No.183 男の子について

テキスト: ”ヨハネの黙示録 12:13 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。”

本日は「男の子について」という題でメッセージをします。終末の時代に黙示録にあらわれる男の子
に関して見ていきたいと思うのです。

この男の子について理解するためには、他の聖書の箇所を見ていかなければなりません。
創世記に関連記事があります。

”創3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」”

これは、エデンの園で蛇に惑わされ、一敗地にまみれたイブとサタンとの間の関係に関して語られた
ことばです。イブは最初の女であり、女は教会の型です。教会の希望は男の子にあり、蛇に惑わされた仇は男の子がとってくれるわけです。

この希望の男の子は2000年前ガリラヤの地に現れました。

”マタイの福音書 4:14 これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、
15 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
16 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」

この男の子は、蛇に敗れた女(教会)の仇をうつことができたでしょうか。
新約聖書は、この仇はうたれたことを述べています。この男の子、すなわちイエスは、悪魔の心のままを行い、聖書のことばを曲げ、民を惑わしていた律法学者、パリサイ人を「蛇、まむし」と呼び、
神のことばを彼等の手から取りかえし、回復させました。みことばを曲げる蛇の子孫達は女のすえなる主イエスにより敗れ、正しい神のことばは主イエスを通して人々に伝わったのです。確かにかかとは砕かれ、主は十字架にかかられましたが、しかし主イエスの働きはそれで途切れたわけではありません。決して無駄には終わりませんでした。主イエスの弟子であるペテロ、ヨハネ、また
パウロの手紙類を見るとき、私達は、全くパリサイ人達の蛇のわざから全く回復された純粋な
神のことばを見ることができます。男の子は確かに、みことばを曲げる蛇の「かしらを踏み砕」いたのです。
さて、この主イエスの男の子としての働きはまた終末の日の働き人の型です。
終末の黙示録にも男の子について書かれており、実は、こちらが本番なのです。
主イエスの時代は終末の時代の型です。ですから、主イエスの「男の子」としての働きを見るとき、実は終末の日について学ぶことができるのです。以下、それを見てみましょう。

”マタイ1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

順に見ていきます。

”18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。”

「聖霊によって、身重になった」とのことばに注目して下さい。この男の子、キリストは聖霊によって、生まれたのです。ですから、終末の日の男の子、終末の勝利者も聖霊により生まれるのです。
聖霊により霊的に生み出されるのです。


21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」”

この男の子は、聖霊のみによるのでなく、マリヤ、すなわち女、すなわち教会が生み出すものです。今、
教会には多くの偽りと罪が満ちているようですが、しかし、その日、勝利者が教会から生み出されます。

”23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)”

さて、この男の子はどの女からでもよかったのではなく、処女から生まれたことがわかります。
処女ということに何か意味があることがわかります。
処女とはたとえば、姦淫の女、バビロンとは反対の立場の女、教会です。
黙示録には14万4千人の人々に関してこう書かれています。

”ヨハネの黙示録 14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。”

彼等は女、裁かれるべきバビロン、罪の教会によって汚されたことのない人々、偽りのリバイバルや、
惑わしの聖書解釈とは関係ない人々です。彼等は童貞(KJVではバージンすなわち処女と訳されている)です。

ですから、このようなクリスチャンの間から、終末の日の勝利者、男の子がうまれることを
「処女」ということばで語っているのです。そして、ここで「、神および小羊にささげられる初穂」ということばがこの男の子のもう一つの性格を表します。彼等は捧げられるもの、殉教者なのです。
主イエスも十字架の上で自分の命をささげました。その時、サタンのわざは敗れたのです。これも殉教といえるでしょう。
同じように終末の日の殉教者のため、竜は天から落とされ、彼のわざは敗れます。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー