No.265サタンは解き放たれる(3)

”テキスト:黙示録9: 1.第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。
2 その星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。
3 その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた
。4 そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。
5 しかし、人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。
6 その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである。
7 そのいなごの形は、出陣の用意の整った馬に似ていた。頭に金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。
8 また女の髪のような毛があり、歯は、ししの歯のようであった。
9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その翼の音は、多くの馬に引かれた戦車が、戦いに馳せつけるときの響きのようであった。
10 そのうえ彼らは、さそりのような尾と針とを持っており、尾には、五か月間人間に害を加える力があった。
11 彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。
12 第一のわざわいは過ぎ去った。見よ。この後なお二つのわざわいが来る。
13 第六の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は神の御前にある金の祭壇の四隅から出る声を聞いた。
14 その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」
15 すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。
16 騎兵の軍勢の数は二億であった。私はその数を聞いた。
17 私が幻の中で見た馬とそれに乗る人たちの様子はこうであった。騎兵は、火のような赤、くすぶった青、燃える硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は、ししの頭のようで、口からは火と煙と硫黄とが出ていた。
18 これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。
19 馬の力はその口とその尾とにあって、その尾は蛇のようであり、それに頭があって、その頭で害を加えるのである。
20 これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、
21 その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。”

本日は、「サタンは解き放たれる(3)」として、終末の日にサタンが解き放たれることについて見ていきたいと思います。

テキストから見ていきます。

”1.第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。”

底知れぬ穴は以下に通じると思えます。

”2ペテロ2:4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。”

ですから、閉じ込められていた悪霊達が解き放たれてくるのです。

また以下とも関係すると思えます。

”ルカの福音書 8:31 悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。”

悪霊は底知れぬ所に閉じ込められており、そして終末の裁きの日に偽りに組みする神の民に向かって解き放たれるのです。

終末の日が他の日と
全く異なる日であるその理由はその日が惑わしの天才、偽りを得意とする悪霊が解き放たれる日だということです。その下で主のみことばを曲げ、冒涜する人びとは惑わしに入っていくようになるでしょう。
この惑わしは既に始まっており、多くの人が惑わしの教えの中に既にいます。主のあわれみにより、目が開けた人びとはそれを逃れるでしょう。しかし、彼等は盲目な人びとからは異端、セクトと呼ばれるでしょう。

”2 その星が、底知れぬ穴を
開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。”
 

この暗いということばは以下のことばと同じです。

”エペソ4:18彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。”

ですから、太陽、すなわち有名な神の器も、また空、教会も(その知性において)暗くなり、神の真理から遠く離れていくということをさすのでしょう。

”3 その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた”

さそりは悪霊の働きをさすようです。悪霊の働きが教会をおおうようになるのでしょう。

4 そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。”

神の印は聖霊の印のことです。聖霊の印を受けていない人びとは害を受けます。

”5 しかし、人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。”

さそり、悪霊の働きは苦痛をもたらします。今、トロントリバイバル等の働きにより、精神に異常をきたした人がいること、自殺した人もいることを聞いています。

”7 そのいなごの形は、出陣の用意の整った馬に似ていた。頭に金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。
8 また女の髪のような毛があり、歯は、ししの歯のようであった。
9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その翼の音は、多くの馬に引かれた戦車が、戦いに馳せつけるときの響きのようであった。”

馬はヤコブ書によれば、教会のたとえです。悪霊を注ぎかける教会が現れてきます。トロント、ペンサコーラの教会のように。

”11 彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。”

これらの偽りの教会の王は実は、キリストではなく、底知れぬ所の御使いなのです。罪を犯した御使いは確かにこの終末の日に解き放たれるのです。

”12 第一のわざわいは過ぎ去った。見よ。この後なお二つのわざわいが来る。
13 第六の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は神の御前にある金の祭壇の四隅から出る声を聞いた。
14 その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」
15 すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。”

神の国、イスラエル国の境界が「ナイルからユーフラテス」といわれる通り、ユーフラテス川です。これはたとえなのです。教会とこの世の境も川なのです。この川は聖霊の水のことをさします。神はこの旧約の神の国を「ナイルからユーフラテス」と規定することにより、
新約の神の国、教会も川、すなわち聖霊により区分されることを語っているのです。
私達、クリスチャンがこの世の国と区分、区別されるその唯一の違いは、この川、すなわち、我々が聖霊を受けているということにあるのです。そのことを示しているのです。

ですから、神は今の時代において、地理的に、「ナイルからユーフラテス」の地域がアフリカの砂漠より、特別な意味があるとか、ないとか、まして、その「約束の土地」を「異邦人を皆殺しにしてでも再度奪還せよ」などと語ってはいないのです。
これらはたとえであり、どの土地が約束の土地で、という問題はあまり意味がありません。
逆にそんなことしか見えない人は聖書を読むことのできない盲人だと非難されてもしかたがないでしょう。

このことはたとえなのであり、神は終末の日にユタヤ人と自称しているが、その実、セム族(黄色人種)にしては、色が白すぎる「白を黄色といいかえる」偽りの人びとにナイルからユーフラテス川迄の領土をあげるなどとは語っていません。これらは壮大な嘘です。彼等はそもそもアブラハムの子孫ではないし、また聖書はそのように彼等に命じていないのです。(彼等はたとえが読めない盲人です)
 

彼等の先祖(ということになっている)ユタヤ人は聖書の預言を読むことも理解することもできないため、「聖書で預言された救い主」を自らの手で十字架に殺し、裁きを招いたように、盲人でした。

その子孫(ということになっている)の現在の彼等も先祖に負けず劣らずの、いや輪をかけた盲人であり、今の時代にこの「約束の地」を異邦人を皆殺しにしてでも奪いかえすよう、
「神が命じている」と思い込んでいるのです。

彼等はあわれむべき盲人ですが、悲しいことには、彼等の誤りを指摘する立場のキリスト教徒も同じような盲人であり、これらの殺害者をいさめるどころか、支援、指示しているかのようです。

こんな悪魔来の偽りの教理に惑わされた人びとは今、イスラエルによって行われている、パレスチナ人への土地略奪、生命略奪、自由略奪に抗議もせず、彼等の虐殺に加担、黙認していることに関して、神の前にいい開きをするようになることを知るべきです。

さて、この大ユーフラテス川のほとりに4人の御使いがつながれていました。彼等も堕落した御使い、
悪霊であり、彼等は聖霊(ユーフラテス川でたとえられる)によりその働きは封じられていたのです。
しかし、この終末の日にこの悪霊の解放があります。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使い(悪霊)を解き放せ。」との命令があるのです。

15 すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。”

私が知っている限り、この悪霊は全部かどうか知りませんが、もう解き放たれ始めています。
例のビデオの中で確かに悪霊の働きが教会を席巻していることを見るのです。

ですから、こういうと抵抗を感じる人びともいるかもしれませんが、聖書の暗号のいう
「もう既に終わりの時代にはいった」とのメッセージは軽視せず、真剣に受け止める必要があるのではないかと思われます。聖書の暗号というと人によっては、あまり内容も読まずに「勝手にコンピューターを操作して、いいかげんな預言をしている」と思われているようですが、もしきちんと本を読むなら、実はこの暗号は人手ではなく、聖書そのものから出てきていることが理解できるでしょう。
聖書そのものということは聖書を書かれた神御自身のメッセージということになるので、みことばに
仕えようと志すものとして、軽々しく軽率に結論づけられないのです。

繰り返しますが、「もうすでに終わりの時代に入った」とのメッセージは、人手によらず、
聖書そのものが語っています。「耳のある人は」この警告に耳を傾けていきましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー