NO.351 曉の光のような民


”テキスト:ヨエル2:1 シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。この地に住むすべての者は、わななけ。主の日が来るからだ。その日は近い。
2 やみと、暗黒の日。雲と、暗やみの日。山々に広がる暁の光のように数多く強い民。このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。
3 彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす。彼らの来る前には、この国はエデンの園のようであるが、彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる。これからのがれるものは一つもない。
4 その有様は馬のようで、軍馬のように、駆け巡る。
5 さながら戦車のきしるよう、彼らは山々の頂をとびはねる。それは刈り株を焼き尽くす火の炎の音のよう、戦いの備えをした強い民のようである。
6 その前で国々の民はもだえ苦しみ、みなの顔は青ざめる。
7 それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじのぼる。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。
8 互いに押し合わず、めいめい自分の大路を進んで行く。投げ槍がふりかかっても、止まらない。
9 それは町を襲い、城壁の上を走り、家々によじのぼり、盗人のように窓からはいり込む。
10 その面前で地は震い、天は揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。
11 主は、ご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。その隊の数は非常に多く、主の命令を行なう者は力強い。主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう。
12 「しかし、今、「「主の御告げ。「「心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」
13 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。
14 主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。
15 シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。
16 民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。”

本日は「曉の光のような民」という題でメッセージしたいと思います。
終末の日に神の民を滅ぼし、破壊するために用いられる人々は、
人の目の前には、「信仰の勇者」暗闇に光りをもたらす「曉の光のような民」に見えると
聖書は語っています。このことを見ていきしょう。

このことばは、上記テキストにあります。順に見ていきましょう。

”1 シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。この地に住むすべての者は、わななけ。主の日が来るからだ。その日は近い。”

今回の箇所は、「主の日」に関するものです。主の日とは、終末にあるただ一つの日です。
この日は、聖書によれば、待ち望んだり、楽しいという日ではなく、逆に裁きと滅びの日なのです。
裁きの対象は何か?聖書の記述を見れば明々白々です。”「 シオン」で角笛を吹き鳴らし”、
”わたしの「聖なる山」でときの声をあげよ”と書かれています。
この箇所は、旧約の「神の民」が裁かれることを語っており、それはそのまま、
新約のシオン、聖なる山である、教会に関する裁きの予表です。
 

”2 やみと、暗黒の日。雲と、暗やみの日。山々に広がる暁の光のように数多く強い民。このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。”

この日は、「やみと、暗黒の日。雲と、暗やみの日」であると聖書は語ります。
やみ、暗黒、雲、暗闇、これらの全てのことばは、暗い、光がないことを表します。
終末の日は、光、神の啓示も教えも幻も失せて消えたかと思われる、
暗い日です。

そして、それとともに神の民を滅びに至らす人々、民族について記してあるのですが、
しかし、注目すべきことがあります。それは、これらの民族について「暁の光のような..民
」と述べられていることです。暗闇、光がないこととこの民族の「暁の光のような..民」とは全く対照的な表現です。そして、意表をつく表現でもありあす。
悪い民、滅ぼす民なら、「暗黒の民」とでも書くべきと思われるからです。
しかし、聖書は、この民について「暁の光のような..民」と書きます。それで、私達は、
自分の先入観や、思い込みに基づかず、「書かれたこと」に従ってこの箇所を考えてみたいと
思っているのです。

実はこの箇所、「暁の光のような民」との記述は非常に大事、隠れた意味あいを秘めたことばであり、
この民を理解する大きなヒントとなります。

終末の日、主の日が「やみと、暗黒の日」であることは、望ましくはありませんが、しかし、
「さもありなん」と思われます。そして、暗黒と闇に被われた人々にとって、何といっても
待ち遠しいものは、「光」です。

そこに「暁の光のような民」が登場するのです。「よかった、助けが来た、光があらわれた」と
皆、殺到するのですが、何と彼等はそのみかけはともかく、実体は「滅ぼす民」なのです。

そんな逆説的なこと、SFまがいのことが起きえるでしょうか?
聖書は確かにこのことについて語り、そして事実はこれを裏書きしていると私は思います。

かつてのエデンの園における惑わしもこの手の惑わしでした。
「知恵が手にはいる」「神のようになる」との誘い、うながしは、結果として、
滅び、命を失う結果となりました。

また、このこと、光と思えた人、人々が実は、「滅ぼす人々」だったということは、近年の教会において、度々起きています。

ピーターワグナー、ジョンウインバー、そして祈りのシンデイージェコブスという
ペテロ(ピーター)、ヨハネ(ジョン)、ヤコブ(ジェコブス)の名前を持つ人々が
盛大に繰り広げた「聖霊の第三の波」の運動は、霊の戦い、御霊のたまものの復活、5職の復活等、
すばらしい教えと知識、示唆に満ちているように見えます。
そして、彼等が主張し、教えていることは、確かに聖書が語っていることがらなのですが、
しかし、彼等の働きには問題があります。

それは、彼等がもたらす霊は、あのビデオが明確に示すように、悪霊だからです。

たとえ、日本1の料理人の肩書きのついた立派なコックが作ったカレーであっても、その中に
砒素が含まれていれば、これは、「砒素入りカレー」「毒カレー」と呼ぶべきではないでしょうか。
そして、こんなものを料理して人に出すコックは「殺人者」であると、指摘すべきです。
同じ意味あいで、いくら御立派な教理、知識を披露しても、実際は人々に
悪霊の水を飲ませている、ピーターワグナーを始めとする偽り者を
「偽善者、悪霊を注ぐ人々」と呼んだら何か問題があるでしょうか?

問題は毒の水も清い水も区分することのできない、盲人牧師、盲人キリスト教新聞発行者、雑誌発行者にあるのではないでしょうか。または、それを知りつつも指摘することをせず、自分の利益のみしか顧みず、人からの称賛を失いたくない人々にあるのではないでしょうか。
 

”このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。”

さて、このようなこと、すなわち、「キリスト教会のすばらしい働き人が実は
滅びをもたらす人々だった」などということは、「昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない」ことなのです。

全く例外的なことがらなのです。ですから、教会に悪魔礼拝者が入り込む、そんなことを神が許すはずはないし、あり得ないなどと根拠のない自信や確信を持つべきではありません。
なぜなら、「このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。」
と神御自身が前もって「あり得ないことが起きるぞ」と警告されているからです。
 

確かに今迄の教会の歴史においては、このようなことはあり得ないし、実際になかったでしょう。
しかし、今は終末の時であり、かつてなかったことが起こるのです。

また、この節の「このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。」とのことばは、以下のマタイの福音書の終末の記事のことばと似ています。
 

マタイ24:21「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。」

これらは確かに関連があるようです。ですから、この節はマタイ福音書の終末の記事を理解するヒントになります。
すなわち、終末の日に神の民があう苦難は、この民、「暁の光のような民」と関係があるのです。
彼等こそこの苦難、迫害の張本人なのかもしれません。

”3 彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす。彼らの来る前には、この国はエデンの園のようであるが、彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる。これからのがれるものは一つもない。”

「彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす」とは、すなわち、
彼等の偽り、破壊は、霊的なものであることを示します。
素晴しい神の預言者(ということになっている)ベニーヒン等の偽りの預言者の集会を通して、教会に悪霊は
注がれていくのです。

これらの「偽りの働き人」が起こる前と後とでは教会は全く異なった状況になります。
「彼らの来る前には、この国はエデンの園のようであるが、彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる」とはこのことをさします。

「これからのがれるものは一つもない。」と書かれたように、この悪霊の第三の波、また、
偽りの教理は全ての教会に浸透し、破壊していきます。それは、この日、終末の日が、
教会への裁きの日だからです。

4 その有様は馬のようで、軍馬のように、駆け巡る。”

馬はヤコブ書に書いてあるように、教会のことです。だから、彼等、偽りと破壊を世界の
キリスト教会にもたらそうとする人々は、教会単位、教団単位で働きます。

たとえば、あの偽りの悪霊の第三の波の発信元、ジョンウインバーも彼の教会を持っていました。
その教会を通して、聖霊にみせかけた悪霊のしるしと不思議は他の教会に伝わったのです。

「軍馬のように、駆け巡る。」とは、暗示的な表現です。彼等、滅ぼす人々は、
軍場、まるでキリスト教会の代表的な勇士、代表的な戦いの教会のようにふるまうということなのです。

あの、トロント、ペンサコーラはある特定の人々による働きですが、その働きは、
あたかも世界の教会の中で、もっとも神の働きが進んでいるもののようにいわれています。
実際は彼等は悪霊を注ぎ出す人々なのですが、皮肉です。
そして、まさに「軍馬のように、駆け巡る。」とは、これらの教会にあてはまります。

”5 さながら戦車のきしるよう、彼らは山々の頂をとびはねる。それは刈り株を焼き尽くす火の炎の音のよう、戦いの備えをした強い民のようである。”

”彼らは山々の頂をとびはねる”との表現も暗示的です。
「山」も教会の一つの表現です。そして、山の頂きとは、山のふもとや低いところとことなり、
頂上、トップをあらわします。ですから、彼等、滅ぼす人々は、教会内のトップ、指導者と
なるのです。

「そんなばかな」という人もいるかもしれませんが、それではこの箇所をどう読み取れば良いのでしょうか?

客観的な事実はこのことを裏付けています。世界のキリスト教会の指導者はいつのまにか、怪しい人々ばかりになっています。
「キリスト復活はなかった」と公言する英国国教会トップ、カンタベリー大司教、「キリストと共同のあがない主マリヤ」などというトンデモ教理を推進するローマ法皇、そして、このように
トンデモない教えの数々を持つカソリックとの合同一致を推進しようと力を尽くすビリーグラハム、ビルブライトなど、怪しい人々がめじろ押しです。このように偽りを陰で推進しながら、しかもこれらの
人々は、一般のクリスチャンには、「戦いの備えをした強い民のよう」、すなわち、素晴しい、
信仰の勇者のように思われています。

しかし、しかし、このように書きながら、いつも思わされることは、恐るべきは神のことばであり、全てを真に見通す方です。
このことは、このヨエル書が書かれた時から、既に預言されており、そして、今2000年以上の時を経ながら、私達の前で正確に成就しているのです。恐るべきはこの方であり、私達は、
主を恐れましょう。

6 その前で国々の民はもだえ苦しみ、みなの顔は青ざめる。”

彼らの策略、破壊はもののみごとに成功し、その前で我々には、苦しみがあります。
 

”7 それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじのぼる。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。”

「それは勇士のように走り」との表現も暗示的です。彼等はキリスト教会のホープ、希望、信仰の勇士としてみなされるというのです。フリーメーソン33階級の偽りもの、ビリーグラハムはまさにこの通りの人物であり、
多くの人から、「すばらしい信仰の勇士」ともてはやされています。
「戦士のように城壁をよじのぼる。」と書いてありますが、この城壁は、教会の城壁です。
城壁は、敵に侵入されないよう、都(教会)を守るために、建てられたものです。
キリスト教会の長い歴史において、多くの敵があらわれ、教会を攻撃しようと試みましたが、
しかし、それらの敵は、城壁にこばまれ、それより先に入ることはできなかったのです。
だが、終末の時代に「かつてなく、今後もない」ことが教会に起きます。これらの敵が
城壁をのりこえ、教会内に侵入するのです。

「それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。」

これらの教会を破壊する人々は、それぞれ、働き、異なった働きをします。自分の道を持っているのです。ある人々は、聖書の翻訳に関係し、それを改ざん、変型します。
近年ますます、聖書の翻訳は怪しいものとなり、第二次世界大戦以降、二万箇所以上の箇所が変えられていると研究者は述べます。

またある人々は、神学者、牧師の肩書きで教会、神学校へ入り込み、
冒涜的な神学を教会内に浸透させます。

彼等それぞれは、確かに「それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。」のです。


8 互いに押し合わず、めいめい自分の大路を進んで行く。投げ槍がふりかかっても、止まらない。”

「投げ槍がふりかかっても、止まらない。」ということは、要するに、多少の妨害や、
抵抗があっても、意に介さず、物事を強引に勧めて行くということなのでしょう。

例の「獣のリバイバル」に関しても欧米では賛否両論、反対する人々も多いのですが、だからといって、
これを推進する人々は、とどまってはいません。
多少の批判や、反対などものともせず、この働きを広げています。まさに、「投げ槍がふりかかっても、止まらない。」とのことば通りです。
 

”9 それは町を襲い、城壁の上を走り、家々によじのぼり、盗人のように窓からはいり込む。”

「盗人のように窓からはいり込む。」とは、要するに誰にも気づかれず、家、教会に入り込むということのたとえでしょうか。確かに彼等の働き人は、クリスチャンに気付かれることなく、こっそりと
教会内の中に入り込み、受け入れられています。
 「マリヤはキリストと共同のあがない主」「進化論はあまりに科学的で否定できない」
(創世記の記事は嘘)などと冒涜的なことを言う法皇はカソリック
教会のまん中に入り込み、しかも誰も彼が冒涜的なことをしているとは思いません。
確かに彼らは「盗人のように窓からはいり込」んでいます。

10 その面前で地は震い、天は揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。”

「その面前で地は震い、天は揺れる。」すなわち、彼等の作戦は大成功を収め、教会破壊のわざは進むのです。その結果、「太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。」すなわち、クリスチャンの誇りである、
聖さ、聖霊による輝き等は失われて行きます。
このことばは確かに成就しつつあり、今、クリスチャンもこの世の人も変わりなくなりつつあります。
アメリカのあるカソリック教区では、「幼児、児童への性的虐待」の罪で、神父等に対して多くの訴訟が起き、その結果その教区の財政が破たん、破産するという話があるということです。
こんな話は、クリスチャンといわず、普通の人の間でもあまり聴かない、恥ずべきことです。
 

”11 主は、ご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。その隊の数は非常に多く、主の命令を行なう者は力強い。主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう。!
 

何故、彼等は大勝利を収め、神の民であるはずの、クリスチャンは彼等の前に敗北しつづけるのでしょうか?
その理由ははっきりしており、彼等は主の命令で、裁きのために、遣わされているからです。「主は、ご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。」とはまさにそのことをいっているのです。彼等は主の命令に基づき、この国、キリスト教会を破壊することに従事しているのです。「主の命令を行なう者は力強い。」と書かれている通りです。

”主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう。”

主の日とは、有名な日です。この日は、要するに裁きの日のことであり、その裁きの対象は、
何と神の民である、クリスチャンに対するものであることを知りましょう。

「神は愛ではなかったのか?」「我々が裁かれるなんて始めて聴いた」という人もいるかもしれませんが、神が裁きの神だということは、聖書の始めから記されています。この方を恐れましょう。

”12 「しかし、今、「「主の御告げ。「「心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」”

このように主は終末の裁きの日を定めています。そして、それゆえに世の終わりにあっても、
主の正しい歩みに立ち返るようにとの警告と勧めがあることを知って下さい。
 

”13 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。”

今、この国、キリスト教会は、荒廃し、破壊されようとしています。「主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる」方であることを知りましょう。
主に立ち返り、正しく歩む者の上には、これらの荒廃は及ぼず、また、災いは及びません。

14 主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。”

今、この国、キリスト教会は、荒廃し、破壊されています。また、「穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒」すなわち、神からの恵みのみことばと聖霊の麗しい働きとは断たれています。
しかし、主が立ち返った人々へ、災いを下すことを「思い直」す時、それらの人々のために、
これらの恵み、聖霊の働きは残されます。このことを知りましょう。
 

”15 シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。”

角笛は、民への警告を促すために吹き鳴らされるものです。
今は、この国、キリスト教会は、敵の働きに襲われており、また、裁きは来らんとしています。
今、この時、角笛を吹き鳴らす人々にみこころがあります。

”16 民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。”

全ての民に災いが来らんとしています。今、この時、歯のうくようなおためごかしのような、
「祝福、繁栄」を語る人々よりも、正しい警告を発することにみこころがあることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。
 

ー以上ー

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(安くてすみません)

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