No.159  エパます


”テキスト:エゼキエル書 46:7 穀物のささげ物をするために、雄牛一頭に一エパ。雄羊一頭に一エパ。子羊のためには、手に入れることのできただけでよい。油は一エパごとに一ヒンである。”

本日は「エパます」という題でメッセージしたいと思います。
聖書の中でよく「エパます」という表現が
出てきます。これは、何をさすものかを見ていきたいと思うのです。

テキストの個所には、穀物は1エパと書いてあります。また、油は1ヒンと書いてあります。
ですから、エパは小麦の単位、ヒンは油の単位であることがわかります。

さて、この小麦と油はよく聖書に出てきます。そして、これはまた聖書の中心的な真理を象徴するものでもあるのです。
すなわち、聖餐式のパンとぶどう酒に相当するものであり、それぞれ、「みことば」と「聖霊」をあらわすものなのです。

さて、このエパ、ヒンについて聖書はこのように述べています。

”レビ記 19:36 正しいてんびん、正しい重り石、正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない。わたしは、あなたがたをエジプトの地から連れ出した、あなたがたの神、主である。”

”正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない”と述べているのです。
これは何を意味しているのでしょう。エパますは日本でいえば、米の升に相当するものなのでしょう。
一合ますや一升ますが不正確だと正しい米の量を測ることができません。

同じように、小麦のます、聖書のみことばの基準が正しくない時、そのことばに耳を傾ける人々は
入るべきみ国に入れないのです。また、正しいヒンとは、他の霊ではない正しい聖霊を受けることを述べているのでしょう。

さて、このこと、正しくないエパますを使うことはあってはならないことですが、しかし、実際に教会では起きえることなのです。このことについてアモス書ではこう書かれています。

”アモス書 8:5 あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きのはかりで欺こう。
6 弱い者を銀で買い、貧しい者を一足のくつで買い取り、くず麦を売るために。」”

この個所を見ていきましょう。

”私たちは穀物を売りたい”

これは「穀物を売る」すなわち、神のみことばを売ることにより職を得ている人々への警告です。

”安息日はいつ終わるのか。”

安息日は「我々の救いの為に神ご自身が働かれる。我々は仕事(働き)をせず、安息していればよい。」との真理をあらわすものです。彼らはこの真理を憎んでいます。かえって、神の民に「負い切れない重荷」を負わせようとするのでしょうか。

”麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きのはかりで欺こう。”

彼らの「麦を売りに出したい」との望みは基本的に悪いものではありません。何故なら、
「麦」、「神のことば」は人々に供給されるべきものだからです。「神のことば」を述べ伝えること自体に問題があるわけではないのです。

しかし、一つ別の問題があります。彼らは「麦を売るために」「エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きのはかりで欺」いています。これは問題です。
彼らは「エパを小さくし」ています。恵みのみことばをけずり、小さなもの、軽いものに変えているのです。
「いやしなんか現代では起きない」「もう聖霊の働きは現在ではない」などと小さなものに変えているのです。
また、一方彼らは「シェケルを重くし」ています。
これは何を意味することばでしょう。シェケルに関してエジプト記に以下のような記述があります。

出エジプト記 30:15 あなたがた自身を贖うために、主に奉納物を納めるとき、富んだ者も半シェケルより多く払ってはならず、貧しい者もそれより少なく払ってはならない。”

この節を見る時、シエケルは私達のあがないと関係している面があるようです。だから、シエケルを重くするとは、私達のあがない、救いの道を必要以上に難しいもの、入りにくいものに変えてしまうことかもしれません。神に罪を許してもらうためには、必ず「神父」「牧師」の前で罪をざんげしなければならないなどと付け加える人はシェケルを重くしているのです。

このように自分の都合や、教理、教会の都合でみことばを曲げるメッセンジャーは「欺きのはかりで欺」いているのです。

”6 弱い者を銀で買い、貧しい者を一足のくつで買い取り、くず麦を売るために。」”

このメッセンジャーは「くず麦を売る」と書かれています。神のみことばは本来良質の麦ですが、
神は、彼は「くず麦を売る」と非難しているのです。

ですから、神のことばを扱う、牧師、伝道師達には責任があります。同じ神のことばを扱っても、片方には「良質の麦」といわれるメッセージがあり、もう一方では「くず麦を売る」と非難されるメッセージがあるのです。

「地獄はあなたの心の中にあるだけで、実際は存在しない」などとわけのわからないことを説教で語っているような人々はこの「くず麦」の最たるものです。

さて、もう一個所見ていきましょう。

”ゼカリヤ5:1 私が再び目を上げて見ると、なんと、巻き物が飛んでいた。
2 彼は私に言った。「何を見ているのか。」私は答えた。「飛んでいる巻き物を見ています。その長さは二十キュビト、その幅は十キュビトです。」
3 すると彼は、私に言った。「これは、全地の面に出て行くのろいだ。盗む者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれる。」
4 「わたしが、それを出て行かせる。「「万軍の主の御告げ。「「それは、盗人の家にはいり、また、わたしの名を使って偽りの誓いを立てる者の家にはいり、その家の真中にとどまり、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす。」
5 私と話していた御使いが出て来て、私に言った。「目を上げて、この出て行く物が何かを見よ。」
6 私が、「それは何ですか。」と尋ねると、彼は言った。「これは、出て行くエパ枡だ。」そして言った。「これは、全地にある彼らの罪だ。」
7 見よ。鉛のふたが持ち上げられ、エパ枡の中にひとりの女がすわっていた。
8 彼は、「これは罪悪だ。」と言って、その女をエパ枡の中に閉じ込め、その口の上に鉛の重しをかぶせた。
9 それから、私が目を上げて見ると、なんと、ふたりの女が出て来た。その翼は風をはらんでいた。彼女たちには、こうのとりの翼のような翼があり、彼女たちは、あのエパ枡を地と天との間に持ち上げた。
10 そこで私は、私と話していた御使いに尋ねた。「あの者たちは、エパ枡をどこへ持って行くのですか。」
11 彼は私に言った。「シヌアルの地で、あの女のために神殿を建てる。それが整うと、そこの台の上に安置するためだ。」”
 

この個所を順に見ます。

”私が再び目を上げて見ると、なんと、巻き物が飛んでいた。
2 彼は私に言った。「何を見ているのか。」私は答えた。「飛んでいる巻き物を見ています。その長さは二十キュビト、その幅は十キュビトです。」”

この巻物とは何でしょう。この「巻物」に関連してチェーンバイブルでは黙示録10章の「巻物」が引用されています。これは妥当な解釈だと思います。これらの巻物は確かに関連したものであり、これは
「神のことば」をさすのです。

この巻物は黙示録では封印された巻物として登場します。確かに神のことば、預言のことば、
終末のさばき、のろいのことばは封印されています。そして誰が読んでも意味のわからない
ものとして存在してきました。しかし、終末の日には、これらの啓示は開かれ、終末の預言は開かれてきます。

3 すると彼は、私に言った。「これは、全地の面に出て行くのろいだ。盗む者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれる。」”

盗む者とは誰でしょう。これはスーパーで万引きをする人のことをさしているわけではありません。

この「盗む者」とは以下のみことばと関連しています。

”エレミヤ23:30 それゆえ、見よ、「「主の御告げ。「「わたしは、おのおのわたしのことばを盗む預言者たちの敵となる。
31 見よ。「「主の御告げ。「「わたしは、自分たちの舌を使って御告げを告げる預言者たちの敵となる。
32 見よ。わたしは偽りの夢を預言する者たちの敵となる。「「主の御告げ。「「彼らは、偽りと自慢話をわたしの民に述べて惑わしている。わたしは彼らを遣わさず、彼らに命じもしなかった。彼らはこの民にとって、何の役にも立ちはしない。「「主の御告げ。「「”

神のことばを「盗み」「自分たちの舌を使って」自分の考えを述べている預言者、現在の教師について語っているのです。
 

”4 「わたしが、それを出て行かせる。「「万軍の主の御告げ。「「それは、盗人の家にはいり、また、わたしの名を使って偽りの誓いを立てる者の家にはいり、その家の真中にとどまり、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす。」”

終末の時、神のみことばが出ていきます。そして、そのことばに沿ってさばきが行われるのです。
かつて主がいわれたこのことばの通りです。

ヨハネの福音書 12:48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。”

「盗人の家にはいり」と書いてあります。「自分は泥棒なんかしたことがないから大丈夫だ」などとはいえません。盗むとは神のことばを盗むことを言い、家とは教会のたとえなのです。
ですから、私達の教会の中で「神のことばを盗む」メッセージが行われているなら、その日、「その家(教会)を梁と石とともに絶ち滅ぼ」されることになってしまうのです。

”5 私と話していた御使いが出て来て、私に言った。「目を上げて、この出て行く物が何かを見よ。」”

この出ていく物とは先程の「全地の面に出て行くのろい」と同じものです。これは一体何でしょうか。

”6 私が、「それは何ですか。」と尋ねると、彼は言った。「これは、出て行くエパ枡だ。」そして言った。「これは、全地にある彼らの罪だ。」”

ここで、「全地の面に出て行くのろい」とは「出て行くエパ枡」であることがわかります。
エパ枡は穀物を量るものであり、麦、神のことばと関係するものです。

枡は麦の量を計測します。ちょっと見た目では1合ぐらいありそうでも、実際それだけの量の麦があるかどうか、はっきりしないことがあります。そのような時に、枡を使用して量るのです。量ると
「少し1合より足りない」とか、「ぴったり1合だ」
とか結果がはっきりします。同じように、私達が神のみことばに忠実であったか、どうか、
結果がはっきりする日が終末にきます。この日が「エパ枡」が出ていく日です。

7 見よ。鉛のふたが持ち上げられ、エパ枡の中にひとりの女がすわっていた。
8 彼は、「これは罪悪だ。」と言って、その女をエパ枡の中に閉じ込め、その口の上に鉛の重しをかぶせた。”

この女は後の節を読めばわかるように、シヌアルの地に神殿をたてるものです。
シヌアルの地とはバビロンの都があった地であり、この女は終末の淫婦バビロンであることが
わかります。彼女は「罪悪」であり、エパ枡の中に閉じ込められています。
エパ枡は小麦、神のことばを量るものであり、彼女がみことばに照らし合わせて裁かれることが暗示されます。

”9 それから、私が目を上げて見ると、なんと、ふたりの女が出て来た。その翼は風をはらんでいた。彼女たちには、こうのとりの翼のような翼があり、彼女たちは、あのエパ枡を地と天との間に持ち上げた。
10 そこで私は、私と話していた御使いに尋ねた。「あの者たちは、エパ枡をどこへ持って行くのですか。」”

この二人の女が何をさすのかは、不明です。ただ、終末の教会、神の民に関して2という数字がよく出てくることは注目すべきです。旧約の神の民も最終的には、イスラエル、ユダと「2つ」に分かれました。
また、黙示録には「2つの」角を持つ小羊のような獣が出てきます。

”11 彼は私に言った。「シヌアルの地で、あの女のために神殿を建てる。それが整うと、そこの台の上に安置するためだ。」”

神殿とは神の家であり、今でいえば、教会です。そしてこの女の神殿は「シヌアルの地」「バビロンの地」に建てられます。ですから、この神殿とは他でもない黙示録の淫婦バビロンのことです。
そして、このバビロンはエパ枡、みことばの量りに照らし合わせて裁かれるのです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー