通算NO.154 ノアの日、ロトの日(改訂版)

*これは107番の改訂版です。
 

テキスト:ルカ17:25ー32
”25 しかし、人の子はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。
26 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。
27 ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、
洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
28 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、
植えたり、建てたりしていたが、
29 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼして
しまいました。
30 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。
31 その日には、屋上にいる者は家に家財があっても、取り出しに降りてはいけません。
同じように、畑にいる者も家に帰ってはいけません。
32 ロトの妻を思い出しなさい。”

本日は”ノアの日、ロトの日”という題でメッセージします。

終末の日について、主はその日はノアの日のようであり、ロトの日のようであるといわれました。
本日は、そのことをみことばに基づいて、考えてみたいと思います。

ノアの日、ロトの日については創世記に詳しく記してあります。しかし、それらについて、主は
テキストのルカ
17章で簡単にまとめて述べています。ですから、これらの記述の中にこそノアの日、ロトの日
とは具体的にどういうものか語られているのです。それは、みことばによれば、以下のような日
です。

ノアの日: ”洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。”
ロトの日: ”その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。”

すなわち、ノアの日とは、洪水により滅びる日であり、ロトの日とは火と硫黄により滅びる日
であることがわかります。

洪水とは水が溢れることであり、火は燃える火のことです。これらの2つには何の関係もない
ように思えます。
しかし、この2種類のことばの共通点を見ていく時、神が聖書の中で終末について述べていく
ことがわかります。

<洪水>

まず、洪水を見ていきましょう。洪水とは文字どおり、水が溢れることです。
さて、水について聖書はどのように語っているか見ていきましょう。

ヨハネの福音書 7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底
から、生ける水の川が流れ出るようになる。
39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスは
まだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。”

生ける水は聖霊をさすことがわかります。

”マタイの福音書 3:11 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、
私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあ
げる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。”

水のバプテスマと聖霊のバプテスマが対比的に書かれていることがわかります。水と聖霊が関係の
あることがわかります。

”ヨハネの福音書 2:7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめ
を縁までいっぱいにした。
9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなか
ったので、「「しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。”

水がぶどう酒に変わりました。これは終末のリバイバルをさすたとえだと思われます。ここで
の水もぶどう酒も聖霊に関係したたとえです。

このことがわかると以下の黙示録のことばもわかってきます。

”ヨハネの黙示録 8:10 第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃え
ている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。
ヨハネの黙示録 8:11 この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。
水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。”

川の水は聖霊のことです。しかし、その働きに害が加えられ、聖霊以外の霊が教会の中で働き、
苦よもぎのようになり、”多くの人が(霊的に)死”ぬのです。
 
 

”ヨハネの黙示録 16:4 第三の御使いが鉢を川と水の源とにぶちまけた。すると、それらは
血になった。”

水、血という主の聖霊を表すことばが2つ出てきます。ですから、これは、聖霊の声に逆ら
う者達への裁きだということがわかります。」

<火>
次に火について見ていきます。

”使徒の働き 2:3 また、のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。”

聖霊が炎のように下ったことがわかります。火は聖霊を表す表現だということがわかります。

”マタイの福音書 3:11 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていま
すが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱
がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊ととのバプテスマをお授けに
なります。”

聖霊のバプテスマについて、「聖霊と火とのバプテスマ」と述べています。聖霊と火とが関連の
あることがわかります。

このことがわかると以下の黙示録のことばがわかってきます。
 

”ヨハネの黙示録 8:7 第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、の混じった雹ととが
現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼
けてしまった。”

「血の混じった雹と火」と書いてあります。血も火も聖霊を表す表現です。ですから、彼らが聖霊
の声に聞き従わないため、聖霊以外の霊(悪霊)の害を受けることを述べていることがわかります。

”ヨハネの黙示録 8:8 第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、の燃えている大きな山
のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一がとなった。”

ここにも火、血と書いてあります。聖霊の声に聞き従わない教会が裁かれることが暗示されます。

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さて、以上のように、水の洪水及び火の共通点は聖霊であることがわかります。

聖霊の洪水や火で終末の神の民が滅ぼされるということはありません。しかし、聖霊以外の霊が溢れ
て滅ぼされるということはありえるのです。

このことは以下のことばと関連します。

”黙示録12:15 ところが、蛇はその口から水を川(KJV訳では洪水)のように女のうしろへ
吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。”

この女は終末に神につく真の神の民ですが、しかし、終末の悪霊のリバイバルにより押し流され
そうになります。

以下の記述もこのリバイバルをさすと思われます。

ヨハネの黙示録 9:17 私が幻の中で見た馬とそれに乗る人たちの様子はこうであった。騎兵は、
火のような赤、くすぶった青、燃える硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は、ししの頭のようで、
口からは火と煙と硫黄とが出ていた。
18 これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一
は殺された。”

この中で神の民の1/3は滅ぼされてしまうことがわかります。ですから、終末にはノアの時のように、
悪霊の大洪水、またロトの時のように火と硫黄、すなわち悪霊の大リバイバルが起きることが予想され
ます。いえ、もうすでに起こりつつあるのかもしれません。その時、私達はどうすべきでしょうか。
その答えがマタイ書にあります。
 

”マタイ7:24ー27
24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢
い人に比べることができます。
25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の
上に建てられていたからです。
26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚
かな人に比べることができます。
27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれ
はひどい倒れ方でした。」”

岩の上の家は弟子の歩みをしている教会をさし、砂の上の家は群衆の歩みをしている教会をさします。
そして、岩の上に建つ教会は洪水にも倒れません。ですから、この悪霊の大リバイバルの中でも惑わさ
れないのは、
聖霊の声に聞き従う人々であることがわかります。

私たちは、終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー

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