No.332 この王達の時代に(2)

テキスト:
”ダニエル2:44 この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。”
 

本日は「この王達の時代に(2)」としてメッセージします。
終末、またその後に続く、キリストの王国に関して、聖書は、「この王達の時代に」、すなわち、
終末の獣の国(アメリカ)が存在する間にうち建てられることに関して、明確に語っていることを
更にみていきたいと思います。

現在、教会で広がっている「終末論」には一つの特徴があり、
それは、「黙示録の解釈」に根ざしているということです。

「黙示録を解釈すること」はもちろん、悪いことではないのですが、問題は、
その解釈がかなり「聖書の他の箇所」がいっていること、たとえばダニエル書のいっている終末論とはずれており、結果として、かなり聖書本来の主張している「終末論」と異なったものとなってしまったということが問題なのです。

その例はいくつもいくつもありますが、その中で代表的なことがらは、
「キリストの王国」が来る時期に関してのものです。
ダニエル書は明らかに「この王達の時代に」すなわち、たとえば今のアメリカが聖書の語る「獣の
国なら」その時代に「キリストの永遠の王国」(永遠の国なので、千年王国=有限の王国ではない)
が建てられることについて語っています。

このダニエル書の語る「キリストの永遠の国」について見ていきましょう。

最初にテキストを見ます。ここでは、「この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。」
と書かれています。ですから、聖書によれば、この王達、すなわち、獣の国が大活躍している、その時代に「キリストの永遠の国」が打ち立てられることについて語っているのです。

もしこの王達が、アメリカ及びそれに追随するヨーロッパの国々だとするなら、
このアメリカと同じ時代を生きている私達は、何とこのキリストの永遠の国を見るようになると
いうことを言っているのです。

一つ知らなければならないことは、このこと、「この王たちの時代に」「キリストの永遠の国」が建てられるというダニエル書の主張は、我々がよく聞く黙示録解釈の中でいわれる「終末に起きる
できごとの順番」とかなり違うということです。

多くの黙示録の解説書によれば、終末の時代から、最終ゴールである「キリストの永遠の国」が到来するまで、千年王国があったり、ゴグマゴグの乱があったり、7つの封印、7つの鉢、7つのラッパの時があったり、えらい長い年月がかかるように思えます。
とても「この王達の時代に」、すなわち、獣の国アメリカをはじめとする国々が存在する時代には
最終ゴールまで行き着きそうに見えません。

そして、これら2つの書、ダニエル書、及び黙示録のさし示す「終末の時代」 は、あたかもそれぞれ、違うもののようにさえ見えます。
もしそうなら、どちらが正しいのでしょう?あるいは、これら2つには矛盾がないのでしょうか?
そのことを考えてみたいと思うのです。

本日はとりあえず、ダニエル書の語る終末のできごとの順番、すなわち終末に「キリストの永遠の国」が到来することに関してダニエル書の各箇所が語る
事柄を見ていきたいと思うのです。

)”ダニエル2:34 あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。
35 そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。”

まず始めに、このダニエル2章の「金の像」に関する記事をみます。

34 あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。”

人手によらず切り出される一つの石はイエスキリストでしょうか。「像の鉄と粘土の足」は、獣の国とそれの手足のように動くヨーロッパの10の国々でしょうか。これらの国々は、この石により、「打ち砕」かれます。ですから、これらの国々、ヨーロッパ、アメリカ等は、この石、キリストに出会うのです。そして打ち砕かれるのです。

”35 そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。”

「石は大きな山となって全土に満ちました。」と書かれています。これが上記テキストに出てくる
キリストの永遠の国の別表現なのでしょう。

ですから、この2章には
「この王達の時代にキリストの永遠の国が建てあげられる」ということを語っていることがわかります。
 

2)”4:32 あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」”

次にダニエル4章を見ます。この章における「終末のできごとの順番」を見たいとおもうのです。
この箇所は、バビロン王ネブカデネザルが見た「7つの時」を過ごすという夢に関する章です。
彼に対して、「7つの時」を過ごした後、「あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる」と語られています。
この7つの時、最初の国、バビロンの王が「獣のようになり」過ごした7つの時とは実は、
預言であり、黙示録の7つの頭の獣の時に相当するのかもしれません。

もしそうなら、この箇所も獣の時の後に、「いと高き方=キリストが人間の国を支配すること」、すなわち「この王達の時代にキリストの永遠の国が建てあげられる」ことについて語っていることがわかります。この章の結論、順番も同じなのです。
 

3)”7:
7 その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。
8 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。
9 私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、
10 火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。
11 私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。
12 残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。
13 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。

24 十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。
25 彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。
26 しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。
27 国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』”

今度は7章を見ます。ここの順番はどうなのでしょう。この箇所は7章の4つの獣の国に関する預言です。ここを順に見ます。

”7 その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。
8 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。”

第4の獣の国は、現在の世界唯一の超大国アメリカであり、この国は、「それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。」ことが書かれています。この国は、終末の日に悪魔の意志を行うために起きてきたような国であり、
この国を通して、滅ぼされたり、爆撃されたり、破壊される国々がおきます。いやもう起きています。

”これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。

この10の角は、2章では、10本の足指と描写されています。人はその指を用いて細かい作業をします。また
人はその手の指を用いて針仕事や、絵や文字を書くことをなしとげます。指にはそのような用途があります。これは、足指に関しても同じです。同じ意味あいで、10本の指、ヨーロッパの10の国々は、この獣の国の意志を細々と行い、その道具となっています。たとえば、先の湾岸戦争や、ユーゴ爆撃、またアフガン爆撃においてもこれらの国々はこの獣の国の狂気をとめるどころか、むしろ、率先して派兵、作戦を遂行しています。確かに彼等は獣の指のような人々です。

”8 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。”
 

10本の角、すなわち、ヨーロッパの間から出てくる、すなわち、母体をヨーロッパに置きながら、
そこから、出てくる、すなわちヨーロッパ以外に居を構える国について書かれています。
「一本の小さな角」とは他の箇所では、「一本の強い角」(70人訳)と書かれています。恐らく、こちらが
正しい訳ではないでしょうか。この強い角こそ、現在の超大国アメリカです。

”9 私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、
10 火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。”

さて、ここで突然のように、「年を経た方」についての記述が出てきます。挿入されます。
なぜ、ここで突然、「衣が雪のように白」い方、「頭の毛は混じりけのない羊」のような方、すなわち裁きの神の記述が挿入されるのでしょう。
私が思うにその理由は、この獣の国、アメリカの時代にこの方による裁きが行われるからです。
この獣の国の惑わしに入る人々は、裁きに入ります。それゆえ、「さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた」と書かれているのでしょう。

もう一つ、この箇所に関連して注目すべきことがあります。それは、以下の裁く方の記述は、下記、
黙示録20章の「裁きの座」の箇所とそっくりだということです。
 

”黙示録20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。”

このダニエル書の記述を見る限り、この裁きの座の場面は、獣の国の時代に起きるように見えます。
しかし、黙示録に関して我々がよく聞く解説は、「裁きの御座」の場面は、千年王国やら、
ゴグの乱やらのずっとずっと後ということです。ここにもダニエル、黙示録2つの書の終末の記事解釈相互に矛盾があるようです。
どちらかが正しいのですが、我々はどちらの解釈が正しいのか知らなければなりません。

さて、次を見ます。

”11 私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。
12 残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。”
 

さて、上記「御座の場面」の挿入にひき続き、聖書は、また獣の国に関する記述に戻っています。
この「挿入」tという何気ない展開の中で神が語ろうとしていることを我らは悟るべきと思われます。
この挿入は何を意味するのでしょう。それは、恐らく、「この獣の国の時代」すなわち、「この王達の時代」に確かに裁きが行われることを我らが理解するために与えられたように思えるのです。

例をいいます。
私達が書くたとえば、小説などにも「挿入」という手法がよく用いられます。
じりじりとしびれを切らしている厳流島の小次郎の場面の描写がしばらく続き、突然
そこに向かって小舟をこがせながら、その上で船の「かい」
を削る武蔵の描写が挿入される。そして、また場面は厳流島に戻る。こんなパターンはテレビや小説でおなじみです。そして通常、もとの場面も挿入される場面もどちらも、「同じ時」に属しています。どちらも並行的なのです。
同じことは、この獣の国と御座の場面にもいえます。これらは無関係な時に属しているのではなく、
同じ時、もしくは隣接した時に属しているのです。

話は変わりますが、「その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれる」とはどういう意味なのでしょう。この獣は国、具体的には恐らくアメリカをさします。
ですから、これは、獣の国、アメリカに対する裁きに関する描写と思われます。

この獣の国、他の国を「ならず者国家」などと勝手に名ずけ、爆弾を雨あられと降らす国の横暴は
さらに続くでしょうが、しかし、それは永遠に続くわけではなく、この国が、「火」により、
裁かれる日が来るのでしょう。この国を滅ぼす「火」とは、普通に類推すれば、爆弾、特に原爆の火だろうということが類推されます。

この日、この国とこの国を操る獣の論理に追従し、他国への殺りく、攻撃を「是」として、賛同していた愚かなこの国のクリスチャン、大衆に「裁きの火」が下るようになるでしょう。
その日、世界の人々は、この世に確かに「裁きの主」がおられることを知るでしょう。
このことは、聖書の中で明確に預言されています。この件は別途他の機会に見ます。

”残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた”

この獣の国、アメリカと他の獣(10の角のことか?)との運命は異なります。
悪魔の意志を行うアメリカは裁きの中で最初に滅ぼされるのです。恐らく、黙示録バビロンの裁きは、
この国に関する預言をも含んだ2重の預言と思われます。

しかし、それ以外の獣の国に関しては、そのような突発的な裁きではなく、定められた時まで、
命が保たれるということなのでしょう。

”13 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。”

この人の子のような方は、再臨するキリストです。ですから、再臨はこの時にあるのです。艱難時代、獣の国のさばきとは再臨と隣接した時代に起きます。

”24 十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。”

この箇所から、我々は再度、終末に起きるできごとの順番を見ることができます。その順番とは、
第一番目に獣の国とその手足として働く10の国の出現です。私の理解ではこれらの国はもう出現しています。

25 彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。”

2番目はこの獣の国主導による「いと高き方の聖徒たち」への迫害です。いわゆる艱難時代が来ます。
大艱難時代は、3年半続きます。

26 しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。”

3番目にこの獣の国に対するさばきが行われます。

”27 国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』”

4番目にキリストの永遠の国が来ます。そしてこれが最後であり、これ以上はありません。「御国は永遠の国」というように永遠に続くのでこれで終わりなのです。永遠の国に終わりやら、続きがあったら、そもそも「永遠の国」ではなくなってしまいます。だから、千年王国だの黙示録の解説書に出てくるもろもろのできごとは出てきません。

多くの黙示録について語る人々は、この書、黙示録のみ
から色々、珍説を考え出してペテロの手紙で厳しく戒められている「私的解釈」(その箇所のみから解釈する)に陥り、他の書、たとえば、このダニエル書の視点からの解釈や、吟味をしません。そのために、トンデモない地の果てまで至る妄想を広げ、わけのわからない、たわごと、
珍説を繰り広げています。
 

以上のように聖書、ダニエル書の語る終末のできごとの順番は非常に明白であり、誤解の余地がありません。私達はこの視点に沿って逆に黙示録の記述を再検討しなければならないと思われます。

このダニエル7章の結論も「この王達の時代にキリストの永遠の国が建てあげられる」というものです。すなわち、今がこの王達の時代なら、この時代に聖書のいう最終ゴール迄行ってしまうのでのです。聖書の預言している時代は結末を迎えてしまうのです。そうです、もし獣の国が、アメリカ
なら、この時代に最後迄来てしまうのです。

次の箇所、8章を見ます。
 

4)”8:23 彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。
24 彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。
25 彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。
26 先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。」
27 私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。その後、起きて王の事務をとった。しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。それを悟れなかったのである。”

この章の記述も前記7章の記述と同じように終末に起きることがらの順番は、非常にシンプル、明解、単純なものであり、他のダニエル書の箇所と全く矛盾せず、わかりやすいものとなっています。

この8章でいわれていることの順番は以下のとおり。
1. 終末に獣の国が起きてくること。
23 彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。)
2.獣の国の支配の下で、主につく聖徒の迫害がある。
有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。)
3.しかし最後に主の直接介入があり、この獣の国は滅ぼされる。
しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。)

この順番は、他のダニエル書の箇所に記されている順番と全く適合しており、矛盾はありません。
 

次を見ます。

5)”12:1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
3 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。

この箇所でも「獣の国の台頭」とそのため起きてくる聖徒の迫害とが記されています。
そしてその後、「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさま」し、「ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに」入ることが記されています。
この箇所は、黙示録の以下の箇所と同じ事柄をさすと思われます。

黙示録20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。”

くり返していいますが、この箇所に至る「終末に起きるできごと」に関してダニエル書と黙示録の記述では、明らかに違いがあるように見えます。

ダニエル書の各章では、終末の聖徒の迫害、獣の国へのさばきの後、すぐ「御座の裁き」へ進むように見えます。この間には、何も特筆すべきできごとはないかのように見えます。
しかし、黙示録を見た限り、ここには相違があります。黙示録の記述を見ると黙示録の記述の最後頃、
黙示録20章の「御座の裁き」に至るまで多くのできごとがあるように「見え」ます。
いわく、7つの封印、7つの鉢、千年王国、その後のゴグの乱、世界最終戦争ハルマゲドンの戦い等です。そのように「見える」のです。
 

この2つの書の矛盾に関しては次回考えましょう。
しかし、今はとりあえずこのダニエル書が一貫として語っていることをとらえておきましょう。
ダニエル書は明らかに、「終末に起きるできごと」の順番に関して、獣の国の迫害の後、一気に我々クリスチャンの最終ゴールである、キリストの永遠の国に達することを述べています。

いきなり最終ゴール、「すごろく」でいうと、 いきなり「上がり」へ行くので、これ以上先のことは書かれていないのです。また、終末の迫害の後、一気に御座の裁きに入ることが書かれています。
この書の各章の記述を比較をした限りにおいては、各章、相互には、この事実、順番には矛盾がありません。今回とりあえず、このことをとらえましょう。
 

終末における主のみ心を行いましょう。
 
 

ー以上ー