No.263 サタンは解き放たれる

テキスト:
”2テサロニケ2:6 あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。
7 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。
8 その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。”
 

本日は 「サタンは解き放たれる」という題でメッセージしたいと思います。
終末の日に関して、主が語られていること、聖書が暗示していることは、その日にサタンが解き放たれるということです。

終末の終末たるゆえんはその日に悪魔が解き放たれることなのです。

テキストを順に見ます。

”6 あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。”

悪魔、反キリストがその定められた時に解き放たれることは、神が定めた確定したことがらです。
ノアの時、神がその定めた時に洪水をひき起こしたように、またロトの時、神が定めた時にソドム、ゴモラに火を下したように終末の日にサタンが解き放たれることは、定まったことなのです。
このことをはっきりと理解しなければなりません。

そして、う一つ知らなければならないことは、サタンが解き放たれたなら、我々は基本的には、彼に 対抗できないということです。
不信仰なことをいうつもりはありませんが、しかし、私達は悪魔の惑わし、その力ということをはっきりと認識しなければなりません。

たとえば、ヨブの時、神の許可を得てサタンがヨブに向かって解き放たれました。サタンは彼の息子、娘、牛、羊を全て殺してしまいました。そして次には、ヨブの肉体をできもので打ったのです。それは一瞬のことでした。あっという間にヨブの環境は変わってしまったのです。
また、ペテロを始めとする弟子に対して、サタンが「麦のようにふるいにかけることを願って許された」時がありました。その時、「主と共に死ぬ覚悟のあった」ペテロはすっかりふるいにかけられ、
3度も主を否定するようになってしまったのです。

情けないペテロと思うかも知れません。しかし、むしろ12弟子の筆頭であるペテロでさえ、そうなのだから、まして私達はもっと簡単にふるいにかけられてしまうかもしれない、と思うべきなのではないでしょうか。

しかし、この時、ペテロは全くキリストから離れてしまったわけではありません。彼は戻って来たのです。そして、その裏には、「我、汝の信仰の失せぬ様、祈りたり」という主の祈りがありました。
この祈りの中で彼は戻ってきたのです。サタンは確かにペテロを惑わし、ふるいにかけたのですが、
しかし、その惑わしには限界があり、主の祈られたようにペテロの信仰がなくなる迄、試すことを許されてはいなかったのです。そして、これはヨブに関しても同じです。
神が「命に手をかけるな」と語った時、サタンは彼の命に手をかけることはできなかったのです。

しかし、何しろ、サタンがその働きを始めたら、私達はころりと惑わされてしまいます。それが普通なのです。だからこそ、私達は毎回、毎回、「試みに会わせず悪より救い出したまえ」という祈りを真剣に祈る必要があるのです。

悪魔の惑わし、力はこのように強力なのですが、しかし、今迄は引き留める者、聖霊の働きにより、とどめられていたのです。

”7 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。”

「すでに働いている」と書かれているように教会時代にもこの悪魔の働きはあるのですが、しかし、その働きには制限が加えられていたのです。猛獣ライオンは危険ですが、しかし、檻に入れられて、閉じ込められていればそれ程でもありません。しかし、檻が取り除かれて、ライオンが自由に襲うようになれば、危険きわまりなくなります。そして終末はまさにそのライオンが自由に動き回る、恐るべき時なのです。
それは、引き止める者、聖霊が教会から「取り除かれる」(追い出される)ようになるからです。

ですから、聖霊が追い出されることと、悪魔が解き放たれることとは1対の組み合わせのことがらであり、関係があるのです。
このことは、主が十字架につけられる時、いみじくも「どちらを解放するのか、キリストといわれるイエスか。それともバラバか」とピラトが質問したことと関係しています。ユダヤ人が愚かにも人殺しである、バラバの解放を要求したように、終末の神の民も聖霊より、悪魔の霊を選びとるようになります。

”8 その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。”

「その時になると不法の人が現れ」とはっきりとこの悪魔の霊が解き放たれる日が来る事が記されています。尚、不法の人と訳してあるといかにも反キリストは人間のように思えますが、実際には原文には、
人ということばは含まれていません。ですから、この反キリストを何か人間と考えると惑わされると思います。むしろ聖霊と反対の立場の存在なのですから、同じように霊、悪霊と考えた方が良いかもしれません。

ですから、終末の日に悪魔の霊が解き放たれるということは、聖書の中では、確定的なことがら、はっきりと預言されたことがらなのです。学校のプリントに「2学期の授業は9月1日から始まります。」と書いてあれば、確かに9月1日から授業が始まるものです。その日まで夏休みの宿題を終わらせないと恥をかきます。同じように神の書かれた聖書が終末の日に不法の霊、サタンの霊が解き放たれることを記してあるなら、それは当然起きるのです。
我々はこのことが教会の中で当然起きるものと予測して準備していかないなら、
その日、試みに会い、覆されてしまいます。逆に、 全て神のことばを真剣に受け止める人はこの日、滅びからも惑わしからも守られます。

それを知るなら、今、教会の集会の中で「デーモン、デーモン」と叫ぶ、サタニストが現れたからといって、びっくりすることではないのかもしれません。彼等は聖書のことばに記されたように終末の不信の教会に送られ、悪魔の霊を解き放っているのです。

これを理解できず、「あのビデオは冒涜だ」などとわけのわからないことをいっている人びとは実は聖書を読む事ができない、もしくは聖書のいう警告なんか実は信じていないの
かもしれません。

”9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、”

ここの「不法の人」ということばにも原文では「人」という意味あいは含まれていません。ですから、何か人間だけを考えると間違えます。むしろ霊について書かれていると思った方が正確と思われます。
悪霊が解き放たれる時代になると、「あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴」うのです。
しるし、不思議はペンテコステの日、ペテロ達が行ったしるし、不思議と同じことばが用いられています。
ですから、これは教会におけるしるし、不思議、すなわちいやしやたまものの働きと言われることと通じるのです。

今は、多くの教会で、いやしやら、笑いのリバイバルやら歯が金歯になるとか、金粉、また、天使の羽だの大変なしるしがあふれています。しかし、これこそ、サタンの働きに伴う「しるし」なのです。

”10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。”

あらゆる悪のあざむきが教会の信者に対して行われます。それは、「真理への愛を受け入れなかったから」だと書かれています。ですから、今の時代に、偽りの教理を「自分に都合がいいから」というだけで、受け入れている人びとはこの欺きに惑わされていくでしょう。偽りの教理とは、「2段階携挙説」、「クリスチャンには裁きはない」などという数々の偽りの教えです。

11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。”

神の許しの下で惑わす力が送り込まれるのです。我々はこのことを厳粛に受け止めるべきです。
何故なら、惑わしがいざ送り込まれたなら、それは人の力では対抗できないからです。
主の哀れみにより目を開いていただいた者のみそれを見、逃れることができるのです。

”12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。”

彼等が惑わされる理由はキリストを愛するクリスチャンとは名ばかりで、「仏教徒も救われる、地獄はない」などという聖書を冒涜するような教理、悪を喜んでいるからです。アハブ王が悪霊に惑わされた400人の預言者の声に聞き従い、戦いに出ていき、そして自分の命を失ったようにこの終末の神の民も
悪魔の惑わしの中で裁かれていきます。何故なら彼等は、「真理を信じ」ず、偽りの教理を喜んでいたからです。

「終末の時代はイスラエルの時代になる」、「中東の7年の平和条約がダニエルのいった7年の契約ことだ」、「第3神殿がもう一度建造される」などということがらも私の理解によれば、終末の惑わしなのですが、真理を見ない人びとはこの惑わしの霊に惑わされていきます。

聖書で預言されたように悪魔の霊はこの終末に解き放されており、多くのクリスチャンが既にこの霊の惑わしのしるし、教理に耳を傾けています。その先は、「偽りを喜んでいた」者への裁きが待っていることを覚えましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー