No.200 逆のことをいうサタン


”テキスト:
創世記2:16 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創世記3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。”

本日は「逆のことをいうサタン」という題でメッセージします。サタンが人をだます一つの特徴は、
「真実」と全く正反対のことをいうことだということを見ていきたいのです。

終末の時代には、サタンが我々を惑わし、多くの人が惑わされていくということですが、その時、我々の指針、助けになるのは、唯一の書、「神のことば」聖書であることを改めて知らなければ、
なりません。この書、特に創世記のエデンの園における記述には、「サタンの惑わし」に関する、はっきりしたパターン、教訓が書かれています。このことに目を止める人は、大きな助けを受けます。
逆に「昔の神話さ」などと、馬鹿にする人々は何の助けもうけないでしょう。彼らが惑わされるのは、この命の言葉を捨て去ったからです。

上記のテキストを見てはっきりわかることは、サタンが女に対して、神のことばとは全く逆のことを
語っていると言うことです。神は「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」とはっきりいわれています。

それに関して、サタンは、「確かにこの実は多少は体によくないかもしれないが」とか、「実を食べれば、かぜぐらいひくかもしれない」などとはいっていません。
彼は「あなたがたは決して死にません。」と断言しています。単に死なないというだけでなく、
「決して」などということばまでつけて、断言しているのです。そして、神が「必ず死ぬ」と断言したことがらに関して「決してしなない」と逆の断言を与えているのです。
彼は確かに偽りものなのですが、一つの特徴として、彼がだます時、神のことばや真理と全く逆、180度反対のことをいうことを知らなければ、なりません。これが彼の偽りの一つの特徴、パターン、手口なのです。

そして、この時の女の反応をも見ておくべきです。
このように全く逆のことをいわれた女はどのように反応したでしょうか。驚くべきことに、この女は、全く蛇にだまされ、自分を死に至らしめるその実を自らの手でとって食らったのです。
これは、終末の日に蛇にだまされ、自らの手で、死に至らしめる教えをとる、教会の型です。
さて、もう一つのことがあります。、ここで、登場する女は、誰でも知っているようにエバのことです。しかし、このテキストの中には、エバという表現は使われておらず、必ず「女」と書かれています。このことにも示唆があります。すなわち、ここでは個人としての「エバ」の話をしているようで、それだけではなく、実はもう一つの預言的な意味あいが含まれているのです。それは、「女」、教会に関することがらであり、教会が蛇にだまされ、神のことばと全く逆のものをつかみ、結果として、命の木から離され、追放されることを語っているのです。ですから、ここには、アダム、エバの歴史的な事実とともに未来に関する「教会」への預言が記述されているのです。

さて、ここでのサタンの特徴は「神のことば」と全く逆のことをいうこと、しかも女にそれを信じ込ませることに成功したということです。

このサタンの特徴は終末に向けて、ますます教会の中で、発揮されてきています。
「どこにそんなことが?」などという人は、失礼ながら、全く目が曇らされています。私達の目が開かれるなら、多くのサタンのこの「バターン」の偽りを教会内で見ることができます。

<終末はないという>
このHPの多くのメッセージでも、書いているように、神は
「終末」について数多く警告をしています。ところがあろうことか、
ローマ法皇は「終末はない」と語ったそうです。
彼がそういう時、それこそ神のことばと全く逆のことを語っているのです。蛇の本領発揮というところです。「しるしを行う悪霊なる」フアテイマのマリヤはこの教皇こそ、「キリストから与えられた子」といっているそうですが、こちらの方も正体暴露ということでしょうか。

<悪霊を聖霊という>
トロント、ペンサコーラリバイバルは例のビデオでわかるように、明らかに悪霊のリバイバルです。
これらのリバイバルの問題は、「ペンテコステのリバイバルより、聖霊の働きが顕著でない」とか「教理が、不明確」というような、末梢的な問題ではありません。これは、命の水のかわりに、毒の水を飲ませるという生死に関わる問題なのです。かつて「青酸入りコーラ事件」ということが報じられました。こんなものをだまされて飲めば誰でも死にます。同じように、このリバイバルを受け入れていく人々は永遠の命を失っていきます。「毒の水」と「命の水」とは、全く逆のものだからです。そして、このような恐るべき霊をあろうことか、「神の民」は先を争って求めています。サタンの欺きがいかに巧妙かがわかります。

<終末に教会は裁かれないという>
終末の時代に「神の民」が裁かれるということに関して、聖書はあらゆる種類の警告を、それこそ、言葉をつくし、多くの預言者を通して語っています。しかし、驚くべきことは、悪魔は「終末の時代に教会が裁かれる事は無い、終末とは教会にとって勝利の時だ」などという、全くの逆の大嘘を広げています。終末の艱難時代の前には、教会は「秘密の再臨のイエス」によって挙げられるので、心配はないなどというのが、この嘘です。
 

「全く逆のことをいう悪魔」「そして、それを信じ込む女(教会)」という預言は悲しいかな、私達の目の前で成就しています。しかし、私達にあっては、終末の日に選ばれた者としての歩みを固くしていきましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー