No.344 イスラエルは皆救われる


”テキスト:ロマ11:1 すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。
2 神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。それともあなたがたは、聖書がエリヤに関する個所で言っていることを、知らないのですか。彼はイスラエルを神に訴えてこう言いました。
3 「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこわし、私だけが残されました。彼らはいま私のいのちを取ろうとしています。」
4 ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」
5 それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。
6 もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。
7 では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。
8 こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」
9 ダビデもこう言います。「彼らの食卓は、彼らにとってわなとなり、網となり、つまずきとなり、報いとなれ。
10 その目はくらんで見えなくなり、その背はいつまでもかがんでおれ。」
11 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。
12 もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。
13 そこで、異邦人の方々に言いますが、私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。
14 そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです。
15 もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。
16 初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。
17 もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、
18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。
19 枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。
20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。
21 もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。
22 見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。
23 彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。
24 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。
25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、
26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
29 神の賜物と召命とは変わることがありません。
30 ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、
31 彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。
32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。
33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。”

本日は「イスラエルは皆救われる」としてメッセージしたいと思います。
終末の日に、神の選びの民、イスラエルは皆救われることが聖書に書かれています。
そのことを見ていきたいと思います。

始めに知っておいていただきたいことは、中東の地で、パレスチナ人を殺している、
イスラエル人だと「自称」している人々、あの人々は、
アブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)の血筋とは何の関係もない、黒海近くの
ハザール出身の白人達です。聖書は彼等を「ユダヤ人だと嘘をいっている人々」と呼んでいます。
そんな人々のことを語るつもりはありませんので、御理解下さい。

順に見ます。

”1 すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。”

今も神の選びの民はおり、彼等を神は決して退けていません。

2 神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。それともあなたがたは、聖書がエリヤに関する個所で言っていることを、知らないのですか。彼はイスラエルを神に訴えてこう言いました。”
 

現在、北イスラエル10部族は失われています。また、彼等、中東のユダヤ人と称する人々が偽ユダヤ人だということなら、
どこかに本物のユダヤ、イスラエルの人々が今もその子孫が残っているはずなのです。
「神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません」
という以上、神はどこかに彼等を残しているはずなのです。

そして、そのこと、神が確かにイスラエルの残りの子孫を終末まで、残しておかれたことが明らかになる日がくるでしょう。
その日こそ、「日が上がる方で」イスラエル12部族が聖霊の印を受ける日です。
このことが起こる場所は中東では決してなく、日が上がる方、すなわち東アジアに起きることを知りましょう。もちろん、その中に「日出る国」日本も入るのです。

”3 「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこわし、私だけが残されました。彼らはいま私のいのちを取ろうとしています。」
4 ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」
5 それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。”

かつてバアルを拝し、主を見捨てた国において、「バアルにひざをかがめていない男子七千人」が
残されていることを聖書は語ります。
同じように偶像崇拝に興じる国、日本にもわずかなクリスチャンがいます。

”6 もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。
7 では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。
8 こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」
9 ダビデもこう言います。「彼らの食卓は、彼らにとってわなとなり、網となり、つまずきとなり、報いとなれ。
10 その目はくらんで見えなくなり、その背はいつまでもかがんでおれ。」”

アジア地域は歴史的に長い間、福音に門を閉じた場所でした。
長い間、鎖国の中で、福音に背を向けていた日本、そして、真の福音を長い間知らなかった、
中国もそうです。何故か?その一つの理由は、彼等が最初に受けた恵みを拒み、そしてそれゆえに、

「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。」からです。しかも「今日に至るまで。」です。

「その目はくらんで見えなくなり、その背はいつまでもかがんでおれ。」とも書いてあります。
神が目を閉じたら、誰もそれを開くことができないのだということを知りましょう。
アジアの国々、特に日本は、この福音の光を見ることができませんでした。
何故ヨーロッパ、アメリカの人たちが見ることのできた聖書の光、恵みを我々日本人は見ることができなかったのか?それは、他でもない、神が目を閉じ、聞こえない耳を与えられたからです。

何故そうされたか?それは、恐らくこの日本こそが、イエス殺し、キリスト殺しの
張本人である、ユダヤ人の子孫だからです。彼等がイエスを十字架につけた時、かつて、叫んだ「この血は我々と我々の子孫に及んでもかまわない」とのことばは今に至るまで、成就し、この国は神の恵み、
福音とは無縁の国になってしまいました。

このこと、神が福音をイスラエル、ユダの子孫からしばらく遠ざけた、後まわしにしたと主張することは、他の聖書の箇所と符合します。聖霊がアジアでみことばを語ることを禁じ、その結果、福音は西回りに伝わり、アジアにいるイスラエル、ユダの子孫には、歴史的に遅れて届いたことは、
使徒行伝に書かれていることです。
 
 
 

”11 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。”
 

「彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。」とはどういう意味あいのことばでしょうか?
こういう意味あいにとれます。すなわち、「このようにかつてのユダ、イスラエルの子孫がいつまでも、
福音に無縁、神に無縁、であるその理由は、神の本意、意図が彼等を最終的に滅ぼすため、
そのためだからなのでしょうか?」そんな質問でしょうか。

しかし、このように書いたあと、すぐにパウロは「絶対にそんなことはありません。」と激しいことばで打ち消しています。それで、終末の日にユダの子孫である(と私は思っているのですが)日本、また、イスラエルの子孫であるアジア諸国が、もう一度神に立ち返る、回復すると説くことは、聖書的、全く聖書的なことがらなのです。

「かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。」

彼等が否定し、拒否したため、この救いは異邦人に伝わりました。
その結果、西洋には、キリストの教えをもとにして、素晴しい社会、文化が生まれました。
彼等の文学、生活の基本にキリストの教えが満ち、結果として、文化的にも宗教的にも科学的にも
国力的にも西の国は東の国々をうわまわるようになりました。
何故神は西の国々に繁栄を、恵みを与えたのでしょう?「それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。」すなわち、東アジアの国々が、それらの国々を見、ねたみを起こし、かつて彼等が見捨てたものの価値を再度見い出すためです。

12 もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。”

かつてユダヤ、イスラエルの人々がキリストを見捨てたことは、結果として世界の富となりました。
さて、これからの終末の時代にいよいよ、イスラエル、ユダの子孫が聖書に預言された方、キリスト
を知るようになります。この「完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすこと」でしょう。

”13 そこで、異邦人の方々に言いますが、私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。
14 そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです。
15 もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。”

この世の考え、無神論、唯物論に惑わされ、わけのわからないことを言っている日本の人々が、神を知る日が来るでしょう。それは、まさに、「死者の中から生き返る」ような日です。

今、日本は、不況、失業、世界一の借金、教育の崩壊等、それこそ、国として
死んでいるかのようです。しかし、これは、逆に神の前には、「時」が到来した、もしくは、(もう少し困難を通って)、「時」が来つつあるといえるかもしれません。神に触れるその日、この国は蘇ります。

”16 初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。
17 もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、
18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。”

もし、東洋にいる私達が、ここで言う根だとしたら、いわゆる西洋の国々、キリスト教国とは、根というより、継がれた枝に過ぎないことがわかります。
彼等はイスラエル12部族の子孫である我々のゆえに恵みを受けています。

19 枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。
20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。”

「高ぶらないで、かえって恐れなさい。」と西洋諸国を始めとする、キリスト教国に対して語られています。しかし、これらの西洋のキリスト教国が高ぶる日がきます。
彼等のそむきのきわまる日にもっとも西の国、アメリカにおいて、この福音は変質させられています。
 
 

22 見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。”

かつてどうも日本を始めとする東アジアの国々は、聖書の神を信じていた、そしてその選びの民であった時があったようです。日本に伝わる、正月の儀式、正月7日まで、お餅を食べる習慣は
出エジプト記にまさに記録されており、そこには、「これを正月とすべし」「7日の間、種いれぬパン(餅)を食べること」等が記録されています。日本の神社もかつての聖書に記された幕屋、神殿の構造にそっくりです。
このように形は残っているのですが、しかし肝心な信仰はなく、日本の人々は、聖書の神から切り離され、恵みも喜びもない歩みをしています。「倒れた者の上にあるのは、きびしさです。」と書かれている通りです。しかし、反面、このキリストを受け入れた西洋の人々は、恵みと繁栄と国力を受けました。

「あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。」と書かれている通りです。

しかし、「異邦人の時が終わる頃」この西洋の人々は、神の恵みからそれ、福音を冒涜するようになります。今、もっとも西の国、アメリカにおいては、「殺すな」との神の十戒を積極的に破り、他国への
戦争に興じています。また、「姦淫するな」「偽るな」との教えも積極的に破られています。
もう彼等、西の世界の国々は、神のいつくしみから外れつつあります。「そうでなければ、あなたも切り落とされるのです」との預言が彼等の上に成就しつつあります。
 
 

”23 彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。”

彼等とはイスラエル民族の子孫であり、私はそれは今、東アジアにいると思っています。オリーブの木は、
オリーブ油という名前の通り、養分豊かな油を供給します。油は聖霊のたとえです。
日本を始めとする元イスラエルに属していた国は、遠い昔に神から切り離され、異邦人の歩みに入っていきました。神にこそ、知恵と悟りと豊かさがあるのですが、今の日本では、空しい
底の浅い、人間的な教えがはびこっています。オリーブの木である、神から離れたので、こんなもので腹を満たすしか方法がないのです。

日本では、クリスチャンは1%以下であり、福音が伝わらない、日本人が神に対して目が開かれない日が
続いています。何故そうなのか?それは、はっきりいいますが、神がそうされたからです。
神がイエスを殺し、キリストを殺した民族に対して、「キリストの福音」の扉を開かないからといって、誰もそれを責めることができないでしょう。

物事には順番があり、まず私達は、イエス殺し、キリスト殺しの罪を悔い改めるべきです。
神の恵みだとか、宣教の拡大だとか、いろんな要求をつべこべと、神に向かってするのは、その後のことです。
故意であろうと、間違えであろうと、もし私達が、人の息子を殺してしまったのなら、その人にパンをくれ、飲み物をくれというお願いをあれこれする前にすべきことがあるはずです。そうではありませんか?
マタイ5章にも、「兄弟にうらまれることがあったら」まず、和解するように教えていませんか?
そうです、「捧げものをする前に兄弟と和解する」ように教えています。
私達の兄弟は、ナザレのイエスであり、まず私達は、かつての「兄弟殺し」を悔い改めなければなりません。旧約のささげものは新約でいう「奉仕」のたとえと思われます。
私達日本のクリスチャンは神への奉仕をすべきでしょうか?もちろん、すべきであり、大いにすべきです。
しかし、そうではあっても「兄弟との和解」を放り投げて行うべきではありません。

どんなに伝道しても決して実を生じない地のように、呪われた土地、弟殺しのゆえに呪われた地となった、日本であっても神に再度、立ち返り、キリストに戻る日が来ます。
それをさして、神は、「もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。」といわれます。
今の教会用語でいえば、「日本は救われる」「日本人が福音を受け入れる日が来る」のです。
それはいつ来るのか?
はっきり知らなければ、ならないことは、「全ては神によってなる」ということです。
また、神が定めたようになるということです。また、神の方法、計画があるということをいいたいのです。

かつて、人類の国の中で、神の子として、来られたイエスキリストを殺し、手をかけてしまった唯一の国であるユダ国はその当然の報いとして、世の終わり、異邦人の時が終わるまでは、福音とは無縁、恵みのない者として、ほおっておかれます。彼等はキリストを殺しただけではあきたらず、何百年にもわたって、キリシタンを迫害し、鎖国し、絶滅しようとした国、福音に背を向ける国なので、その意味でも自業自得なのかもしれません。
 
 
 
 
 

”24 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。”
 

ここで書かれていることは、かつてのイスラエル民族、今、それらがアジアにいるなら、彼等の救いは、たやすいものだということです。異邦人である、ヨーロッパ、アフリカの人々が救われたのより、もっとたやすくこれらの人々は救われるだろうと言っているのです。
たやすい救い?日本人がすみやかに救われる?そんな馬鹿な。と思う人もいるでしょう。

ここ何十年間かのこの国のキリスト教会の状態を知っている人程そう思うかもしれません。
しかし、このこと、イスラエル、ユダの速やかな救いは、聖書に書かれており、これらの
国が確かにイスラエルの血筋なら、これらのことばは成就するでしょう。

現在のアジアの国々の状況を見るなら、これらの聖書のことばは、実は実現しつつあるように思えます。
中国も福音から長い間、遠ざけられていた国でしたが、今この共産主義国で爆発的に福音は伝わっています。億という人が救われていると聞いたことがあります。この国もイスラエル12部族のどれかに即する国なのかもしれません。
また、隣の韓国では、世界で初のキリスト教国になるかといわれる程、福音が広がっていることは、我々がよく知っていることです。韓国には、イスラエル12部族のうち、祭司の部族、 レビの
風習があると、私は聞いたことがあります。そういえば、それらしい風情があります。
そのアジアの国々の中でもキリスト殺しに直接加担してしまったユダらしい、日本はやはり、福音の面で出遅れています。

しかし、いずれ時は来ることを知りましょう。そしてその日、ユダの血を引いているらしい、日本が救われる時、大きな変化が世界に、世界のキリスト教会に起きると思われます。
何故か?それは、「救いはユダヤ人=ユダの人々、から来る」と書かれているからです。
日本が救われるその日、大きな救いが世界にもたらされるでしょう。

”25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、”
 

「イスラエル人の一部がかたくなになった」とは要するにイスラエル12部族のうちの一部、たとえば、ユダがかたくにになり、福音に耳を閉ざすということでしょうか。
これは、少なくともユダ、日本においては、確かに成就しています。
400年前、福音を聞きながら、それを受け入れず、多くの宣教師、キリシタンを殺してきたからです。
この国は300年近く、鎖国をし、福音に対して文字どおり、門を閉ざしました。しかし、この事実や現在の状況だけを見て、この状態でずっと行く、日本は永遠に福音に無縁の国だと思い込むなら、それは、
「自分を賢いと思う」ことに過ぎず、真理、奥義を知りません。その奥義とは? それは、すなわち、、「イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり」すなわち、異邦人の
時が終わる頃、このかたくなな「イスラエル12部族の一部」も救われるのです。
 
 

”26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。”
 

もし、日本がユダの末裔であるなら、神のことばの通り、また、当然の報いとして、
この国に福音は伝わりませんでした。ユダの人々がキリストを十字架につけ、
「この血は我らと我らの子孫とに及んでもよい」といったことばはみごとにこの国に成就してしまったのです。この国に福音が伝わらなかったのは、神が許さず、許可しなかったからなのです。

当たりまえのことですが、救いも恵みも全ては神の主権によるのです。
ですから、全てこの国に神の大きなわざを期待するクリスチャンは立ち止まり、その働きを熱烈に進める前に、振り返り、考えを至らすべきです。何故、この国に福音を伝えることを神は許さないのか?
そこには理由があることを知るべきです。

しかし、同じ神がこの福音を「かたくななイスラエルの一部」、ユダに福音を開くことを許可する時があります。それが終わりの時代なのです。

この日が来ようとしています。すなわち、「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。」時が。

その日が来ようとしています。今、携帯電話や、モバイルとやらがトレンデイになっている、この国で、「キリストを知ること」が、ブームとなる日がきます。
 

”27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。”

「選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。」とのことです。
日本の歴史を知る時、この国は神により特別に愛されている国、祝福のある国であることがわかります。
もちろん、福音を別にしてです。

勤勉な国民性、高い学力、豊かで、緑多い土地、傑出した国民総生産、外的に侵入されにくい、島国、これらは、
みな、神の恵みと愛がなければ、与えられないものなのです。この国の歴史も不思議な神の介入と助けに満ちています。あの蒙古の元による2度に渡る来襲、ヨーロッパの国々を震え上がらせた蒙古軍は、何とこの国で2度にわたって大敗北を決しました。2度にわたる不思議な神風によってです。

また20世紀に入り、あの大国、中国(清国)、ロシアとの戦いにこの国は不思議な勝利を得ました。
また、さらにユダの面目躍如の戦いを始めました。
今を遡り、20世紀半ば、第二次世界大戦前の頃を思い出してみましょう。
この時、アジア、アフリカのほとんどの国は、イギリス、フランス、オランダ等、白人の
国の支配下にありました。ダニエル書に書いてあるように、ギリシャのすえである、ヨーロッパの国々は、これらの国を植民地として支配していたのです。その時、これらの白人国に勇躍、戦いを挑み、これらのアジア、アフリカの国々の独立の端緒を開いたのが、この国、日本だったのです。
しかし、何故日本だったのでしょう?もし、イスラエル12部族がこのアジアの中国、韓国等に分かれ住んでいるとして、何故日本が最初に戦いに出ていったのか?

その理由は、聖書を読む人には、明瞭です。聖書の中では、神が戦いの時、イスラエル12部族の中で、
ユダに最初に戦いに出ていくよう、命じているからです。
それで、ユダ、日本は、自国が小国であることなど何ら顧みず、雄々しくこの戦いに出ていったのです。
「王権はユダを離れず」とあるように、万世一系の天皇を持つ、日本こそ、ユダの末裔です。
ユダ、日本には、イスラエル12部族の先兵、アジアの先兵として、戦いに最初に出ていく義務があり、我々の先祖はそれを忠実に行いました。それが、日本が大東亜戦争において、シンガポール、フイリピン等のアジア各地で戦端を開いた理由です。そして、これらの国は戦後、独立を勝ち取りました。
ユダ、日本の戦いは無駄ではありませんでした。

29 神の賜物と召命とは変わることがありません。”

イスラエル、ユダの「賜物と召命」とは何でしょう?
それは、アブラハムの子孫への約束、「全地の全ての民族があなたによって祝福される」との召し、賜物です。そのようにこの民族は召され、召命されているのです。
それで、もし、日本を始めとする東アジアの国々が確かにイスラエルの子孫であるなら、必ず、このこと、すなわち、全地がこの東の地における、神の働きによって祝福を受けるはずなのです。

このことは確かに起こるように思えます。黙示録7章に記されている東の地におけるイスラエル12部族の回復はその日の始まりでしょう。
かつてアブラハムに対して、神が「全地の祝福の基となる」と約束したことは事実です。
しかし、この約束は成就することなく、長い間が経ちましたが、しかし、皆が忘れたかという頃、
世の終わり頃、成就します。東に散らされたイスラエル民族は、遅ればせながら、その召しを果たすのです。「神の賜物と召命とは変わることがありません。」とのことばの成就をこれから私達はこの地で
見るようになるでしょう。

”30 ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、
31 彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。”

かつて、福音は、ユダヤ人である、イエス、ペテロ、パウロ達を通して、ギリシャ、ローマの異邦人に伝わりました。彼等、異邦人はあわれみを受けたのです。しかし、時代はかわり、このギリシャ、ローマの末裔である、ヨーロッパの人々を通して、東の地、日本にも福音が伝わりました。
「それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。」と書かれている通りです。

”33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。”

もし、今、ここに書かれたことが事実だったらどうでしょう?
これは驚くべきことです。誰もこんなことを考えもしなかったし、想像すらしなかったのです。

”34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。”

こんなことを考えた人もいないし、また、このようなことを神に相談された人もいません。
私達はもう世も終わり頃になって、
おずおずと神の計画を遅ればせながら、理解し始めたのにすぎません。

”36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。”

これらの驚くべき計画は「神から発し、神によって成り、神に至り」ます。
ただただ、神にのみ栄光があります。そして、これらの
ことは確かにこの終末の日に実現するでしょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
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