No.166  7年の契約


テキスト:”ダニエル9:
24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。
25 それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。
26 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。
27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」”

本日は「7年の契約」として、ダニエル書から見ていきたいと思います。
ダニエルの70週の記述の中には、「彼(反キリスト)は一週の間、多くの者と堅い契約を結」ぶと書いてあります。この部分をさして、「7年の中東和平条約が締結されることだ」などと、全く的外れな解釈をする人々が多いようです。しかし、この個所はそのような政治的な契約、条約を語っている個所ではありません。そのへんを見ていきたいと思うのです。

まず、「契約」ということばを見ていきましょう。聖書の中でこの「契約」ということばがどのような使われ方をしているのかを見ていくとき、自ずからこの部分の意味は開けてきます。

この「契約」ということばが使われている以下の例を見て下さい。

”創世記 6:18 しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。”

”創世記 15:18 その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。”

”出エジプト記 2:24 神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。”

これらの個所からわかることは、この「契約」ということばが神と神の民との関係に関して用いられているということです。このことはまた、聖書という本の性格を考えてみれば妥当です。聖書は信仰の書であり、政治の本ではありません。だから、普通に読むなら、「7年間の中東和平の締結」などというとっぴな結論には至らないのです。

さて、同じダニエル書の中に「契約」ということばが使われている個所があります。ここを見る時、聖書でいう「契約」について更にはっきり理解できます。

ダニエル11:21 彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。
22 洪水のような軍勢も、彼によって一掃され、打ち砕かれ、契約の君主もまた、打ち砕かれる。
23 彼は、同盟しては、これを欺き、ますます小国の間で勢力を得る。
24 彼は不意に州の肥沃な地域に侵入し、彼の父たちも、父の父たちもしなかったことを行なう。彼は、そのかすめ奪った物、分捕り物、財宝を、彼らの間で分け合う。彼はたくらみを設けて、要塞を攻めるが、それは、時が来るまでのことである。
25 彼は勢力と勇気を駆り立て、大軍勢を率いて南の王に立ち向かう。南の王もまた、非常に強い大軍勢を率い、奮い立ってこれと戦う。しかし、彼は抵抗することができなくなる。彼に対してたくらみを設ける者たちがあるからである。
26 彼のごちそうを食べる者たちが彼を滅ぼし、彼の軍勢は押し流され、多くの者が刺し殺されて倒れる。
27 このふたりの王は、心では悪事を計りながら、一つ食卓につき、まやかしを言うが、成功しない。その終わりは、まだ定めの時にかかっているからだ。
28 彼は多くの財宝を携えて自分の国に帰るが、彼の心は聖なる契約を敵視して、ほしいままにふるまい、自分の国に帰る。
29 定めの時になって、彼は再び南へ攻めて行くが、この二度目は、初めのときのようではない。
30 キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。
31 彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。
32 彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。
33 民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。
34 彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。
35 思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。”

この個所を見ていきましょう。

”彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。”

この”ひとりの卑劣な者”とは第一義的には、アンテイオコス エピプァネスです。しかし、彼は終末の日の反キリストの型です。ですから、この預言は2重の意味合いがあるのです。

”22 洪水のような軍勢も、彼によって一掃され、打ち砕かれ、契約の君主もまた、打ち砕かれる。”

「契約の君主」とはエピプァネスの時代においては、失脚させられたユダヤの大祭司オニアス3世をさします。彼は神との契約にのっとり祭事をとりおこなっていました。ですから、ここでも「契約」ということばは「神との関係にあって使われる」ことがわかります。

”28 彼は多くの財宝を携えて自分の国に帰るが、彼の心は聖なる契約を敵視して、ほしいままにふるまい、自分の国に帰る。”

ここで記されている「聖なる契約」とはチェーンバイブルによれば、「ユダヤ人の信仰」です。
すなわちここでも「契約」ということばが「神との契約」をさして使われているのです。

”30 キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。”

ここでいう「聖なる契約」もユダヤ人の信仰、すなわち「神との契約」です。このことはエピプァネスの時代に起きましたが、これは終末の時代に再現されると思います。終末の時、「神との聖なる契約」
を守る者達が反キリストにより、攻撃されます。また、神の民の中でも「その聖なる契約を捨てた者たち」は反キリストにより「重く取り立て」られるようになるでしょう。

”32 彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。”

ここでいう「契約を犯す者たち」も「神との契約を犯す者たち」のことです。この対語として、「自分の神を知る人たち」と書かれていることからもわかります。「中東和平条約」とは何の関係もありません。

これらのエピプァネスの記述からわかることは、彼が「神との聖なる契約」に非常にこだわっていたこと、それを破らせようと民を圧迫していたことです。そして、これは終末の「本番」の時の型です。

終末の日に反キリストがこだわり、攻撃しようとしているのは、クリスチャンの「神との聖なる契約」
です。ですから、我々は終末の備えとして、「神との契約」を守り切れるよう祈っていくことが大事なのです。この問題をすりかえ、「この契約とは7年間の中東和平のこと」などと、的外れなことを大声で言っている人々は民を惑わすものだといわれてもしかたがありません。

”33 民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。”

しかし、このような惑わしの時代にあっても「 民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる」のです。ですから、主の啓示を終末の日に期待してよいのです。

さて、これらの理解に基づき、冒頭のテキストを見ていきたいと思います。順に見ます。


24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。”

この70週とは(70の7)であり、これは主が7度を70倍(70の7)迄、
教会の罪を忍耐する時でもあります。「至聖所に油をそそぐ」というように、真の教会の回復の時迄の期間でもあります。

”25 それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。”

「引き揚げてエルサレムを再建せよ」との命令はエズラ、ネヘミヤの時の都再建の命令です。ですから、この70週は教会回復迄の期間をさすのです。「再び広場とほりが建て直される」との表現も同じく回復をさすものです。
 

”26 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。”

「六十二週の後、油そそがれた者は断たれ」とは2重の預言です。第一義的にはキリストの十字架の死をさし、第2義的には終末の黙11章の油注がれた者が絶たれることをさします。「来たるべき君主の民」とは反キリストの民のことです。「町と聖所」とは教会のことであり、教会は彼らにより、
破壊されます。教会堂が破壊されるかどうかはわかりませんが、内部から「獣化」されるでしょう。
「その終わりには洪水が起こり」とは私は悪霊の大リバイバルのことではないかと思っています。
「その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。」と書いてあります。ですから、淫婦バビロンに裁きが定められているように、教会には荒廃が定められているのです。
 

”27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」”

ここでいう1週は7年に相当し、これは7年のききん、患難時代のことです。決して中東和平のことなどではありません。そんなことをいう人は「私的解釈」「そのテキストのみからの解釈」をしている人々です。

「多くの者と堅い契約を結び」とは、先程のエピフアネスの「その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる」との言葉と関連していると思えます。この時、神の民の中で多くの者は「神との契約」を捨て、反キリストと「堅い契約を結」ぶのです。

「半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。」とは3年半の大患難時代のことです。
この時、神への献身と従いが中止されます。「荒らす忌むべき者が翼に現われる。」という時の「翼」は70人訳では「神殿」と訳されています。ですから、反キリストが教会に登場する日がきます。しかし、
最後には「ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」ことになります。

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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