No.274 ずっと後のこと

テキスト:エゼキエル12:
21 さらに、私に次のような主のことばがあった。
22 「人の子よ。あなたがたがイスラエルの地について、『日は延ばされ、すべての幻は消えうせる。』と言っているあのことわざは、どういうことなのか。
23 それゆえ、神である主はこう仰せられると言え。『わたしは、あのことわざをやめさせる。それで、彼らはイスラエルでは、もうくり返してそれを言わなくなる。かえって、その日は近づき、すべての幻は実現する。』と彼らに告げよ。
24 もう、むなしい幻も、へつらいの占いもことごとく、イスラエルの家からなくなるからだ。
25 それは、主であるわたしが語り、わたしが語ったことを実現し、決して延ばさないからだ。反逆の家よ。あなたがたが生きているうちに、わたしは言ったことを成就する。「「神である主の御告げ。「「」
26 さらに、私に次のような主のことばがあった。
27 「人の子よ。今、イスラエルの家は言っている。『彼が見ている幻はずっと後のことについてであり、はるか遠い将来について預言しているのだ。』
28 それゆえ、彼らに言え。『神である主はこう仰せられる。わたしが言ったことはすべてもう延びることはなく、必ず成就する。』「「神である主の御告げ。「「」

本日は、「ずっと後のこと」という題でメッセージしたいと思います。

終末に起きるできごとは、黙示録を始めとする預言書は細かく、預言しているのですが、しかし、
神の民はそれらの終末の預言の成就を「ずっと後のこと」「自分達の世代とは関係ないこと」と思うようです。そのことを見ていきたいと思います。

テキストを順に見ていきます。

”21 さらに、私に次のような主のことばがあった。

私とは、エゼキエルのことです。エゼキエル書の預言は、「額に印をつけること」「4つの生き物」を始めとして、終末を預言した書、黙示録の中に引用されています。ですから、彼へのことばは、終末に関する警告が含まれているのです。

22 「人の子よ。あなたがたがイスラエルの地について、『日は延ばされ、すべての幻は消えうせる。』と言っているあのことわざは、どういうことなのか。”

この当時の人々は、『日は延ばされ、すべての幻は消えうせる。』と語っていました。
聖書はそう語っていないのですが、彼らの間の了解事項として、『日は延ばされ、すべての幻は消えうせる。』という解釈で一致していたのです。

終末の預言の解釈に関して間違える、偽預言者のことばは色々あるのですが、大きく以下の2つが特徴としてあるようです。

1. 終末のできごとは今の時代には起こらず、ずっと先の時代に成就する。
(だから、今の我々はあまりむきになって心配や、備えをする必要は無い。今の時代に終末、終末なんていいつのるやつらは異端者だ)

1000年王国は文字通り、1000年の間続く。ゴグ、マゴグ、新天新地の預言はその先のことだから、これらの預言は今の我々の時代には起こらないとの解釈等はこの考えに基づきます。
 
 

2. 終末に起きる裁きは自分とは関係ない。
終末には教会は天に挙げられ、イスラエル民族の時代が始まるというデイスペンセーション主義等はこの考えです。地上で苦難に会うのはイスラエル民族だけだという考えです。
また、淫婦バビロンはカトリックのことだから、プロテスタントは裁きとは無縁だという考えもその一つです。

しかし、聖書は、『日は延ばされ』るとは、どういうことか?と「終末は先のことだ」という偽預言者を非難しています。ですから、私たちは、それがどれ程もっともらしい教えでもまた、多くのクリスチャンに支持されたとしても「終末は先のことだ」という教師達は眉唾ものだと理解しなければなりません。
彼らは羊のなりをして、我々に希望を与えるように見えるかもしれませんが、「内側はどん欲な狼」であり、心の定まらない者達を偽りの教えに引きづり込もうとしているのです。

だから、「1000年王国は文字通りの1000年だ(だから、今の時代の我々は安心してよい)」などという人々は、もうそれだけで、「終末は先のことだ」という聖書のいう偽預言者のサインを出していることを捉えるべきです。

また、「すべての幻は消えうせる」とのことばを考えてみましょう。この「すべて」ということばは、以下のことばと関係しているのかもしれません。

”ルカ21:22これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。”

ですから、「すべての幻は消えうせる」という時、彼らは、聖書が終末のクリスチャンに対して書いている全ての警告、預言が「消えうせる」と語っているということなのです。

これは、聖書を書かれた方、この聖書の中で何度も何度も前もって来るべき裁きへの警告をしている方への恐るべき冒涜なのですが、残念ながら、今の時代にこのことばは成就しています。

彼らがサタンの偽りの知恵に満ちた驚くべき、「艱難前携挙説」、全ての終末の苦難にクリスチャンは会うことが無く、その日の前に携えあげられる(高みの見物をする?)という偽りの教えを受け入れる時、
彼らはその心の中で、(終末に関して、神が前もって語った苦難の)「すべての幻は消えうせる」と言っているのではないでしょうか。

23 それゆえ、神である主はこう仰せられると言え。『わたしは、あのことわざをやめさせる。それで、彼らはイスラエルでは、もうくり返してそれを言わなくなる。かえって、その日は近づき、すべての幻は実現する。』と彼らに告げよ。”

しかし、いつまでもこれらの冒涜、偽りが続くわけではなく、主は終末の日に回復のわざをします。
その日、主は「あのことわざをやめさせる。」といわれます。ですから、これらの偽りに対して、
反対の声が起きるのです。そして、それは、「主から起きた」ことなのです。
その日、「彼らはイスラエルでは、もうくり返してそれを言わなく」なります。ですから、これらの終末に関して今、定説と思われている偽りの教理、艱難前携挙説等のいつわりが、もう定説とは言えないと疑問を声高にいわれる日が来るのです。

また、「『かえって、その日は近づき、すべての幻は実現する。』と彼らに告げよ。」と述べられています。ですから、このこと、「その日は近づく」、すなわち、「終末の日は遠い将来のことではなく、今、まさに我らの時代に起きつつある」ということにこそ、神のみこころがあり、そのように語る彼らこそ、終末の真理を見た人々だということがわかります。

また、「すべての幻は実現する」ということ、すなわち、黙示録、ダニエル書を始めとする多くの預言書に記されている終末の預言は一つ残らず、実現する、と語るように述べられているのです。また、
そのように語る人々こそ、神から遣わされた人々なのです。

24 もう、むなしい幻も、へつらいの占いもことごとく、イスラエルの家からなくなるからだ。”

「むなしい幻」はイスラエル、すなわち、神の選びの民からは消えていきます。むなしい幻、とは、「2回にわたって再臨する」という絵に書いた餅のように、空しい夢物語であり、「中東のイスラエルは7年の中東の平和条約を結び、また、ゴグ、マゴグと称するロシアの軍隊に席巻される、すなわち、
中東に災害は来るが、自分達には及ぼない」という夢物語りです。

「へつらいの占い」とはなんでしょう。町の占い師は、お客の喜ぶようなことをいうかもしれません。
たとえば、「あなたは、すばらしい玉の輿に乗る」とか。そんな風にお客が喜ぶ、うれしいことをいう占い師は、人気が出るかもしれません。

同じように、この終末の日に、クリスチャンの繁栄、幸福、喜びばかりを強調する教師達は人気が出るかもしれません。しかし、彼らは終末の裁きを見ることも悟ることもできず、ただ、「人の方だけを見て」
説教をするへつらいの教師達なのです。しかし、その日、イスラエル、すなわち、神の選びの民の間においては、「へつらいの占い」へつらいの教えは消え去り、聖書において神が真に語ることだけが述べられるようになります。

25 それは、主であるわたしが語り、わたしが語ったことを実現し、決して延ばさないからだ。反逆の家よ。あなたがたが生きているうちに、わたしは言ったことを成就する。「「神である主の御告げ。「「」”

主は「わたしが語ったことを実現し、決して延ばさないからだ」と語ります。ですから、全て、
「終末は先のことであり、この時代には起きない」と語る教師達は、人々の間では、正統的と受け止められていたとしてもしかし、神の前には、ただの嘘つきに過ぎない可能性があることを覚えて下さい。

何故なら、神は、「反逆の家よ。あなたがたが生きているうちに、わたしは言ったことを成就する。」
と、決して先に裁きが延ばされることがないことを述べられるからです。

26 さらに、私に次のような主のことばがあった。
27 「人の子よ。今、イスラエルの家は言っている。『彼が見ている幻はずっと後のことについてであり、はるか遠い将来について預言しているのだ。』”

イスラエルの民は、エゼキエルの警告に関して、「彼が見ている幻はずっと後のことについてであ」ると理解し、その理解で一致しました。これは、今の時代でも同じです。この時代の民、教師達の終末の預言に関する理解は、「黙示録の記事、終末の預言はいずれ、成就するだろうが、しかし、先のことだ」というものです。しかし、彼らは間違えているようです。
 
 

”28 それゆえ、彼らに言え。『神である主はこう仰せられる。わたしが言ったことはすべてもう延びることはなく、必ず成就する。』「「神である主の御告げ。「「」”
 

このように誤解していたイスラエルの民に向かって主は、「わたしが言ったことはすべてもう延びることはなく、必ず成就する。」と述べられました。ですから、彼らが確信していた「裁きも終末もまだ先のこと、ずっと先のこと」という理解は何と間違いであり、彼らは自分達が生きている時、時代を理解することができなかったのです。
これは、主イエスの時代に関しても同じです。イエスの時代(世代)の人々は、時を理解せず、悟らず、結果として、神の怒りが目の前に迫っている時代に生まれ合わせながら、そのことを理解できなかったのです。

これらの以前の時代のことは、終末の私たちに対する教訓です。今の時代の人々も「黙示録の時代はまだ先のこと」という理解をもっているかもしれません。
しかし、聖書の暗号、人手によらず、ただ聖書本文から生じる、聖書が書かれた時代からその本文に組み込まれていた暗号は、「もう既に終わりの時代に入っている」と述べていることを覚えて下さい。

また、聖書が終末に関して述べている多くのことがら、悪霊のリバイバル、み言葉が曲げられること等が多く成就していることをとらえましょう。

繰り返しますが、サタンが終末に関して語る一つの大きな嘘は、「終末はまだ先、この時代には起きない」というものです。そして、その嘘に騙されたエゼキエルの時代の民、イエスの時代の民は「時をみわけ」られなかったのです。

しかし、私たちにあっては、終末における主のもこころを行いましょう。
 

ー以上ー