NO.192 いなごについて(1)

”テキスト黙示録9:3その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。”

本日は「いなごについて」という題でメッセージしたいと思います。黙示録の中には、多くの表現を使って、終末における神の民への裁きが述べられています。「いなご」ということばもその一つです。
このことばのいわんとしていることを見ていきたいと思います。
いなごについて詳しく記してあるのがヨエル書です。上記黙示録9
章の中には、ところどころ、ヨエル書から引用された節があります。ですから、裏返すと、ヨエル書の記事は終末を見越した記述なのです。この箇所からも見ていきたいと思います。
 

”ヨエル1:1 ペトエルの子ヨエルにあった主のことば。
2 長老たちよ。これを聞け。この地に住む者もみな、耳を貸せ。このようなことがあなたがたの時代に、また、あなたがたの先祖の時代にあったろうか。
3 これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。
4 かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。
5 酔っぱらいよ。目をさまして、泣け。すべてぶどう酒を飲む者よ。泣きわめけ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。
6 一つの国民がわたしの国に攻め上った。力強く、数えきれない国民だ。その歯は雄獅子の歯、それには雄獅子のきばがある。
7 それはわたしのぶどうの木を荒れすたれさせ、わたしのいちじくの木を引き裂き、これをまる裸に引きむいて投げ倒し、その枝々を白くした。
8 若い時の夫のために、荒布をまとったおとめのように、泣き悲しめ。
9 穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒は主の宮から断たれ、主に仕える祭司たちは喪に服する。
10 畑は荒らされ、地も喪に服する。これは穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上がり、油もかれてしまうからだ。
11 農夫たちよ。恥を見よ。ぶどう作りたちよ。泣きわめけ。小麦と大麦のために。畑の刈り入れがなくなったからだ。
12 ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、ざくろ、なつめやし、りんご、あらゆる野の木々は枯れた。人の子らから喜びが消えうせた。
13 祭司たちよ。荒布をまとっていたみ悲しめ。祭壇に仕える者たちよ。泣きわめけ。神に仕える者たちよ。宮に行き、荒布をまとって夜を過ごせ。穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがたの神の宮から退けられたからだ。
14 断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、主の宮に集め、主に向かって叫べ。
15 ああ、その日よ。主の日は近い。全能者からの破壊のように、その日が来る。
16 私たちの目の前で食物が断たれたではないか。私たちの神の宮から喜びも楽しみも消えうせたではないか。
17 穀物の種は土くれの下に干からび、倉は荒れすたれ、穴倉はこわされた。穀物がしなびたからだ。
18 ああ、なんと、家畜がうめいていることよ。牛の群れはさまよう。それに牧場がないからだ。羊の群れも滅びる。
19 主よ。私はあなたに呼び求めます。火が荒野の牧草地を焼き尽くし、炎が野のすべての木をなめ尽くしました。
20 野の獣も、あなたにあえぎ求めています。水の流れがかれ、火が荒野の牧草地を焼き尽くしたからです。”

ひとつづつ見ていきます。

”2 長老たちよ。これを聞け。この地に住む者もみな、耳を貸せ。このようなことがあなたがたの時代に、また、あなたがたの先祖の時代にあったろうか。”

終末に起きる「いなご」の災いは教会の歴史において類を見ない特殊なものなのです。

"
3 これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。"

"
後の世代"ということばは単数になっています。ですから、終末の日に「いなご」の害に会う特別な一つの世代があります。

”4 かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。”

いなごは噛みくらいます。

”5 酔っぱらいよ。目をさまして、泣け。すべてぶどう酒を飲む者よ。泣きわめけ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。”

酔っぱらい、ぶどう酒とは、酒すなわち聖霊に関することばです。その酒が彼等の「口から断たれたからだ」と記してあります。そうです、この日、聖霊は彼等の間から取り去られます。

”6 一つの国民がわたしの国に攻め上った。力強く、数えきれない国民だ。その歯は雄獅子の歯、それには雄獅子のきばがある。”

ここで、一つの国民について記されています。終末の日に新約の神の民を襲い、滅びへ導く「一つの国民」がいることをこの箇所で述べているのです。もし、私達の目が開かれるなら、終末に関連して聖書の中で神が何度かこの
「一つの国民」について警告していることに気付くでしょう。この国民は今、まさにキリスト教会で
「暗躍」しており、彼等の歯は「雄獅子の歯」です。

”7 それはわたしのぶどうの木を荒れすたれさせ、わたしのいちじくの木を引き裂き、これをまる裸に引きむいて投げ倒し、その枝々を白くした。”

ぶどう、いちじくの木とはクリスチャンのたとえです。彼等は神の前から、この「国民」の為に、「投げ倒され」ます。今、トロント、ペンサコーラで起きていることは、まさにその成就であり、また、神学校を支配する彼等により、「段階携挙説」、「デイスペンセーション主義」を始めとする偽りが教会にすっかり浸透、定着していることもまた、その成就なのです。
 

”9 穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒は主の宮から断たれ、主に仕える祭司たちは喪に服する。”

穀物はみことばのたとえ、ぶどう酒は聖霊のたとえです。今、そのどちらにも害が与えられます。
主に仕える祭司とは、今の時代の牧師、神父ではないでしょうか。彼等は喪に服します。
何故なら、みことばは曲げられた教理や、人間的な教えのゆえに、教会内で無に帰し、聖霊の働きは教会から去ったからです。
 

10 畑は荒らされ、地も喪に服する。これは穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上がり、油もかれてしまうからだ。
11 農夫たちよ。恥を見よ。ぶどう作りたちよ。泣きわめけ。小麦と大麦のために。畑の刈り入れがなくなったからだ。"

農夫たちは、畑で働く人、すなわちみことばの奉仕者です。ぶどう作りは聖霊が注がれるよう
求める神の噐のたとえです。何故彼等の働きが空しくなるのでしょうか。神の為に働くことが
悪いとでもいうのでしょうか。その理由は、彼等がみことばを曲げ、「キリストは2回来る」などと
偽りの教えを広げているからです。また、悪霊と聖霊の区別さえつかず、ペンサコーラ等の偽りの
リバイバルを広めているからです。それゆえ彼等は「恥を見る」のです。

”13 祭司たちよ。荒布をまとっていたみ悲しめ。祭壇に仕える者たちよ。泣きわめけ。神に仕える者たちよ。宮に行き、荒布をまとって夜を過ごせ。穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがたの神の宮から退けられたからだ。”

今は祭司なる牧師は悲しみ、泣きわめく時であることをとらえなければなりません。「穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがたの神の宮」から退けられているからです。外観はそのように見えないかもしれません。しかし、密かに長い時間をかけて、このことは達成されたのです。
その結果、今、カソリックでは、「終末はない」などという「とんでも話」が真面目に信じられています。

”14 断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、主の宮に集め、主に向かって叫べ。”

断食とは食べない、飲まないことです。すなわち、偽りのパン、偽りの教理を食べない(同調しない)こと。
また、汚れた水、すなわち悪霊と関係するリバイバルの水を飲まないこと、集会に近付かないこと、これが、ここでいう、「断食の布告」なのです。だからこそ、その後に「きよめの集会のふれを出せ」すなわち、こららの汚れからきよめられることについて語られているのです。

”16 私たちの目の前で食物が断たれたではないか。私たちの神の宮から喜びも楽しみも消えうせたではないか。
17 穀物の種は土くれの下に干からび、倉は荒れすたれ、穴倉はこわされた。穀物がしなびたからだ。”

今、多くの教会では、「食物が断たれ」ています。聖書はあり、メッセージがあっても「食物が絶たれる」ということはありえるのです。教会へ行ってみことばを聞いても何も信者の行いも
歩みも変わらないことが多く起きています。普通、パンなり、ごはんなりを食べれば、力が出て、
元気が出るものです。仕事もできるようになります。もし、それらのメッセージを聞いても何一つ信者の歩みが変わらないなら、それは、実は「食物」らしきものではあっても「真の食物」ではないことになります。ですから、確かに
今の時代には、「穀物の種は土くれの下に干からび、倉は荒れすたれ、穴倉はこわされた、穀物がしなび」ているのです。

”18 ああ、なんと、家畜がうめいていることよ。牛の群れはさまよう。それに牧場がないからだ。羊の群れも滅びる。”

家畜、牛は信者のたとえです。彼等が「うめき」「さまよう」と言っているのです。そして、「羊の群れも滅びる。」といっているのです。
確かに教会の立派な会堂はありますが、それらの中で、多くのクリスチャンが霊的にうめき、さまよっている、今はそのような時代です。その理由は教会が偽りの教理に聞き従い、聖霊を追い出し、偽りのリバイバルを求めているからです。

”19 主よ。私はあなたに呼び求めます。火が荒野の牧草地を焼き尽くし、炎が野のすべての木をなめ尽くしました。
20 野の獣も、あなたにあえぎ求めています。水の流れがかれ、火が荒野の牧草地を焼き尽くしたからです。”

「火が荒野の牧草地を焼き尽くし」と書いてあります。火は霊のたとえであり、これは悪霊のリバイバルの中で滅びていくクリスチャンについての記事です。「水の流れがかれ」とは聖霊の働きが枯渇していることを語っています。

繰り返しますが、これらの預言は今、まさに成就しているのです。霊の目が開かれて、このことを見ることのできる人は幸いです。教会の会堂が大きいとか、外観がどうということで間違えてはいけません。ラオデキヤの教会は「豊かだ、乏しいところは何もない」といいながら、主の前には「哀れで、貧しいもの」だったではありませんか。
外観はともかく、今は穀物は絶え、油が絶えた時代であることを見ることのできる人は幸いです。何故なら、「盲人である」ことを見た「生まれつきの盲人」の目が開いたように、「食物がない」ことを見た人は神に求め、その結果真の食物に飽くようになるからです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー