No.231 ふたりか三人の証人(3)

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”ヘブル人への手紙 10:25かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。
27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。
28 だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。
29 まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。
30 私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」、また、「主がその民をさばかれる。」と言われる方を知っています。
31 生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。”

本日は「ふたりか三人の証人(3)」として、この件に関してヘブル書からもう少し見ていきましょう。
このヘブル書にも「ふたりか三人の証人」及び「終末の裁き」について書いてあります。

順に見ていきましょう。

”25かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。”

「かの日」とは終末の裁きの日のことであり、その日は近付いていることがわかります。

”ヘブル人への手紙 10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。”

終末の裁きは「真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続ける」人々に愛しておこなわれることが、理解できます。

”27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。”

「さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火と」がその人達の上に下ると書いてあります。
このことは聖書ではっきりと神が明言している以上、実際に終末の神の民の上に起きてくることを理解して下さい。
これは、具体的には、悪霊のリバイバルという形で実現します。

”28 だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。”

そして、このこと、「終末の日に悪霊のリバイバルにより神の民が滅びる」ということに関しては、
もう既に「二、三の証人のことばに基づいて」語られていると聖書は語ります。
もう聖書でいう「手続き」は済んでいるのです。

「二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。」

かつて旧約のイスラエルの民の中で、「死罪」にあたる罪を犯した人々は「二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられ」ました。これは、聖書の方法であり、神の方法です。

終末の日の「火による裁き」に関しても「二、三の証人のことば」がそろうなら、後は裁きに進むことを覚えて下さい。

もうこの「火によるさばき」に関する証人は与えられているようです。

1. ロトの日のソドム、ゴモラの「火のさばき」の証言は前もって与えられ、私達はその
裁きの後を今でも見ることができます。(死海はそのあと)このことは事実起こりました。

2. また、エルサレムは前もって語られたようにバビロン軍により、「火で焼かれ」滅びました。(エレミヤ52章)

3. そして主は終末のバビロンの裁きに関して「淫婦バビロンは火で焼かれる」ことを黙示録で述べています。
確かにこのことに関しても2、3の証人はそろっているのです。

”29 まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。”

裁きは「恵みの御霊を侮る者」に与えられます。そしてそれは「悪霊の裁き」なのです。その時、神の民は惑わされ、「自分を聖なるものとした契約の血」すなわち、聖霊を「汚れたもの」とみなします。
聖霊を悪霊と呼ぶのです。それは彼らの裁きを招きます。
 

”30 私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」、また、「主がその民をさばかれる。」と言われる方を知っています。”

「主がその民をさばかれる。」とは要するに終末に「その民」、クリスチャンへの裁きがあるということなのです。「クリスチャンと名がつけば決して裁かれることが無い」などというねぼけた教えにだまされてはいけません。

”31 生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。”

多くの人々が生ける神の裁きの手に入ろうとしています。私達は神を恐れなければなりません。

さて、繰り返すようですが、聖書が「裁き」の前提に、「二、三の証人のことば」と何度もいう時、
「裁きのために」4人の証人は必要としない、別なことばでいえば、「3人目の証人」が出現するなら、もう裁きの最後の用意が整ったことがわかります。すなわち、3ということばは最後を示す、最後通牒のような数字なのです。

すると何故、あの獣のリバイバルを彼らが「聖霊の第三の波」と呼ぶのか、その理由がわかってきます。
これらの悪霊のリバイバルをひき起こし、継続している人たちもそれなりに聖書的な数字を使っていることがわかります。「聖霊の第三の波」という数字の意味するところは「最後通牒」「最終、最後の悪霊の波」というようなニュアンスがもしかするとあるのかもしれません。もちろん、これは私の想像ですが。
もしそうなら、聖書もそして、敵の働きもすでに「最終段階へ以降」していることをとらえましょう。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー