No.292横暴な異邦の民

 

テキスト:”エゼキエル28:7それゆえ、他国人、最も横暴な異邦の民を連れて来て、あなたを攻めさせる。彼らはあなたの美しい知恵に向かって剣を抜き、あなたの輝きを汚し、

30:12わたしはナイル川を干上がった地とし、その国を悪人どもの手に売り、他国人の手によって、その国とそこにあるすべての物を荒れ果てさせる。主であるわたしがこれを語る。
31:12こうして、他国人、最も横暴な異邦の民がこれを切り倒し、山々の上にこれを捨てた。その枝はすべての谷間に落ち、その大枝はこの国のすべての谷川で砕かれた。この国のすべての民は、その木陰から出て行き、これを振り捨てた。”

本日は、「横暴な異邦の民」という題でメッセージしたいと思います。
聖書は、終末の日に神の民が、「横暴な異邦の民」により、攻撃され、滅ぼされていくことを語っています。
このことを見ていきたいと思うのです。

「聖書の暗号」の中で、作者は、イザヤ書の中に、「未来を逆向きに見る」ということばが
あるということを伝えています。また、旧約聖書の中で、未来のことは、過去形で書かれていることをも語っています。ですから、教会の未来、これから起きることを知るためには、何か新しい本、新しい
聖書が必要というより、むしろ、逆向きに見る、すなわち、旧約聖書の記述に耳を傾けることが、
必要なことのようです。

多くの偽りの、惑わされた神学者は、あたかも旧約聖書と未来のこと、教会の将来は関係ないかの
ごとく、語っていますが、実は、「過去の記述」である、旧約の多くの記述の中に私達の未来に関する隠された啓示があることを知りましょう。

テキストを見ていきます。

”エゼキエル28:7それゆえ、他国人、最も横暴な異邦の民を連れて来て、あなたを攻めさせる。彼らはあなたの美しい知恵に向かって剣を抜き、あなたの輝きを汚し、”

これは、ツロに対する預言です。ツロは「岩」という意味です。「岩」は、主の弟子である、ペテロ(石)
と通じます。ですから、終末の弟子に関する預言です。終末の日に、主に仕える、弟子であると
宣言する人々でさえ、堕落、変質していってしまいます。

その時、神は、「他国人、最も横暴な異邦の民を連れて来て、あなたを攻めさせる」と
語ります。
他国人、異邦の民と語られているように、これらの人々は、イスラエルの国の人ではない、
今でいえば、クリスチャンではありません。

そのような人々が、教会、クリスチャンの間に入り込み、教会の教理、信仰を破壊していく、このことに
ついて聖書は語っているのです。

このことは、たとえば、アメリカで今まで、起きてきたことのようです。
アメリカの多くのキリスト教派の監督や、牧師にフリーメーソン、悪魔礼拝者が、
潜り込んできたことを研究者は述べています。いわく、カリスマ派、メソジスト等多くの宗派です。

また、多くの神学者はその手の人々であることを研究者は述べています。

悪魔礼拝者である以上、当然、クリスチャンではない、キリストを崇めても、信じてもいない人々なのです。
確かに近年、キリスト教会で語られる教義、教理は変化してきました。
ある人々は、「キリストは復活しなかった」といい、ある人は、福音書に記されている
「奇跡話は事実ではない」といいます。

これらの教えは一体、何でしょうか?他でもない未信者の教理、教義ではないでしょうか?
こんなことをいう神学者は、そもそも御霊を受けてもいないし、救われてもいないのでは
ないでしょうか?
私達もかつて、未信者の時には、神はいない、キリストの復活話など嘘話であると思っていました。
しかし、今は救われてこの聖書のことばは真実、神は真実と聖霊により、知っているのです。
教会に来て、今さら何で、このようなこの世のたわごとを再度聞かなければならないのでしょう?
ですから、これらの人間的な教理、教えをせっせと伝える神学者、学者、聖書解説者と称する人々は、皆、実は、救われてもいない、キリストを個人的には知らない、聖書でいう、異邦人に過ぎないと思った方が妥当です。

我々はこの世を出て、教会に来て、何故、このような「未信者の教理」「未信者の教え」を改めて、教会で聞かなければならないのでしょう。私たちには、これらの偽り者に「否」という権利はないのでしょうか。
いいえ、ないどころか、これらの偽りに対してはっきりとした態度を取るべきです。然りは然り、否は否というべきなのです。間違えてはいけません。

ですから、悲しいかな、教会は未信者、異邦人、他国人によって占領されるのことばは、
今、我々の目の前で成就していることを知らなければなりません。

最も横暴な異邦の民を連れて来て」

「横暴な異邦の民」とは、示唆的です。神の民が不信に不信を重ねるために終末の日に教会は、
異邦人しかも「横暴な」異邦人に襲われることになります。

単に異邦人が教会に入り込むだけでも大変な冒涜、問題なのですが、それだけでなく、その異邦人達は
偉そうに、神を信じている人々を圧迫、抑圧していくわけです。別のことばでいえば、教会内で
大きな顔をするわけです。

こんなことはあり得るでしょうか?残念ながらあり得るし、実際起きています。またますます起きつつあります。

例えば、「角笛」に記事が掲っている、「ラストトランペットニューズレター」 デービッドメイヤーさんは、かつてオカルトに従事していた占星術師であり、今は主にあって忠実な信仰を持つ牧師さんです。
彼は昨今の魔術のマニュアル本「ハリーポッター」のまんえんに警告を発しています。これは、
クリスチャンとして当然のことがらです。何故なら、
聖書には、はっきり「呪術を行う者は殺せ」と書いてあるように、魔術、呪術を禁じているからです。

それなのに、あろうことか、アメリカのキリスト教会には、このメイヤーさんの「警告」を非難している
人々がいるということです。これこそ、異邦人の論理です。
しかも、その抗議を偉そうに声高にいっているということです。まさに、そのような人々こそ「横暴な異邦の民」ではないでしょうか。

「あなたを攻めさせる」

神は終末の日にこの横暴な異邦の民をもって、「ツロ」(弟子のたとえか)をせめさせると
いわれます。ですから、終末の日に教会や、弟子が異邦の民にせめられ、攻撃を受け、しかも
敗北してしまうということは、他でもない神から出たことだということを知らなければなりません。
このことは神が定められたことなので、残念ながら、成就するでしょう。
しかし、主の選びの民は、この異邦人に勝利するでしょう。
以下のフイラデルフイアの教会への預言はその日、成就するはずです。

黙示録3:9「見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。」

「彼らはあなたの美しい知恵に向かって剣を抜き、あなたの輝きを汚し、

この日、ツロ、主の弟子や献身者、牧師の立場に立つ人々は、剣、すなわち、教理において、
これらの「異邦人の教理」に打ち負かされていくでしょう。

もうすでにこのことは起こっており、「クリスチャンと名がつけば、誰でも救われる」「キリスト
は二度再臨する」等の偽りの剣に倒されている牧師達は多いのです。

また、「あなたの輝きを汚し」と書かれているように牧師であっても、これらの異邦人の偽りの教えに同調する中で、その歩みにおいて倒されていったり、罪に汚されていく人が多いのでしょう。
 

次を見ます。

”30:12わたしはナイル川を干上がった地とし、その国を悪人どもの手に売り、他国人の手によって、その国とそこにあるすべての物を荒れ果てさせる。主であるわたしがこれを語る。”
 

この箇所は、エジプトに関する記述です。私は、エジプトはこの世のたとえ、エジプト人とは、この世に
ついているクリスチャンのたとえではないかと思っています。

「わたしはナイル川を干上がった地とし」

ナイルとは、川という意味です。そして、川は水が流れるところであり、聖霊の流れを象徴しています。
そして、その日、エジプト、この世についた神の民の間で、聖霊の川は干上がります。
 

「その国を悪人どもの手に売り」

その日、神はこの世についた神の民を「悪人どもの手に売り」ます。
神の民を贖った方のみこれを売ることができるのですが、その日、その方がこの民を売ります。
その日は裁きの日です。
そして、神が売られたなら、それは厳然として実行されます。
その日、驚くべきことが神の民の間に起き、この世に勝利すべき、神の民がこの「悪人ども」
に敗走につぐ敗走をするようになります。そして、この国、この世につく神の民の国は悪人に占領されます。このことは神が定めたことなので、必ず実現することです。

「他国人の手によって、その国とそこにあるすべての物を荒れ果てさせる。」

これらの教会の荒廃は、「他国人」によってなされると明記されていることに心をとめて下さい。
すなわち、この教会の荒廃をもたらす人々は、決してクリスチャンではない人々なのです。
教会にクリスチャンではない人々が入り込むといえば、どうしても信じられない人々が多いでしょうが、
他でもない聖書がこのことを預言し、警告していることをどうぞ覚えて下さい。

「クリスチャンでない人々が神学校に入り込み神学を変質させる」ということは、聖書的な
指摘であり、また、「クリスチャンっでない人々が聖会に入り込み、悪霊を注ぐ」という指摘も
まさしく聖書が語っていることがらなのです。

この時、これらの他国人、クリスチャンでない人々のもくろみ、計画はことごとく成功していきます。
また、教会の教理、組織、信仰、品行、全てが荒廃していきます。「その国とそこにあるすべての物を荒れ果てさせる。」と書かれている通りです。

「主であるわたしがこれを語る。」

このこと、他国人がキリスト教会を攻め、その結果、教会は、崩壊、すたれ、廃虚となって
いくことは、他でもない主なる神御自身が語っていることを決して忘れてはいけません。
かつて神が「光よあれ」といわれた時は、このことは成就し、光が存在するようになりました。
また、木、草に「生えよ」と語った時もそうなったのです。
教会が他国人により、攻められるという私たちの常識では受け入れられないことがらも、
しかし、その日には、実現することを覚えて下さい。

このことは神が語られたので必ず実現します。いいえ、もう実現しつつあるのです。

次を見ます。

”エゼキエル31:12こうして、他国人、最も横暴な異邦の民がこれを切り倒し、山々の上にこれを捨てた。その枝はすべての谷間に落ち、その大枝はこの国のすべての谷川で砕かれた。この国のすべての民は、その木陰から出て行き、これを振り捨てた。”

「こうして、他国人、最も横暴な異邦の民がこれを切り倒し、山々の上にこれを捨てた。」

この箇所もエジプト、この世についた神の民に関する裁きの箇所です。
この世につく神の民の教理、また教会は、「異邦の民」に倒されていくとここでも語られていることを覚えて下さい。

悲しいことですが、今キリスト教書店で売られている多くの本もこれらの「異邦の民」により、
書かれたもののようです。そして、あわれむべき盲目な神の民はそのような本でその心を満たそうと
願っています。フリーメーソンの墓地にその墓があるキャサリンクールマンは、フリーメーソン、悪魔主義者の仲間でしょうし、また、ビデオの中で悪霊、デーモンを注いでいるベニーヒンもやはり、悪魔礼拝者なのでしょう。また、トロントの源流であるピーターワグナーの「聖霊の第三の波」とは、要するに悪霊の波なのでしょうが、しかし、これらの人々の本は、キリスト教書店で売られています。

その枝はすべての谷間に落ち、その大枝はこの国のすべての谷川で砕かれた」

枝、大枝が切り離されることについて書いてあります。この箇所はぶどうとぶどうの枝について語られた主のことばを思い起こさせます。

ヨハネ15:6「だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」

彼らはこの世につくため、主と切り離され、その結果、火に投げ込まれるのです。火は終末の悪霊のリバイバルであり、主から離れる人々はそこに巻き込まれていきます。

この世のことに時間をとられ、祈る時間を奪われ、この世のものに頼る人々は、主から切り離された人々です。

「すべての谷川で砕かれた」とのことばは暗示的です。木はその水を谷川から得ます。水があれば、
木は成長するものなのですが、しかし、その終末の日、この世につく人々は、谷川すなわち聖霊の水から切り離されていくのです。「この本を読むとよい」「この先生の話がよい」
勿論それらも大事なのですが、この水、聖霊なる方を忘れ、他のものに頼る人々は
早晩、枯れていきます。

「この国のすべての民は、その木陰から出て行き、これを振り捨てた。」

これを振り捨てたと書いてあるように、この世につく教会のどこででも、
「生命の木」である、キリストの木から、振り捨てられ、捨て去られる、多くの枝があるようになります。
振り捨てられるなら、彼らには、命がなくなります。
どれ程、枝ぶりが良く、青々とした緑をたたえた枝であっても、
その枝が、元木から、切り離され、振り捨てられるなら、その運命は早晩決まったようなものです。
元木からの養分も水も受けることができず、結果として、実を結ぶこともなく枯れて干涸びていくのです。

しかし私たちにあっては、これらの警告の中で、主につく者として歩みましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

-以上-