NO.380 真理で区分される


”テキスト:ヨハネ17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。
19 わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。”

本日は「真理で区分される」という題でメッセージしたいと思います。
終末の一つの特徴は、「区分」ということです。
堅く真理に歩む人と偽りに歩む人との間に区分が起きるのです。
マタイ13章にはその区分について色々な角度で書かれています。
いわく、「麦と毒麦」の区分、「良い魚と悪い魚」との区分等について書かれています。
さて、このヨハネ伝の箇所では、主が「真理」により、区分、聖別を行うと書かれています。
これは一体どういう意味なのでしょう?そのことを考えてみましょう。

真理ということばには、本物という意味あいがあります。
ですから、真理の反対語は、偽りということばです。

そして、終末には、本物につく人々また偽り、偽物につく人々、その区分が行われる、そのように
理解できるでしょう。
みことばの正しい真理に立つ人と惑わされて偽りの教えを本物のように思い込み、受け入れてしまう人々、その区分があるのでしょう。
 
そして、その区分は永遠に至る分離をもたらすのです。
このことを念頭に置き、テキスト
を見ていきましょう。

”17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。”

「真理によって彼らを聖め別ってください」とは弟子達に関していわれたことばです。
また聖め別つとは、要するに区分、分離のことです。ですから、終末の日に区分があること、
片方は主の祝福の道に入り、もう片方は、呪いと裁きに入ること、その区分があることを
知りましょう。しかも、かつて主イエスの時、そうであったように、偽りにつく人々の方が多く、回りに受け入れられ、しかも人々を支配しているのです。

かつての日、イエスの時代にも真理による区分はありました。
「ことばは肉体をもって私達の間に住まわれた」とあるように真理のことばなる方が
来られたのですが、ある人々はその真理を受け入れ、永遠の命を受け、神からの誉れをうけました。
しかし、ある人々は真理なる方に逆らい、結果として裁きをその身に招きました。
同じ区分が今起きつつあるのです。
この真理と偽りの区分は、具体的にはみことばにどう対するかということで、区分されます。
「あなたのみことばは真理です。」と書かれているように、真理のことばにどう対応するかが
問題なのです。

さて、最近アメリカにおいてはペンテコステ系の教会を中心にnew thing(新しいことがら)、新しい教え、新しい啓示などと称して、聖書の「真理」のことばと真っ向から、衝突するような教えが起きてきました。
 

彼等は「キリストは目に見えない形で再臨する。その再臨した霊は、
教会の勝利者である使徒、預言者の上に受肉する。だからこれらの使徒、預言者はキリスト
の権威を帯びたものであり、彼等の教えに従わない者は、キリストの権威に逆らう者だ」などとのトンでもない教理を振りかざします。
この彼等のいう「再臨」とは、使徒行伝に描かれた「再臨」に関する真理のみことばと真っ向から
対立する、偽りの教えであることをはっきりと理解しなければなりません。何故なら、みことばは、
「目に見える形で昇天したキリスト」を見つめる弟子達に対して、「同じありさまで
再臨する」ことを語っているからです。すなわち、「目に見える形」での
再臨を語っているのです。

どうも詳しく見ていくとこれらの「ユダヤに匂いのするインチキ使徒、預言者」のいう
再臨とは2度にわたる再臨を語っているようです。すなわち、
1)「最初の再臨」は見えない形であり、キリストは目に見えない形、霊で来る。
2)そのキリストの霊を「受肉した使徒、預言者」は地上において、キリストの権威を持ち、
その裁きを地上で実施する。彼等はいわば「キリスト」、godのようなものとなる。
3)これらの使徒、預言者の権威に従わない「頑固な聖書主義者=反キリスト」を滅ぼし、
地上を浄める。
4)その後、キリストは目に見える形で、「2度めの再臨」をする。

上記「頑固な聖書主義者」とは、おかしな使徒、預言者及びそれに惑わされるこの世に
ついたクリスチャンが勝手に呼んでいる「とんでもない冒涜な名前」であり、神の前の事実を反映していません。彼等「頑固な聖書主義者」の正しい、聖書的な
呼び名は、「最後迄、主に忠実な者」です。
また、彼等、敵により「反キリスト」と呼ばれる「忠実な人々」が迫害される時をさして、
聖書は、「かつてなく今後も無い艱難」、すなわち、大艱難時代と呼んでいるのです。

ですから、今だに「キリストの2回に渡る再臨」などとの聖書にもないインチキ話を恥ずかし気もなく、広言する愚か者達は、これらのインチキ使徒の教理に同調し、手を貸していることを認識すべきです。
この「2回にわたる再臨」とのインチキ教理は艱難時代到来に一役買っているのです。

彼等が恥ずかし気もなく、「艱難時代の前に(もしくはその中に)もう一つ秘密の再臨があり、
信者は大艱難の前にこっそり挙げられるから大丈夫」などという蛇の嘘、偽りを喜び、
決して手放そうとしないので、彼等の望み通り、とびっきり素晴しい、究極の
「2段階携挙説」が登場したのです。

偽りを喜ぶ愚か者は恥を知るべきではないでしょうか。

さて、このようにこれらの現在アメリカで起きている新しいキリスト教の教え、運動は、
全く、真理とぶつかり、真理を曲げ、偽りの啓示と霊に導かれたものです。
すなわち、偽りが大いに台頭してきているのです。

ですから、これらの全世界を覆おうとする偽りに同調するのかどうかで我々の間に「区分」が起きることを覚えて下さい。もちろん、これらの全世界を席巻する偽りの教えに従う人々は、み国も永遠の命も受け継ぎません。

”18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。”

さて、ここでは、弟子について語られています。彼等主の弟子は、「キリストが遣わされたように」遣わされたのだと書かれているのです。

主がどのようにこの世に遣わされたのかを考えてみましょう。
その時、この世において、また神の民の間においては、偽りと聖書から離れた教理が流布していました。

そのまん中に「道であり真理であり命」である方が来られたのです。
弟子達、終末の日の主の弟子も同じようにして来ることを覚えましょう。

偽りと惑わしの教理がばっこし、占領し、溢れているこの時代に主の弟子が現れ、真理を語る者として遣わされてくるのです。
その時は今、始まりつつあります。

”19 わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。”

「聖め別たれる」とは何だか文学的ではあるが、しかし、ちょっと意味をとりにくいことばですが、
要するに分離、区分が弟子と回りの人々との間になされるということです。

区分ということを本当に真面目に真剣に考えなければなりません。
学校の入学試験も一つの「区分」です。合格点に達した生徒は、有意義な学校生活を送るかもしれませんが、区分され、達しない受験生は、学校へ行くことも、学びも友だちも得ることができません。
彼は区分されてしまい、除外されてしまったのです。

別たれる、区分される、分離されるということばの意味することは、必ずその裏に「入るべきところ」に入れない人々、分けられてしまった人々が出ると言うニュアンスです。

そして真理、すなわち本物を本当に知っているかを試し、試験するためには、
「似たような偽物」を持ってきて試すのが効果的です。

質問:「建設中」に当たる英語は何か?以下からえらべ。

a)Under confusion
b)Under combination
c)Under comic
d)Under construcion
e)Under distribution
f)Under desk

そして、似たような答えをいくつも置いて、本当に正しい答えを知っているか試すわけです。
「真理」が明らかにされるために似たような「偽物」が許されるのです。

同じように終末の日は偽りの教理が許され、いえ単に許されるどころか、大いに許され、
跋扈し、我もの顔で強迫したり、圧迫したり迄が許される時代なのです。
今既にアメリカでは、「新しい啓示、預言者の教え」に従わない者は地上から削除されるとさえ、
いわれています。すなわち、真理のために命をかけられるかどうかがもう既に問われているのです。

既に時代は別の時代、終末の時代に入り、黙示録に書かれていることは次々に成就しつつあります。

しかし、この時代、この偽りに満ちた時代を前もって見越しかたのように、
「真理によって聖め別たれる」すなわち、区分されることを語られていることを知りましょう。
 

真理に立つものと偽りに惑わされる者との区分が既に始まりつつあることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー