NO.305 道について(3)

テキスト:箴言2:
7 彼は正しい者のために、すぐれた知性をたくわえ、正しく歩む者の盾となり、
8 公義の小道を保ち、その聖徒たちの道を守る。
9 そのとき、あなたは正義と公義と公正と、すべての良い道筋を悟る。
10 知恵があなたの心にはいり、知識があなたのたましいを楽しませるからだ。
11 思慮があなたを守り、英知があなたを保って、
12 悪の道からあなたを救い出し、ねじれごとを言う者からあなたを救い出す。
13 彼らはまっすぐな道を捨て、やみの道に歩み、
14 悪を行なうことを喜び、悪いねじれごとを楽しむ。
15 彼らの道は曲がり、その道筋は曲がりくねっている。
16 あなたは、他人の妻から身を避けよ。ことばのなめらかな、見知らぬ女から。
17 彼女は若いころの連れ合いを捨て、その神との契約を忘れている。
18 彼女の家は死に下り、その道筋はやみにつながる。
19 彼女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至らない。
20 だから、あなたは良い人々の道に歩み、正しい人々の道を守るがよい。
21 正直な人は地に住みつき、潔白な人は地に生き残る。
22 しかし、悪者どもは地から絶やされ、裏切り者は地から根こぎにされる。

本日は「道について(3)」として、箴言の「道」に関するみことばを見て行きましょう。

7 彼は正しい者のために、すぐれた知性をたくわえ、正しく歩む者の盾となり、
8 公義の小道を保ち、その聖徒たちの道を守る。”

ここでは、「公義の小道」と書かれています。小道、小さい道は、見つけだすのに難しいことが予想されます。広い道、たとえば、東海道や、中仙道のように大きい道は割と簡単に見つかりますが、小さい、細い、道はそれと思っても行き過ぎたりして、さがし出すことが困難です。

公義の道は確かに主の前に存在します。そして、そこを通りさえすれば、誰でも、公義、正しい義に入ることができるのです。東海道を江戸から、西へ下れば、将軍だって、乞食だって、誰だっていずれ、大阪へ着きます。同じように、この道を歩けば、誰でも神の前に正しい義を得られるという「公義」の道は確かに存在します。しかし、問題は、この道が小さい、わかりずらい、人が見つけがたい道だということなのです。

ですから、聖書が「道」という時、その道をさがし出すことに大きな意味あい、ポイントがあることを覚えて下さい。

また、主は「その聖徒たちの道を守る」と書かれていることを知りましょう。
道を歩む時の問題は、知らずにその道を踏み外す、関係ない道へ紛れ込むということです。
たとえば、よく山道を間違えて、遭難する人がいます。どこかで、間違えるポイント、誤って、選んだ箇所があるはずなのですが、その時、道を選ぶ時は気付かないものなのです。

同じ意味あいで、クリスチャン人生で、「この時がポイント」という分岐点があるものなのですが、
その時は気付かず、広い道、間違った道を「何の疑いもなく」選んでしまいやすいものなのです。
トロント、ペンサコーラの集会を何の疑いもなく、受け入れてしまうことは、そんな例かもしれません。
私達の判断力には限りがあり、我々はだまされない、賢いと思っていても悪魔がその上をいく偽りを持ってくる場合もあるのです。

しかし、主は、「その聖徒たちの道を守る」方です。
たとえ、私達に判断力がなく、知識がないとしても、主は不思議な方法で、
その偽りを教えて下さいます。

”9 そのとき、あなたは正義と公義と公正と、すべての良い道筋を悟る。”

「すべての良い道筋を悟る」と書いてありますが、道に関してまた、重要なことは、多くの道の中で
どれが、良い道なのかを「悟る」ことです。何故なら、今教会の中で多くの人が多くの道を提唱していますが、それらの全ての道が命に通じ、神の祝福に通じるとは限らないからです。
しかし、主に聞く人はこの道を悟ります。

11 思慮があなたを守り、英知があなたを保って、
12 悪の道からあなたを救い出し、ねじれごとを言う者からあなたを救い出す。”

主の思慮、英知を求める人は、「悪の道」から救い出されます。

”13 彼らはまっすぐな道を捨て、やみの道に歩み、
14 悪を行なうことを喜び、悪いねじれごとを楽しむ。
15 彼らの道は曲がり、その道筋は曲がりくねっている。”

主の真理のみことばは真直ぐな道ですが、偽り者はそれをすてます。主ははっきりと
「私のことばを聞いてこれを行う者は岩の上に家をたてた人のようである」と御言葉を行うこと、実行することを強調しているのですが、曲がり切った人々は、「義人は信仰によるのだから、行いばかり強調してはいけない」などと理屈をこねて行おうとしません。
それゆえ、彼等は「やみの道に歩」むのです。

”16 あなたは、他人の妻から身を避けよ。ことばのなめらかな、見知らぬ女から。
17 彼女は若いころの連れ合いを捨て、その神との契約を忘れている。
18 彼女の家は死に下り、その道筋はやみにつながる。
19 彼女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至らない。”

「見知らぬ女」と書いてあります。女は教会のたとえと思われます。
この教会は、「若いころの連れ合い」、すなわちキリストを捨て、「その神との契約を忘れてい」ます。

「その道筋はやみにつなが」り、「いのちの道に至らない」ことが書かれています。
この、偽りの姦淫の教会の道を選んではいけないのです。

20 だから、あなたは良い人々の道に歩み、正しい人々の道を守るがよい。
21 正直な人は地に住みつき、潔白な人は地に生き残る。”

「良い人々の道」と言われる道があり、「正しい人々の道」と言われる道があります。
その道を選べるように求めましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー