No.340ユダ族の獅子、日本


”テキスト:黙示録5:1 また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。
2 また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。
3 しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。
4 巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。
5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」”

本日は、「ユダ族の獅子」という題でメッセージしたいと思います。
黙示録に示されている封印を解く「ユダ族の獅子」について見ていきたいと思うのです。

さて、上記テキストには、「ユダ族の獅子」「ダビデの根」が勝利を得たので、その巻き物を開き、
七つの封印を解くことができることが書かれています。

このユダ族の獅子とは誰をさすのでしょうか?これは、あまり難しくない質問です。
多くの注解書が書いていいるように、私達の主、イエスキリストこそ、このユダ族の獅子です。また、ダビデの根です。イエスはイスラエル12部族の中、ユダ部族に属し、また、彼はダビデの血統に属する方です。イエスキリストこそ、ユダ族、またダビデの子孫であり、まさに彼においてこの預言は成就しています。また彼は勝利者であり、あらゆる偽りの教理に勝利した方です。また、悪魔のわざを破った方です。

さて、このことはしかし、今さら私が大きな声でいわなくても皆知っていること、わかっていることです。
しかし、この預言に関してはもう一つのことがあるように思えます。もう一つのこと?
すなわち、この預言も2重の預言のように思えるのです。
こういうことです。イエスの時代に、「ユダ族から出たしし、ダビデの根」であるイエスキリストが勝利を得たことはまぎれも亡い事実です。しかし、このことはまた終末の日にさらに大規模な形で繰り返されることがらの預表ではないかと思われるのです。
終末の日にこの預言がどのような形で繰り返されるのか?それを見ていきたいと思うのです。

さて、上記「ユダ族から出たしし」とは、文字通りの血統について語っていることを知りましょう。何故なら、この預言の最初の成就の時、イエスキリストは文字通り、血統的にユダ族の流れだったからです。
ですから、この預言は、霊的な血統等の話ではなく、文字通り肉体の血筋、血族に関していわれているのです。

さて、肉体の血筋をいうなら、私達は現在ユダヤと自称している人々、すなわち中東のイスラエル国や ニューヨークに住んでいる色の白い人々は本物のユダヤ人ではないことを知っています。
彼等はかつてユダヤ教に改宗した白人種ハザール人の子孫であり、アブラハムが属するセム、すなわち
黄色人種とは全くことなる人種です。また、聖書も彼等をさして、「ユダヤ人だと嘘をついている人々」と語っているように思えます。

さて、彼等がこのように偽ユダヤ人であり、ユダ族とも ダビデの血筋とも何の関係もない人々であるとしたら、それでは一体本物のユダヤ人、すなわち、ユダ族に属する人々はどこにいるのでしょう?

彼等はもう消滅してしまったのでしょうか?そのことを考えましょう。
さて、「失われた10部族説」とはよくきく話です。かつてアッシリアに捕囚された北イスラエル
10部族は今、存在しません。そして、彼等はずっと東に移り、現在は中国を始めとする
アジア地方に住んでいるのではないかと多くの人々がいいます。そして、それらしい証拠もあります。たとえば、中国の漢字には、聖書を由来として作られたとしか思えない多くの文字があります。
たとえば、「男」という漢字は田(耕作地、庭)で力を使うと書きます。
そして、聖書創世記に記してある最初の男、アダムは罪を犯したため、額に汗して作物を耕すようになった、すなわち、畑(田)で力を費やすようになったのです。男という漢字は、この最初の男、アダムの特徴を見事に示します。また、「義」という漢字は、我、すなわち、自分の上に羊を乗せます。
これは、聖書でいう義人について正しく述べたものです。何故なら聖書的には、我々は羊の犠牲の上に、
義とされるからです。

さて、このように中国、韓国等には、イスラエル民族の風習、文化の臭いがするのですが、今私はここで、イスラエル12部族の中の特別な部族、ユダ部族について語ろうと思っているのです。
何故なら、冒頭のみことばは、イスラエル12部族の中の特に「ユダ族」について述べているからです。
ユダ族は聖書の中で特別な存在であり、その特徴は以下の通りです。

1)エルサレム(平和の教え)の都はユダにあった。
2)神の神殿もユダにあった。
3)神の契約の箱もユダにあった。
4)ダビデ王を起点とした王族もユダ族に即する。
5)ユダ族の特徴、シンボルは獅子である。
6)ユダ族は12部族の中で戦いの初陣を切る民である。イスラエル12部族が戦いに出る時、常にユダが
戦いの初陣を飾る。

以上がユダ族ならではの特徴です。
さて、もし、ユダ族が世界のどこかに残っているなら、その国なり、、民族はこれらの条件を満たさなければならないはずです。
そして、結論から、先にいえば、驚くべきことにこれら全てを満たす国がこの世界に存在するのです。
そして、さらに驚くべきことがらは、その国、民族とは、日本であり、日本人らしいのです。
以下簡単に理由を列挙します。
 

1)エルサレム(平和の教え)の都はユダにあった。
->日本の都、たとえば、平安京は、エルサレムに模したかのような構造であり、
また、エルサレムのように門がある。
平安という名前自体がエルサレム(平安の教え)とのことばと似ている。
また、飛鳥とは、韓国語の「平安」ということば。

2)神の神殿もユダにあった。
->日本の神社の構造は、世界で唯一イスラエルの神殿の構造に似ている。

すなわち、聖書がいう神殿の構造は、一般の人が礼拝する外庭、祭司が礼拝する聖所、
さらにその億の大祭司のみが年に一度だけ入り礼拝する至聖所の3段階に分かれる
日本の神社もこれと同じ。すなわち、一般の人が礼拝する境内、神官が礼拝する拝殿、また、
特別な礼拝が持たれる本殿の3構造になっている。このような一致は、世界のとこにもなく、日本とイスラエルにしかなく、もちろん韓国、中国にもない。

3)神の契約の箱もユダにあった。

->日本の祭りに現れる「神輿」こそ、この契約の箱そっくりの構造である。
神輿にかつぐための横木を通すところ、置くための台を用意するところ、これらは皆聖書に書いてある「契約の箱」に関する記述と類似する。

4)ダビデ王を起点とした王族もユダ族に属する。
->ユダ国の王の特徴は、「王の子が王となる」すなわち、ダビデ以来の王族の血統がめんめんとして継続すること。すなわち、万世一系の王族であること。日本の天皇家こそ、このダビデの王族であるとする
多くの証拠がある。
また、聖書の中で神は、ともしびを消さないこと、すなわち、ダビデの王族の血筋を絶やさないことを約束している。現在に至る迄、天皇家が日本の社会に存在していることは、この約束の成就としか思えない。
もちろん、このような万世一系の王族、2000年以上も続いている王族は、日本の天皇家以外、世界のどこにも存在しない。

5)ユダ族の特徴、シンボルは獅子である。

->日本の神社のシンボル、象徴は、狛犬こと、獅子の像である。
この像は狛犬と呼ばれて入るが、実際は、獅子、ライオンを表したものであることは、一件すればわかる。長いたてがみ、鋭い牙、太く長い爪、その勇猛果敢な顔、これはまぎれもない獅子の像である。
ユダ国のシンボルは日本中の神社に満ちている。

6)ユダ族は12部族の中で戦いの初陣を切る民である。イスラエル12部族が戦いに出る時、常にユダが
戦いの初陣を飾る。

->不思議なことにこの日本も小さな国にかかわらず、戦いにたけき民である。時の大国、中国(清国)、
ロシアを破った日清日露の戦争といい、日本には、神がかり的な戦争の勝利がある。
また、かつて世界が欧米列強の支配にあった第二次世界大戦前、すなわち、アジア、アフリカのほとんどの国が欧米の植民地となっていた時、敢然として、これらのアジアの同胞、同族の解放を目指し、
列強に戦いを挑んだのが、このアジアの獅子、日本でした。

さて、これらの理解に基づき、上記テキストを見ていきましょう。

”1 また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。”

この巻き物とは、聖書のことです。
そして、それには、「内側にも外側にも文字が書きしるされ」ています。
すなわち、この書、聖書は、単に一面だけに文字が書かれ、その意味しか用をなさない、そのような
書ではないのです。逆に「内側にも外側にも文字が書きしるされ」、すなわち、表の意味あいだけでなく、裏の意味あいもある、そのような書なのです。その読み方には、単に一文字ずつ読むというより、
一文字、二文字空かした読み方、すなわち聖書の暗号のような読み方も含まれている、私にはそのように思えます。

「七つの封印で封じられていた」

7つの鍵で閉じられている門は一つの鍵の門より、開けるのが大変です。
同じ意味あいで、この書、7つの封印で閉じられている書は、難解の中の難解であることを知って下さい。

さて、「七つの封印」ということばが使われる時、その一つの意味あいは、一つの封印より、
7倍も難解であるというニュアンスがあるようです。
しかし、もう一つ隠れたニュアンスがあるようにも思えます。それは何か?
私が思うには7という数字は、7日目、すなわち、7つめのミレニアムに通じるのではないかと
思われます。何をいっているのかというと、アダム以来7つ目のミレニアム、すなわち、具体的には、
西暦2000年以降、この封印、7つの封印が開かれてくる、そのことを暗示しているのではないかと
思われるのです。

”2 また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。”

さて、ここで「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者」について述べられています。
どんなことにも「ふさわしい」者がいるものです。

ミスユニバースに選ばれるには山本富士子のように8頭身美人がふさわしいかもしれません。
同じ意味あいで、聖書でいう「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者」とは誰かとこの箇所で御使いがきいているのです。誰が聖書的にふさわしいのでしょうか?

”3 しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。”

教会の誰もこの7つの封印の前に対抗することができず、「その巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった」のです。
ですから、この書、黙示録に関して、人の見解と神の見解は異なることを知って下さい。
人の見解はこの巻き物、黙示録の巻き物は開けた、何故なら、この私が開いたからだということです。
こんな風に主張している人々が、何百年も前から、それこそ、何百人もいます。

こんな風に多くの人が「開いた」「もう中身はわかった、読了済み。解決済み」と宣言しているのですが、しかし、神のことばは、「だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。」と語ります。どちらが、正しいのでしょうか?
もちろん、神のことばが正しいのです。

”4 巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。”

開く者も、見る者もいない、この状態を見てヨハネは「激しく泣いていた」のです。
この巻き物、黙示録には終末の日に必要な全てが書かれているのですが、問題はこの書が開けず、見ることができないことです。これは悲しいことです。

これは黙示録、終末の預言だけではないのですが、我々クリスチャンにとっての問題とは、この巻き物、聖書を「開く者も、見る者もいない」ことなのです。

”5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」”
 

さて、幸いなことですが、この巻き物を開く者があらわれます。
それは、「ユダ族から出たしし、ダビデの根」なのです。
さて、このことばの意味を考えてみましょう。このことばの第一義は「ユダ族から出たしし、ダビデの根」であるイエスキリストのことです。これには、誰も異論がないように思えます。
さて、もう一つです。このことばには、もう一つの意味あいがあるように思えるのです。

何故そういえるのか?それは例えば70週の預言も2重の預言だからです。
これは、主イエスに関する預言であるとともに終末の日の預言でもあります。同じ意味あいで、
この「ユダ族から出たしし、ダビデの根」とのことばは、主イエスの時代に成就し、尚かつ終末においても成就するということはいえると思います。
そして、何より、この黙示録は未来の日、終末の日に関する預言書です。未来の日、終末の日に
「ユダ族から出たしし、ダビデの根」が起きると黙示録が語っていると主張することには、
大きな問題はないと思えます。

「ユダ族から出たしし、ダビデの根」

さて、この終末の日に勝利を得るはずの「ユダ族から出たしし、ダビデの根」とは何をさすのでしょうか?
このことに関連するのか、同じ黙示録には、7章にイスラエル12部族が日の上る方で聖霊の印を受けることについて語られています。この箇所には、レビ、ガド等、イスラエル12の部族名が具体的に記載されています。ですから、これはたとえというより、具体的なイスラエル12部族の血族が、回復する、その記述であると理解できます。

その線から考えるなら、ここでいう「ユダ族から出たしし、ダビデの根」とは具体的なイスラエル12部族の中のユダ部族、そして、最もその子孫である可能性が高い、アジア、日が上る地に住む日本をさしていると思えないでしょうか。

絶対とはいえませんが、そうである可能性があるので、その線で考える時、この預言の正しい意味あいが見えて来るように思えます。

何はともあれ、今日の結論は、驚くなかれ聖書、黙示録の中には、この日本の終末の時代における
活躍について前もって預言している、そのように読める、そのことを覚えましょう。
 
 

そして、その活躍は、「七つの封印を解く」すなわち、黙示録の封印、終末の預言の封印を開くことに関係しているらしい、そのことをも覚えましょう。
この国から?と思う人もいるかもしれませんが、どうも黙示録はそのように語っている、そう思えるのですが、どうでしょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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