No.302 誓う(3)

 

”テキスト:ヤコブの手紙    5:12   私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい。」を「はい。」、「いいえ。」を「いいえ。」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。”

本日は天地の誓いとして、終末の日の「誓う」ことに関して更に見ていきたいと思います。

上記テキストのように聖書がしきりに天地(教会)と関連して、「誓うな」と語っていることは、
非常に特徴的です。
 

実はこの「誓う」ということがらは、現在、世界合同教会、教会統一の運動の中でもうすでに起きていることがらなのです。

カトリックとの合同を進めるWCM(World Christian Movement)、世界キリスト教運動の一環として、
アメリカで多くの若者を集めている、10代の少年を対象としたカリスマ的な運動、Acquire the fireでは、参加する少年達にTeenMania's WorldChanger 2000 Oath(世界を変える熱心な10代の者達による誓い2000)として、以下のような誓いを少年に行わせています。

*私は全能の神に対する情熱を持ち、それを神の為に用い、
私は全ての人を愛し、全ての人を尊重し、全ての人をできる限り、彼のもとに導くことを心に定めました。

*私は、静かな時を保つことにより、イエスとの関係を生きたものとすることを心に定めました。

*私は聖書研究、私の教会、私の青年の集いに積極的になることにより、
神のため、防御することを心に定めました。
------------
これらは一見良いことのように思えますが、しかし、巧妙な方法で教会内に「誓う」ことが入りこんで来ていることを知りましょう。

吟味もなく、「全ての人を愛し、全ての人を尊重し」などということばを聖書の「誓うな」とのことばを無視して、誓う人は後に惑わされるようになるでしょう。

「全ての人」の中には、当然、「キリストと共同のあがない主マリヤ」などというとんでもない教理を信じるカトリック教会も入るわけです。こんな誓いを言っていくうちに、知らず知らず、背教の教会に組み込まれ、その中心活動家にさえなっていくのかもしれません。

かつての中国の文化大革命という名前の恐るべき暴虐な時代においては、紅衛兵という名前の10代の若者が革命推進のため、クリスチャン迫害のため、用いられましたが、
終末の日の背教の教会においても10代の若者を用いて、偽りの教会合同運動を押し進めようとしているのでしょうか。

聖書が度々「誓うな」と書く時、そこには、我々の表面的な理解を超え、それこそ終末の日に始めて起きることがら、「誓う」という形の背教を前もって見越して預言していることを知りましょう。
 

実はこの「誓う」ということが、そのまま以下で書かれている終末の日の「背教」の行いに直結するからかもしれません。

2テサ2:3だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。”

ここでは、背教と関連して、「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。」との警告がなされています。

これは、暗示的、示唆的です。何故なら、「天地をさして誓う」ために現在、世界では、着々と
「教会統一、合同教会、エキュメニカル運動」の働きが進められているからです。
そして、この運動こそ、人をだます運動だからです。「キリスト教各派がそれぞれの狭い考え、違いに
こだわらず、一致する。」「兄弟が和合するのはいかにすばらしいことか」などと結構ずくめですが、
これこそ、終末の日に対して悪魔が練りに練って、考え出した「背教への道」であることを
知って下さい。

そして、この「誓う」ということが起きる時はまた、以下のダニエル書に記されている「契約を犯す者」達があらわれる日かもしれません。以下の記述は第一義的には、かつての日、ユダヤの神殿を汚す「アンテイオコスエピフアネス」のことがらを予言する言葉として実現しました。しかし、この言葉はまた、福音書に記されている終末の日の「荒らす憎むべき者」の出現を語る預言でもあります。この箇所を見ていきましょう。

ダニエル11:30キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。
31      彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。
32      彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。
33      民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、

順に見ます。

 ”30キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。”

彼、アンテイオコスエピフアネスは終末の反キリストの予表です。

終末のこの日彼は、「聖なる契約にいきりたち」ます。「聖なる契約」とは、他でもない、
神と聖徒、すなわちクリスチャンとの間に交わされた契約のことです。
ですから、終末の日にサタンがあからさまにクリスチャンに対して行おうとすることは、
「神のクリスチャンとの間に交わされた永遠の契約」の破壊、廃棄、であることを知って下さい。
「神との契約」を廃棄するなど、どこのクリスチャンがあえてそんなことをするのかと思うかもしれませんが、そのことは計画され、もっとも効果的な方法で実行されます。いいえ、もう実行されつつあります。

彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。

かつての日、ユダヤにおいて、「聖なる契約を捨てた者たち」が現れました。
この契約は、神との契約であり、それを捨て去る人々がいたのです。そして、これは、
終末の日の予表であり、終末の日、神との契約を捨てるクリスチャン達が現れます。
そして、この人々は、終末の背教の教会、合同教会の中で「重く取り立て」られるように
なるでしょう。その日、この合同教会に忠誠を「誓う」人々こそ、この「契約」を捨てる人々かも知れません。

”31      彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。”

「彼の軍隊」とは、終末の日における反キリストの軍隊です。そして、この軍隊とは、文字どおりの
戦車や飛行機を持つ軍隊のみではなく、たとえの意味あい、(自称)神の軍隊、教団をさすと思われます。

この軍隊、終末の日の大教会は、ゴグ、マゴグともいわれる軍隊となり「終末の日のみこころの民」に戦いを挑むようになります。彼等は、「聖所ととりでを汚し」ます。
教会は、神が住まわれる聖なる所ですが、しかし、そこに彼等は、マリヤをかたる「しるしと不思議を行う」悪霊や、トロント、ペンサコーラの悪霊の偽りの器を拝するようになります。これは、
聖所への冒涜です。また、教会はこの世や悪霊と戦う「とりで」でもあるのですが、この日、教会の「とりで」としての機能は、意味のないものとなり「汚され」ます。

「常供のささげ物を取り除き」

旧約聖書によれば、神へのささげ物として朝に夕に全焼のいけにえをささげるように語られています。
これは、新約の日の「聖霊」により全焼、全く肉を焼かれる、奉仕の型です。
しかし、この日の「聖霊」の火は廃止され、聖霊による奉仕は背教の教会から、取り除かれ、
排除、追放されます。

荒らす忌むべきものを据える。」

聖霊による働き、奉仕は廃止、追放され、その代わりに「荒らす忌むべき」が聖所、すなわち、
教会に据えられ、崇められるようになります。聖霊の第3の波とか称している悪霊のリバイバルこそ、
この「荒らす」霊であり、「忌むべき」悪霊なのですが、しかし、それは、盲目なクリスチャンに
崇められるようになります。
 

”32      彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。”

「契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させる」と書かれているように、終末の日、
神の教えを守らず、軽視、偽りを求める人々は巧妙な巧言により惑わされていきます。

彼等を滅びに至らすためにあらゆる種類の広大な嘘、偽りが用意されていることを知って下さい。
たとえば、ローザンヌ会議等で「世界の福音化」なる新しいキャッチフレーズが用いられています。
「世界の福音化」「御国の拡大」などというといかにもよさそうなことのように聞こえますが、その隠れた目的は、「全キリスト教会の一致による世界の福音化」などとうまいことをいいながら、あの偽りのマリヤを崇拝する
誤りのイザベル、カソリック教会と「真に聖書に立つ忠実な教会」とを合同、堕落、混迷させようともくろんでいるのです。彼等のいう「世界の福音化」とは、この世の宗教、ヒンズー教、仏教等とキリスト教を
妥協、混交させて、「御国を拡大」するということなのです。

このような偽りへ全プロテスタント教会をひっぱろうとするビリーグラハム、ビルブライト等の偽り者の声に耳を傾けてはいけません。また、ピーターワグナーに提唱される聖霊の第3の波は、この「合同教会」の推進派であることを知って下さい。
このような終末の偽りに惑わされていく者は、「契約を犯す者たち」です。すなわち十戒等を行わない者達です。

「自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。」

しかし、この終末の日でも「自分の神を知る人たち」は惑わされません。いかに今、この神を知ることが大事でしょうか。また、「堅く立って」とのことばは「岩の上に家を建てる」話と共通するように思えます。ですから、いかに終わりの日に「岩の上に家を建てる」すなわち、みことばを行うことが大事であるかを知ります。

”33      民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、

しかし、終末の日、「悟る」人々が現れます。彼等は何を悟るのでしょうか?
これは以下のようにダニエルに啓示を悟れといわれた時に使われたことばと同じです。

”ダニエル9:25「それゆえ、知れ。悟れ。」”

ですから、終末の預言を悟る人々が現れるのかもしれません。
彼等は、「多くの人を悟らせる」と書いてあるように多くの人に聖書が終末について真に預言していることがらを悟らせます。

しかし、逆にわざわざ彼等が出現して「多くの人を悟らせる」と書いてあるということは、それ迄は、
実は終末の預言は開かれない、色々、終末の黙示録等の解説書に書かれていたことは、実は大きな誤り、偽りがあったということを暗示しているように思えます。

ですから、この聖書の箇所から、終末の預言に関していえることは、

1. その終末の日、啓示が「思慮深い人たち」に啓示される迄は、終末の預言は開かれない。
2. しかし、終末の日、この終末の日について描かれている多くの預言を理解し、人々に語る
一群の人々があらわれる。

ですから、「啓示は終末の日に開かれる」とここでも聖書は述べていることを覚えて下さい。

「長い間、剣にかかり、火に焼かれ」

剣は、「御霊の剣、すなわち神のみことば」に関する攻撃であり、教理や教えが攻撃され、変型さることでしょう。また、火は霊に関することであり、悪霊による攻撃でしょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー