No.355 ベツレヘム、エフラテよ


”テキスト:ミカ5:1 今、軍隊の娘よ。勢ぞろいせよ。とりでが私たちに対して設けられ、彼らは、イスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つ。
2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
3 それゆえ、産婦が子を産む時まで、彼らはそのままにしておかれる。彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる。
4 彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。
5 平和は次のようにして来る。アッシリヤが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対して七人の牧者と八人の指導者を立てる。
6 彼らはアッシリヤの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリヤが私たちの国に来、私たちの領土に踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う。
7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。
8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。
9 あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。
10 その日、「「主の御告げ。「「わたしは、あなたのただ中から、あなたの馬を断ち滅ぼし、あなたの戦車を打ちこわし、
11 あなたの国の町々を断ち滅ぼし、要塞をみなくつがえす。
12 わたしはあなたの手から呪術師を断ち、占い師をあなたのところからなくする。
13 わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち滅ぼす。あなたはもう、自分の手の造った物を拝まない。
14 わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。
15 わたしは怒りと憤りをもって、わたしに聞き従わなかった国々に復讐する。

本日は「ベツレヘム、エフラテよ」という題でメッセージしたいと思います。
ベツレヘム、エフラテとは、イスラエル12部族の中のユダ部族の中の一つの地名です。
終末の日にイスラエル、12部族が東の地で回復すること、なかんずく、ユダは、この地、日本で回復するように思えることは以前見た通りです。

もし、このユダの回復が確かに日本で起きるなら、このユダの地にある、「ベツレヘム、エフラテ」に関する預言も我々と関係のある預言かもしれません。このことを見ていきましょう。
順に見ます。

1 今、軍隊の娘よ。勢ぞろいせよ。とりでが私たちに対して設けられ、彼らは、イスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つ。

聖書の多くの預言は、神の民に関する預言であり、今の時代の神の民、教会に関するものです。
終わりの時代において、教会は攻撃され、破壊されていきます。破壊する者達があらわれ、「とりでが私たちに対して設けられ」るからです。「彼らは、イスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つ。」と書かれています。杖は教師のたとえであり、偽りの教師達、誤りを語る注解書により、教会は攻撃されています。
そして、この時、主につく者達への神からの呼び掛けは、「今、軍隊の娘よ。勢ぞろいせよ。」という言葉です。
そうです、今こそ、主の勇士が立つ時なのです。

”2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。”

さて、終わりの日に、イスラエル12部族が東の地で回復されることは、かつて見た通りです。
世界の東はアジアであり、このアジアにこそ、アブラハムの子孫である イスラエル12部族の末裔が住む可能性が高いのです。その中で、どの部族、どの国が中心となり、この教会回復の働きの先陣を切るのでしょうか?

その答えは明白であり、誤りようがないものです。イスラエルの指導者、すなわち、この東の地の指導者として、ユダ、日本が名指しにされているからです。「その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」とまで、書かれています。ですから、この日本、ユダの末裔から、この教会回復の働きの
指導者(達)が出ることは、「永遠の昔からの定めである」のです。

御存知の様に、この「 ベツレヘム・エフラテ」の預言は、第一義的には、主イエスキリストの生誕を預言したものです。
そして、この預言はかつて、成就し、ベツレヘムの馬小屋でイエスキリストが不思議な形で、誕生したことは、我々がよく知っていることです。
このこと、キリストの生誕の話は非常に有名で誰でも知っていることですが、私達はそれとともに、
この預言がこの時、イエスの時代、どのようにして成就したのかをよく考えなければなりません。

このキリストは、「イスラエルの支配者になる者が出る」と預言され、またあの大王「ダビデの子」であると預言されています。旧約における、ダビデはあまりにも有名な王であり、また、「イスラエルの支配者」とさらにいわれれば、このベツレヘムにうまれるという人物は「必ず政治的な王」となると思うものです。聖書の記述を知っている人程、そう思うはずです。

しかし、何とこのキリストはユダヤ国の王にも、イスラエル国の王にもならなかったのです。
彼は何の王となったのか?彼は、パウロのいう真のイスラエル人、クリスチャンの王となりました。
彼は王であり、それゆえ我々は彼を「主」と呼のです。主とは、主人のことであり、主従関係、すなわち、王と臣家との間に使うことばです。このようにこの「ベツレヘム、エフラテ」の預言は文字どおりというより、たとえで成就したのです。

さて、この預言は終末の日に再度繰り返して、成就するのではと私は思っています。
その最初の成就は、かつての日、ユダ族の獅子、イエスキリストの上に成就したように、終末の日における、ユダ部族、すなわち日本の勝利者の上に成就するのではないかと思っているのです。

ベツレヘムとはパンの家という意味あいであり、エフラテとはベツレヘムの別名です。
ですから、ここでは、パン、みことばに関することが預言されているのです。
終わりの日に、この日本から、「みことばに関する回復の働き」が始まると解釈してはいけないでしょうか?

「ユダの氏族の中で最も小さいものだが」ということばも暗示的です。現代的にいえば、日本の教団、教会の中でももっとも小さいところからこの働きが始まるのでしょうか?「それならうちが該当している」なんていう人もいるかもしれません。

”3 それゆえ、産婦が子を産む時まで、彼らはそのままにしておかれる。彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる。”

このことばも日本をユダと考えるなら、意味深長な面があります。「彼らはそのままにしておかれる。」とは、要するに放っとかれるということなのでしょうか。
まさに日本における、神の働き、キリスト教の働き、教会の働きはそんなものです。

世界のあちこちで大きなリバイバル、神の働きがあるというニュースはよく聞きますが、日本は相変わらず放っておかれたままです。すぐ隣の韓国、中国にまで、神の働きは押し寄せているのに、それでも
相変わらずであり、日本の教会はほっぽらかされたままのように思われます。しかし、それは、「産婦が子を産む時まで」のことであり、その日、ユダの地、日本のベツレフム、エフラテに男の子が誕生します。この男の子は何をするか?この誕生の日は、かつての日、ナザレのイエスが生まれた時に比すことのできる日です。かつての日に生まれた男の子が、神の働き、神のことばを回復したように、この地、
ユダ、日本で生まれる、クリスチャン達は、世界のキリスト教会を蘇らせることでしょう。

今の時、何らのわざもこの国で起きていない時に、クリスチャンが全くのマイノリテイであるこの国で、こんなことをいうのは、ほとんどきちがい沙汰であることを私は知らないわけではありません。
しかしながら言わせてもらえるなら、預言やら、預言解釈やらは、起きた後、言っても何の意味もあるものではありません。

6日のあやめ、10日の菊ではありませんが、既に起きてしまったことを何やかや、理屈をこねるのは、預言者のもしくは、預言者の名前をかたっている者のすることではありません。
語ったことが大外れだった時は、甘んじて恥を受、罵倒を受けるつもりはありますが、何はともあれ、「預言」と名前がついた奉仕、働きの宿命は、「前もって語る」ことが附随しています。

”彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる。”

彼の兄弟のほかの者とは、ユダ、日本以外のアジアの国々です。それぞれの国はそれぞれの
イスラエル12部族の末裔なのでしょうが、その日、「イスラエルの子らのもと」、すなわち、
イスラエルの末裔としての立場に帰るのでしょう。

4 彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。”

「彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い」とは、主の主任牧会が始まるということでしょうか。
このこと、本当の意味での牧会は、この東の地で始まりそしてそれは、他の国へ及びます。「今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。」と書かれている通りです。
今、日本製のテレビ、自動車、電気製品が世界を席巻しているように、このことは世界に及びます。

”5 平和は次のようにして来る。アッシリヤが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対して七人の牧者と八人の指導者を立てる。

ここには、末の日のキリスト教会の戦いについて書かれています。
アッシリヤということばには、隠れた意味あいがあります。アッシリヤは、かつて北イスラエルの国を襲い、奪い、捕囚として、その国民を捕らえ移した国です。かつての北イスラエルの国は現在のカソリックの予表であると私は理解しています。
カソリック教会も同じく、アッシリヤに捕囚された教会です。もちろん、場所や物理的なことを言っているのではありません。しかし、霊的にこの教会は捕えられ移された教会であり、かつての主に忠実だった教会としての歩みから、もう全く懸け離れた歩みを彼等はしています。

「天地が過ぎ去っても決して動くことはない」と明言されたキリストの言葉を捨て去り、
「聖書も他の聖文書と同じく変更がありえる」などと、愚かなたわごとをのうのうと言い放つ、恐るべき、不信仰な、情けない、トンデモ教会に成り下がってしまいました。また、マリヤをかたる悪霊を見分けることのできない盲人となってしまいました。

さて、このようにカソリック教会を襲い、敗北せしめた現代のアッシリヤ、すなわち、カソリックを席巻している「トンデモ教理、悪霊」は末の日にプロテスタント教会を襲います。
今盛んに進められている「エキュメニカル運動」とかいう「カソリックとの一致を説く運動」はその一端です。「アッシリヤが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき」とは、要するに、
いよいよこの運動が本格化し、どの教会もカソリックとの合同に踏み切り、あらゆる偽りの教えが、
プロテスタント教会を襲うようになる時のことでしょう。その時、神により建てられる「七人の牧者と八人の指導者」があります。

”6 彼らはアッシリヤの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリヤが私たちの国に来、私たちの領土に踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う。”

「アッシリヤの地を剣で、..飼いならす。」とは、カソリックの誤りの教理に対して敢然と剣、すなわち、
みことばの論争を挑む人々が現れるのでしょう。そして、彼等は勝利します。
「ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。」とも書いてあります。ニムロデの地はバベルであり、それは、バビロンに通じます。現代のバビロン、アメリカゆかりの近代神学、トンデモ神学に戦いを挑む人々が現れ、そして彼等は勝利します。

”アッシリヤが私たちの国に来、私たちの領土に踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う。”

まさにアッシリヤすなわちカソリックゆかりの偽りが プロテスタントの教会を襲おうとした時、これらの勝利者は人々を救います。

”7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。”

「主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。」と水に関することが書かれています。水は聖霊のたとえであり、彼等は聖霊の器として立ちます。「彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。」というように真に主に頼る人々が起きてくるのです。
今の時代の教会の問題はあまりに人のわざ、人間の手のわざが多く、人に期待していることです。
しかし、この日、真に主に頼る人の上に勝利が表されます。

”8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。”

「ヤコブの残りの者」とは、霊的なイスラエル、教会の中の残りの者という意味あいがあるのでしょう。ですから、この日、全てのクリスチャンが勝利を得るわけではありません。しかし、残りの者といわれる、小数の主につく人々を通して勝利が得られます。彼等は「多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。」のです。すなわち、彼等はあらゆる「神のしめしに逆らって建てられたやぐらをこぼつ」のです。
彼等により、粉砕されない「偽りの教理」は一つもないでしょう。

まさに彼等は黙示録12章の男の子のように勝利を得ます。
そして、ここに書かれている獅子は、ユダのシンボルであり、また東の国、日本のシンボルでもあります。(神社の狛犬は獅子のこと)。この働きにおいて、日本の主につくクリスチャンが大いに用いられるのかもしれません。今の日本の教会の現状を見るととてもそんな風には見えないのですが、しかし、真に
主が語られているなら、それは成ります。

”9 あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。”

「あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。」と書かれているように、この日、永年の間、教会を惑わして来た主の敵、偽りの教えは皆、これらの勝利者により、断ち滅ぼされます。

"
10 その日、「「主の御告げ。「「わたしは、あなたのただ中から、あなたの馬を断ち滅ぼし、あなたの戦車を打ちこわし、"
 

その日、プロテスタントの教会の中で戦いがあります。そして、その日、馬すなわちプロテスタントの教会の中で、主の示しに逆らって建てられた教団、教会は「断ち滅ぼ」されます。

”11 あなたの国の町々を断ち滅ぼし、要塞をみなくつがえす。”

要塞、すなわち主の示しに逆らって建てられた堅固な教え、伝統も皆、くつがえされ、
ひっくり返されます。あの愚かな空想話、2段階携挙説も同じくひっくり返されるでしょう。
こんなたわごとを相変わらず、あきもせず、念仏の様に唱えている、愚か者の集団は速やかに、
悔い改めるべきです。
 

”12 わたしはあなたの手から呪術師を断ち、占い師をあなたのところからなくする。”

今の教会内には、呪術、占いの霊が密かに臣等しています。ハリーポッターそして、
ヤベツの祈りも呪術的な原則が用いられていると警告する人々がいます。
また、有名なCSルイスは悪魔礼拝者ロスチャイルド傘下の怪しい人らしいです。
この男と関係がある人々も同じようなものでしょう。
このように密かに忍び込んだ、呪術、占いの霊ですが、その日、みこころの教会からは、追い出されていきます。

”13 わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち滅ぼす。あなたはもう、自分の手の造った物を拝まない。”

この日、教会から、手のわざが消えていきます。

”14 わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。
15 わたしは怒りと憤りをもって、わたしに聞き従わなかった国々に復讐する。”

この日、教会において2種類のことがらが起きます。
*みこころの教会の回復
*みこころから離れた教会の滅び

上記「わたしに聞き従わなかった国々に復讐する」とは、みこころから離れた教会に関することと思われます。

まとめますが、このミカ書には、ユダ族の働きについて書かれています。
ユダとは新約の光、教会時代の光から見るなら、プロテスタント教会をさすように思えます。
しかし、それとともに、もう一面、人の血筋における、ユダ族ということをも考慮する必要があるようにも思えます。
聖書はこの2つの面、どちらについても語っています。それで我々もそのどちらをも見ていきたいと思うのです。すなわち、霊的イスラエル及び、人の血筋によるイスラエル、その2面です。

このミカ書のユダ族に関する予言に関しても、人の血筋による「ユダ族」という面を、考慮すべきと思われます。
何故なら、このユダの氏族ベツレヘム、エフラテに関する最初の予言は、文字どおりの人の血筋において
ユダ族に属するイエスキリストにおいて実現したからです。
終末においてもこの予言は、ユダ族の子孫の住む地、すなわちこの東の日本において、成就すると考えることはそれ程とっぴなこととも思えません。

たとえ私達の目に、この日本の教会がどれ程小さくみじめなものに見えようとも、
主がいわれたなら、この予言、「あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。」との預言が実現すること、いや必ず実現することを私達は知るのです。

このことを信じ、その日、すなわち大収穫の日のために備えをするものはその日、誉れを受けます。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー