No.226   自ら実を食らうエバ

 

テキスト:”創世記3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

本日は、「自ら実を食らうエバ」として、悪魔の人への惑わしに関して見ていきたいと思います。

創世記には、クリスチャンに対しての、多くの実際的な教訓が満ちています。
ですから、この書を「神話だ」とうそぶく愚かな人々、(彼らこそ聖書が語る「あざける人々です」)には、何の助けにもならないでしょうが、神のことばを真剣に求める人々には大いに助けになります。

この創世記のエデンの園の最初の誘惑の箇所は、その後、神の民と悪魔との間に何千年にもわたり繰り返されるる多くの「あざむき」の最初であり、もっとも代表的な形です。
この中に敵の惑わしに関する多くの教訓が含まれています。

この惑わしの話の中で注目すべきことは、この時、惑わされた女は、自らの手で、この「禁じられた実」を取り、そして食べたということです。それだけでなく、夫にも分け与えたのです。

勿論、だましたのは、「蛇」なのですが、しかし、この蛇が無理矢理女の口にこの「禁じられた実」を押し込んだり、強制して、食べさせたのではないのです。
あくまで彼女は自らの意志と自らの手で取り、また自ら食べているのです。

この事実は示唆的です。何故なら、今に至るまで、悪魔の惑わしに惑わされる時、いつでも女(教会)は、
自らその気になって、禁じられた実を食べてきたからです。そして、
このパターンは終末においても、いや終末においてこそ、はっきりと繰り返されるからです。

この視点に基づき、上記テキストを見ていきましょう。
順にみます。

”1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」”

蛇はこうかつであり、また神のことばをよく知っています。彼が「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」と女に語った時、彼はこのことばが確かに神からのものであること、そしてこのことばを守ればどのような祝福を女が受けるのか、そして守られなければ、どのような祝福を逃してしまうのか、それどころか、命を受け損なうかをも熟知していました。
そして、どのようにアプローチをすれば、この女の神のことばへの信頼を崩すことができるのかも
よく知っていたのです。

今でも、いや今こそ、この蛇の働きは活発に働いていることを理解しなければなりません。
彼ら、蛇の働き人は、どのようにアプローチすれば、「神のことばを信じている」と称する人々を
実質的に神のことばから、背を向けさせられるのかを熟知しています。
そして、あらゆる窓わしを繰り出しているのです。
やれ、人間イエスだ、Q資料だ、文献学だ、新神学だ、進化論だなどなど、いかにも科学的な方法で、
神のことばにとどまろうとしない人々を揺り動かし、惑わしているのです。

”2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」”

女は、神が実際に言った言葉を忠実にとらえていません。「触れてもいけない」などと付け加えているし、
一方では、「死ぬといけないからだ」などと弱めているのです。

”4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。”

蛇は神のことばと正反対の偽りを断言しています。

”5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」”

蛇はこの実を食べるという「神のことばを裏切る行為」に伴う、メリットに関して強調します。これらは、あながち嘘でもない、いや半分は真実なのです。そして、このパターンこそ蛇の、女、教会をだます、じょうとう手段なのです。

この手口で教会は、何度も何度もだまされてきました。そして、極め付けは、この終末において、
この敵に同じパターンで大敗北を決しようとしているのです。
それで、誰でも、主の知恵を得たものは、この敵のパターンを見破り、警告のわざをなしていくべきです。

人間の間でも詐欺師というものは、だいたい「うまい話」を持ってくるものです。

「あなたのお金を私に下さい。利子もつけないし、返金もしませんが、どんと1000万円程、私に下さい。お金がなかったら、借金をしてでも私に下さい。」などと虫のいい話をして、
お金をくれる人はいるでしょうか?我々の想像ではそんな人は、皆無でしょう。

しかし、ものごとはそれこそ、話のもっていきかたしだいで、おどろくべきことには、1000万でも
2000万円でもだす人がいるのです。

「今、お金を出せば、1000万円が、1年で10倍になる」などという「うまい話」にして持ち込めば、それを本気にして、ありたけの財産を差し出す人は今でも多いのです。

「蛇」を用いたサタンは、この女、エバをだまそうとした時、心の中で随分、虫のいい計画をもっていたのです。「神は確かにアダム、エバにはっきりと、『この実を食べると死ぬ』と語った。この言葉をくつがえして、エバに自分で、この実を食べさせたい。それにはどうしたら良いものか。」
そして、彼は考慮に考慮を重ね、「この実を食べると神のようになる。善悪を知るようになれる」といううまい話を持ち出したのです。

そして、彼女はみごとにこのうまい話にひっかかったのです。このひっかかったエバは、愚かです。
しかし、彼女を笑ってばかりはいられません。何故なら、教会は今に至るまで同じ手口に引っ掛かり続けているからです。
 

最近、聖霊の波がやってくる、第三の波だ、この中で、すばらしい聖霊のたまものの働きがある、
なんていう結構ずくめののうまい話が、日本の教会にやってきました。結構ずくめの話のようなので、
みんな乗ってしまいました。しかし、この働き、リバイバルには、裏があり、何とこのリバイバルの中には、獣の霊が働いていたのです。ここに入っていく多くの人々が「獣の印」を受けていきます。
そうです、うまい話には気をつけなければいけないのです。

18世紀頃、英国を中心にいわゆる「兄弟達の働き」(今のブラザレンにあたるようです)が始まったということです。J.N.ダービーを始めとする「兄弟達」を通して多くのすばらしい聖書の真理が解き放され始めたとw.ニー兄は書いています。

それは、それで、すばらしいのでしょうし、ブラザレン系の働き人には、確かに神から来ている働きもあるので、一概にはいえないのですが、一つどうしても言わなければならないことがあります。

それは、それらの「すばらしい聖書の知識」とかいう教えの中に多くの教会を破壊する教理が入っているということです。いわく、J.N.ダービーがアメリカ各地で、一生懸命伝えたという「艱難前携挙説」です。
これこそ、悪霊の教えであり、終末の日の神の民の備えを崩壊させたものです。
彼らの「深い教え」に感心した人々は、疑問もなく、この「悪霊の教え」を受け入れていき、そして、
今では、この悪霊の教えは教会内で「正統的な教え」ということになっています。
まるで、どろぼうが入ってきてその家の主人になってしまったようなものです。

この教えを始め、教会を破壊するいくつかの重要な教えがこの「兄弟達」の働きには入っています。ですから、「うまい話」には気をつけなければならないのです。

「すばらしい光だ、深い教えだ」なんて感心している間に、もっとも大事な部分に攻撃を受けるからです。
「悪霊の第三の波」が用意周到な計画的なものであったように、もしかするとこの「兄弟達の働き」にも再考慮すべき点があるかもしれません。

”6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。”
 

女は、神のことばを離れ、蛇の惑わしに入りました。この時、彼女の命を奪い、永遠の命への道を絶ち、破滅に至らせるはずの実は、彼女の目に「まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった」のです。

何の不都合もこの実にあるようには見えなかったのです。
しかし、結果はどうだったでしょう。この実を食べた結果、エバもアダムも「命の木」への道を絶たれ、
「彼らが永遠に生きないように」その道は閉ざされたのです。

ですから、アダムとエバは、その道が開かれていたのにもかかわらず、みすみす「永遠の命を獲得」することに失敗するクリスチャンの型です。
彼らと同じように惑わしに入る人々は、決して永遠の命を獲得することはできないことを覚えるべきです。

惑わしということをどうぞ、深くとらえて下さい。狼が羊を捕まえることがいとも簡単なことであるように、悪魔が人をまどわしに入れることは、簡単なことであり、いつでもあり得ることなのです。
ただただ、神のあわれみにより、助けられた人のみ、それを逃れるのです。

たとえば、統一原理にいる人々も「惑わし」の中にいます。
あの韓国の文なんとかという名前の人は、我々にはどう見ても「再臨のキリスト」には、見えないのですが、惑わしの霊が働く時、彼らにはすっかりそう思えてしまうようです。そしてその中に入ると、それを逃れることは難しいのです。

また、マリヤを礼拝する人々も惑わしの中にいます。マリヤをかたる霊は悪霊なのですが、
それを礼拝する人々には、何だかこころよい霊に思え、これがとても悪い霊には思えないのでしょう。
 

同じように例の獣のリバイバル、聖霊(悪霊)の第三の波も悪霊なのですが、
その渦中にいる人々には、何だか聖霊に満たされているように思えるのでしょう。
彼らは等しく、惑わしの中にいるのですが、神のあわれみがない限り、それから
目覚めることは困難です。

”それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。”

敵は惑わし、そして女は自ら手を延ばし、その「死に至らせる実」をとって食らうのです。

獣のリバイバル、悪霊の第三の波は、けっこうずくめのように思えます。
それで、主に聞くより、自分の感情、思索、意見を重視する人々は、その実をとって食らいます。
彼らは自分でこの中に入り込み、そして惑わしの霊を受けているのです。皮肉にも、
まさに「聖書的」です。

しかし、その結果は、ビデオの中で、ケネスクープランドが叫んでいるように「獣の印」をその額につけられる結果になるのです。

惑わしに入る事のないように主のあわれみを求めましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー