NO.347 バビロンの根


テキスト:”ダニエル4:1 ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。あなたがたに平安が豊かにあるように。
2 いと高き神が私に行なわれたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。
3 そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。
4 私、ネブカデネザルが私の家で気楽にしており、私の宮殿で栄えていたとき、
5 私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私を脅かした。
6 それで、私は命令を下し、バビロンの知者をことごとく私の前に連れて来させて、その夢の解き明かしをさせようとした。
7 そこで、呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちが来たとき、私は彼らにその夢を告げたが、彼らはその解き明かしを私に知らせることができなかった。
8 しかし最後に、ダニエルが私の前に来た。「「彼の名は私の神の名にちなんでベルテシャツァルと呼ばれ、彼には聖なる神の霊があった。「「私はその夢を彼に告げた。
9 「呪法師の長ベルテシャツァル。私は、聖なる神の霊があなたにあり、どんな秘密もあなたにはむずかしくないことを知っている。私の見た夢の幻はこうだ。その解き明かしをしてもらいたい。

20 あなたがご覧になった木、すなわち、生長して強くなり、その高さは天に届いて、地のどこからも見え、
21 その葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があり、その下に野の獣が住み、その枝に空の鳥が宿った木、
22 王さま、その木はあなたです。あなたは大きくなって強くなり、あなたの偉大さは増し加わって天に達し、あなたの主権は地の果てにまで及んでいます。
23 しかし王は、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来てこう言うのをご覧になりました。『この木を切り倒して滅ぼせ。ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、七つの時がその上を過ぎるまで野の獣と草を分け合うようにせよ。』
24 王さま。その解き明かしは次のとおりです。これは、いと高き方の宣言であって、わが主、王さまに起こることです。
25 あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれます。こうして、七つの時が過ぎ、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。
26 ただし、木の根株は残しておけと命じられていますから、天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立ちましょう。
27 それゆえ、王さま、私の勧告を快く受け入れて、正しい行ないによってあなたの罪を除き、貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう。」
28 このことがみな、ネブカデネザル王の身に起こった。
29 十二か月の後、彼がバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、
30 王はこう言っていた。「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」
31 このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。「ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。
32 あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」
33 このことばは、ただちにネブカデネザルの上に成就した。彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。
34 その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。
35 地に住むものはみな、無きものとみなされる。彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。御手を差し押えて、「あなたは何をされるのか。」と言う者もいない。
36 私が理性を取り戻したとき、私の王国の光栄のために、私の威光も輝きも私に戻って来た。私の顧問も貴人たちも私を迎えたので、私は王位を確立し、以前にもまして大いなる者となった。
37 今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。”

本日は、「バビロンの根」という題でメッセージをします。
ダニエル書に書かれたいくつもの記事は、どれもこれも終末のバビロン化した教会と関係しています。
ですから、今、バビロン化した教会また、獣の国を目の前にした時代に属する我々はこれらの
記述を理解しなければなりません。

本日は、ダニエル4章が語る「バビロンの根」に関して見ていきたいと思うのです。順に見ていきます。

”1 ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。あなたがたに平安が豊かにあるように。”

この「すべての諸民、諸国、諸国語の者たち」との言葉は以下の「あらゆる部族、民族、国語、国民」とのことばに似ているようです。
 

”黙示録13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。”

ですから、このダニエル書の記述は、終末の黙示録の時代のことがらを視野にいれた記述であることが想像できるのです。

2 いと高き神が私に行なわれたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。
3 そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。
4 私、ネブカデネザルが私の家で気楽にしており、私の宮殿で栄えていたとき、
5 私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私を脅かした。
6 それで、私は命令を下し、バビロンの知者をことごとく私の前に連れて来させて、その夢の解き明かしをさせようとした。
7 そこで、呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちが来たとき、私は彼らにその夢を告げたが、彼らはその解き明かしを私に知らせることができなかった。”
 

ここでもバビロンの「呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたち」はこの王の幻の解きあかしができなかったことが述べられています。彼らはダニエルと異なり、バビロンに属している人々であり、全く
バビロン化した現代の神学者、牧師、教師達を表しています。バビロンの知者のように、彼等は終末の預言を解きあかせません。
現代の教会の神学、教理は、キリスト教会に潜り込んだある種の人々による、バビロニアタルムートの影響を強く受けており、これらをもって終末に関する神の幻、預言を悟ることは不可能です。

"8 しかし最後に、ダニエルが私の前に来た。「「彼の名は私の神の名にちなんでベルテシャツァルと呼ばれ、彼には聖なる神の霊があった。「「私はその夢を彼に告げた。"
 

ベルテシャザルとは、「まっすぐにされた宝の主」という意味です。終末においては、バプテスマ
のヨハネのように、「主の道をまっすぐ」にする働きがあります。ダニエルのこの名前は、
このことを表していると思えます。ですから、終末の日に「まっすぐな主の道を歩く人」また、
「神の霊」により預言を解きあかす人々は、このダニエルの末裔です。

”9 「呪法師の長ベルテシャツァル。私は、聖なる神の霊があなたにあり、どんな秘密もあなたにはむずかしくないことを知っている。私の見た夢の幻はこうだ。その解き明かしをしてもらいたい。”

ここでの重要なことがらは、このダニエルには、「神の霊」があったということです。多くの人々は、
黙示録は難解であり、また、終末の預言は難しいといいます。確かにそうなのですが、しかし、それは、この世の知恵に頼っているからでもあります。「聖なる神の霊があなたにあり、どんな秘密もあなたにはむずかしくない」と書かれているように、神の霊が語る時、これらの謎も解けてくるのです。

”20 あなたがご覧になった木、すなわち、生長して強くなり、その高さは天に届いて、地のどこからも見え、
21 その葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があり、その下に野の獣が住み、その枝に空の鳥が宿った木、
22 王さま、その木はあなたです。あなたは大きくなって強くなり、あなたの偉大さは増し加わって天に達し、あなたの主権は地の果てにまで及んでいます。”

この一本の木は、バビロンの王でした。この木、バビロンの王に象徴される木はこの章の預言の中心です。
また、このバビロンから発して、終末に至る迄の「獣の国」、この世の獣の治世の中心なのです。
この王が経験する7つの時は、そのまま終末の「7つの頭と10の角を持つ獣」に通じます。

何をいっているのかというと、終末の「7つの頭と10の角」を持つ獣の国の始め、開始は、他でも無い
このバビロンなのです。そして、この王が「七つの時を過ごす」ということには、2重の意味があります。
一つは、文字とおり、このバビロンの王が個人的に獣のようになり、理性を失って、7つの時を過ごすということ。もう一つの意味あいは、この世の国がこのバビロンを起点として、これから、終末迄、
7つの時を過ごすということです。その中には、このバビロン、 メデイペルシャ、ギリシャ、
等の国々が含まれるでしょう。そして、終末までにこの7つの時、国がでそろうわけです。

”23 しかし王は、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来てこう言うのをご覧になりました。『この木を切り倒して滅ぼせ。”

こう書かれています。”『この木を切り倒して滅ぼせ。”

この木はバビロンの王のことであり、この国は滅ぼされると神は定めます。

”ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、七つの時がその上を過ぎるまで野の獣と草を分け合うようにせよ。』”

しかし、この木は全く根こそぎにされるのではなく、その根を残せといわれています。
根が残っている木は全く死んでしまった、枯れてしまった木ではなく、実はその命は残ることが
わかります。ですから、このバビロンという国はずっと先まで、すなわち終末に至る迄、7つの時の間、
この世の歴史や国々や文化の底にずっと生き続けていくことが推察されるのです。

ですから、この話は、単に昔のバビロンの王様がきちがいになって、獣のようになっておかしくなったという話ではないのです。それだけの話でしたら、「今でもおかしな人はいっぱいるけど、昔も変な人がいたんだな」ということだけで終わってしまいます。
そうではなくて、他のダニエル書の章がそれぞれ未来に関する預言であるようにこの章も未来に関する、特に世の中のしくみに関して示唆を与える預言なのです。
この世の一つの隠れた真実は、その裏、下地、底、根に「バビロン」が潜んでいるということなのです。

ですから、他の国と異なり、「バビロン」という国は聖書的には非常に特殊な国、特別に引用されている国であることを覚えて下さい。

たとえば、現代の宗教や文化、また経済に迄、このバビロンの影響があります。
たとえば、現在の経済で使用される紙幣、紙のお金のことです。すなわち、印刷されたただの紙が一万円もの価値を持つようになっています。この制度は、実はバビロンから始まったものだということです。
また、多くのニューエージ的な宗教もその発端は、バビロンにあるということです。

”24 王さま。その解き明かしは次のとおりです。これは、いと高き方の宣言であって、わが主、王さまに起こることです。
25 あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれます。こうして、七つの時が過ぎ、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。”

この王は「人間の中から追い出され」ます。同じように、この世の国は、このバビロンの時を始めとして、神の前に人間ではなく、獣としての歴史を始めます。このバビロンの国は、獅子や鷲として表現され、
また、メデイアペルシャはお羊、また、ギリシャはおやぎとして表現されます。これらの国はどれもこれもこの世の国であり、これは神の前に人ではなく、「滅び失せる獣」なのです。

”26 ただし、木の根株は残しておけと命じられていますから、天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立ちましょう。”

「木の根株は残しておけ」と命じられたように、このバビロンという国は、聖書的には、特別な国であり、7つの時が過ぎ去る迄、すなわち、世の終わりまで、残る国であることを覚えておきましょう。
もちろん、それは、はっきりした大木という形でなく、「根株」という隠れた形ですが、しかし、
この国は残り、この世に影響を与えます。

また、「あなたの国はあなたのために堅く立ちましょう。」と書かれているように、
この国、バビロンの国は、単に昔の国だということではなく、どうも7つの時が過ぎる時、
すなわち、終末には復活するようにも思えます。もしかすると以下の「7つの頭」(7つの時を暗示する)ということばはこのことと関係するのかもしれません。

"黙示録17:7 すると、御使いは私にこう言った。「なぜ驚くのですか。私は、あなたに、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。
8 あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。
9 ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。”

ここで書かれている、「昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来」る獣こそ、
終末に再度現れる国、バビロンなのかもしれません。
そういえば、終末を示す、黙示録の記述には、「淫婦バビロン」のようにバビロンに関連する記述がいくつかあります。

この箇所を少し見ます。

”7 すると、御使いは私にこう言った。「なぜ驚くのですか。私は、あなたに、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。”

この獣とは、バビロン帝国を起点として始まる、終末に至る迄のこの世の国を象徴的に表したものかもしれません。何故なら、この獣には、以下のように過去のあらゆる国の特徴が記されているからです。
 

”黙示録13:1 また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。
2 私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。”

”8 あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。”

ローマ帝国の時代にいる使徒ヨハネに対して御使いは、「あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。」といいました。ということから、以下のことがわかります。
1)この獣は、ローマ帝国ではない。
ローマの時代に生きるヨハネに対して、「今はいない」という以上、この獣は、その当時の帝国、ローマ帝国をさすわけではありません。
2)この獣は、使徒ヨハネの時代、ローマ時代より以前の時代のある国の再来である。
ローマより以前の国というと、ダニエル書のたとえば、2章によれば、以下の通りです。
それぞれ、大きな像の以下の部分です。
頭:バビロン
胸:メデイアペルシャ
腹:ギリシャ

これらの3つの国のうち、どれかの国が終末の日に復活して来るようですが、どれなのでしょう。
今迄の話を総合すると、どうしても「バビロン」らしいということがわかります。

そして、「しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。」と書かれています。

この「底知れぬ」という表現に注目して下さい。
これは、この黙示録で何度も出てくる特別な表現のようです。以下の通りです。
 

”ヨハネの黙示録 9:1 第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。
ヨハネの黙示録 9:2 その星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。
ヨハネの黙示録 9:11 彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。
ヨハネの黙示録 11:7 そして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。
ヨハネの黙示録 20:1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
ヨハネの黙示録 20:3 底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。”

「底知れぬ所の御使い」すなわち、アバドンといい、アポリュオンというようにこの「底しれぬ」ということばは、終末の恐ろしい破壊、破滅と関係する特別な表現なのです。

ですから、この国、終末にあらわれる国は、特別な国、あたかも破滅や破壊を目的として悪魔が終末のために特別に用意したような不吉な国なのです。

私たちはこの国を探さなければなりません。聖書は明らかに終末ならではの国、終末の裁きや、惑わしや、
つまずきや、破壊、殺りくの為にある特定の国を悪魔が用意していることを語っています。
その国はもう現われているのでしょうか、それともまだ先なのでしょうか。私たちはその国をさがし出さなければなりません。

この国、終末の獣の国は、かつて他の箇所で見たように、一本の強い角、
アメリカ以外にはみあたりません。
 

また、「その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われる」と書かれています。
ですから、この国は、確かに

1)ローマ帝国より以前に存在して、
2)ローマ帝国の時代には、存在せず、
3)終末に再度現れる

ことがわかります。この国は何か?
「バビロン」こそ、その最有力候補です。

これらのことをまとめて言えることはこういうことでしょうか。
アメリカこそ、黙示録、ダニエル書がかねてから、
預言した終末の日に悪魔的な働きを行う特別な「獣の国」であり、この国の別名、
隠れた名前は、他でもない「バビロン」という名前なのです。そうなります。

この国こそ、ヨハネに対して、「昔はいたが、今はおらず、やがて現われる」と語られていた
国なのです。

アメリカこそ、隠れバビロンであり、この国においてこそ、
見事にかつて、バビロンにおいて、盛んに用いられていた、多くの宗教、
原則が復活しています。かつて、ネブカデネザル王の時に切られてしまった、
バビロンの木はしかし、7つの時を経過して、この終わりの時に見事に復活してきました。
ダニエル書の預言は成就するのです。

別途、詳しく見ますがこの国、アメリカにおいてこそ、バビロンのあらゆることがらが、蘇っています。
終末において、昔の国、バビロンが再度取り上げられるようになります。この国にこそ、
重大な意味あいがもたらされています。

黙示録にも「淫婦バビロン」と書かれている通りです。
そして、その復活する、再度蘇るバビロンの木の中心は、他でもない獣の国、アメリカです。
 

”27 それゆえ、王さま、私の勧告を快く受け入れて、正しい行ないによってあなたの罪を除き、貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう。」
28 このことがみな、ネブカデネザル王の身に起こった。
29 十二か月の後、彼がバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、
30 王はこう言っていた。「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」”

「正しい行ないによってあなたの罪を除き」とバビロン王は、ダニエルに勧められたのですが、
しかし、実際この王がなしたことは、自分の威光をほめるものでした。
 

”31 このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。「ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。
32 あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」”

このように高ぶったバビロン王から、国が取り去られました。
このことは、終末の日に再度起きて来る、隠れバビロン、獣の国、アメリカにおいても同じです。
この国は、これからの終末の時代、並ぶもののない国としてふるまうでしょうが、
しかし、この獣の国もいずれ、「いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる」でしょう。

”七つの時があなたの上を過ぎ

この記述も暗示的です。この7つの時は第一義的には、ネブカデネザル王が個人的に経験した
7つの時をさします。しかし、それはまたたとえ、未来への預言でもあります。
それは、また、バビロン国を起点として、人間の世界に7つの獣の時が経過することをさすと思えます。
この7つの時には、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ等が含まれ、最後の獣の国、アメリカにおいて、その「獣」としてのピークに達します。ここに書かれている獣とは、獅子、ひょう、熊のように、「人を食う」獣です。人は、エデンの園で、「神の息を受けて」命を得たもの、すなわち、クリスチャンをさします。要するに獣の国とは、「クリスチャンを迫害する国」をさしているのです。
この迫害は、最後の終末の獣の日に頂点に達します。

”33 このことばは、ただちにネブカデネザルの上に成就した。彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。”

彼、バビロン王、ネブカデネザルは「人間の中から追い出され」ました。
同じように現在のバビロン、アメリカのクリスチャンも人間、すなわち、神の前に
「息」、聖霊を受けた者の間から、追い出され、はみだしていくはずです。
論より証拠、現在この国の中で、ペンサコーラを始めとする教会で吹き荒れているリバイバルと称する働きは、獣の霊によるものであり、また、「共同のあがない主マリヤ」等の異端教理を持つカトリックとの エキュメニカルな一致を推進する「福音派の旗手」を自認する偽り者、ビリーグラハム、ビルブライト等の獣の教理がこの国では推進されています。

色が白いユダヤ人と称する偽ゆたや人を見分ける目も持たず、彼等のバレスチナ殺害に異を唱えることもせず、殺りく者の友となる、盲人ぶりといい、アフガン、イラクへの攻撃の欺瞞をも見分けることができず、結果として殺人に手を貸している、彼等アメリカのクリスチャンは確かに神の目の前には、
「人間の中から追い出され」、獣となっています。
もっとも獣化しているのは、この国のクリスチャンだけではありませんが。

”34 その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。”

獣の期間が終わった後、彼には、「理性」が戻ってきました。
逆に獣の期間の中にいる時、この世にも、また、獣の霊に惑わされている人にも「理性」はないのです。
今の時代、獣の支配のまっただなかにあるこの時代とはどのような時代でしょうか?
それは、ひとことでいえば、「理性」のない時代でしょうか。

強引で、欺瞞的な米国の「イラクを攻撃せよ」等のまともでない意見がまかり通っています。
まことに「理性」は多くの人の間で消えています。
 

しかし、このように、何の正義も通らない時代であっても、このような時は一時的であり、真の主権は神にあることを知るべきです。「その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。」といわれている通りです。


35 地に住むものはみな、無きものとみなされる。彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。御手を差し押えて、「あなたは何をされるのか。」と言う者もいない。”

現在、終わりの時代に生きている私達は、聖書に預言されている通り、これから、
かつてなく、これからもない苦難の時を迎えるはずです。
「 地に住むものはみな、無きものとみなされる。」しかし、そのような時を迎える私達が
一つ知らなければならないことがあります。
それは、それらの時が決して永遠に続くわけではなく、主の再臨の時が来たなら、その日、「地に住むものはみな、無きものとみなされる」ということです。
そして、もう一つ、これらの時は神の計画の中にあり、預言されていたということです。
預言されていたということは、神はそれを前から御存じであり、全ては主の
下にあるということです。「彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう」と書かれている通りです。
確かにこの時、悪魔が働くのですが、それも主の許しとみ手の中にあることを知るべきです。
不信仰になってはいけないのです。

”36 私が理性を取り戻したとき、私の王国の光栄のために、私の威光も輝きも私に戻って来た。私の顧問も貴人たちも私を迎えたので、私は王位を確立し、以前にもまして大いなる者となった。
37 今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。

「私が理性を取り戻したとき」と書いてありますが、全てこの獣の時代に、
聖霊により、理性を取り戻し見るべきことを見るものに幸いがあることを知りましょう。

「そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である」

何故、終末の日に恐るべき獣の国の横暴が許されるのか?
それは、「その道は正義」と書かれているように神の道は正義であるからです。
終末は、この世の人々が神も、正しいことを行うことも忘れ、罪に走ります。
だからこそ、獣の国、アメリカの横暴が許されるのです。
これらの愚かな罪人が誤解しているように、この世には、神も神による罰もないわけ、
存在していないわけでなく、正義の神がおられるから、このこと、終末の
破壊は起きるのです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー