No.197  ソ ロ モ ン と 聖 霊(その1)


1. ソ ロ モ ン と 聖 霊
イラエルの多くの王達の中で、その父ダビデとともにソロモンは特異な位置を占めていま
す。聖書はI列王記で10章、II歴代史で9章、計19章もの章に渡ってソロモンの業
績、歩みを記しています。これらの章の記述にあるソロモンの事跡は私達にとって”聖霊
”なる方の数々の特徴を記したものです。以下にその理由を簡単に記します。
 1)ソロモンとは平安を意味する。
 「私の名によってお遣わしになる聖霊は..私はあなたがたに私の平安を与えます。」
ヨハ14:26ー27
 2)ソロモンは初めて神の宮(神殿)を建てた王である。
 Iコリ3:16「あなたがたは神の神殿であり神の御霊があなたがたに宿っておられる
 事を。」

 3)ソロモンは知恵の王である。
 ヨハ14:26「聖霊はあなたがたに全てのことを教え」

尚、以下に個々に聖書の中でどのようにソロモンに関する記述を通して聖霊に関して語
っているか学んでいきます。これらの’みことば’を学ぶことは私達が’聖霊’について
理解する大きな助けになると信じます。

2  ダ ビ デ と ソ ロ モ ン

サムエル記、列王記、歴代史には多くのイスラエルの王達の生涯が記されています。しか
しその中で、ダビデとソロモンの二人の王に関して聖書は特別な位置を与えています。そ
れは以下のことから解ります。
 1)ダビデとソロモンに関する多くの章
 ダビデとソロモンに関して聖書は多くの章を割いています。これはこの二人の人物に関
 する重要さを示しています。
 2)イスラエルの国はソロモンの時迄統一されていた
 ソロモンの子レハベアムの時代からイスラエルの国は北王朝と南王朝の二つに分かれて
 しまいました。この分裂以前の3人の王、サウル、ダビデ、ソロモンはそれ以降の王達
 と比較して聖書の中で大きな位置を占めています。
 

 聖書の中で同じ人物に関して何度も繰り返してそ
の生涯の出来事を細々と記述するということは非常に例外的なことです。それでこの二人
の王は神の前に例外的な位置をもつことが解ります。
さて私達は聖書の中でもう一人その生涯を繰り返し、繰り返し記された方を見ます。その
方は他でもない私達の主イエスキリストです。4人の福音書の記者がキリストの生涯を記
録しました。この二人の王、ダビデとソロモンはキリスト、及び聖霊を象徴されていると
いうのが私の確信です。

3  ダ ビ デ に つ い て

ソロモンについて語る前にまず、その父でありイスラエル王国を建てたダビデについて記
さなければなりません。ダビデとは誰でしょうか。どなたを象徴する人物でしょうか。こ
れはあまり難しくない質問だと思います。あまり考えなくても’キリスト’との正しい答
えが返ってくると思います。その通りです。ダビデの生涯の多くの出来事は王であるキ
リストを暗示するものです。すなわちキリストと同じくベツレヘムで生まれ30歳で王と
なり(キリストは30歳で公生涯に立たれた)多くの敵を打ち破った勇士です。多くの聖
書学者が認めているようにダビデは聖書の中でキリストを予表する代表的な人物です。

4  神 の 宮 を 建 て ら れ な か っ た ダ ビ デ

ソロモンとダビデの関係を見るときここにキリストと聖霊の関係に関するいくつかの教え
、真理が隠されていることが解ります。その一つはダビデには神の宮を建てることが許
されず、かえってその子ソロモンが宮を建てたということです。
ダビデは神の宮を建てることを自ら希望します。しかし神は「あなたは私の為に宮を建て
てはならない」I歴28:3といわれます。何故でしょうか。これは何を意味しているの
でしょうか。ダビデはキリストを象徴していますが、さて私達はキリストがこの世におら
れたとき聖霊は下らず、かえってキリストが昇天された後、聖霊が下り多くの人が”神の
宮”とされたことを見ます。キリストは人の子としてこの世におられた時多くの驚くべき
奇跡、わざを行われました。しかし私達は又人の子としてこの世におられたときキリスト
がなされた事、なされなかった事とを明確に区別せねばなりません。人の子なるイエスは
「人々を神の宮にする働き」は聖霊に委ねられたのです。そしてダビデが神の宮の建設を
自らせずそれをソロモンに委ねたことはこの事実を象徴します。

5  神 の 宮 の 設 計 及 び そ の 材 料 は ダ ビ デ に よ り
 用 意 さ れ た

 「ダビデはその子ソロモンに玄関広間、その神殿宝物室..などの仕様書を授けた」I
歴28:11
「私は全力を尽くして私の神の宮の為に用意をした。すなわち、金製品のための金..
」I歴29:2

聖書はダビデは神の宮を建てなかったもののその設計、及びその材料を自身で用意したこ
とを記しています。この事実はキリストの次のことばを思い起こさせます。「みたまは私
の栄光をあらわします。私のものを受けてあなたがたに知らせるからです。」ヨハ16:
14これらの記述を通して私達は聖霊の基本的な性格を理解することができます。聖霊と
はどのような方でしょうか。この方はキリストのものを私達に知らせる方です。

「これら全ては私に与えられた主の手による書き物にある。彼はこの仕様書きの全ての
仕事を賢く行う」I歴28:19

彼、すなわち聖霊こそこのダビデ(キリスト)の仕様書きのすべてを行う方です。
キリストは意図され、そしてその仕事の実行は聖霊に任されました。私達の内側で業を成
し遂げ、私達を神の器と変えることのできる方、すなわち「この仕事を賢く行」われる方
こそこの御霊です。ソロモンとダビデの関係は御霊とキリストとの関係にそのままなぞら
えることができます。すなわちダビデは意図し、ソロモンは実行します。そのようにキリ
は意図しその実行は聖霊によってなされるのです。

6  神 の 宮 に 納 め ら れ る 器 具

「そこでソロモンは父ダビデが聖別したもの..すなわち器具類を運び入れ神の宮の宝物
倉に納めた。」II歴5:1

この宮の中に運び入れられる器は他でもない聖霊の器として用いられ、神の用に立つ個々
のクリスチャンを象徴しています。器に関するこれらの記述が教えることの一つはそれぞ
れの器は種類が異なり、それゆえそれぞれその用途があるということです。そしてもう一
つはこれらの器がダビデーキリストにより分けられ聖別されたものだということです。「
ダビデが聖別した」とのみことばは「私が世からあなたがたを選び出した」ヨハ15:
19とのキリストのことばを思い起こさせます。私達は神の器として尊ばれ、そして神の
宮の中で用いられます。しかしその資格、根拠は唯ひとつ、神のみ子により選ばれ世から
聖別された者であるという事実にあることを忘れてはいけません。

7  ソ ロ モ ン と 神 の 宮

”聖霊”の象徴であるソロモンの生涯にはいくつかの特徴がありますがそのもっとも大き
な象徴的な特徴はソロモンが”神の宮”を建てた王であるということです。この神の宮に
関して新約聖書ではこの様に書かれています。「あなたがたは神の宮であり」Iコリ3:
16 このソロモンの宮に関する聖書の記述は私達に聖霊に関するいくつかの真理を教え
ます。

 1)ソロモンが宮を建てた
 「私は父ダビデに代わって立ち..主の名のためにこの宮を建て」II歴6:10
私達は今、神の宮とされていますが、この方、私達を宮とされた方はソロモンであると記
されています。知恵に満ち知識に満ち、富に満ちた方、すなわち聖霊が私達を宮とされま
した。私達に何か欠けたところがあるでしょうか。

 2)宮に神が住まわれる
 「神は果たして人間と共に地の上に住まわれるのでしょうか。..この宮などなおさら
のことです。」II歴6:18

このソロモンのことば、「神ははたして人間と共に地上に住まわれるのか」とのことばはもっ
ともな疑問です。私達人間には、この生ける神ご自身に対して我々と共に地上に住んでくれる
様望む何の根拠があるでしょうか。しかしこれらの宮の記述の後、「ソロモンが祈り終え
ると..主の栄光がこの宮に満ちた」II歴7:1と記されています。
私達がクリスチャンになって聞くもっとも驚くべき教えは私達の内側に聖霊、すなわち神
ご自身が住まわれるという教えです。そしてこの宮の記述はこれが単なる教えではなく、
神の宮、私達の内側に神ご自身が住まわれるということは事実であることをを物語ってい
るのです。このことはどれ程説明してもし過ぎることはありません。

 3)神は宮でささげる祈りを聞かれる
 「そしてこの宮、すなわちあなたがみ名をそこにおくと仰せられたこのところに、昼も
夜も御目を開いてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞い
てください。」II歴6:20

神は今、私達を”神の宮”とされました。私達はここで祈りを捧げます。そしてとても重大
なことは、神はこの”神の宮”での祈りを聞き届けてくださるということです。神が祈
りを聞き届けてくださるということ、これはクリスチャンにとって普通のことと思われ、
あまり大きな感慨はないかもしれませんが、しかしこれは大きなことです。そしてこのこ
とはキリストのあの約束のことばを思い起こさせます。「あなたがたは今迄..求めたこ
とはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。ヨハ16:24

 4)神は宮に神の名を置く
 「この宮、すなわちみ名をそこにおくとおおせられた」II歴6:20
 このソロモンの時代、神の臨在、栄光はこの神の宮以外の場所には顕れなかったのです
。そしてこの宮に神は尊くもそのご自身のみ名を置くと仰せられました。この事実は何を
さすのでしょう。繰り返すようですが私達クリスチャンはキリストの名を冠せられたもの
であり、神の宮です。そして神はこの地上のどのような王でもなく、貴族でもなく、私達
クリスチャンの上にその名を置かれ、またその臨在を置かれるとおおせられるのです。こ
れはとても厳粛な事です。そして文字通り事実であると聖書は語っているのです。そうで
すこの地上における神のみ名の全権は私達クリスチャンにあるのです

 5)全焼のいけにえが火によって焼き尽くされた
 「ソロモンが祈り終えると火が天から下ってきて全焼のいけにえと数々のいけにえとを
焼き尽くした。そして主の栄光がこの宮に満ちた。」II歴7:1

ソロモンが祈り終えた後下ってきた火はペンテコステの火を思い起こさせます。あのペン
テコステの日に約束の聖霊は火となって下り私達を宮とし、クリスチャンのうちに宿られ
ました。同じくここでも天から火が下っていけにえを焼き尽くしています。この火は私達
の上に下り、私達の肉を全く焼き尽くしそして神へのこうばしい捧げものとなします。

 6)まとめ
 さてこれらの神の宮の特徴に関してまとめて記している節があります。
 「じつは私も主の名のために宮を建てて、これを主に捧げ、主の前にかおりの高い香を
たきパンを常に並び備え、また朝ごと夕ごとにまた安息日ごと新月の祭りごとに私達の
神主の例祭ごとに全焼のいけにえを捧げようとしています。このことはとこしえにイスラ
エルに命じられているのです。」II歴4:4

私達を主が聖霊の宮にされる理由は何でしょうか。それは実に 「主 の 名 の た め」
他でもない神
が私達を清めて栄光をとられるためです。そして私達を 「主 に 捧 げ る」ためであり
、私達を通
して「 か お り の 高 い 香 」、祈りを神の前に捧げるためです。そして 「朝 ご
 と 、 夕 ご と に 全 焼 の い
 け に え」ーすなわち聖霊の火により全く内側を焼き尽くした私達自身を神に捧げるた
めなの
です。そしてそれは 「と こ し え に イ ス ラ エ ル 」ー 神 の 民 に
定 め ら れ て い ることなのです。

8  ソ ロ モ ン と 知 恵

ソロモンがもっている大きな賜物の一つはその知恵です。以下にこの知恵について書いて
みます。
 1)この知恵は全てのクリスチャンの必要を満たす
 「..むしろ私が貴方を立てて私の民としたその民を裁くことができるようにと自分の
ために知恵と知識を求めたので」II歴1:11

この知恵をソロモンが神に求めた時の動機がここに記されています。この動機はそのまま
神が私達クリスチャンに知恵である御霊を与えられる動機でもあります。
「今知恵と知識を私に下さい。そうすれば私はこの民の前に出入りいたします。さもなけ
れば誰にこの大いなる貴方の民を裁くことができましょうか。」II歴1:10

地のちりのようにおびただしい民(II歴1:9)を裁くためにソロモンに神からの知恵
が与えられました。そして今、地のちりのようにおびただしい多くのクリスチャンー全世
界に散らばる多くのクリスチャンを裁き、さとし、導き、教えるためにこの聖霊は下られ
ました。そしてこのおかたは必要に応じて私達の前を”出入り”される方です。「その知
恵と知識とはあなたのものになった」と記されているように私達クリスチャンにとって必
要な知恵と知識とはソロモン(聖霊)にこそあることを忘れてはいけません。どの本に、
また牧師に、そして教会の誰か特定の人にこの知恵があるわけではありません。ソロモン
(聖霊)にこそこの知恵と知識とがあることを忘れてはいけません。
 

 2)ソロモンの知恵はこの世の知恵にまさっていた。

 「ソロモン王は富と知恵に関して地上のどの王よりもまさっていた。」II歴9
:22
 「神はソロモンに非常に豊かな知恵と英知と..エジプト人のすべての知恵とにまさっ
ていた。」I列4:29

ソロモンの知恵がエジプトの知恵にまさり、また地上のどの王の知恵にもまさっていた
ことがここに記されています。聖書の中でエジプトはこの世を象徴しています。すなわち
聖霊の知恵はこの世の知恵にまさっているここで述べています。これらの記述はヨハネの
手紙に「人々があなたがたにものを教える必要がない」と記されていることばを思い起こ
させます。私達クリスチャンのうちに聖霊により与えられた知恵はこの世の知恵にはるか
に勝っています。

 3)ソロモンの知恵は全ての問題を解決する。

 「ソロモンは彼女のすべての質問を解き明かした。ソロモンがわからなくて彼女に解き
明かせなかったことは何一つなかった。」II歴9:2

有名なシバの女王の全ての質問をソロモンが解き明かしたとここで記されています。そし
てソロモンが回答できなかったことは何ひとつなかったと記されています。聖霊は誠に
全ての私達の問題、難問を解決される唯一の回答者です。
 

 4)私達はこの知恵を身近に聞くことができる
 「なんと幸せなことでしょう。いつも貴方の前に立ってあなたの知恵を聞くことのでき
るこの貴方の家来達は。」II歴9:7

このシバの女王のソロモンの家来達への賞賛はそのまま聖霊の知恵を身近に聞くことので
きる私達クリスチャンへの賞賛と言えるでしょう。何と幸いなことでしょう。このソロモ
ンの知恵を身近に聞くことのできる家来達は。そして何と更に幸いなことでしょう。”ソ
ロモンにまさる方”の知恵を身近に聞くことのできる私達クリスチャンは。

 5)ソロモンの知恵は人々の噂を上回る
 「彼女は王にいった。..あなたは私の聞いていた噂を上回る方でした。」II歴9
:5,6

パウロが「ああ神の知恵と知識との冨はそこ知れず深いことでしょう。」ロマ11:13
と叫んだように私達の神の知恵は私達の思いを越え、人知では計り知る事ができません。
私達がこの聖霊の知恵に触れるとき「その半分も知らされていなかった」と思うことでし
ょう。

(続く)