NO.298 前に来る者

”ヨハネ10:1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。
2 しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。
3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
5 しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」
6 イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。
7 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。
8 わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。
9 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。
10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。”

本日は、「前に来る者」という題でメッセージをします。

終末の日に教会が回復され、啓示が開かれ、また大きな終末の聖霊の大傾注があることは、確かに聖書が語っていることがらと思えます。しかし、これらの終末の日の「主の働き」の前、それ以前に敵の働き、偽りの回復、偽りの啓示、偽りのリバイバルがあることを見ていきたいと思います。

何故そのように、言えるのかというと、上記テキストで主は明確に「わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です」というように、明らかに、主の「前に」来る者達について語っているからです。
このことについて順にテキストに基づいて見ていきたいと思います。

”1「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。”

門とは、「私は命の門」と言われた方のことです。
ですから、キリストを伝えず、その代わりに、他の者に頼ることを教える者は「盗人で強盗」なのです。ローマ法皇や、マリヤに頼ることを教える人々はこの類の人々でしょうか。

マリヤはますます神格化され、無原罪(キリストと同じように生まれながら罪がない)、
昇天(キリストが昇天したように)、そして最近では、キリストとともに「あがない主」(!!!)
と大出世してしまったようです。しかし、キリストという唯一の門を語らず、こんな別の門を示す人々は、
「ほかの所を乗り越えて来る者」であり、「盗人で強盗」であることを覚えましょう。

このような偽りを広げる人々に対しては、たとえ、法皇だろうと、誰であろうとそのような人々には、聖書的に正しい名前、「盗人で強盗」という名前で呼ぶべきではないでしょうか。
また、このような偽りを悔い改めもしないローマカソリックとの「エキュメニカルな一致」を推進しているビリーグラハムだの、 ビルブライトだのという「プロテスタント教会の有名な人々」は一体どういう種類の人々なのか、疑うべきなのではないでしょうか。
彼等は、かつてイスラエル王朝におけるバアル崇拝に対して命がけで警告を発し、その結果イゼベルに命をねらわれたエリヤとは正反対の人々であることを知るべきです。

”2 しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。”

門はキリストであり、この方を強調する人々こそ、真の牧者です。プロテスタントにおいても、
「しるしと不思議を行う」器崇拝等、あらゆる種類のずらす働きがありますが、この方を示す人々こそ、真の牧者です。

”3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。

真の牧者は実はキリスト御自身であり、彼の「羊はその声を聞き分け」るのです。
このこと、「その声を聞き分け」られるかどうかは、終末の日に非常に大事なことだということを覚えて下さい。

終末の日は、「滅びる人々」のために、あらゆる種類の偽りと惑わしが許される日です。
そして、その日は、私達がこの方の声を真に聞きわけているのかどうかの、区分がなされる日であることを覚えて下さい。

かつて、日本の高校生の留学生が、アメリカのハローウインの日に間違えて訪問した家で、
銃で打ち殺されてしまったことがあります。
彼には、「freeze!」という警告が発せられたのですが、きちんと聞き取り、理解することのできなかった彼は、可哀相に打ち殺されてしまいました。
「耳」が彼の生死をわけたと言えるでしょうか。

同じ意味あいでこの日は私達がこの方の声をいつも聞き分けているか、聞き従っているかの区分の日なのです。

今、ローマ法皇だのマリヤ様だの、「しるしと不思議を行う聖霊の第3の波の働き人」だのの偽りに
聞き従い、この方の声を退けているなら、危ないことを知って下さい。

4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。”

ここに「引き出す」ことについて書かれています。一体どこから、引き出すのでしょう?
この世かも知れません。しかし、終末においては、このことばは特別な意味あいがあるからです。
それは、終末の日に裁かれるべき、淫婦バビロン、という教会、また、別名しるしと不思議の偽リバイバルのおかげで、聖霊のたまもので富んでいる、豊かになっていると自称するが、その実、みじめで裸な教会ラオデキヤをさすと思われます。
主の羊はこの背教の教会から、引き出されるのです。
この教会は、もうすでに「ローマカソリックとプロテスタント福音派の合一宣言」という形で存在します。もう、その日は目前なのです。

”5 しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」”
 

主の羊は、「ほかの人には決してついて行」かず、逃げ出す、ことが書かれています。
ですから、他の人について行って、何の疑問も疑いも抱かない羊は、結局は主の羊ではないのかもしれません。

”6 イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。”
 

ここで、弟子達が、このたとえが「何のことかよくわからなかった。」ことが書かれています。
このような表現には注意しましょう。何故なら、このように書かれているたとえは、多くの人が、
間違えやすい、「何のことかよくわからな」いたとえであることが多いからです。

”7 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。
8 わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。”

ここで、「わたしの前に来た者」は、「みな、盗人で強盗」であることが書かれています。
ですから、盗人、強盗はみな、キリストより「前」に来るのだということを覚えて下さい。
惑わしは、後ではなく、「前」に来るのです。

さて、このイエスの時代のことがらは、終末の日の型であることを知って下さい。
終末の日にも必ず、全ての「盗人、強盗」は、先に来るのです。初降臨のキリスト(油注がれた者)は、
終末の日の油、聖霊傾注の型であり、終末の日にも必ず、偽物、強盗、盗人の油注ぎが先に来るのです。
そして、今世界中をおおい尽くそうかという、例の聖霊の第3の波、しるしと不思議のリバイバルこそ、
「先に」来た油注ぎなのです。

9 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。”

キリストが門であり、この方の霊を受ける人々こそ、救われ、「安らかに出入りし、牧草を見つけ」るのです。しかし、終末の日の問題は、しるしや不思議や有名な器にひかれ、この門から入らない人々が多いことなのです。

”10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。”

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのため」であることが書かれています。ですから、「前に」やってきたこの偽りのリバイバルで踊らされている人々は、「盗まれ、殺され、滅ぼされる」ことを知って下さい。

「だけのため」とは、非常に暗示的なことばです。彼等の目的は、「人を養ったり、強めたり、建てあげる」ためでは決してなく、ただ「盗み、殺し、滅ぼす」ためなのです。

トロント、ペンサコーラ、第3の波等の集会では、神のわざがあらわれ、すばらしい聖霊のたまもの、
神の栄光があらわれることになっていますが、ビデオの中では、彼等が「獣のしるしをつけろ」などと、
邪悪なことばを語っていることがわかります。

偽物のブランド品も本物のルイブイトンなりとそっくりです。柄も色も似ています。
だからこそ、みんなだまされて買っていくのです。
同じように偽物、盗人も本物らしきことをいいます。
教会の回復、聖霊のたまものの回復、使徒職の復興、新しい啓示等など、まったく本物そっくりです。
これらは、確かに聖書が終末の日について語っていることがらなのです。

しかし、一見すばらしいことを言っているようでもその実、毒の水、偽りのリバイバルに引き込もうという、偽り者にだまされてはいけません。
たとえやさしいことばをかけても白雪姫に毒リンゴを食べさせる者は、「悪い魔女」だというべきです。
同じ意味あいで、もっともらしい、肩書きがついていてもこの毒水をすすめるピーターワグナ-
、ジョンウインバーなどは、「偽り者」と呼ぶべきです。

彼等は何のためにキリスト教会の中でこのような集会を開くのでしょう。クリスチャンを助け、強めるためでしょうか。いいえ決してそうではありません。ただ「盗み、殺し、滅ぼす」ためだけのためなのです。

くり返します。聖書は明らかに偽り者、羊、すなわち、クリスチャンを盗み、殺し、その信仰を滅ぼす者達が終末の大収穫、真の聖霊傾注の「前に」来ることを述べています。
今はどのような時なのでしょう。大収穫の直前の時でしょうか。最後の大収穫はいずれ来るでしょうが、しかし、まだ来ていないのです。

今、まさに「前に来た」盗人が、「盗み、殺し、滅ぼし」ていることを知って下さい。
これは、マタイ13章の「良い麦が倉に納められる」前に、「毒麦が火で焼かれる」ということばとも符合します。すでに裁きの火は、多くの教会を覆おうと燃え広がっています。
この時、真に「羊飼い」の声を聞き分ける人々にみこころがあることを知って下さい。

終末における主のみこころを行いましょう。

-以上-