No.358ベツレヘムの支配者


”テキスト:ミカ5:1 今、軍隊の娘よ。勢ぞろいせよ。とりでが私たちに対して設けられ、彼らは、イスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つ。
2 ベツレヘム・エフラテ(灰の山)よ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
3 それゆえ、産婦が子を産む時まで、彼らはそのままにしておかれる。彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる。
4 彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。
5 平和は次のようにして来る。アッシリヤが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対して七人の牧者と八人の指導者を立てる。
6 彼らはアッシリヤの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリヤが私たちの国に来、私たちの領土に踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う。
7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。
8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。
9 あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。
10 その日、「「主の御告げ。「「わたしは、あなたのただ中から、あなたの馬を断ち滅ぼし、あなたの戦車を打ちこわし、
11 あなたの国の町々を断ち滅ぼし、要塞をみなくつがえす。
12 わたしはあなたの手から呪術師を断ち、占い師をあなたのところからなくする。
13 わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち滅ぼす。あなたはもう、自分の手の造った物を拝まない。
14 わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。
15 わたしは怒りと憤りをもって、わたしに聞き従わなかった国々に復讐する。”

本日は「ベツレヘムの支配者」という題で、メッセージしたいと思います。
上記テキストには、ユダ氏族のベツレヘム・エフラテから、イスラエルの支配者となる者が出てくることが書いてあります。そのことを見ていきたいと思うのです。
このミカ書の預言は大変有名な預言であり、第一義的には、主イエスキリストのことをさします。
主がベツレヘムの馬小屋で生まれたことは誰でも知っていることであり、このことはこの預言の成就なのです。

一つはっきりと知らなければならないことは、この預言は「たとえで」成就しているということです。
イエスが文字どおりのイスラエル国の王となったということは、歴史上起きていません。
彼がヘロデの代わりにこの国を支配したということはないのです。しかし、このことばはたとえで成就し、彼は霊的なイスラエル、神の民の王として王座につかれたのです。ですから、愚かな解釈者がいうように
「文字どおり読んで」ばかりいては何もわからないのです。

さて、この預言が、イエスにおいて成就していることは、誰でも知っていることですが、
私達はもう一つの面をも見ていきたいと思うのです。

ここでは、「ユダ氏族のベツレヘム・エフラテ」に関する預言が書かれているのですが、
聖書、黙示録には、終末に関連してこのユダ部族について書いてあります。
以下のことばです。

”ヨハネの黙示録 5:4 巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。
5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」”

ここでは、終末の日にユダ族の獅子が勝利を得ることについて書かれています。
そして、我々は以前、このユダ族の獅子はこの日本における勝利の信仰者のことではないかということを見たのです。その線から考えるとこの箇所のユダ氏族のベツレヘム・エフラテも何か、我々日本人と関係のある預言のようにも思えます。それを見ていきたいと思うのです。

テキストに沿って見ます。

1 今、軍隊の娘よ。勢ぞろいせよ。とりでが私たちに対して設けられ、彼らは、イスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つ。”

「とりでが私たちに対して設けられ」ということは、敵が戦いの準備をしているということです。
「彼らは、イスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つ」すなわち、主につくクリスチャンへの戦いが今や始まろうとしているのです。
今、このことは成就しつつあります。主につくクリスチャン攻撃の火ぶたは切られつつあります。
バイブルカルト、原理主義者だの、主につく人々を訴える多くの偽りの論理が作られています。

2 ベツレヘム・エフラテ(灰の山)よ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。”

ベツレヘム・エフラテはユダ部族の地です。このユダはイスラエル12部族の中で、
特別な位置を占めていることを知って下さい。
すなわち、
*イエスキリストもユダ族に属し、
*エルサレムもユダにあり、
*神の神殿、契約の箱もユダにあり、
*戦いの先陣もいつもユダが取るのです。
*また、ダビデの王位もユダにあるのです。

これらは全て終わりの日に東の地で回復するイスラエル12部族の中で、この部族、ユダ部族がどのような位置を占めるかを暗示、予言しています。
中国、韓国等の東の地に離散しているかつてのイスラエル人は、その日、回復するでしょうが、
その中で、ユダ族は特別な位置を占めます。

ユダ族の子孫とは、他でもないアジアでもっとも先に日の上る地に属するこの日の丸の国、日本のことです。
「王権はユダを離れず」とのことばは、その日、成就します。その日、このユダの地、日本は、
黙示録7章に記されている、「日の上る方で聖霊の印を受けるイスラエル12部族の盟主」として、復活して来るでしょう。

かつて、ユダ部族の王であった、ダビデ、ソロモンが全イスラエル12部族の支配者、王であったように、この日、この日本は世界の「主につく」クリスチャンの間で特別な位置に立つでしょう。
今、このようなことを、世界どころか、日本においても吹けば飛ぶような小数勢力である
日本のキリスト教会の未来に関して、このようなことを語ることは、ほとんど狂気かきちがいざたです。
私はそれを知らないわけではありません。
しかし、主は前もって語られる方なので、私も前もって語りたいと思うのです。
もし外れれば、その日は大いに罵倒して下さい。
しかし、これらのことばが成就したその日は、主が誰を通して語っていたのかを思いだして下さい。

アジアで復活してくる、かつてのイスラエル12部族の働きの中の指導的な立場はユダ、日本がとります。
その一つの預言的な動きは、かつての大東亜戦争における、日本軍の働きです。現在は、
あらゆる罵詈雑言でわい曲されている日本の戦争ですが、その当時の人々にとって、
この戦いは、アジア同胞を奴隷とする西側列強との戦いでした。この戦いは、アジアの各国を奪い取り、植民地化し、収奪した、あのギリシャの角の子孫である
白人国への当時のアジアほぼ唯一の独立国、ユダ、日本の戦いであることを忘れてはいけません。
「戦いに..ユダが始めに」とのことばの通り、日本が雄々しく戦った時、アジアにおけるイギリス、オランダ、フランス、アメリカ等の覇権、占領は音をたてて崩れました。
多くのアジア、アフリカの植民地の国々がこの戦いを契機に独立を勝ち取りました。
ユダ、戦いに猛き獅子の国はその役割を果たしたのです。
ユダを獅子であると定めたのは他ならない、主御自身であり、この国がその国、ユダの国なら、
当然、獅子=戦いの国としての働きを行うのです。
このことを語り、告げたのが主である以上、これは当然実現します。このことに何らの不思議、偶然もありません。

さて、先の戦争の日本、獅子の国の活躍は、そのまま、神の前の戦いにおける、この国、この民族の
働きをあらかじめ預言、予表したものではないかと私は思っています。
この世の武器を用いた戦争はあくまで、この世のものに過ぎず、肉のものに過ぎません。
真の戦いは、かつてパウロが「信仰のよき戦いを戦い、永遠の命を獲得せよ」と語ったように、
永遠の命に関すること、信仰における戦いです。
世界の今のキリスト教会には、敗北と崩壊と混乱が満ちています。いわば、敗走につぐ敗走を続けているのです。

しかし、終末のある日、勝利がやってきます。それは、ダニエル書に書かれたギリシャの子孫、白人の支配の下で、みじめな被占領者としてしか、生きられなかったかつてのアジア、アフリカの国々が雄々しく立ち向かい、自分の国を自分の手で立ち向かった日のようです。同じように、終末の日に教会の回復、勝利があることは聖書のあらゆる箇所が預言していることでもあります。

その先陣は誰が切るのか?その勝利はどの国からやってくるのか?どの民族が、これらの敗走をとどめ、
逆転の勝利をおさめるのか?
このことについて聖書はこう語っています。

士師20:18”イスラエル人は立ち上がって、ベテルに上り、神に伺って言った。「私たちのため、だれが最初に上って行って、ベニヤミン族と戦うのでしょうか。」すると、主は仰せられた。「ユダが最初だ。」”

戦いにはユダが始めに出ていくのです。また上記テキストのように、このユダ、日本の地から、
全イスラエル12部族の支配者となるものが出てくるのです。

「何故日本なんだ、日本には小さな教会とわずかなクリスチャンしかいないじゃないか」なんていう意見もあるかもしれません。何故日本なのかは私も知りません。知っているのは、この国がもしユダなら、
(そうである証拠はいくつもあるのですが)、ユダに関するみことばは必ずこの国に成就するはずだということだけです。

ユダの地、すなわち日本の教会のどこかにベツレヘム エフラテと呼ばれる教会、グループがあります。
それらの人々がもう存在しているのか、これから起きるのか、それは私は知りません。

しかし、これらの人々は、必ず起きてくるだろうと私は思っています。
実際にその名前、ベツレヘム エフラテをつけたグループが起きるのか、それともこれは、
ただ、神の前における名前であり、彼等は自分達がそう「神の前で」呼ばれていることに気がつかないのかもしれません。しかし、何はともあれ、この預言は成就すると思われます。
ベツレヘムの意味はわかります。「パンの家」という意味あいです。パンはみことばに通じます。ですから、みことばに関する回復を行う人々と思われます。エフラテは灰の山という意味です。こちらはあまりよくわかりません。灰をかぶって悔いるということばがあるので、悔い改めに関係したことばなのかもしれません。

かうての日、このミカ書の預言は、ベツレヘム エフラテで生まれたイエスにおいて成就し、
彼は偽りによって曲げられた神のことば、教えを回復する者として、その働きの支配者として、
働きました。ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、パウロこれらの人々は皆、ベツレヘム エフラテ生まれのイエス
の弟子なのです。このベツレヘム エフラテ生まれのイエスを通して神のことばは本来の力を取り戻し、正しい教えは回復したのです。
同じことが、この国、ユダの国、日本のベツレヘム エフラテの人々を通して起きて来ると思われます。
永年の間、誤った教会の歩みの中で、曲げられ、変型された聖書の教えがこれらの人々を通して回復されて来るのでしょう。

何ともはや、夢のような、他の国の人が見たら手前勝手にしか、思えないことを私は書いているわけですが、しかし、これらのみことばを終末に対して解釈するとこのようにしか読めないのですが、どうでしょう。

”3 それゆえ、産婦が子を産む時まで、彼らはそのままにしておかれる。彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる。”

「彼らはそのままにしておかれる」とは何を言っているのでしょう?
そのまますなわち、今、現在の日本の状況がその日まで続くということなのでしょう。
キリスト教のかけらもない、聖書など何も知らない、この世的、異邦の中の異邦人のような
状態が続くのでしょう。しかし、ある日、「産婦が子を産」み、これらの勝利者が生まれて来る日がきます。そうです、その日が来ます。この国でキリスト教が大ブームとなる日が来ます。多くの人がキリストについて語る日がきます。「彼の兄弟のほかの者」とは、アジアの日本の同胞の国々のことでしょうか。彼らは「イスラエルの子らのもとに帰るようになる。」、すなわちイスラエルの部族として復活します。

4 彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。”

「彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い」と書かれています。
この日、主のみこころに沿った教会、群れの集まりができます。これは、黙示録で、フイラデルフイアの教会として預言されているものです。
また、「今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。」とも書かれています。ですから、この日本の勝利者の働きは、世界の教会の果て迄及びます。

今、日本の電気製品や、アニメが世界を席巻していますが、その日、日本発のキリスト教が世界を席巻します。「そんな馬鹿な。たとえ主が天に窓を開いたとしてもそんなことはあり得ない」と思うかもしれません。
しかし、私は今、何一つ、兆候のかけらさえ、手程の雲さえ見えない状態の今、このことを前もって述べておきます。この日は、2003年8月15日。日本の敗戦記念日であり、日本の教会には何の回復の
兆候も見えていません。

5 平和は次のようにして来る。アッシリヤが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対して七人の牧者と八人の指導者を立てる。”

「平和は次のようにして来る。」とは、ここで語られている、ユダ、日本発の勝利はどのようにして得られるのかということでしょうか。
それはどのようにして来るのでしょう。

アッシリヤが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、」

「アッシリヤが私たちの国(ユダ)に来て」という表現で思い出すのは、ヒゼキヤ王の時代、エルサレムをひとのみにしようとこの都を攻め立てた、あのアッシリヤ王セナケリブの軍隊です。サマリヤの多くの町を占領、略奪し、勢いに乗るアッシリヤの軍の将は、エルサレムの城壁から、大音声で呼ばわり、威嚇したのです。「アッシリヤに降参せよ。主に頼って何になるのか」この時、
数や、兵力から言うなら、ユダには勝ち目がなく、勝算は皆無だったのです。
しかし、結末はどうだったのでしょう。話の結末は?
私達は聖書の中で、神がへり下ったヒゼキヤ王、イザヤの敬虔な祈りに答え、不思議な方法で、この町を守ったことを知っています。アッシリヤの軍隊は引き返して行き、その王セナケリブはその後、宮の中で死を迎えます。大逆転だったのです。繰り返します。大敗北ではなく、大逆転だったのです。

さて、かつての日に起きたことは、現在の時代に対する預言であると私は理解しています。

かつてサマリヤの町を席巻したアッシリヤは現在、カソリックを席巻しているあらゆる、偽りの
教えの予表かもしれません。そして、かつての日、サマリヤを席巻したアッシリヤがユダをも襲ったように、このカソリックを支配した偽りの教えは終わりの日にはプロテスタントをも襲うのです。それは、
今のことばでは、「エキュメニカル」といわれる運動です。
この運動は、今、世界のそして日本のプロテスタント教会を席巻しようとしています。
この日はまた、エゼキエル書でゴグ、マゴグが攻めると預言されている日かもしれません。
ゴグ、マゴグは「山」という意味あいがあり、教会、集会と関係したことがらです。

”私たちはこれに対して七人の牧者と八人の指導者を立てる。”

しかし、このようにみこころの教会も席巻されようかという日に、逆転の風が起きます。
いくつかの主につく人々、働きが起きるのです。それは、この国、日本主導の働きです。

”6 彼らはアッシリヤの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリヤが私たちの国に来、私たちの領土に踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う。”

剣は、みことばと関係したことばであり、ここに書かれているのは、みことば、
教理に関する戦いです。

全世界の教会がエキュメニカルの偽りに飲み込まれていくかと思われたその時、
援軍は東から現れ、勝利は東から起きます。主につく教会は、彼等に基づき勝利を得ます。
「アッシリヤが私たちの国に来、私たちの領土に踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う」と書かれた通りです。

7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。”

この日、ヤコブの残りの者と呼ばれる主につく小数の人々があります。「多くの国々の民」すなわち、
キリスト教会の大多数は、この世的になるかもしれませんが、しかし、彼等小数の人々に主の勝利があります。「主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のよう」です。何を言っているのでしょう?
露、夕立は、水、聖霊に関することばです。ですから、聖霊の大雨をもたらすため、彼等は用いられるのです。彼等の特徴は?「彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。」すなわち、
器崇拝ではなく、主にのみ望みをおく人々なのです。

”8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。”

さて、ここに獅子の国、ユダ、日本のクリスチャンの働きが預言されているように思えます。
獅子はの特徴は何か?羊や牛、うさぎと異なり、獅子という動物の特徴は、戦いに猛き動物であること、そして、どのような獣にも立ち向かい、勝利を得ることです。

「ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。」と書かれています。
その日、終末の日、「異邦の民の中、多くの国々の民」は、終末の獣に引きづられ、歩む道を惑わされ、
命も失うかという状態になるのでしょう。また、教会も獣に荒らされ、荒廃します。
しかし、その日、その日、ヤコブの残りの者といわれる「獅子の民」が起きます。
彼等の働きにより、防戦一方だった、もう陥落か、滅亡かと思われた教会に逆転の勝利が与えられるでしょう。彼等の働きはめざましく、逆転につぐ逆転勝利が起きるようになります。

「通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。」と書かれている通りです。
獅子は百獣の王であり、あらゆる獣に勝ちます。勿論、終末の獣にも勝つのです。
あの偽りの民に勝つのです。
その獅子は誰か?その獅子の国民は誰か?その獅子の国は何か?
それこそ、獅子とうたわれたこの東の国、日本ではないでしょうか。そして、この国の主につくクリスチャン達ではないでしょうか?

そのようなわけで、これらのことばが真実なら、この東の国、日本には終末の日に大きな、とても
大きな使命があるように思われるのです。

9 あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。”

この日はかねてから聖書の中で預言されていた教会の回復の日であり、あらゆる、
教会内の敵の働きが滅ぼされる日です。そして、その勝利は、ユダ、日本と関係があるのです。

10 その日、「「主の御告げ。「「わたしは、あなたのただ中から、あなたの馬を断ち滅ぼし、あなたの戦車を打ちこわし、”

12 わたしはあなたの手から呪術師を断ち、占い師をあなたのところからなくする。”

馬、戦車は、主の定めに逆らって建てられた教会の集まり、働きでしょうか。それらはくつがえされ、倒されます。

”11 あなたの国の町々を断ち滅ぼし、要塞をみなくつがえす。”

多くの要塞が、主の示しに逆らい建てられています。
あの嘘話、2回に渡り、キリストが来るという、トンデモ話は、それなりに理論武装をして、いくつもの教理の本が出ています。また、あのパレスチナで略奪、殺りくをほしいままをしている悪魔礼拝者達が神の民であるという理論が教会内では、大事に擁護されています。これらの要塞の備えは堅く、盲人達の眼は固く閉じています。
しかし、ここに「要塞をみなくつがえす」と書かれていることをしっかりと覚えなければなりません。
すでに、キリスト教会の一部には、艱難前、2段階携挙説への疑問が起きつつあります。
要塞の一角に破れが生じつつあるのです。
「アメリカは聖書に書いていない」などという的外れな理論の要塞もいずれ、倒される運命にあります。
 

”12 わたしはあなたの手から呪術師を断ち、占い師をあなたのところからなくする。”

今、教会の働きの中に呪術、占いの要素が入り込んでいることを知って下さい。
例のハリポタは魔法の入門書です。また、ヤベツの祈りの原則、「同じ言葉を何日も何ヶ月も何年も繰り返して祈る」という原則は魔術の原則なのです。
このようにして、色々と入り込んでいる魔術の影響がその日一掃されます。
 

”13 わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち滅ぼす。あなたはもう、自分の手の造った物を拝まない。
14 わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。
15 わたしは怒りと憤りをもって、わたしに聞き従わなかった国々に復讐する。

「刻んだ像と石の柱」とは器崇拝に関することです。これらも一掃されます。

繰り返しますが、終末の日における、蘇るユダ、日本の働きは大きなものがあります。
この日、この国で、主につく者は今、その日のために備えを始めるべきと思われます。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー