No.182 教会のたとえ(女)

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”ヨハネの黙示録 12:13 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。”

本日は教会に関するたとえとして「女」の項を見ていきます。
聖書には、教会に関して何種類ものたとえが使われていますが、その一つは「女」です。

たとえば、以下のように書かれています。
 

”2コリ11:2というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。”

ここでは、クリスチャンの集まりを処女(女)として、キリストの花嫁として書いています。ですから、「女」とは、教会とキリストとの結婚関係の面をあらわすたとえなのです。
さてこのこと、女=教会とのたとえを念頭におき、以下を見ていきましょう。

”マタイの福音書 5:32 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別されたと結婚すれば、姦淫を犯すのです。”

人間の女性にも色々な女性がいますが、聖書にも色々な女性が書かれています。そして、
ここでは、「離別された女」について書かれています。この節を見るとこの女は不貞のゆえに離別されたことがわかります。
さて、教会の中にも神により離別された教会があります。「そんなばかな、神は教会を見捨てない」と
いう人がいるかもしれませんが、そうではありません。不貞がある時、すなわち教会がこの世や他のものと姦淫するなら、離別されるのです。さて、もし妻が夫に離別されるならどうなるでしょう。こうなるでしょう。すなわち、今迄夫からもらっていた収入がなくなりますし、場合によっては、食べるにもことかきます。また、守りがなくなります。

何故、日本には(日本だけではないのですが)せっかく礼拝に出席しても、心にも魂にも、
何も響かないメッセージしか聞けない、ちっとも恵みのない集会、礼拝があるのでしょう。
その理由の一つはその教会が神により「離別」されているからです。彼等はキリストより、この世やこの世の進化論等のおしえを選びました。または、戦争の時に主より国を選んだのかもしれません。その結果、神により離別されました。だから、本来夫から受けるべき、豊かな恵みも助けもなく、霊的に飢え死にするかという状態なのです。聖霊の雨は降らず、命のパンも与えられていません。夫なるキリストがその教会を離別し、供給をストップしたからです。聖霊もみことばも、
神が与えられたから、受けられるのです。夫が離れてしまったのなら、妻には何も残りません。

さて、このような教会に対してクリスチャンはどう対応すればよいのでしょうか。私はあまりいいたくないのですが、しかし、聖書に書いてあることなので、いわないわけにはいきません。
聖書は「だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。」と書いています。
すなわち、このような神により離別されたとしか思えない教会とは関係をもつべきではないのです。
持つなら、私達も神の前に姦淫を犯すことになるからです。

”マタイの福音書 13:33 イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」”

天のみ国とは教会のことをさします。教会は、地上の王や、政治家に属するあつまりではなく、「キリストと共に天に座す」者達の集まりだからです。
天のみ国だから、良いことばかりありそうですが、残念ながら、終末には罪が満ちるのです。
パンは「命のパン」、すなわち、神のみことばをさします。パン種は罪、また偽りを表すのでしょう。
これが、女、罪の教会により、まぜられます。すると、このパン種、すなわち罪や偽りはすみずみまで行き渡ります。
これは、終末の教会の姿であり、段階携挙説を始めとする偽りは確かに教会の「み言葉の教え、メッセージ」のすみずみまで、いきわたりました。
ですから、終末に住む私達は、今偽りの教えがすみずみまで行き渡った時代に生きていることを知らなければ、
なりません。これも間違い、あれも間違い、始めから間違いだらけの教えの時代に我々は今いるのです。

”マタイの福音書 26:7 ひとりのがたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。”

油は聖霊のたとえです。また、イエスの時代は終末の時代のたとえです。この高価な純粋な油は、終末の日に一人の女、主につく教会により起こされる、聖霊のリバイバルの預言です。
終末の日には、多くの教会の聖会、集会には、悪霊の働きが広がります。聖霊の働きと、悪霊とが区別できなくなるのです。このことは、悪魔が純粋なみことばに密かに偽りのパン種を混ぜることと似ています。
聖餐式でいわれる、パン(みことば)もぶどう酒(聖霊)も攻撃されるのです。
しかし、その同じ時代にこの女、教会に象徴される純粋な聖霊のリバイバルを見ることができるでしょう。

”ルカの福音書 8:2 また、悪霊や病気を直していただいたたち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラのと呼ばれるマリヤ、”

7は教会の数です。この女は悪霊から解放された教会の型です。彼女はイエスにつきしたがいます。
同じように終末の日に悪霊から解放された人々の教会は主に従うでしょう。今の教会、クリスチャンの多くの問題は、霊、悪霊から来るのです。このことを知ることは大事です。

”ヨハネの福音書 4:9 そこで、そのサマリヤのは言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」「「ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。「「”

サマリヤは北イスラエルの主都であり、これは、今の時代でいえば、ローマカソリックのたとえでは
と私は思っています。

”ヨハネの福音書 4:17は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。”

この女はかつて5人もの夫があり、今一緒にいるのは、夫ではありません。
そして、「私には夫はありません。」といっています。女は教会のたとえです。教会が夫とする人、
キリストが自分にはいないと言うとは、おかしな話です。しかしこのことはカソリックにとってまさに事実です。カソリックの信者が聞きしたがっている法皇は、実は彼女、カソリック教会の真の夫ではありません。彼は聖書でいう「バアル」(主という意味がある)にすぎません。これは、彼女の本当の夫ではないのです。カソリック教会はキリストを(建て前はともかく実際は)夫としていません。何故、そんな失礼なことをいうのかと怒る人もいるかもしれません。それでは私はききます。
キリストのことばはこう語ります。「偶像を拝するな」と。それでは、どこにマリヤ等の偶像を拝さず、
「ことばは神である」といわれた方のことばを守るカソリック信者がいるでしょうか?
また、キリストのことばはこうも語りました。「地上の誰をも父と呼ぶな」と。それでは、私が聞く、
「パパ様、パパ様」との声は何でしょうか。
彼等は、ことばなる方を捨て、他の者を夫とした愚かな女です。ですから、まさにこ
のサマリヤの女の「私には夫はいません」とのことばは、カソリック教会の霊的な神の前における
現状を正しくいいあらわしたものなのです。

”ヨハネの福音書 4:15 はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」”

しかし、終末の日に彼女に良い日が訪れます。彼女、サマリヤの女はキリストに出会うのです。
そして、この水、聖霊を受けるのです。そうです、サマリヤの地、カソリックの教会にリバイバル
が起きるのです。

さて、冒頭のテキストを見ましょう。
 

”ヨハネの黙示録 12:13 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだを追いかけた。”

竜は悪魔です。この時、悪魔、サタンは地上に投げ下ろされます。
これは何をあらわしているのでしょう。まず天とは何かを理解しなければなりません。
天のみ国とは教会のことです。さて、天は神が治められるところですから、
そもそも悪魔などいるはずはありません。しかし、それは理想であり、現実は違います。
「天の御国は、パン種のようなものです。」と書かれているように、教会にはパン種が満ち、サタンのわざが満ちているのです。しかし、この終末の日、教会を回復する勝利者達(男の子)の前に、サタンは勝利者の教会から追い出されます。彼は「天のみ国」ではなく、地上、この世についた教会の中でしか、活動できなくなったのです。


14 しかし、は大わしの翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。”

女、主につく教会はこの時、3年半の間、大艱難時代の間、守られます。

”ヨハネの黙示録 12:15 ところが、蛇はその口から水を川のようにのうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。”

蛇はエデンの園の蛇、「蛇よまむしのすえよ」といわれた律法学者達に通じています。蛇ということばを通して「みことばを曲げる者達」が女、主につく教会を迫害することをさしているのだと理解しなければ
いけません。また、「水を川のように」とは何を表すのでしょう。水はたびたびいいますが、
霊のたとえです。聖霊ならぬ悪霊のリバイバルで女、主につく教会を破壊しようとするのです。

”ヨハネの黙示録 12:16 しかし、地はを助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。”

しかし、女、この教会はこの悪霊のリバイバルからまもられます。ですから、この女、教会は三年半の大艱難の間、地上で、偽りの教師や、悪霊のリバイバルから守られることがわかります。
決して偽りの段階携挙説者のいうように、三年半の間、天に挙がっているわけではないのです。
ですから、私達はこの日の為に岩の上に家を建て、備えなければなりません。嘘の教えに惑わされ、「その時は上にいるから」などと、根拠のない安心をして、砂の上に家を建てる愚か者になってはいけません。
 
 

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ヨハネの黙示録 12:17 すると、竜は女に対して激しく怒り、の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。”

ここで残りの者という表現が出てきます。このことばを理解するには旧約の「残りの者」ということばを参照すべきです。「残りの者」ということばは終末の日の2種類の人々を暗示します。すなわち、主のことばにまっすぐ立ち、残った小数の者達と惑わされた多くの者を暗示させます。教会の多くの人々が、この時、惑わしと裁きに入っていることを知らなければなりません。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー