No.376  殺す者が神に仕えていると思う日


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”ヨハネ16:1 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。
2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。
3 彼らがこういうことを行なうのは、父をもわたしをも知らないからです。
4 しかし、わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、その時が来れば、わたしがそれについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。わたしが初めからこれらのことをあなたがたに話さなかったのは、わたしがあなたがたといっしょにいたからです。”

本日は「 殺す者が神に仕えていると思う日」という題で、メッセージしたいと思います。終末において、惑わされたクリスチャンが「神に仕えている」と思いながら、主に仕えている人々の殺害に加わる、そのことを見ていきたいと思います。

順に見ます。

”1 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。”

終末の日は多くの人々がつまずく日です。徒競走で走っている人がつまずけば、ころんだり、倒れたりして、
もうそれ以上進めなくなります。ゴールには到達しません。
同じように終末はクリスチャンの歩みがとどめられ、入るべきみ国へ入れなくなる日なのです。
何故
多くの人がその日つまずくのか?それは、つまずきが許され、ふるいにかけることが許され、主のために困難が許される日だからです。
かつて、ゲッセマネの日、ゆるがしとふるいにかけられることが許されました。主の弟子はふるいにかけられ、ペテロも主を否定してしまいました。

”2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。”

まず、ここに「会堂から追放」されることが書かれています。ですから、我々はその日、終末の日に、
教会から追い出されるのです。しかし、ここには、「会堂」と書かれていることをよく記憶すべきです。
会堂とは、シナゴーグ、すなわちユダヤ教の会堂のことです。
「キリストの弟子、クリスチャンである我々がユダヤ教の会堂から追い出される?」
ちょっと意味不明のようにも思えます。
しかし、神のことばは、神がその深い知恵をもって書かれたことばなので、どのようなことばにも隠れた意味あい、知恵があります。
この会堂は、現在の教会に相当すると思ってよいのかもしれませんが、もしかすると
さらに一つ語っていることがあるかもしれません。
それは、終末の日にキリスト教会は変質して、何と「ユダヤ教のシナゴーグ」の様のようなものに変わってしまう、そのことを語っているような気もするのです。

現在キリスト教会をおおっているトレンドというか傾向は、「キリスト教のユダヤ化」です。
あらゆる面でその波がおおいつつあります。メシヤニックジューとかいう怪しい裏のありそうな
自称クリスチャンが、訳知り顔で語る能書きが、教会では尊重されるようになっています。後の雨、トロント、ペンサコーラリバイバルの霊はユダヤカバラの錬金術の影響か、金粉をまき散らします。
また、アメリカで広がる統治主義だとか、再建主義だとか、律法的で、容赦のない、裏のありそうな教えは偉そうな尊大な物言いのユダヤ学者が主張する教義です。
要するにどこもかしこにもユダヤの影響が起きてきているのです。
これらの殺伐とした、ごう慢な物言いの教理は、「自分達の教理に従わない者」の追放、
殺りくまで語っています。

その日、終末の日、すっかりユダヤ化され、本来のキリストの教えから外れ、惑わされてしまった教会の人々は、これら意図のある(偽)ユダヤ人教師の扇動に惑わされ、自分の兄弟であるクリスチャン
を(ユダヤ教の会堂化した)教会から追放するようになるのでしょう。

そして、これらの意図のあるユダヤ人の教えに惑わされた人々は、神に仕えていると 思いながら、自分の兄弟を死に渡すのでしょう。

「事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。」

ここに書かれている殺す人々は、「神に奉仕」していると思うのですから、
当然、クリスチャンです。ですから、彼等、クリスチャンが惑わされ、だまされ、
そして、「主につく人々を殺りくし」しかも「自分達は神に仕えている」と誤解する、そんな日が来るのです。

「そんな馬鹿な」と思うかも知れませんが、明らかにこのみことばはそのような日について語っているので、我々はそのことを考慮すべきと思われます。

その日はどうやって来るのか?

今我々が理解しているのは以下の筋書きです。

1.第三の波の推進の中で、(隠れユダヤ)である、ベニーヒン等の
自称使徒、預言者のすばらしい「奇跡、しるし、不思議」を大々的に宣伝する。
彼等こそ、神に立てられた使徒、預言者だと認知させる。

2.エペソ5職の復活を宣伝する。全世界の
教会は、使徒、預言者の権威の下に服すことを教え、浸透させる。
 

3.エキュメニカル運動を推進し、全世界の教会を一つに統合する。
すなわち、彼等(隠れユダヤ)使徒、預言者が「全教会」を統治する準備をなす。

4.これら(タルムード主義者である隠れユダヤの)使徒、預言者の下で、
統治主義、神の国は今、顕現された息子等、あらゆる、詭弁の「反キリスト」
教理を強制的に教会に浸透する。これらの教理は人々を
たぶらかし、反対する人を「削除、殺りく」することが、
神への奉仕だと、誤解させるのに役立つ。

5.これらのトンデモ教理に異を唱える人々を攻撃するための
教会軍団、ヨエルの軍隊を創設し、迫害する。

6.これらの実行、教理の強制は、獣の国、アメリカ
の支配、ゴリ押し、恫喝、強圧の下で行われる。

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聖書はこれらが実行される日をさして「艱難時代」といっているように思えます。

”3 彼らがこういうことを行なうのは、父をもわたしをも知らないからです。”

さて、そんなわけで、終末のその日には2種類のクリスチャンが存在することになります。
2種類?すなわち、以下のクリスチャンです。

1.迫害する惑わされたクリスチャン
2.迫害される主につくクリスチャン
 

この2種類のクリスチャンの間には、いずれ大きな差、永遠の差がつきます。
すなわち、片方は永遠の誉れを受け、片方は永遠の忌みを受けます。
これらは永遠の差です。どちらが益かよくよく考える必要があります。
はっきりいいますが、艱難時代、3年半迫害されるとか、殉教するとか、そんなこととは、
比較にならない、大きな永遠の差がつくのです。

さて、その差、これらの2者のクリスチャンの間に起きる差の理由は何でしょうか?
上記みことばにはっきりと書いてあるように、それは、「父をもわたしをも知らない」ということの差です。その日、彼等、迫害者は、神をもまたキリストをも知らず、それゆえ、彼等は、
別の主、別の神に仕え、結果としてその「異なる神」の命令を行い、人々を迫害するのです。

今、聖霊の第三の波等で提唱され、流布されている教理で語られている神や、キリストはどうも別の神、
キリストになりつつあります。
「世をも世にあるものをも愛するな」と主は語れたはずなのに繁栄の神学でいわれている主は、
「この世における繁栄」を強調するようです。どうも別のキリストのように思えます。
また、統治主義、再建主義、王国を今で語られる神は、いかにも律法主義的であり、自分の考え、教えに反する人々の削除を求めるようです。彼等の主張する「神」はまるで、血も涙もない、教条主義的なそして「速やかに厳しく罰することが大好きな神」のようです。
どうも、この神も我々の知っている父、神というより、別の神、主のように思えます。

はたまた彼等のいう、顕現された息子(manifesto son),
corporate child (団体の子)等の教理の中で「後の雨」系の人々のいうキリストは「目に見えない形」で再臨し、教会の上に「受肉」するらしいです。これは全くキリストのいわれたことばと異なります。
察するにこのキリストはかつての日、弟子達の前で昇天し、雲に上ったキリストとは異なる
キリストとは「別」のキリストのようです。何故なら、この時、明らかに「天の上られたと同じように再臨する」と語られているからです。

目に見える形で昇天したのに、あら不思議、「目に見えない形で再臨するキリスト」なんぞ、きっとどこかのぬきあし差し足の盗人、どろぼうか、または、サタンの霊か、はたまたあの「空想好きなユダヤ人」が
あきもせず、無い知恵をしぼってひねくり出した妄想の産物でしょう。
こんなキリストを迎えに出る者は愚か者であり、「荒野にキリストがいる」と聞いて飛び出しては、
偽りの教理にえじきになり、永遠の命を失い、「部屋にキリストがいる」と聞いて飛び込んでは、
悪霊に踊らされ獣踊りをする盲人、たわけものです。彼等は聖書の警告を理解していません。

さて、このように現在教会で起きていることは、別のキリスト、別の主、別の神を紹介することのように思えます。これらのことがらの行き着く先はどのような日か?
それこそ、人々が、真の父なる神も真のキリストからも離れ、別の父を拝する日です。
現在、アメリカ由来であり、かつ日本の教会に起きつつあるムーブメントの一つは、
チャーチスクール、ホームスクールの運動です。何でもニューヨーク近辺には、その人数が
2万人を超えるチャーチスクールがあるとのことです。
チャーチスクール、ホームスクールは、子供にクリスチャンとしての教育を与えることなので、
何も問題がないように思えます。
しかし、どんなことでも「吟味」するように聖書は語らなかったでしょうか?

このチャーチスクール、ホームスクールに対する懸念は、この「教育」が再建主義者主導の下で行われること、すなわち統治主義だの、王国を今とか、「この世に神の王国」を作るという後の雨と同じような主張をする人々により、提唱されていることです。そして、再建主義者はユダヤ人が多いです。
その再建主義の論旨もユダヤ人特有の強引、こじつけ、強圧な論理です。「マタイ24章の
終末の記事のできごとは皆既に終わっている(?)過去の事だ」などとのビックリするような
論旨を強圧的に語っています。

どうも裏がありそうです。あるキリスト教雑誌にも、彼等再建主義者がチャーチスクール/ホームスクールの運動を主導することに対する懸念が載っていました。

”4 しかし、わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、その時が来れば、わたしがそれについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。わたしが初めからこれらのことをあなたがたに話さなかったのは、わたしがあなたがたといっしょにいたからです。”

「その時が来れば」というように主は前もってある特定の時について語りました。
それは、主につく人々が惑わされた兄弟姉妹により攻撃される日のことです。
「そんなことはまだない」「当分ない」なんて思っているかもしれません。
実は日本のキリスト教会の新聞、雑誌等が決して報道しないことですが、もうそれらしい
「動き」「運動」「環境」はアメリカで起きています。もう既に起きているし、しかも
その動きは年とともに大きなものとなっているようです。

”「再臨する主を待つ」などという悲観的な信仰は今、アメリカでは否定されつつある”
ということのようです。そうです、主をも父をも知らないクリスチャンがアメリカでは、増えつつあるのです。
 

「その時が来れば、わたしがそれについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。」

今こそこの主のことばを思い起こすべき時と思われます。
 
 
 
 

「わたしが初めからこれらのことをあなたがたに話さなかったのは、わたしがあなたがたといっしょにいたからです。」

このことを話さなかったのは、主が「いっしょにいたから」だと語られています。
逆にいうと、このようにだまされてしまう人々、別のイエスをつかんでしまう人々、
彼等の特徴、問題点は、主が「いっしょにいない」ことです。

「いっしょにいないのは」誰が悪いのか?
「イエスが私を見捨てた」なんていう人がいるかもしれませんが、そうとはいえないようです。
ラオデキヤの教会では、主は戸の外に立ってたたいています。

彼等、迫害する人々は何故だまされるのか、何故別のイエスをつかんでしまうのか?
それは彼等が真のイエスを知らないからです。
何故彼等は真のイエスを知らないのか?それは、彼等が主を追い出し、別の霊に
ふりまわされているからです。

私達は祈りの中でこの方とともにいる必要があります。また、
「汚れたものに触れるな」とのことばを思い起こす必要があります。
主とともにいる人々はこの偽りと惑わしと裁きの時代にあっても、
正しい道を歩むことを知りましょう。

ー以上ー