NO.243 捕らえ移される

”テキスト:列王記第二 15:29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリヤへ捕え移した。”
 

聖書は終末の教会が変質し、道を曲げ、堕落することに関してあらゆる表現を用いて、色々な角度で
警告しています。
すなわち、都、宮の崩壊、民の獣化等です。そのうちの一つの表現が「捕らえ移される」ということです。ダビデの血を引くユダの王朝は、、敵国バビロンに破れ、崩壊してしまいます。そして最後に先祖の地、約束の地に住んでいた彼らは他国の地、バビロンの地へと捕らえ移されてしまいます。
これは終末の日に「捕らえ移される」神の民の予表です。このことを見ていきましょう。
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”列王記第二 15:29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリヤへ捕え移した。”

北イスラエルはカソリックの予表です。この日、北イスラエルはアッシリヤにより捕らえ移されたことが
書いてあります。イスラエルの全地はアッシリアに占領され、彼らは捕らえ移されたのです。多くの勇敢な先祖達が活躍した土地も皆、敵に占領されました。例えば、彼らが占領したギルアデに関して聖書はこう書いています。

士師記11:1:”さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。”

この勇士エフタの地、ギルアデも敵に奪われてしまったのです。今のカソリックも同じです。
日本にキリスト教が伝わってしばらくして起きた長崎の地でおきた「26聖人の殉教」は、
勇敢な日本のキリシタンの話です。しかし、今、その後をついでいるはずのカソリックの人々は、
「聖書は神話にすぎない」「仏教徒も救われる。神は偏狭な方ではない」などと、曲がりきったことをうそぶいています。どうして彼らが、「改宗することを拒み、命をささげた」26聖人の信仰の子孫といえるのでしょう。ギルアデの地が敵に奪われたように、信仰の先祖達が勇敢に守り抜いた地は今、敵に奪われてしまったのです。

”歴代誌第一 5:26 そこで、イスラエルの神は、アッシリヤの王プル(区分)の霊と、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセル(すばらしい契約をはがす)の霊を奮い立たせられた。それで、彼はルベン人とガド人、およびマナセの半部族を捕え移し、彼らをハラフ(痛み)と、ハボル(結合する)とハラ(山地)とゴザン(切り離す)の川に連れて行った。今日もそのままである。”

ここにも北イスラエル、今でいうカソリックが捕らえ移されることの記述があります。
彼らの不信のゆえに「イスラエルの神は、アッシリヤの王プルの霊と、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルの霊を奮い立たせられた」のです。今のカソリック、そして、プロテスタントもその不信のゆえに
あるべき地から遠く移されています。

ですから、どうか決して惑わされてしまわないように気をつけましょう。神は、一部の
「ことばを曲げる人々」のいうように、やみくもに罪をゆるす方、「創世記は神話だ」などと
偽りを言うものをいつまでの喜んでいるような、「泥棒や偽り者の友達」のような方ではありません。
逆に「決して罰せずにはおかない方」であると書かれているではありませんか。

「イスラエルの神は、アッシリヤの王プルの霊と、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルの霊を奮い立たせられた。」と書かれています。プルとは、「区分」という意味です。捕らえ移された者と捕らえ移されなかった者との間には、明確な「区分」があります。一方は、御国を受け継ぎ、他方は受け継ぎません。
他方とは、エデンの園のアダム、イブのように、蛇のことばに聞き入り、「神のことば」を投げ捨てた愚か者達であり、アダム達が「永遠の命」を象徴する「命の木の実」を受けられなかったように、彼らは永遠の命を受け継がない人々です。今の時代の教師、法皇を始めとする偽りの人々は、「地獄は無い」などと、全く聖書と正反対のことを述べていますが、うかうかとそんな蛇のことばを受け入れる人々は、
エデンの園の愚かな先祖と同じ結末に至ります。

また、ティグラテ・ピレセルとは、「あなたはすばらしい契約をはがす(uncover)」との意味です。
すばらしい契約とは、我々クリスチャンを購う救い主とのすばらしい契約のことでしょう。
しかし、この日、この名前の敵は、神の民イスラエル人を襲い、彼らを遠い国へ捕らえ移してしまいました。終末の日にも惑わされた神の民が、この神との「すばらしい契約」から、外されていくでしょう。
彼らは、ハラフすなわち、「痛み」を受け、ハボルすなわちこの世と「結合」し、「ゴザン(切り離す)の川」すなわち、命の水なる聖霊から切り離された地へ移されます。

”列王記第二 25:21 バビロンの王は彼らを打ち、ハマテ(要塞)の地のリブラ(肥沃)で殺した。こうして、ユダはその国から捕え移された。

ここでは、バビロンに捕らえ移されるユダ国について書かれています。ユダは今のプロテスタントの予表ではないかと私は思っています。

ここでは、彼らが殺され、バビロンへ捕らえ移されていくことに関して語られています。
ですから、プロテスタントも捕らえ移されるのです。もうすでに捕らえ移されている人たちもいます。
史的イエスだのQ資料だの、創世記は神話だなどといっている人々は、はっきりいいますが、既に移されています。そのようなプロテスタントの人々は信仰の先祖達の土地にもういません。
彼らは「ハマテの地のリブラ」で殺されます。ハマテとは「要塞」の意味であり、もっとも頑丈な、敵の攻撃から、都や家を守るために建てられるものです。ところが、そこを敵に奪われ、殺されたのです。
プロテスタントのもっとも堅固といわれた人々、集まりが敵に奪われ、しかも殺されてていることを示唆しています。例えば、カリスマ、ペンテコステの人々は、プロテスタントの中でもっとも熱心で忠実なグループの一つではないでしょうか。しかし、彼らは見事に「獣のリバイバル」に取り込まれています。

また、リブラすなわち「肥沃」な土地でこのユダの人々は殺されました。
多くのみことばの良い教えがあるはずの神学校がすでに敵の手に落ち、神学者の中に「怪しい」人々が紛れ込んでいることを「角笛」は語ります。たしかに、教会の「肥沃」な土地も彼らの手にわたっているのです。

そして「こうして、ユダはその国から捕え移された。」と書かれています。ですから、プロテスタントの諸教会も終末の日には、捕らえ移され、先祖達に与えられた「約束の地」とは無縁の者、すなわち、
御国を受け継がない者となることをしっかりと理解して下さい。
カソリックもプロテスタントもともどもにあるべき地から移され、終末の日には「獣」になるのです。
黙示録に「小羊のような二本の角を持つ獣」とは、この終末の「獣化」した2つの教会をさすのです。
彼らは全く捕らえ移され、獣化しています。

進化論、すなわち、人も獣も同類だという考えをすっかり受け入れ、自ら「獣」であることに同意しています。

”列王記第二 24:14 彼はエルサレムのすべて、つまり、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や、鍛冶屋もみな、捕囚として捕え移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。”

ここでは、エルサレムの全てが、捕らえ移されてしまったことが、書かれています。彼らは
神の民の領域から捕らえ移され、異邦の地、混乱の地、バビロンの地へ移され、そこに
住むようになってしまったのです。このバビロンの地へ移された世代は、大変特別なものであり、
今迄の先祖とは、全く異なった世代です。そして、それは、今この現在の世代の上に起きようとしています。「すべての高官、すべての有力者」と書かれています。ですから、キリスト教会の有名な働き人、
有力な聖徒もみな捕らえ移されてしまうのです。「職人や、鍛冶屋もみな、捕囚として捕え移した。」
と書かれています。これは何をさすのでしょうか。たとえば、「鍛冶屋」は、剣や槍を作ります。
これらは御言に関するたとえです。ですから今の時代の「聖書の神学者、教師」もみな捕らえ移されてしまうことをいうのです。「貧しい民衆のほかは残されなかった。」とは、暗示的です。
貧しいとは、福音書の「貧しい者は幸い」とのことばと関連します。また、「金持ちの青年」と対称的です。彼はどの律法も守っていると答えた、行いに「富める人」です。ですから、「貧しい人」とは、がんばっても行うことのできない、主に頼るしか、望みのない人々でしょう。しかし、彼らは
捕囚されずに残るのです。

”エズラ記 5:12 しかし、私たちの先祖が、天の神を怒らせたので、神は彼らをカルデヤ人であるバビロンの王ネブカデネザルの手に渡されました。そこで、彼はこの宮を破壊し、民を捕えてバビロンに移したのです。”

旧約の日、ユダの民の上におきた「バビロン捕囚」は、彼らが「天の神を怒らせた」ためです。
同じように終末の日に神の民がバビロンに捕囚されるのも、彼らが「天の神を怒らせた」からなのです。
私達は主に立ち返らなければなりません。

繰り返しますが、終末の神の民の一つの特徴はあるべき地から「捕らえ移されること」です。
このことに含まれる警告に耳を傾けることが大事です。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー