No.170 捕らえ移されたイスラエルの民

テキスト:”2列王記17:
6 ホセアの第九年に、アッシリヤの王はサマリヤを取り、イスラエル人をアッシリヤに捕え移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザンの川のほとり、メディヤの町々に住ませた。
7 こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、
8 主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習に従って歩んだからである。
9 イスラエルの人々は、彼らの神、主に対して、正しくないことをひそかに行ない、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町々に高き所を建て、
10 すべての小高い丘の上や、青々と茂ったどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、
11 主が彼らの前から移された異邦人のように、すべての高き所で香をたき、悪事を行なって主の怒りを引き起こした。
12 主が彼らに、「このようなことをしてはならない。」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。
13 主はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダとに次のように警告して仰せられた。「あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通して、あなたがたに伝えた律法全体に従って、わたしの命令とおきてとを守れ。」
14 しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、主を信じなかった彼らの先祖たちよりも、うなじのこわい者となった。
15 彼らは主のおきてと、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告とをさげすみ、むなしいものに従って歩んだので、自分たちもむなしいものとなり、主が、ならってはならないと命じられた周囲の異邦人にならって歩んだ。
16 また、彼らの神、主のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらに、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。
17 また、自分たちの息子や娘たちに火の中をくぐらせ、占いをし、まじないをし、裏切って主の目の前に悪を行ない、主の怒りを引き起こした。
18 そこで、主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から取り除いた。ただユダの部族だけしか残されなかった。
19 ユダもまた、彼らの神、主の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習に従って歩んだ。
20 そこで、主はイスラエルのすべての子孫をさげすみ、彼らを苦しめ、略奪者たちの手に渡し、ついに彼らを御前から投げ捨てられた。
21 主がイスラエルをダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムは、イスラエルを主に従わないようにしむけ、彼らに大きな罪を犯させた。
22 イスラエルの人々は、ヤロブアムの犯したすべての罪に歩み、それをやめなかったので、
23 ついに、主は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、イスラエルを御前から取り除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリヤへ引いて行かれた。今日もそのままである。
24 アッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませた。それで、彼らは、サマリヤを占領して、その町々に住んだ。
25 彼らがそこに住み始めたとき、彼らは主を恐れなかったので、主は彼らのうちに獅子を送られた。獅子は彼らの幾人かを殺した。
26 そこで、彼らはアッシリヤの王に報告して言った。「あなたがサマリヤの町々に移した諸国の民は、この国の神に関するならわしを知りません。それで、神が彼らのうちに獅子を送りました。今、獅子が彼らを殺しています。彼らがこの国の神に関するならわしを知らないからです。」
27 そこで、アッシリヤの王は命じて言った。「あなたがたがそこから捕え移した祭司のひとりを、そこに連れて行きなさい。行かせて、そこに住ませ、その国の神に関するならわしを教えさせなさい。」
28 こうして、サマリヤから捕え移された祭司のひとりが来て、ベテルに住み、どのようにして主を礼拝するかを教えた。
29 しかし、それぞれの民は、めいめい自分たちの神々を造り、サマリヤ人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分たちの住んでいる町々でそのようにした。
30 バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネレガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、
31 アワ人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイム人はセファルワイムの神々アデラメレクとアナメレクとに自分たちの子どもを火で焼いてささげた。
32 彼らは主を礼拝し、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行なった。
33 彼らは主を礼拝しながら、同時に、自分たちがそこから移された諸国の民のならわしに従って、自分たちの神々にも仕えていた。
34 彼らは今日まで、最初のならわしのとおりに行なっている。彼らは主を恐れているのでもなく、主が、その名をイスラエルと名づけたヤコブの子らに命じたおきてや、定めや、律法や、命令のとおりに行なっているのでもない。
35 主は、イスラエル人と契約を結び、命じて言われた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝みこれに仕えてはならない。これにいけにえをささげてはならない。
36 大きな力と、差し伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえをささげなければならない。
37 主があなたがたのために書きしるしたおきてと、定めと、律法と、命令をいつも守り行なわなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。
38 わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。
39 あなたがたの神、主だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」
40 しかし、彼らは聞かず、先の彼らのならわしのとおりに行なった。
41 このようにして、これらの民は主を恐れ、同時に、彼らの刻んだ像に仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行なった。今日もそうである。”

本日は「捕らえ移されたイスラエルの民」という題でメッセージします。
旧約聖書を読むと旧約の2つの神の民、イスラエルとユダはともにその「先祖のゆづりの地」から、移されてしまったことがわかります。これらは新約の今の時代への予表であり、終末の日に先祖のゆずりの地から捕らえ移されてしまい、「み国」を受け継がないカソリック、及びプロテスタントの民を預言しています。
本日は、イスラエルの捕囚を見ていきたいと思います。
各節を見ていきます。

”6 ホセアの第九年に、アッシリヤの王はサマリヤを取り、イスラエル人をアッシリヤに捕え移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザンの川のほとり、メディヤの町々に住ませた。”
「イスラエル人をアッシリヤに捕え移し」と簡単に書いてありますが、しかし、この意味することは
重大な意味があります。彼らは自らの不信のゆえに受け継ぐべき「み国」を受け継がないのです。
ですから、カソリックの最後には、「み国を受け継がない世代」があらわれることが予想されます。

”7 こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、
8 主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習に従って歩んだからである。”

彼らは確かに異邦人、すなわち未信者の風習に沿って歩んでいます。喫煙、飲酒等、多くのこの世の習慣を取り入れています。これらはイスラエルの王達、すなわちカソリックの指導者が取り入れてきたものです。

”9 イスラエルの人々は、彼らの神、主に対して、正しくないことをひそかに行ない、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町々に高き所を建て、
10 すべての小高い丘の上や、青々と茂ったどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、
11 主が彼らの前から移された異邦人のように、すべての高き所で香をたき、悪事を行なって主の怒りを引き起こした”

イスラエル人は「高き所を建て」「石の柱やアシェラ像」を立て、主の怒りをひき起こしたわけですが、同じように、カソリックの人々も高いところに聖人を置き、拝し、神の前に怒りをひき起こしています。

”12 主が彼らに、「このようなことをしてはならない。」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。”

主が彼らに「このようなことをしてはならない。」と命じておられたのに、彼らはマリヤ、キリストの偶像に仕えています。

”13 主はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダとに次のように警告して仰せられた。「あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通して、あなたがたに伝えた律法全体に従って、わたしの命令とおきてとを守れ。」
14 しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、主を信じなかった彼らの先祖たちよりも、うなじのこわい者となった。”

彼らは神のことばを守らない民です。

”15 彼らは主のおきてと、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告とをさげすみ、むなしいものに従って歩んだので、自分たちもむなしいものとなり、主が、ならってはならないと命じられた周囲の異邦人にならって歩んだ。”

今、多くのカソリックの人々は既に空しい者であり、この世の人と変わりません。
彼らの生活の中に生ける神の働きを見る事は難しいです。

”16 また、彼らの神、主のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらに、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。”

牛の像、天の万象は神の聖徒、聖人を示すと思われます。すなわち、彼らは神よりも、聖人に祈り、仕えているのです。また、法王に仕えているのです。

”22 イスラエルの人々は、ヤロブアムの犯したすべての罪に歩み、それをやめなかったので、
23 ついに、主は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、イスラエルを御前から取り除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリヤへ引いて行かれた。今日もそのままである。”

「今日もそのままである。」と聖書がいう時、何をさしているのか、よく考えてみましょう。
すなわち、我々がこれを読む今日も、イスラエルは神の前から取り除かれ、アッシリヤへ引かれたままであり、カソリックの人々は神の前から取り除かれ、み国を受け継がない地へ引かれていってしまったままだと語っているのです。

”24 アッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませた。それで、彼らは、サマリヤを占領して、その町々に住んだ。”

さて、ここで興味深いことが起きています。引かれていったイスラエルの人々の代わりに「バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイム」の異邦の地の人々がサマリヤの町々に住んだのです。
ですから、このイスラエルの主都サマリヤには「確かに人が住んでいるが、しかし、その人々は
今までの住民と異なり、異邦の民」という状態が出現したのです。さて、これは今のカソリックの世代をさす予表と思われます。何故なら、彼らも「異邦の人と変わらない世代」だからです。

32 彼らは主を礼拝し、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行なった。
33 彼らは主を礼拝しながら、同時に、自分たちがそこから移された諸国の民のならわしに従って、自分たちの神々にも仕えていた。”

これらの人々は主を礼拝しながら、同時に、自分たちがそこから移された諸国の民のならわしに従って、自分たちの神々にも仕えていました。そして、これは神に喜ばれる事ではありませんでした。
同じようにカソリックの人々がキリストを拝しながら、なおかつ、マリヤ礼拝やら、もろもろの諸国の民の習わしに従っていることは神に喜ばれることではありません。
 

”34 彼らは今日まで、最初のならわしのとおりに行なっている。彼らは主を恐れているのでもなく、主が、その名をイスラエルと名づけたヤコブの子らに命じたおきてや、定めや、律法や、命令のとおりに行なっているのでもない。”

今のカソリックの人々が行っている礼拝は、主を恐れているのでもなく、「主が、その名をイスラエルと名づけたヤコブの子らに命じたおきてや、定めや、律法や、命令」すなわち、キリストの使徒達の命令を守っているわけでもありません。使徒達は法皇崇拝もマリヤ礼拝も命じなかったのです。ただただ彼らはカソリック(普遍的)として、あらゆる他の教えを節操なく、受け入れているのにすぎません。

”35 主は、イスラエル人と契約を結び、命じて言われた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝みこれに仕えてはならない。これにいけにえをささげてはならない。
36 大きな力と、差し伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえをささげなければならない。
37 主があなたがたのために書きしるしたおきてと、定めと、律法と、命令をいつも守り行なわなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。
38 わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。
39 あなたがたの神、主だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」
40 しかし、彼らは聞かず、先の彼らのならわしのとおりに行なった。”

「しかし、彼らは聞かず、先の彼らのならわしのとおりに行なった。」とはまさにその通りです。
まともに聖書を読める人なら、誰でもその十戒に「偶像を拝するな」と書いてあることを知っているでしょう。しかし、彼らはこのことばを無視して、彼らの習わしを行っているわけです。

”41 このようにして、これらの民は主を恐れ、同時に、彼らの刻んだ像に仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行なった。今日もそうである。”

偶像崇拝の意味するところは働き人、器崇拝、すなわち聖人崇拝です。そして、カソリックの人々は確かに主を恐れ、同時に彼らの刻んだ像(人間の器、法皇等)に仕えているのです。そして、これは「その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行なった。今日もそうである。」すなわち、カソリックの昔からそうなのです。しかし、昔からそうだから、神が受け入れてくれていたり、妥協してくれるのではなく、
「このことのゆえに」終末の日の裁きは彼らに下るのです。

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー