NO.252  終末の一つの角

テキスト:”
ニエル8:1 ベルシャツァル王の治世の第三年、初めに私に幻が現われて後、私、ダニエルにまた、一つの幻が現われた。
2 私は一つの幻を見たが、見ていると、私がエラム州にあるシュシャンの城にいた。なお幻を見ていると、私はウライ川のほとりにいた。
3 私が目を上げて見ると、なんと一頭の雄羊が川岸に立っていた。それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一つはほかの角よりも長かった。その長いほうは、あとに出て来たのであった。
4 私はその雄羊が、西や、北や、南の方へ突き進んでいるのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。
5 私が注意して見ていると、見よ、一頭の雄やぎが、地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには、目と目の間に、著しく目だつ一本の角があった。
6 この雄やぎは、川岸に立っているのを私が見たあの二本の角を持つ雄羊に向かって来て、勢い激しく、これに走り寄った。
7 見ていると、これは雄羊に近づき、怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その二本の角をへし折ったが、雄羊には、これに立ち向かう力がなかった。雄やぎは雄羊を地に打ち倒し、踏みにじった。雄羊を雄やぎの手から救い出すものは、いなかった。
8 この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。
9 そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。
10 それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、
11 軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。
12 軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。
13 私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もうひとりの聖なる者が、その語っている者に言った。「常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。」
14 すると彼は答えて言った。「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。」
15 私、ダニエルは、この幻を見ていて、その意味を悟りたいと願っていた。ちょうどそのとき、人間のように見える者が私の前に立った。
16 私は、ウライ川の中ほどから、「ガブリエルよ。この人に、その幻を悟らせよ。」と呼びかけて言っている人の声を聞いた。
17 彼は私の立っている所に来た。彼が来たとき、私は恐れて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。「悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである。」
18 彼が私に語りかけたとき、私は意識を失って、地に倒れた。しかし、彼は私に手をかけて、その場に立ち上がらせ、
19 そして言った。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。
20 あなたが見た雄羊の持つあの二本の角は、メディヤとぺルシヤの王である。
21 毛深い雄やぎはギリシヤの王であって、その目と目の間にある大きな角は、その第一の王である。
22 その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こることである。しかし、第一の王のような勢力はない。
23 彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。
24 彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。
25 彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。
26 先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。」
27 私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。その後、起きて王の事務をとった。しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。それを悟れなかったのである。"

本日は「終末の一つの角」という題でメッセージしたいと思います。
黙示録には、終末の時代に起きる獣の国について書かれています。
よくいわれる7つの頭と10本の角を持つ獣です。この獣が終末の日に世界を蹂躙することは、
クリスチャンなら誰でも知っています。聖書にそう書いてあるからです。

さて、今の時代に住む我々にとっての問題は、このことです。すなわち、この獣が出現するのは、
まだまだ先のことなのか、それともたとえば、今現在もう出現しているのか、そのことです。

まだまだ、先のことなら、慌てる必要はないかもしれません。しかし、たとえば、もう出現しているというなら話は変わります。私たちは、他のことは、さておいてもすぐに終末の備えをしなければ、ならないからです。
今日はそのことを見ていきたいと思うのです。さて、その問題の終末の獣の国はそもそもどの民族、現在のどの国と関係しているのか、そのあたりを見ていきたいと思います。
順に見ます。

”1 ベルシャツァル王の治世の第三年、初めに私に幻が現われて後、私、ダニエルにまた、一つの幻が現われた。
2 私は一つの幻を見たが、見ていると、私がエラム州にあるシュシャンの城にいた。なお幻を見ていると、私はウライ川のほとりにいた。
3 私が目を上げて見ると、なんと一頭の雄羊が川岸に立っていた。それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一つはほかの角よりも長かった。その長いほうは、あとに出て来たのであった。
4 私はその雄羊が、西や、北や、南の方へ突き進んでいるのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。”

最初に雄羊が出てきます。この雄羊とは、以下の節によれば、「メディヤとぺルシヤの王」のことです。
 

”20 あなたが見た雄羊の持つあの二本の角は、メディヤとぺルシヤの王である。

次を見ます。

”5 私が注意して見ていると、見よ、一頭の雄やぎが、地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには、目と目の間に、著しく目だつ一本の角があった。
6 この雄やぎは、川岸に立っているのを私が見たあの二本の角を持つ雄羊に向かって来て、勢い激しく、これに走り寄った。
7 見ていると、これは雄羊に近づき、怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その二本の角をへし折ったが、雄羊には、これに立ち向かう力がなかった。雄やぎは雄羊を地に打ち倒し、踏みにじった。雄羊を雄やぎの手から救い出すものは、いなかった。”
 

次に雄羊が登場するわけですが、これは以下の節によれば、その後に現われるギリシャの国のことです。

”21 毛深い雄やぎはギリシヤの王であって”

このギリシャについてこの章で、さらに記述されていきます。そして、このギリシャの角、すなわち、
末裔として、終末の角、すなわち終末の反キリスト的な獣の国があらわれて来ることがわかります。
この獣、雄やぎで表される「ギリシャ」にこそ、
ポイント、ヒントがあることを知るべきです。この国の末裔、子孫にこそ注目すべきなのです。
 

”8 この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。”

”あの大きな角”とは以下の節によれば、ギリシャの第一の王、アレクサンダー大王です。彼は、大きな帝国を作りました。

”その目と目の間にある大きな角は、その第一の王である。”

その後生えた「著しく目だつ四本の角」とはギリシャから出た4つの国です。以下のように記されています。
 

”22 その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こることである。しかし、第一の王のような勢力はない。”

これらの4つの国は、小アジア、エジプト等にできました。

9 そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。”

さて、ここでは、「そのうちの一本の角」というようにギリシャの4つの国の中で特に一つの
特定の国について書かれています。この国(角)とは何でしょうか?
私たちの時代は、これらのダニエルの記述が書かれた時代よりずっと後の時代であり、
もう終末にさしかかろうかという時代です。ですから、今迄の世界の歴史を見てみれば、
この4つのうちの一つの特定の角(国)に関して、客観的な理解ができると思われます。

歴史を客観的に振り返ってみるなら、ギリシャの国の後継者、大きな子孫といえば、
エジプトでも、小アジアでもなく、ヨーロッパ
の国々であることが理解できると思えます。ですから、この一つの国はそのもととなった、
ローマ帝国である可能性が非常に高いのです。ローマ帝国、そしてその子孫である
ヨーロッパの源流がギリシャにあることは、たとえば、その言語を考えてみてもわかります。
英語、フランス、ドイツ語等のヨーロッパの言語の起源は、ギリシャ語がもととなった単語が多いです。
また、たとえば、イギリス英語のその文字の生成の起源を考えてみても実はもとはギリシャ文字なのです。
英語の文字をアルフアベットといいますが、これは、ギリシャ語の最初の2文字、アルフア、ベータをさしているのです。英語(ローマ字)の各文字の源は、ギリシャ文字です。

さて、ここで「そのうちの一本の角」というように
ローマ帝国をさすような描写があります。
そしてその後に、「そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して」というように、
そのローマ帝国のすえであるヨーロッパの国々から、出てくるもう一つの国について書かれていることがわかります。

そしてこの後から出てくる「一本の小さな(強い)角」こそ終末の反キリストの国、終末の獣の国であることを覚えて下さい。
何故なら、「それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。」と書いてあるからです。「常供のささげ物は取り上げられ」とは、マタイ伝に記されている反キリストの行動そのものなので、この角こそまぎれもなく、反キリストの国であることが理解できます。
私たちはこの国がどの国なのかを理解しなければなりません。

そもそもこの国は現在存在しているのか、今あるとしたら、
具体的にどの国がそれなのか、そのことを私たちは理解しなければならないのです。

この1本の終末の角に関してわかることは、前の一本の角(ローマ帝国及びその
子孫)とは別のものだということです。この終末の角は、ヨーロッパの国々の中から出てきますが、しかし、彼らとは別物です。何故ならこのように書かれているからです。

9 そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して”

柿の実は柿の木から出てはきますが、しかし柿の木とは別物です。柿の実も柿の木も平行して
存在します。そのような意味あいで、この最初の一本の角と後の「一本の小さな(強い)角」とは
別物なのです。具体的には、この後の角は、ローマ帝国またその末裔であるヨーロッパの国々とは、
違う地域に誕生することになるでしょう。

このことは、以下の箇所の記述と比べればさらによくわかります。

”その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。”

「その代わりに」と書かれているように、「あの大きな角」(アレクサンダー大王)と「四本の角」(アレクサンダー大王の四人の後継者)とは、平行的には存在しません。前の角が滅んだので、その同じ場所を後の4つの角が治めたということなのです。この場合は地域は同じでも、統治者が変わるだけなのです。
しかし、前述の小さい(強い)角に関しては、「一本の角から、..一本の小さな(強い)角が」出てくるのですから、地域は異なり、この新しい角は、ローマ帝国(ヨーロッパ)以外の場所にできる国をさすと思われます。

このこと、この一本の角、終末の獣の国が、ローマ帝国(その末裔のヨーロッパの国々)から、
出てくる、すなわち、「獣の国はヨーロッパと関係はあるが、しかし、ヨーロッパとは別の国である」
ということを理解することは非常に大事です。

以下のことばもこの事実を語るようです。

”ダニエル7:
これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。
8 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。”

ここで書かれている「もう一本の小さな角」と言われている国こそ、終末の中心をなす獣の国です。何故なら、この国に関して、「この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。」というように反キリスト的な描写があるからです。

そして、この角は、「十本の角」の間から、「出て」きます。
10本の角は、ローマ帝国のすえであるヨーロッパの国々をさすのでしょうが、ここでもこの「一本の角」はこれらのヨーロッパの国々の間から、「出てくる」ことが書かれています。
この国は「ヨーロッパから発生する」が、しかし、「そのヨーロッパの地域から出て」いくのです。

この獣の国とヨーロッパの国々とは別物です。ヨーロッパの国々は「フランス、イギリス、ドイツあと
まとめてヨーロッパ10カ国」というように十ぱひとからげという風に見られますが、この国は
それらのヨーロッパの国々と恐らく地域的にも政治的にも別なものと想像されるのです。

以下の黙示録の記述も「この獣の国、終末の中心をなす国とヨーロッパの10の国は別物」という事実 を示しているようです。

ヨハネの黙示録 17:16 あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。”

ここでも「十本の角と、あの獣」というようにヨーロッパの10の国とこの「獣」の国とが並行的に記述されています。
ですから、私たちは、ヨーロッパの10の国は確かに終末の日に獣の国の10本の指、また角のように
用いられますが、しかし、それとは別にこれらの国をまるで道具のように使って、悪魔的なことがらをなしとげ、国々を破壊する「獣」という主役の国が終末には、存在するということを知らなければなりません。

この国が一体どの国なのかをさがし出すこと、そのことこそ、ダニエル書、黙示録を読む上で、もっとも大事なことなのです。

さて、上記、「一本の小さな角」ということばですが、KJV等に記載されている「小さい」という
ニュアンスは70人訳には、記載されていません。逆にこのことばは、70人訳では、
「一本の強い角」という訳になっています。70人訳を英語に直した、
Brenton's English Septuagintにも"one strong horn"と訳されています。

ここでは、どちらが正しい訳なのかどうかは、今は論じません。しかし、我々はこの箇所には、「一つの強い角」という訳があり得ることだけをとりあえず覚えておきましょう。
 
 

実はこの角を「小さい角」と訳すのか、それとも70人訳のいうように、「強い角」と訳すのかで、
この「終末の獣の国」を理解する上で、大きな違いがあります。
何故なら、この角が小さな角なら、この国はローマ帝国または、その末である、ヨーロッパ全体よりはずっと「小さい、比較にはならない一国」というニュアンスになると思えます。
しかし、「強い角」と訳すとこの角、国はある意味で一国で、昔のローマ帝国、また現在のヨーロッパ全体に匹敵する軍事的に強い国、また面積的にも割と大きな国との解釈になるからです。このことばの訳は大事です。

「そのうちの一本の角から、また一本の強い角が芽を出して」というふうに訳してある時、この2つの角はある意味、互角、ととれます。すなわち、前の一つの角がローマ帝国をさすなら、それと同じように書かれた「一つの(強い)角」と描写される国に関してもローマ帝国と似たような政治力、また面積的にも大きい国を想像できるからです。70人訳は、新約聖書の中で採用されている訳であり、福音書等で引用される旧約聖書のことばは、70人訳のギリシャ語が用いられています。そのように由緒ある訳なので、一概に否定、無視はできない訳です。さて、この強い角といわれる国はどこの国なのでしょう。以下のことが今迄で判明しました。

-かつてのローマ帝国の末裔、すなわちヨーロッパの流れ、すなわち西側に属するある国。
-kつてのローマ帝国すなわち、今のヨーロッパから出てきて、(移民からできている)いる国。
-70人訳によれば、強い角、すなわち現在の軍事大国、スーパーパワー。

これらの条件に合う国は何でしょうか。私達は、これらに全くあてはまる
一つの国を知っています。

”南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。”

この終末の「一本の強い角」は、基本的に、ギリシャ、ローマの末裔です。今のヨーロッパから派生した国です。現代の言葉で言えば、西欧に属する国です。ですから、この国は、西は襲わず、その代わりに東、世界の東に属するたとえば、アジア
等の国々を襲うようになります。また、南、世界の南に属する南半球の国々を襲うようになります。

また、「麗しい国」を襲います。この麗しい国とは、イスラエルの国だと多くの人が言います。
そうかもしれませんが、そうとも限らないようにも見えます。何故なら、この麗しい国の記述に続いて、以下のように記されているからです。

10 それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、
11 軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。
12 軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。”

ここに記されていることがらは、現在のたとえとしては、教会、主につく者への攻撃、迫害です。
ですから、「麗しい国」とは、実は終末の日に攻撃される主につく人々の教会のことと思えるのです。

さて「角」ということばについて考えてみましょう。
雄羊にしても雄ヤギにしても獣です。その獣の「角」の働きはどのようなものでしょう。
すぐ気がつくことですが、「角」は戦いの道具なのです。人間が剣を持って戦いに出ていくように、雄羊にしても雄ヤギにしてもその「角」で戦います。角は戦い、具体的には、戦争の軍隊をあらわします。

その戦争の混乱の中で、主につく人々も困難に会うようになっていきます。

13 私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もうひとりの聖なる者が、その語っている者に言った。「常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。」
14 すると彼は答えて言った。「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。」


「聖所と軍勢が踏みにじられる」ことは、軍隊との関連で起きてくるようです。
この章で角(軍隊)について語られ、そしてそれとともに、「聖所と軍勢が踏みにじられる」ことが書かれているのはその理由です。

獣の国が世界中を治め、自分のいうことを聞かない国をどんどん攻撃するようになる時、
それとともに「選ばれた民」に対する迫害は侵攻します。
 

”15 私、ダニエルは、この幻を見ていて、その意味を悟りたいと願っていた。ちょうどそのとき、人間のように見える者が私の前に立った。
16 私は、ウライ川の中ほどから、「ガブリエルよ。この人に、その幻を悟らせよ。」と呼びかけて言っている人の声を聞いた。
17 彼は私の立っている所に来た。彼が来たとき、私は恐れて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。「悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである。」”

これらの角の記述は、「終わりの時のこと」であることを覚えて下さい。
 

今はまだこれらの国、ヨーロッパの国等は角、人を傷つけるようには見えないかも知れません。むしろ、すばらしい文化と教養に満ちた国々のように思えるかもしれません。そして、そのような
すばらしい文化が長い間、続いているので、これらのヨーロッパの国々が角(国を滅ぼす道具)として使われるとは、とても思えないかもしれません。しかし、どのようなことがらでも聖書のいうことが正しいということを覚えて下さい。聖書がこのギリシャから出た一本の角(ローマ帝国、現在のヨーロッパ)が(獣の)角として用いられるというなら、このことは、終末の日に必ず起きてくるのです。

実はもうこのことは、実現しはじめているのです。湾岸戦争、またユーゴの紛争において、
NATOが参加して、イラク、ユーーゴなりに爆弾を雨あられと降らせたことは、まさに
このことの成就といえるでしょう。
聖書の預言が正しいのなら、このことは、ますます、世界で起きて来ます。「東に向かって」と書かれているので、アジア付近の国々がその目標とな
っていくでしょう。今、アフガンで起きていることはその始めかもしれません。

”18 彼が私に語りかけたとき、私は意識を失って、地に倒れた。しかし、彼は私に手をかけて、その場に立ち上がらせ、
19 そして言った。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。”

「憤りの時」と書かれています。何故このような世界的な規模の戦争や、攻撃が起きるのか、何故国が滅ぼされることが終末の時に起きるのかというと、それは、終末は神の「憤りの時」だからです。

終末は、70週の間忍耐された方に対して、悔い改めることのない「兄弟」、クリスチャンへの裁きの
時であり、自分を創造した神を知ろうとしないこの世の人への神の憤りの時なのです。

”20 あなたが見た雄羊の持つあの二本の角は、メディヤとぺルシヤの王である。
21 毛深い雄やぎはギリシヤの王であって、その目と目の間にある大きな角は、その第一の王である。
22 その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こることである。しかし、第一の王のような勢力はない。”

雄やぎは、ギリシヤの王であり、終末に起きてくる一本の角は、この雄やぎの角なのです。ですから、終末の獣は、ギリシャの流れの国、ローマ帝国が関係します。

23 彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。”

「横柄で狡猾なひとりの王」こそ、終末の獣の国です。この国はローマ帝国、その子孫であるヨーロッパの国々の
そむきの罪がきわまった頃、出現します。この獣の国の位置する場所はかつてのローマ帝国の場所とは、異なりますが、人種的には、彼らの子孫なのです。また「狡猾な」と訳されたことばの原意は、「謎を解く」という意味あいです。ですから、この国は、聖書でいう謎を解きます。また、策謀をめぐらします。

誰にも反対できないように、「テロにやられた」という名目で、全世界の国を巻き込むこともこの策謀でしょうか。
また、例えば、手紙に炭そ菌を入れておいて、「手紙は危険だから皆e-mailを使いなさい」(実際はe-mailの文章は、皆エシュろん等で盗聴、傍受、記録されます)と皆に奨励するというような知恵を持っているのでしょうか。世界中の国々、人々は、この王の偽りにだまされていくでしょう。それは、
この王が人々の「そむきが窮まる」時に、終末の神の裁きの噐として、送られてきた特別な王だからです。神を真に神として崇めない者はこの偽り、惑わしを、悟り、見て、逃れることはできないでしょう。

24 彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。

この国は、あきれ果てるような破壊を行います。
例えば、湾岸戦争の時、イラクの国が爆弾を雨あられと受けた時のように、またユーゴの内線の
時、この国がNATO軍から、大変な爆撃を受けたときのように。また、彼は「事をなして成功し」ます。

しかも、今回のアフガンのことがらもそうですが、他の国が皆、競ってこの獣の国の嘘を
受け入れて競って、飛行機や爆弾や、戦艦を送ってきます。
”彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない”とのことばが成就しているのでしょうか。

確かにこのことばは成就しており、「テロ」といわれている事件が本当の事実かどうかは、別として、この国の言い分、政策に世界中の国々が、同調、協力しています。確かに、「事をなして成功し」ているのです。

そして、「聖徒の民」をこの国が「滅ぼす」とはっきり聖書に書かれていることを覚えて下さい。
今は、イスラム「原理主ぎ者」が標的になっていますが、そのうち、ほこさきはキリスト教原理主義者に向かうでしょう。原理主ぎ者とは、要するに「教えに忠実な者」のことであり、キリスト教原理主義者とは、ようするに、主の教えに忠実な人々ということなのです。

このこと、原理主義者ということばに関して、悪魔来の知恵による、すりかえが行われ、真に主につく者達は迫害の中に入っていくのでしょう。今、不思議にも急にイスラム原理主義者によるといわれる
テロがいくつも起きているように、そのうち、「キリスト教原理主義者」によるとんでもない事件がねつぞうされるようになるのでしょう。この偽りに惑わされる人々はこの世の人々だけでなく、愚かで、盲目な「クリスチャン」も入るのかもしれません。
我々が備えをなす時が近付いています。

”25 彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。”

この箇所は、brentonの70人訳では、かなりKJVと訳がちがいます。
今は、どちらが正しいのかということは、論じませんが、しかし、その訳も一緒に記しておきます。

25”彼の鎖によるくびきは増える。彼の手は巧みであり、彼は心の中で自分を大きなものとし、悪巧みにより、多くの者を滅ぼす。彼は多くの者を滅ぼすために立ち上がり、彼らを手の中の卵のように
粉々にする。”

この訳に沿ってこの節を考えて見ます。

”彼の鎖によるくびきは増える。”

この獣の国の鎖により、くびきを負わされ、いうことをきかざるを得ない国も増えてくるのでしょう。
1000兆円もの世界一の借金のくびきを負ってしまった、日本などは、獣の国のいうことをきかざるを得ない、そんなことをもさすのでしょうか。

”彼の手は巧みであり彼は心の中で自分を大きなものとし、悪巧みにより、多くの者を滅ぼす。

確かにこの獣の国が世界の世論を操る手法はうまいものです。テロにやられたのだから、
報復は当然と他の国を攻撃することを、皆に納得をさせてしまうのです。
しかし、事実は研究者によれば、「テロの首謀者」ということになっている、
人物の一家は、某国の大統領一家と、旧知の親しい間柄だということです。それならば、このことは、自作自演ということになります。

”彼は多くの者を滅ぼすために立ち上がり、彼らを手の中の卵のように
粉々にする。”

彼は、「多くの者を滅ぼす」と書かれている以上、終末の日に多くの国がこの獣の国のために滅ぼされていくでしょう。今、アフガンで起きている絶滅を目指すような破壊は、序曲に過ぎず、これから、ますます本格的な
破壊が起きてくると思われます。

東西の冷戦、共産主義の恐怖から、自由の国を守るなどという嘘のもとに、誰に気兼ねすることなく、この獣の国が長年貯えた膨大な兵器、爆弾、原爆等はこれからの終末の時代に多くの国々を滅ぼすために用いられるでしょう。
実際は、ジョンコールマン「300人委員会」等の研究者によれば、共産主義国ソ連は、ニューヨークのゆたや系金融家達により、支えられていた「はりこの虎」に過ぎないということです。
要は「共産主義の脅威」とは、この「獣の国」に膨大な軍事力を貯蔵するための陰謀だということなのです。ロシア革命政府スタッフの90%は某民族で占められていることを知る時、このことは、
あながち嘘とはいえません。
 

これからの時代は、聖書がかねてから語っていた終末の日であり、その時、神を知ろうとしない国、人々は、この獣の”手の中の卵のように粉々に”されるでしょう。それは、この終末の日にこの獣の国が今迄の偽りの仮面を脱ぎ捨て、「立ち上が」るからです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー