No.368 全ての啓示は開かれる


”テキスト:マタイ10:26 だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれている(覆いをかけられている)もので、現わされない(啓示されない)ものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。
27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。”

本日は「全ての啓示は開かれる」という題でメッセージしたいと思います。
聖書の中に覆われ、隠され、謎にされている「全ての啓示」は、終末の日に開かれる、そのことに
ついて見ていきたいと思います。
 

順に見ます。

”26 だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれている(覆いをかけられている)もので、現わされない(啓示されない)ものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。”

この節の中に「おおわれているもので、現わされないものはな」いことが書かれています。
ここでいう、「おおわれている」とのことばは、「おおいがかけられている」とのこばであり、
いわゆる啓示と関係したことばです。また、「現わされないものはなく」とのことばも、
「啓示されないものはない」との意味であり、黙示録ということばと同じ種類のことばが使われています。

ですから、ここで書かれていることは、「開かれない啓示(黙示)はない」「全ての黙示の封印は開かれる」という意味のことなのです。

そんなわけで聖書は明らかに「聖書の中で、封印され、謎となっている多くの黙示、啓示」は、
必ず終末には開かれることを語っていることを知りましょう。「これらの黙示は、この世では最後迄、開かれることはない」など主張することは、非聖書的な主張であることを知りましょう。

新聞に掲載されている解答がないかのような、難問のクロスワードパズルでも来週になれば、
きちんと答えが掲載されます。
同じ意味あいで黙示録を始めとする終末の黙示、預言の解釈は難しく、まるで、正しい解答は決して
現れないかのようにさえ見えますが、しかし、聖書のいう7つの封印が開かれる時、終末になれば、
必ずこれらの啓示、黙示は開かれる、そう聖書は語っていることを知りましょう。

このことをはっきり理解すると次のことがわかります。
それは、終末の日に多くの教えが起きて来ます。
それらの多くは偽預言者の働きです。「偽預言者が起きて、多くの者を惑わす」と書かれているからです。
しかし、ここが肝心なのですが、それらの中に必ず「正しい啓示が」あるはずなのです。
何故なら、この時は「全ての啓示が開かれる」時だからです。

ですから、「全ての啓示が開かれるとは限らない」「黙示録にしても、主の再臨までは、どれが
正しい解釈か、啓示なのかはわからない」という考えは非聖書的であり、
イエスの語られたこととは異なる主張であることを知りましょう。

聖書は明らかに「全ての啓示が開かれる」日について語っているのです。
これらの全ての啓示が開かれた時、「これがそれである」と理解した者は祝福を受けるでしょうが、しかし、それを悟れない者は、祝福と救いを逃すことをしりましょう。

さて、この26節には、「全ての啓示が開かれる」ことと附随して、「だから、彼らを恐れてはいけません。」

この彼等とは誰の事でしょう。

この節の前は以下のように記されています。
 

”マタイ10:20 というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
21 兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。
22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
23 彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。
24 弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。
25 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。”

ここでは、キリストの弟子が迫害されることが描かれています。ですから、
彼等とは弟子を迫害する者達のことです。

そして、これらの箇所からわかることは、「啓示が開かれる」ことと、「迫害」とは
ワンセットになっているということです。

終末の日に聖書の全ての啓示が開かれればそれは大変なことであり、大いに栄誉あることです。
それは、ダニエルの時代に啓示を受けたダニエル、また新約の多くの啓示を受けた
パウロに匹敵するような大変なことだからです。

しかし、かつて、啓示を受けたダニエルはライオン
の穴に投げ込まれ、またかつて啓示を受けたパウロも多くの迫害を受けました。
不思議なことには、真の神からの啓示を受ける人は、また迫害をも受ける、そのような
パターンがあるようです。

ですから、終末の日に啓示を受ける人々の特徴も、迫害を受けるということでしょうか。

ここで描かれているように自教会の牧師に訴えられ、(父は子を死に渡し)、教会を追い出され(この町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。)、
また、悪霊つき(家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから)と呼ばれるようになるのかもしれません。
しかし、何はともあれ、その日、これらの啓示は全て開かれることを覚えましょう。

そして、この日、福音書に描かれている真の弟子が迫害される時代とは決して遠い先のことではありません。というより、今、あの獣の国アメリカでは起きつつあることなのです。

今、アメリカで進むあの悪霊を注ぎ出すリニューワル、ヨエルの軍隊の働き等の中には、自分達の働きに反対する、
「敵、ベルゼブルを殺せ」などと物騒なことを言っている人々がいると聞いています。

彼等がこのように憎む当の人々は、実は聖霊と悪例を正しく見分け、偽りの教理を見抜く「正しい人々」のことなのです。まさに正しい人々がその義のゆえに迫害されるかという時代に今、我々はいることを知
りましょう。

”27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。”

ここで書かれていることは、小さく聞いた啓示の光を大きく伝えよということでしょうか。
すなわち、「耳もとで聞く」内緒話のような小さな声を、屋上で拡声器でも使うように言い広めろ
と語られているのです。
ですから、開示を受けたら黙っていてはいけないのです。
これは啓示を受けた人、聞いた人の責任なのです。
 

まとめますが、終末の日に「全ての啓示」が開かれることを明らかに聖書は
語っているように思えます。
これらの啓示がいざ正しく開かれた時、それを正しく受けられるように求め祈りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー