして働くつもりなら、このこと、
みことばに関する戦いを無視するわけにはいきません。

いざ会社が火事になり、部屋も燃え始めようとするのに、相変わらず、そ知らぬ顔で
キーボードを叩き続ける社員は、時を知らない、いざという時役に立たない社員です。
彼は何はともあれ、今は消火活動に従事し、水をかけるべきなのです。

同じ意味あいで、今は「鋤を剣に鎌を槍に打ち直し」、その剣すなわち、御霊の剣である神の
みことばを取るべき時であることを知りましょう。

さて、いよいよ教会時代も押し迫り、最後の時、終末の蛇合戦の時が迫ろうとしています。既に
西の国、西のはずれの国、獣の国アメリカにおいては、多くの蛇預言者が名乗りをあげ、
同じような「啓示」を語り、多くの惑わされた信者の目をくらましています。

さて、もう一方の主役、モーセ/アロンにつく杖、主につく人々にも蛇、すなわち、啓示と悟りが与えられる時が近付いています。

その時は近付き、その教師達は今、立とうとしています。私達はいずれその
働きを見るようになるでしょう。それはどこの国においてか?
それはやはり東の国ではないでしょうか。なかんずく、古来「日のもと」と呼ばれ、日出る国と語られる
東の国、この日本にこそその大きな使命は与えられているのではないでしょうか。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー