No.334 うまく考えだしたつくり話

テキスト:2ペテロ1:16 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。
(KJV:うまく考え出した作り話に従ったりせず、キリストの栄光の証人となりなさい。
私達はあなた方に力と主の来臨を教えたからです。)”

本日は「うまく考え出した作り話」という題でメッセージしたいと思います。
終末には、「うまく考え出した作り話」が出現するということを見ていきたいと思うのです。

このテキストの箇所の訳は、新改訳とKJVで大分違います。
KJV訳には、「(終末の)うまく考え出した作り話に従うな」という警告が含まれており、これが
本来の意味としてふさわしく思われるのですが、新改訳ではそのニュアンスがすっぽり抜け落ちています。
警告になっていないのです。これは、ゆゆしき問題であり、どっちが正しいのかはっきりして欲しいのですが、このような大事なことがら、聖書翻訳の違いに関しては残念ながら、キリスト教会では議論になりません。また、そのような事実があることさえ話題に上らず、気付かないようになっているようです。

このHPのメッセージ作成を奉仕させていただくことに関連していくつもの聖書箇所を調べて否応無しに気付くことは、日本語訳の聖書は
だいぶ原典の聖書が語っていることと訳が違うらしいということです。
今まで いくつも見てきたように結構多くの箇所が異なっているようです。

何でこうなってしまうのでしょう?いつだかクリスチャン新聞に日本語聖書(確か新改訳)に関する訴訟騒ぎの記事が掲載されていました。その記事によと日本の新改訳なりの聖書の著作権は、日本聖書協会なりにはなくて、外国の何とか言うカタカナ名の聞いたことのない財団が持っているとのことです。
私の記事の記憶が間違いでなければ、その財団は、「この訳を勝手に変えることはまかりならん」とのことで、訴訟騒ぎを起こしたと記憶しています。

この話が正しければ、日本のクリスチャンが読む聖書にもし間違いや誤訳があっても日本人の我々がそれを変更することはできない、それを読みつづけ、受け入れつづけなければならないという不思議な事態が続くことになります。

そのせいだか、「日本の我々で、納得のいく聖書翻訳をしよう」との運動が日本にあるとも聞きました。
日本の聖書には、あまりにも怪し気な翻訳が多いようですので、是非そんな働きがあるなら、
期待したいものです。

聖書翻訳に対する統制、コントロールということで思い出すのは、エホバの証人、ものみの塔の
「新世界訳」です。この聖書はものみの塔では、すばらしい聖書、究極の聖書なんていっているようですが、それは自画自賛に過ぎず、事情を知っている人々は、この聖書こそ、ものみの塔の「異端的な聖書解釈の中心、元凶」になっているとんでもない聖書だということで考えが一致しています。

この 新世界訳はこのようにして成立します。まず、原典である、ヘブル、ギリシャ語から、英語の聖書に翻訳されます。その英語の訳から、さらに日本、中国語、フランス語等各国のことばに翻訳されていくのです。
その際、最初に訳された英語の聖書の意味から、決して異なる訳にならないよう、細心の注意が払われるとのことです。

この聖書は特殊な聖書であり、普通に我々が読む聖書と訳が異なっています。
特にものみの塔の教理と密接に関係する箇所に関しては、「彼等にとって都合の良い訳」となっています。
たとえば、普通の聖書を読むなら、「キリストが神である」ことを裏ずける箇所はたくさんあるのですが、
この新世界訳では、それらの箇所はことごとく、改ざん、変更されています。
またこの聖書本文の下にある注記、関連聖書箇所の記述もみな、彼等の「教理」を裏ずけるようになっています。

このように「人工的に改ざん、故意に変えられた訳」になっている聖書をもとにこのものみの塔の信者達は、「聖書には、キリストが神であるとは書いていない」という結論を持つようになるのです。
しかし実際は彼等は自分では聖書を読んでいると思っていても、「改ざん、意図的に意味を取り違えた聖書」を読んでいるのに過ぎないのです。ですから、聖書翻訳、特に意図的に聖書の意味あいを変える翻訳には、くれぐれも気をつけなければならないことがわかります。

聖書の翻訳とは、専門の語学の知識がなければ、難しいものだと思われますが、
これらの改ざんの裏には、それらの聖書や語学の知識を自在にあやつり、それらしい嘘を教える人々の
存在があるといったら言い過ぎでしょうか。

よく事情を知ればそうでもありません。
ものみの塔、また、同じく怪し気な聖書、モルモン経を使用しているモルモン教にしても
その創始者はあの悪魔礼拝者、フリーメーソンと関係があることを研究者は述べます。ですから、
これらの聖書、教理の改ざんの裏には「意図的な力、組織」が存在するのです。

聖書を「それらしく翻訳してあるが、しかし、微妙に意味あいの異なる訳」に改変するには、なんと言っても、聖書の書かれた原語に詳しい人々でなければ、できないことであることを覚えて下さい。

さて、ものみの塔、モルモン教等はいわゆるプロテスタント、カトリック等の正統的といわれるキリスト教からは異端と呼ばれる宗派です。これらの教典が「意図的に改ざんされている」といっても
「異端ならさもありなん」「しょうがないな」ということですが、しかし、我々にとっての問題は
同じような手法が我々、プロテスタントなりが読む聖書翻訳にどうも使われているらしく、
「最近の聖書の訳は怪しい」ということです。

キリスト教系のHPを見ると、そのように最近の翻訳に異をとなえる人々が欧米には結構いるようです。
第2次世界大戦後、特にその傾向、改ざんの傾向が強いとも聞いています。

さて、ちょっと話がそれたようですが、そろそろ今回のメッセージの主題に入りたいと思います。

”2ペテロ1:16 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。
(KJV:うまく考え出した作り話に従ったりせず、キリストの栄光の証人となりなさい。
私達はあなた方に力と主の来臨を教えたからです。)”

この箇所で、明らかにペテロは「うまく考え出した作り話に従」うことに関して、警告を与えています。
この聖書箇所の中に主の再臨が記述されているように、この「うまく考え出した作り話」は、終末の時に多く起こってくることが予想されます。

ですから、今がその終末の時代なら、この時代に生きる我々は、この聖書箇所が述べている
「うまく考え出した作り話」が必ず、教会内に起きてくること、場合によっては結構多くの人が
それに乗せられ、従って行ってしまうかもしれないことを肝に命じておかなければならないのです。

聖書のどのことばも無駄に書かれたものではなく、逆にどれもこれも成就していきます。
何故なら、世の本と異なり、聖書は過去も未来をも唯一御存じの方が書かれた書であり、
終末に迎えるに必要な警告が全て書かれているからです。
この終末に起きてくる「うまく考え出した作り話」に関しても、変に自分に自信を持たず、真摯に警告を受け止める人々に
みこころがあることを知りましょう。

さて、「うまく考え出した作り話」ということばを考えてみましょう。このことばがいうことは、
「終末にクリスチャンをだますための作り話が考案される」「その話はあまりにもつじつまがあり、
説得力があるので、だまされる可能性がある」ということを語っているように思えます。

すなわち、「一見、嘘のように思えず、真実に思える」「だからついみんなだまされる」そのような
ニュアンスがあるように思えるのです。

私はいつだか、東京の郊外のある町を家内と2人で歩いていました。そこで、ある建物に入りました。その
かなり広い公共の建物の地下にしゃれたなロビーがありました。そこにいくつか素敵な観葉植物が置いてありました。名前はわからないのですが、2メートル程の程よい枝ぶりの木がきれいな鉢に植えて飾られていたのです。その場の雰囲気にピッタリマッチした涼し気な木でした。
そこで、私と家内は少しの間、くつろいでいました。

しばらくして家内が「この木は偽物じゃないかしら」といいました。
「え?」そんなことは思いもしない、疑うことをしなかった私ですが、そういわれてよく見れば本物ではないような気もします。
よくよく葉を見ると、表は本物そっくりですが、裏はいかにも作り物でした。この木は「良くできた作りもの」だったわけです。

さて、こと程さように「よくできた偽物」は、うっかりした人をだましたり、本物と思わせることが
可能です。というより、そんなふうに「偽物とはつゆも知らない」人の方が多いのかもしれないのです。

偽物の木にだまされてもあまり実害はありませんが、終末の教えをみごとにだまされるなら、
永遠の命が危ないことを覚えて下さい。悪魔は我々と遊びやゲームや冗談をしたくて、教会に「偽物」を持ち込んでいるわけではなく、彼はそうすることにより、もっとも大事なもの、我々の永遠の命を奪えることをよくよく知っているのです。

ですから、我々がこの「うまく考え出した作り話」を見分けることがいかに大事かが想像できます。

さて、このような観点、すなわち、「終末には、教会内に考え出した作り話が起きてくる」という観点から、今の教会に広がる教理、教えを見ると、いくつもそれらしい教えがあることがわかります。

度々書いているように「艱難前携挙説」すなわち、艱難の前に神の民は天に挙げられるという教えは、
その際たるものかもしれません。

この教えは、聖書がくり返し、くり返し語る「終末のための備え」をつき崩す、
悪魔の究極の作戦、強力兵器のようなものですが、しかし、またそれゆえ非常に「うまく考え出した作り話」でもあります。

聖書を普通に読むなら、この「艱難の前に挙げられる」という教理は出てきません。
それは、この教えが出現する19世紀に至るまで、教会の教理にこんな教えが決して出てこなかったことからもわかります。
「普通に聖書を読めば出てくる教理ではない」から、誰もそんなことを主張しなかったのです。

それで、この「異端的な教え」を広がらせるために、あらゆる偽りや、下工作、嘘が用意されたようです。

この世の中でも架空の話、嘘話をたくらんで人から、金品を巻き上げようとする人々はいます。
彼等はありもしないもうけ話をそれらしく見せ掛けるために色々と工作をします。
たとえば、「偽の土地の権利証書を5
億円で売り付ける」ために、色々工作します。わざわざ、その商談を一流ホテルでしたり、(一流ホテルの雰囲気で信用させる)、有名な政治家の名刺を使用したり、(他人の信用をもとに話に信憑性をもたせる)、偶然をよそおって銀行家や会社社長(どちらも仲間)を同席させ、偽ろうとするわけです。

これは偽の土地の権利証書であり、こんなものにお金を払っても実際には土地は手に入らないのですが、嘘であるために、またそれを本物らしく見せるために色々と工作するのです。
同じ意味あいで、
この艱難前携挙のためにもあらゆる形の工作がなされたように思えます。

1. 幻が用いられる。
アメリカ宗教辞典によれば、この教えは、1830年頃から始まったものであり、その発端は、
マーガレットマグドナルドという女性霊媒の見た「幻」がもとになっているとのことです。
聖書と真っ向から対立するマリヤ崇拝も「マリヤの幻、奇跡」が大きな基礎になっているように、
この「キリストが2回にわたって来る」という非聖書的な教えも「幻」が基いになっている。

2. デイスペンセーション主義の嘘
この「2度にわたって再臨するキリスト」という聖書のみことばにない教理を応援するために、
デイスペンセーション主義という教理が考えだされたようです。デイスペンセーションという聞きなれないことばには、「神の摂理、分配」というような訳語があります。

いわんとしていることは、時代により、神の方法、摂理、強調点は違うということでしょうか。
この主義は、簡単にいえば、旧約の神のみこころの中心は、中東のイスラエル民族にあった。
しかし、時代が変わり、教会時代に入った時、神のみこころの中心は、教会に移った。
しかし、それが、最後ではなく、終わりの時代、終末の時代には、さらに神のみこころの中心は
イスラエル民族、ユダヤ人の時代に変わる。

だからこそ、終末の時代を描く黙示録には、旧約的な表現があり、
裁き、また、イスラエル12部族が印をつけられること、また2人の預言者が登場したりするのだと
主張します。
だから、その時、終末の時には、もう教会の時代は終わっているので、教会は、天に挙げられ、
艱難時代が終わったら、降りてくるという「大嘘」の結論へ至るわけです。
そう言われると「大嘘」も何だか本当らしく聞こえてくるものです。

要するにこのデイスペンセーション主義とは、艱難前携挙説に合理性を与えるための長い、長い「前フリ」なのです。

3. イスラエルの建国に関する嘘
上記デイスペンセーション主義の主張、すなわち、「終末の時代には、もう教会は表舞台から、外れ、
次の主役、イスラエル民族が主役となる時となる」との荒唐無稽、しかし、「よくできた作り話」
を支持するのに、大いに用いられたことがらが、いわゆるイスラエル建国、「約束の国」に関する
物語りです。

これこそ、神の約束の成就だということですが、しかし、この裏には以下のように、色々、怪しい、とても神の働きとは思えないことが多いことを知るべきです。

a)「砂漠にサフランの花が咲く」の嘘
この地は、我々が来るまでは、砂漠だった。そこを我々が開拓して「サフランの花が咲くところにしたのだ。これは聖書のことばの成就だ」とは、イスラエルを訪れる、日本人なりが、それこそ、100ぺんも
聞かされる話です。しかし、それが、全くの嘘であり、この地はもともと、パレスチナ人が畑を
持ち、耕した地だということは、研究者により、指摘されています。
キブツに理想を求めてこの地に移住した日本人青年が「この約束の地の真実」を知ったいきさつは、
岩波新書「パレスチナ」広河隆一著に詳しいです。同じことは、集英社「赤い盾」広瀬隆著にも
記されています。

日本のキリスト教書店、雑誌、新聞は、それこそカルト宗教のマインドコントロールまがいに
この手の話題に関しては、一方的な情報しか流しません。しかし、一歩、これらの「閉ざされた情報区域」を出て、この件に関するパレスチナ関連の書物を何冊か読めば、すぐ実体はわかるでしょう。

この嘘、「砂漠にサフランの花」が実は全くの嘘だということを知るとき、我々はそれを通していくつかのことがらがわかります。

*キリスト教界の情報は非常に片寄ったものしかない、すなわち、情報がコントロールされている。
*約束の民、神の民といわれる人々は、実は他人の土地を奪い、建物をこわし、そして今、頻繁に
パレスチナ人の命を奪っても、良心に呵責を感じない、恐るべき民族であること。
*「キリストを信じたことになっている」がしかし、キリストということばも、クリスチャン
ということばも使いたくない、ユダヤの習慣にこだわる、メシヤニックジューとかいう不思議な人々の
正体がわかる。彼等こそ、この「砂漠にサフランの花」の大嘘を我々クリスチャンに吹き込んだ人々ですが、彼等は嘘を平気でつく、キリスト教かく乱の目的で入り込んだ、偽クリスチャンと呼んだ方が正しいでしょう。

b)人の土地を奪い、家をこわし、命を奪う人々は神の民ではなく、悪魔の民
イスラエルの建国時、彼らの所有していた土地もわずかであり、また人口も少なかったのです。しかし、この半世紀の間、彼等はろくな武器もない、子供の投石や、せいぜい銃くらいしかないパレスチナ人相手に、近代的な軍事力、飛行機、爆弾投下、戦車、ブルドーザー、高性能の銃等を武器に彼等を殺害し、
土地を奪いつづけて来ました。国連がこれらの殺害に反対決議をしても獣の国、アメリカが拒否権を発動して、これらを無効にしてきました。また、彼等の息のかかった国際メデイア(ロイター、AP
等の通信社、またアメリカABC, CNN等主要テレビ、新聞等は皆ユタヤ系)は、これらの
殺りくに関して、イスラエルにとって都合の悪い記事は故意に流さないようにしています。

これらは神の約束の成就というより、「悪魔の殺りく」といった方が正しいのではないのでしょうか。

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以上のように、クリスチャンの終末の備えを崩すために悪魔は、「艱難前携挙説」という強力な手段を用意したように思えます。これは特別な教えのように思えます。
 

彼等はこの教えをクリスチャンの間に浸透させてしまえば、クリスチャンが実際に「終末の備え」をしなくなることを熟知しているので、この教えをそれらしくしたてるためにそれこそ、あらゆる
てだてを用意しているのです。

来年試験があり、しかもそれが難しい試験なので、学校に入れるかどうか微妙だと聞けば誰でも
学校に入りたい人は、試験のための用意を始めるものです。テレビや、マンガを見る時間を削ってでもそうするものです。
しかし、その時、こっそりと誰かが耳打ちして「あなただけは、試験を免除してやる、受けなくてよい」といわれたら、どうでしょう?すっかり、気が抜けて、安心しきって、しゃにむに勉強などする気がなくなるのが人情というものです。
しかし、この人は後で、後悔をするようになります。何故なら、あの時ささやかれたのは、
ただの嘘、ガセネタに過ぎず、用意をろくにしていない彼は試験を通過することはできなかったからです。

この話に関しては、だました人も悪いのですが、しかし、「試験がある」ことは、前もって明示されているのですから、
こんな嘘を真に受けた彼の自業自得ともいえます。

艱難の前に「聖書に明示されていないキリストの再臨があり、挙げられるから大丈夫」などと
聖書と矛盾したガセネタを真に受ける人は同じように後で後悔、取りかえしのつかない後悔をするようになることを知りましょう。

この2度に渡るキリストの再臨という「大嘘」を本物らしくみせかけるために、あらゆるしこみ、前ふり、工作、おぜんだてがされています。

デイスペンセーション主義と言うもっともらしい教えもその一つであり、
また、イスラエル建国は、いかにもタイミングよくなされ、これにより「異邦人の時」が終わり、イスラエルの時代に移ることを示す等の「できごと」も起きています。

これらのできごとはそれぞれ、マッチしていかにもこの「2回にわたるキリストの再臨」という
話を本当らしく見せることに貢献しています。
しかし、失礼ながら、本当にうまい詐欺師は、場所やら、やらせの人物やらを配置して、
いかにもそれらしい状況を設定することを覚えて下さい。

「偽の土地の権利証書」を売り付けるためなら、詐欺師は、やらせの人を配置したり、
書類を本物らしく偽造することをいといません。
何億という金額を手にするためなら、彼等はその位の手間は惜しまないのです。

悪魔は、お金よりさらに大事なもの、永遠の命をクリスチャンから奪うために、
てまひまを惜しまず、それらしい話を作り上げました。

しかし、これらは、「うまく考えだしたつくり話」に過ぎません。
惑わされる者はほろびを刈り取ることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
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