No.256 いくつもの三年半

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黙示録11:1 それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。
2 聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。”

本日は「いくつもの3年半」という題でメッセージしていきたいと思います。

終末のいわゆる大艱難時代が3年半であることは誰でも、皆良く知っている事がらです。
黙示録の中には、この3年半に相当する表現がいくつも出てきます。
短い黙示録の中でこの3年半という期間がいくつもの表現を変えて何度も記されているのです。
何故でしょうか?そのことを見ていきたいと思います。

黙示録には、1260日、42ヶ月、3年半、半週というようにこの同じ期間に関して何度も表現を変えて書かれています。

前にも書きましたように、黙示録の原則は他の聖書の書における原則と同じで、
同じことがらを何度も表現を変えて記載するということです。

黙示録は警告の書です。さて、警告に関して、神は短いことばでたった一度語って、それですぐ重い裁きをもたらす、そういう方ではありません。逆に早くからそのしもべを何人も送り、何度も何度も表現を変えて警告する、それでも不信の道を悔い改めない時、裁きの時をもたらす、そのような方なのです。
旧約聖書を読むなら、このことは明確に理解できます。

バビロン捕囚、イスラエル王国滅亡という大きな危機に関して神は何人も何人もの預言者を遣わしました。いわく、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル等の預言者です。そしてそれぞれの預言者は言葉を変え、表現を変えてイスラエルの不信、王国の滅亡を警告、預言したのです。
たとえば、エゼキエルは以下のように表現を変えて預言しています。

*汚れたパンを食べるイスラエルの民:エゼキエル4章。
*剣でそられた毛が吹き散らされるように吹き散らされるイスラエル:5章。
*不信のイスラエルの山々。6章。
*忌むべき偶像を拝む70人のイスラエルの長老;8章。
*エルサレムの額に印がない者を打ち殺す預言:9章。
等。

同じイスラエルの民の不信に関して、ことばを替え、表現を変えて警告、預言していることがわかります。
同じテーマを繰り返して、そして表現を変えて語っているのです。

この聖書の原則は当然ながら、黙示録に生かされています。すなわち、黙示録においても、同じことがらを表現を変えた上で何度も何度も繰り返して警告、預言しているのです。

ですから、たとえば、黙示録の以下のことがらは皆同じ「聖霊が悪霊に変わる、教会に悪霊が満ちて来る」ということがらを表現を変えて語っているのです。

「火のように赤い馬」
「いなごが底知れぬ穴から出てくる」
「ユーフラテス川の御使いが解き放たれる
「悪霊の洪水」
「獣の火が下される」
「川の水が血に変わる」

さて、以上のことがらが理解できると、「何故、黙示録の中に、同じ3年半という期間が表現を変えて何度も登場するのか」ということが理解できます。

一つわかることは、これらのそれぞれの「3年半」という期間は皆、同じ期間、ある定まった、特定の一つの3年半に関して語っているということです。それは、かつてダニエルが半週と語った終末の大艱難の期間のことです。

”ダニエル9:27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」”

反キリストは1週の間、「多くの者と堅い契約を結び」ます。この契約ということばは神とその民との契約をさす時、使われることばであり、要するに反キリストは「キリストがその民と永遠の契約を結んだ」ことになぞらえて、神の民と、反キリストの霊との堅い契約を結ぶのです。これは、たとえば、聖会の按手などによって行われるのでしょう。この1週はヨセフの7年間のききんに相当し、神の前には、神の民が裏切り、姦淫に走る7年間、悪魔とそれに騙された神の民にとっては、すばらしい大収穫のリバイバルの時代ということになるのでしょう。

そしてその後半の3年半は、主なるキリストへ仕えること、祈る事は中止させられます。真の神の民にとっては、カルトである異端であると迫害される時代になります。

さて、それでは何故何度も何度も3年半という表現が黙示録の中で繰り返されるのでしょうか。それに関して、ヨセフが7年の豊作、ききんの夢が2度繰り返されることに関して語っている以下のことばが参考になるでしょう。

”創世記41:32 夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。”

ですから、この3年半という表現が何度も繰り返されるのは、「このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるから」だということがわかります。

この時はすみやかに来ます。また定められた「神の民の苦難の時」です。
この時は確かに全ての主につく人びとにやってくるのです。その為、神は警告の意味をこめてこの期間に関して繰り返して語っているのです。

私が中学に入った頃、「受験は大変だ、しっかり勉強しないと」ということばを多くの先生、親、また先輩から聞きました。確かに3年後の、受験には結構難しい問題が出ましたし、しっかり勉強しなければ解けない問題がありました。しかし、さんざん周りから言われ、自分でもその為に用意をして備えていたので、何とか学校に合格することができました。

さて、同じ意味あいで、神、唯一未来を知る方は終末の日において、どの期間がもっとも
クリスチャンにとって大事な時なのか、永遠の未来が定まってしまう日なのか、
多くの人が信仰を失う日なのか御存じなのです。

多くの教師、学者がもし未来を知り、黙示録を読むことにおいて盲目であったとしてもこの方だけは未来を正しく知ることのできる方であることを知るべきです。

この方は確かに終末の3年半に関してことばを変えて何度も何度もこの黙示録の中で、
警告していることを我々は見ます。この日に我々がこの地上にいない、苦難に会わないのなら、何故神がこの様に度々警告する必要があるのでしょうか。

ですから、聖書の教えをないがしろにする偽りの艱難前携挙説などに決してだまされてはいけません。これらは、盲人により、未来を知らず、この書を読む事のできない人びとにより、広められているのです。

神の語る警告に耳を傾け、その日に備えていきましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー