NO.377 偽りの牧者


”テキスト:ゼカリヤ11:
15 主は私に仰せられた。「あなたは、もう一度、愚かな牧者の道具を取れ。
16 見よ。わたしはひとりの牧者をこの地に起こすから。彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものをいやさず、飢えているものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。
17 ああ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。剣がその腕とその右の目を打ち、その腕はなえ、その右の目は視力が衰える。」”

本日は「偽りの牧者」という題でメッセージします。終末の日に、全世界的な規模で偽りの牧者
が立てられる。そのことを見ていきたいと思います。
 

終末の日に関して、聖書は「書かれた全てのことが成就する報復の日」であると
語っています。
ということは、ここに書かれた一人の牧者、最悪の偽りの牧者に関する預言も終末の日に
成就することが予想できます。
この終末の日に成就する「偽りの牧者」に関して見ていきたいと思うのです。

終末の日は、人の罪が増す時、また神の民であるクリスチャンの不信と背信が頂点に達する時です。
それゆえ、神の裁きが臨み、多くの災いが教会、クリスチャンに臨みます。
そのため、私達の通う教会や、クリスチャン社会、環境は、以前から長い間なれ親しんだ
心地よいものから、逆のもの、呪われたものとなっていきます。

命のパンであるはずのみことばが変えられ、変型され、とても食べるに耐えないような
説教、教理がまかり通るようになります。
この世の食べ物も神の怒りの中で、狂牛病、遺伝子組み換え食品、農薬汚染等で、食うに食えないしろものになっていますが、教会の食べ物も汚染されるのです。
さらに水も汚染されます。日本人は塩素のたっぷり入ったこわい水道水や、添加物が多量に入った
飲料水などで、飲む物も汚染されます。同じくクリスチャンも聖霊の水ならぬ悪霊の
トロント、ペンサコーラの毒水をたっぷり飲むようになります。

これらは災いであり、今はまさに裁きの時なのですが、さらに他の面、牧会という面でも
裁きが始まるとこの箇所は述べているように思えるのです。

我々クリスチャンは羊にたとえられます。羊は、弱く、頼りにならない動物です。
しかし、羊を導く羊飼いが良い羊飼いなら、彼等も食べ物も与えられ、また水のある所へ
連れていってもらえ、かつ狼の攻撃からも守られます。
このように羊にとって、その食べるにも飲むにもまた敵から守られるためにも、羊飼いの存在は非常に大事なのです。

さて、私達の主はまさに良い羊飼いなのです。
そして、だからこそ、我々クリスチャンは惑わされることなく、
正しく何とかクリスチャン生活を続けてくることができたのです。
しかし、終末の日に恐ろしいことが起こります。
それは、我々の牧者である主がその牧会をやめてしまい、
他の牧者、偽りの牧者に羊を渡してしまう日が来ると言うのです。
もちろん、みことばを守らず、逆らい続ける人々をです。しかし、このことは
預言されており、偽りの牧者が起きることが許され、その牧者が大きな顔をして
キリスト教会を牛耳ることが許される日、それが終末なのです。

順に見ます。

”15 主は私に仰せられた。「あなたは、もう一度、愚かな牧者の道具を取れ。”

ここでいう、「牧者の道具」とは、前の節を見ると、2本の杖のことのようです。
主は2本の杖、すなわち「慈愛」と「結合」の杖を折ることをその前の箇所で述べています。
これらの杖は折られ、神との「愛」の契約は破られ、その日、「愚かな牧者の道具」が
偽りの牧者に渡されます。この道具により、終末の日に偽りの牧会、憎しみ、破壊の牧会が
教会に対して、その羊に行われるのです。
聖書の暗号によれば、もうすでに「終わりの時」は始まっているということです。
それなら、この偽りの牧会もすでに教会に対して行われ始めていることが想像できます。

”16 見よ。わたしはひとりの牧者をこの地に起こすから。彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものをいやさず、飢えているものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。”

ここで確かに「ひとりの牧者をこの地に起こす」ことが預言されています。
ですから、終末の日に主が牧者を起こすことは預言されているのです。そして、
それは、裁きのために起こされる災いの牧者、詐りの牧者です。

さて、その「牧者」は誰なのか?はたまた、その牧者はもうすでに出現しているのか?
それを考えてみましょう。

聖書のいう「獣の国」に関する預言はことごとく、アメリカに関して成就していることは、
かつて見た通りです。
そして、この獣の国が宗教すなわち、キリスト教会にも大きな影響を与えることは黙示録13章が述べることです。そのことを視野にいれて改めて見直すと、世界の宗教、キリスト教会の趨勢、方向、
運動、ムーブメントはこの国、アメリカ主導で行われていることに気付きます。

すなわち、艱難前携挙説を始めとする教理、またあらゆる神学、そして、聖霊の第三の波、
ペンサコーラ、アズサストリートリバイバル等の霊的な働き、大きな世界的なキリスト教ムーブメントはどれもこれもこの国、アメリカ主導であることに気付くのです。

しかしこの国、あたかも終末にタイミングを合わせたかのように生まれてきた建国200年程しか
経っていない「底知れぬ所」から上ってきた獣の国、アメリカこそこの終末の牧者といえるのではないでしょうか。

そんな考えはなじみにくいかもしれません。
常識的には、アメリカこそキリスト教先進国という考えが強いかもしれません。
しかし、現在、アメリカは既にその牙をむき出しており、その獣の性格をあますところなく、
表しています。

現在、アメリカキリスト教会においては、「顕現された息子」manifesto son, 「王国は今」Kingdom Now, 「統治主義」Dominionism等の新しい教えが次々と打ち出され、何とキリストの再臨の教えさえ、
バージヨンアップして新しいものになったと聞いています。
バージョンアップ?新しい再臨の教え?そんなものあるかと思うかも知れませんが、
しかし、これは現在アメリカのキリスト教会で、確かに語られていることです。
すなわち、彼等は「キリストは見えない形で再臨し」「地上にいる勝利者達(使徒、預言者達)に受肉する」「だから、全てのクリスチャンは彼等、(キリストの権威を帯びた?)使徒、預言者に従わなければならない」「彼等に従わない、クリスチャンは反キリストであり、地上から、削除される」等と言うトンデモない理論を語っているのです。

キリストは使徒行伝の中で、明らかに「昇天したのと同じありさま」で再臨することを語っています。
昇天が目に見える形で行われた以上、再臨が「目に見えない形」なはずはありません。
ですから、こんな聖書にもないことを語る人々は、実は人々の信仰をくつがえしているのです。

”彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず

アメリカ主導、この国で提唱されるキリスト教教理は、「散らされたものを捜」しません。
わけのわからない「セルフイメージ」等の人間的な心理学等は何の助けにもならないのです。

”傷ついたものをいやさず”

このアメリカ産のブーム、意図を持った詐り者であるビリーグラハムやらのメッセージや魔術的な祈り、ヤベツの祈りは、
害をもたらし、悪霊的なものに読む者を触れさせるには役立つとしても決して傷ついたものをいやすことはありません。

”飢えているものに食べ物を与えない。”

食べ物とは、命のパン、みことばと関係のあることばです。
この国において、いやという程、英語聖書が翻訳出版されていますが、どれもこれも、
最近の聖書は、みことばが曲げられ、肝心な箇所の訳がずれているものが多いと聞いています。
また、最近のテイーンエージャーの女の子向け用に出版された「聖書」は、
まるで、ファッシヨン雑誌のような外装です。中には、神のみことばとはあまり関係ないような「男の子に関するお話」が含まれています。こんなもので、霊的な飢えが満たされるのか?
まことに「飢えているものに食べ物を与えない」とのことばはこの国において成就しています。

”かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。”

肉を食らわれ、ひずめを裂かれたら、歩むことができません。
だから、この獣の国、アメリカは、人の信仰の歩みを助けるというより、逆に
その歩みがつまずくような「牧会」を行います。

現在この国で起きている聖霊の第三の波系の教理は、多くの信者の信仰をつまづかせ、
キリストへの信仰を失わせるようなものになっています。

使徒や預言者の「新しい啓示」がみことばより、優先されるようになってきています。
彼等は、黙示録12章に記された「勝利を得る男の子」manifesto sonであり、勝利者である。
だから、彼等使徒、預言者に聞き従わない者は、反キリストの霊に影響されている、だから追放、迫害されるとのことです。
もうこの国では、キリスト教はとんでもない所まで行き着いているのです。

”17 ああ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。剣がその腕とその右の目を打ち、その腕はなえ、その右の目は視力が衰える。」”

そして、終わりの日、この獣の国の牧会の下でどこの国の牧師も、「能なしの牧者」となってしまいます。
彼等は惑わされて正しい牧会を行うことができなくなってしまうのです。
「能なしの牧者。」、KJVでは愚かな牧者と訳されています。
愚かとか、能無しといわれたら牧師さん達は怒るでしょうが、しかし、わざわざトロント、ペンサコーラやら、あの獣の国産の怪し気な「リバイバル」に出かけていき、そんな変な霊を信者に注ぐ牧師さんは、やっぱり、「子どもに毒を飲ませる」愚かな親と変わらないでしょう。

剣がその腕とその右の目を打ち、その腕はなえ」

剣は、ことばや神学をさすようです。ですから、彼等牧師達は、獣の国ゆかりの神学の下で、
腕がなえていき、力が消えていくのです。「その右の目を打ち」と書かれています。
目を打たれれば、見えなくなります。
今の時代の牧師、牧者の最大の問題は「目が見えない」ことです。
彼等の目は見えず、時計も見えず、彼等は今がどのような時だかを知りません。

アメリカのトンデモ教理、manifesto son(神の子の顕われとでも訳すか)においては、
再臨した目に見えないキリストを受肉したmanifesto sonである「使徒、預言者」は、不死を
着る、彼等使徒の一人は、死と蘇りを経験するようになる、とまでいわれています。
まるで「死んで蘇った」キリストきどりです。トンデモないまさに「反キリスト」そのものの
やつらです。
しかし、あながち、笑ってばかりはおられません。この「死と復活もどき」の教理は、以下の
黙示録のことばと無気味に一致するのです。

「黙示録13:14 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。」

「剣の傷を受けながらもなお生き返った」とは、まさに「獣版」復活物語をさすようです。
そして、そのような黙示録そのものの恐るべき教理が喧伝される時代に早くも我々はいるのに、
海の向こうの日本では相変わらず、「極楽とんぼ」教会でよいのでしょうか?
愚かな盲人牧師、ねぼけ牧師はその日、主から叱責されることを覚えましょう。

繰り返しますが、主はその聖書のことばの中で、終末の裁きの日に「ひとりの牧者」を起こすことを
語っています。その牧者は、建てあげるためでも力づけるためでもなく、ただ、裁きのために
起こされるのです。
そして、その牧者の成就はこの獣の国、アメリカにあることを知りましょう。
この聖書の警告に従い、この国ゆかりの働きを警戒するものは幸いです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー