No.255  順番には起きない黙示録のできごと

テキスト:”黙示録6:4 すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。”

黙示録は本当に謎の書、難解な書ですが、その一つの難解さは、一体この書に出てくるできごとは、
どういう順番に起きて来るものなのかわからないということです。

多くの解説者は時系列的(難しいことばですが、要は順番に)に、すなわち黙示録に記されている記事の順番に起きると思っているようです。すなわち、7つの封印、次に7つのラッパ、7つの鉢といった順番にです。

しかし、この書がわなの書であることを忘れてはいけません。この書にはあらゆる種類のわながしかけられています。私達はそれを見てきました。

わなとは?たとえば、私達は「女を押し流す蛇の起こす洪水」は文字どおりの洪水ではないことを見てきました。
ですから、終末の日に本当に水があふれてくるという意味の洪水が起きるものと思って待っている人はこの書のわなにまどわされたことになります。また、私達はこの黙示録に記されている「金の冠をつけたいなご」も文字どおりのいなごでないことを知っています。ですから、終末の日にいなごだか、昆虫だか、仮面ライダーだかが現れるものだと思っている人びとはこの書のわなにかかった人びとです。

さて、同じようにこの書のできごとが起こる順番に関しても「わな」があるようです。我々は何も考えず、7つの封印、ラッパ、鉢の順番にそのまま記述の通りにこの書に記載されていることが起きると思っていたのですが、どうもよく読むと、この書のできごとは順番に起きるものだとはいえないようです。
逆に同じことが何度も何度も繰り返して記述されてあるようです。それを見ていきたいと思います。
 

たとえば、終末の日に関して「聖霊の働きが悪霊に変わる」という同じ一つのことがらに関して、黙示録では、何度も何度も表現を変えて繰り返して記してあります。

例として以下のようです:

1)火のように赤い馬:

黙示録6:4 すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。”

火は霊のたとえであり、この霊が下されることにより、地につく教会内では争いと分裂があることが示される。

2)いなごが底知れぬ穴から出てくる:

”ヨハネの黙示録 9:2 その星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。
3 その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。”

このいなごは底知れぬところの御使い(悪霊)を王として迎えています。すなわち、このいなごの記述は終末の日に悪霊が解き放たれることを語っている。

3)ユーフラテス川の御使いが解き放たれる:

黙示録9:14 その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」
15 すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。”

ユーフラテス川(聖霊の川)のほとりにつながれている御使い(悪霊)が教会に向かって解き放たれる日について書かれています。
 

4)悪霊の洪水:

”黙示録12:15 ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。
16 しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。”

ここでは蛇、悪魔が川、悪霊の洪水で女、みこころの教会を押し流そうとしていることが語られています。

5)獣の火が下される:

”黙示録13:11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。
12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。
13 また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。”

獣化された教会では、悪霊の火が天から地に降らせるしるしが行われます。

6)川の水が血に変わる:

”黙示録16:3 第二の御使いが鉢を海にぶちまけた。すると、海は死者の血のような血になった。海の中のいのちのあるものは、みな死んだ。
4 第三の御使いが鉢を川と水の源とにぶちまけた。すると、それらは血になった。
5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。
6 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」”

水が血に変わるとは、教会の中に働く霊が聖霊から悪霊に変わる事をさします。

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以上のように黙示録に記されている様々なできごとは皆、同じこと、悪霊が教会内に解き放たれること、聖霊が悪霊に変わってしまうことを語っているのです。
注目すべきことは、これらはそれぞれ黙示録内で記載されている章も異なり、ラッパや鉢なりの順番も全く異なるのですが、皆同じ事柄について語っているのです。

ですから、黙示録に記述されているできごとが決して7つの封印、ラッパ、鉢なりの順番に起きるわけではないことがわかるでしょう。そのように語る人びとは惑わされている人びとであり、そのように強く主張することは、人びとの解釈に混乱をもたらす恐れがあることを知るべきです。

逆にこれらは同じことがらが何度も表現、記載のしかたを変えて書かれているのです。すなわち「聖霊が悪霊に変わる、教会に悪霊が満ちて来る」という同じことがらを
それぞれ、「火のように赤い馬」、「いなごが底知れぬ穴から出てくる」、「ユーフラテス川の御使いが解き放たれる」、「悪霊の洪水」、「獣の火が下される」、「川の水が血に変わる」という異なる表現を通して、繰り返して語っているのです。

ですから、黙示録は(実は聖書全巻がそうなのですが)順番というより、同じ事柄の記事で検索する時、意味が理解できてくるものなのです。

同じ事柄が何度も異なる表現を通して語られるということは、創世記のヨセフ記事にあるパロの7つの麦の穂、7頭の牛の夢の表現のように聖書的なことがらです。

ヨセフの記述によれば、同じ事柄が表現を変えて繰り返されるのは、それは「神がすみやかに起こる事」を示す為なのです。ですから、黙示録に関しても何度も何度も同じことがらを表現を変えて語ることにより、このことがすみやかに起きることを神は語られているのです。

このこと、黙示録においえは、「何度も同じことがらが繰り返されて記載されていること」、また「記述の順番通りに起きるとは限らないこと」、これは、黙示録を読み解く上で基本の基本なのですが、残念ながら、あまり理解されていないようです。
 

繰り返しますが、このように読むヒントは聖書の中にあります。

たとえば、創世記の中のヨセフの夢の記事の中で、7本の豊かな麦としなびた麦のたとえ、及び7頭の肥えた牛とやせた牛のたとえが書かれています。この2種類の夢は実はおなじことをさしていたのです。
ですから、もしヨセフがそれぞれ別の夢と解釈し、「これは、7(麦豊作)+7(麦ききん)+7(牛豊作)+7(牛ききん)=合計28年間の夢です。」などと解釈したなら、彼は間違えたことになっていたでしょう。

同じ意味あいで、黙示録の7つの封印、ラッパ、鉢をそれぞれ別のもののように「7つの封印に記されたできごとの後、7つのラッパに記されたできごとが起きる、その後、7つの鉢に関して記されたできごとが起きる」と主張する人びとは実は聖書の記述のもっとも基本的なことがらを見落としているのかもしれません。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー