No.194 いなごについて(3)


テキスト:黙示録9:1 第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。
2 その星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。
3 その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。
4 そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。
5 しかし、人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。
6 その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである。
7 そのいなごの形は、出陣の用意の整った馬に似ていた。頭に金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。
8 また女の髪のような毛があり、歯は、ししの歯のようであった。
9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その翼の音は、多くの馬に引かれた戦車が、戦いに馳せつけるときの響きのようであった。
10 そのうえ彼らは、さそりのような尾と針とを持っており、尾には、五か月間人間に害を加える力があった。
11 彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。
12 第一のわざわいは過ぎ去った。見よ。この後なお二つのわざわいが来る。
13 第六の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は神の御前にある金の祭壇の四隅から出る声を聞いた。
14 その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」
15 すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。
16 騎兵の軍勢の数は二億であった。私はその数を聞いた。
17 私が幻の中で見た馬とそれに乗る人たちの様子はこうであった。騎兵は、火のような赤、くすぶった青、燃える硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は、ししの頭のようで、口からは火と煙と硫黄とが出ていた。
18 これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。
19 馬の力はその口とその尾とにあって、その尾は蛇のようであり、それに頭があって、その頭で害を加えるのである。
20 これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、
21 その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。”

本日は「いなごについて(3)」としてメッセージします。今日は黙示録9章のいなごについて
見ていきたいと思っています。順にテキストを見ていきます。

2 その星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。”

ここで書かれている、煙、そして太陽が暗くなることは、ヨエル書の以下の箇所と似ています。


ヨエル書 2:30 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。
31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。”

ここにも煙について、そして太陽が闇となることについて書かれているからです。更に、この黙示録9章には、ヨエル書と同じく「いなご」について書かれています。ですから、この箇所は確かにヨエル書での「いなご」に関する預言が終末において成就している箇所なのです。

”3 その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。”

煙は以下の煙と同じことばです。

黙示録8:4

”香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。

ですから、この「煙」とは祈りのことかもしれません。聖霊ならぬ悪霊への祈りがささげられるのでしょうか。「その煙の中から、いなごが地上に出て来」るとは、すなわち、終末の日、神の民が神を礼拝するはずが、教会の中で神ならぬ悪霊を拝し、祈る、その中から、「いなご」すなわち、滅ぼす民が登場してくるのかもしれません。

4 そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。”

このいなご、すなわち、神の民を滅ぼす為に用いられる人々は全ての神の民を滅ぼすわけではなく、「神の印を押されていない人々」に害を与えることが許されているのです。この時、聖霊のバプテスマと誤解して悪霊のバプテスマを受けないよう気をつけるべきです。
 

”7 そのいなごの形は、出陣の用意の整った馬に似ていた。頭に金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。”

このいなごは、ヨエル書のいなごに通じます。ですから、この終末の時、「神の民」は、「いなご」と名ざされる、ある民に破壊的な打撃を受けるのです。彼らは、「出陣の用意の整った馬」すなわち、ある種の教会、集まりです。そして、馬は戦闘に用いられるものですが、彼らも
戦いにたくみな人々であり、裁かれるべき、神の民のみことばや、教理を曲げて、天国から遠ざけ、
また、聖霊ならぬ、偽りの霊を注ぎます。「。頭に金の冠のようなものを着け」と書いてあります。
金は信仰を表します。ですから、この民、器達は、「信仰の勇者」としてキリスト教会に知られる人々かもしれません。事実、たとえば、キャサリンクールマンはいやしの噐として有名でした。しかし、角笛HPによれば、彼女はフリーメーソン、すなわち、悪魔礼拝者でした。
また、「顔は人間の顔のようであった」とは、どういう意味でしょうか。
黙示録の中では、「獣」と「人間」との間には区別があることを知らなければなりません。
創世記によると神が「アダムに御自分の息(聖霊)を吹き込まれた時」人となったことがわかります。
ですから、神の霊を持たないならそれは、人ではないのです。獣です。このいなごは実際は人ではないのですが、しかし、「人のような顔」をしています。ですから、彼らは「神の霊を受けている」すばらしい働き人のようなふりをするのです。しかし、その実体は異なります。

”8 また女の髪のような毛があり、歯は、ししの歯のようであった。”

「女、髪の毛」という2つの単語が暗示することがらは、「権威に従う」ということです。
パウロが女性に対して「権威に従う」ことを語った時、彼は「女性の長い髪の毛」について語りました、
また、モーセに逆らって立ったコラの名前の意味「はげ」、すなわち、髪の毛がないのです。このこともまた、同じことを暗示します。毛がないとは、
すなわち、権威に従わないことだということをさしているのです。ですから、この「いなご」の軍隊は、「権威にしたがう」、すなわち悪魔の権威に従う統率のとれた集団です。そして「歯は、ししの歯のよう」です。いなごの歯はぶどうの木を食らい、麦を食らいます。それにより、聖霊の働きも変質させられ、
みことばも曲げられます。獅子は、サタンをさすことばでしょう。「悪魔が獅子のごとくめぐり歩く」とあるからです。ですから、このいなごは悪魔の意向にそって、教会の破壊をなします。

9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その翼の音は、多くの馬に引かれた戦車が、戦いに馳せつけるときの響きのようであった。”

胸あてに関して聖書はこう語ります。

”エペソ人への手紙 6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
テサロニケ人への手紙第一 5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。”

ですから、彼らは、「正義の人々」「信仰と愛の人々」として、キリスト教会にあらわれるのかもしれません。「多くの馬に引かれた戦車」が語るものは戦いです。彼らは、新約の神の民に戦いを挑み、そして、何と圧倒的な勝利を得ます。また、彼らは軍勢であり、つわものです。

”11 彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。”
 

彼らはキリスト教会では、「すばらしい神の噐達」「神の働き人」と呼ばれますが、その実、
隠れた秘密があり、彼らの王は反キリストであり、アポリュオン(破壊者)なのです。
彼らは、いわゆる「リバイバル」の中で教会を徹底的に破壊します。

14 その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」”

神の民の国、イスラエルの国の境はユーフラテス川とナイル川です。これらの川は、聖霊のたとえです。何故なら、信者と未信者との違いは聖霊を受けているかどうかだからです。すなわち聖霊の川が境なのです。しかし、
終末の今、この川に御使いが解き放たれます。聖霊の働きに害が加えられるのです。

”15 すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。”

「生かすものは霊である」と書いてあるように、今迄聖霊に触れたものは罪から、清められ、生かされてきました。しかし、この時、同じ霊でも悪霊が働く時が来て、「人類の三分の一」は殺されるのです。人類とは、すなわち、獣でない、神にあって生きていたとされた人々です。今、彼らは
悪霊の害の中に入ります。

”16 騎兵の軍勢の数は二億であった。私はその数を聞いた。”

今、いなご、また、偽りのリバイバルの陣営に加わる神の民の数は2億人です。

17 私が幻の中で見た馬とそれに乗る人たちの様子はこうであった。騎兵は、火のような赤、くすぶった青、燃える硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は、ししの頭のようで、口からは火と煙と硫黄とが出ていた。”

「火、硫黄、煙」とのことばは以下のロトの時のソドムへのさばきに使われています。

創世記19:24そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、
28彼がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地のが立ち上っていた。”
 

ですから、このいなご、馬の軍勢により、新約の神の民は「悪霊のリバイバル」による裁きを受けるのです。

18 これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。
19 馬の力はその口とその尾とにあって、そのは蛇のようであり、それにがあって、その頭で害を加えるのである。”

この箇所には、「頭と尾」について書かれています。これは、何を意味しているのでしょうか。
「頭と尾」について書かれているのは、イザヤ書です。


イザヤ19:15そのかしらとは、長老や身分の高い者。そのとは、偽りを教える預言者。”

ですから、この馬(教会や集会をさす)は、頭、すなわち「長老や身分の高い者」、今でいえば、大伝道者や、有名な働き人を通して、クリスチャンに害を加えるのです。例えていえば、今のローマ法皇です。彼が一言、「進化論は否定できない、科学的だ」といえば、皆なびき、それに適合しない創世記の記述を捨て去るのです。また、彼が「終末はない」といえば、今度は黙示録を捨て去るのでしょう。
このようにして「ことばは神である」といわれる方、キリストは教会から捨て去られ、結果として
人々は、命の道から外れていきます。確かに「その頭で害を加える」のです。

また、「その尾は蛇のようであり」と書かれています。「その尾とは、偽りを教える預言者」、今でいう教師、牧師のことです。これらの教師が終末の日に蛇として用いられるのです。蛇はエデンの園で神のことばを曲げエバを惑わした蛇に通じます。またみことばを曲げたゆえにキリストに「蛇よまむしのすえよ」といわれたパリサイ人、律法学者達に通じます。
ですから、終末の日に意図的、非意図的を問わず、偽りを教える教師達が現れ、それにより惑わされる神の民が多くなるのです。
 

”20 これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、

”その手のわざを悔い改めないで”と書かれています。主は人の手のわざ、行いを憎んでいます。
悔い改めて、主にのみ頼りましょう。そこに真の救いがあります。また、”悪霊ども..拝む”と
書かれています。教会においても悪霊のわざを拝することがありえるのです。偽りのリバイバルの霊は、
悪霊から来ているからです。”金、銀、銅、石、木で造られた像”とは、要するに神の働き人を偶像崇拝することです。これらは信仰の勇士であり、金(信仰をあらわす)で造られているかもしれませんが、神の位置におくべきではありません。そして、これらの神の噐は、「見ることも聞くことも歩くこともできない偶像」だと主はいわれます。聖書が真に語っている終末の預言を見ることも彼らはできません。また、聖霊の声を「聞くことも」できないのです。そして、神の道を「歩くこともでき」ないのです。ですから、空しい偶像を離れ、神にたよりましょう。

ですから、この黙示録9章も黙示録の他の箇所と同じように神の民への災いを述べ、また、聖餐のパンとぶどう酒で象徴されるみことばと聖霊の働きに対する害が書かれているのです。同じテーマに関して、表現を変えて何度も警告する、これが黙示録のまた、聖書の方法であることを知らなければなりません。

旧約の時代に神がイスラエルに対して、色々な預言者を通して、色々な表現でことばを変えて警告されたことを思い出さなければなりません。

ですから、
「大ユーフラテス川へ向かう2億の中国軍」についても「火と硫黄を煙を出す戦車やロケット」についてもここには、書かれてはいないのです。

聖書は終末のクリスチャンにあてて書かれたものであり、ここには、クリスチャン
にとってもっとも大事なもの、すなわちみことば、聖霊の働きへの害について、また、教会のさばきについて、書かれているのです。決して惑わされてはいけません。

終末における主のみこころを行いましょう。
 

ー以上ー