No.144 獣について

 

 

エキスト:”黙示録13:1 また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。

11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。
12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。
13 また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。
14 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。

18 ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。”

黙示録を読むと終末には”獣”が出現することがわかります。終末の時、この獣の下で神の聖徒が迫害されたりすることがわかります。
それは以下の3つの獣のようです。

1 国: 十本の角と七つの頭を持つ獣。
2 宗教の組織: 小羊のような二本の角がある獣
3 反キリスト:六百六十六の数字の獣

さて、質問です。何故、これらの国や反キリスト、宗教は皆”獣”と呼ばれるのでしょうか?
神がこれらの終末に現われる人や国を皆等しく”獣”と呼んでいる理由は何でしょうか。これは少し難解です。そうです、ここに「知恵がある」のです。

このことは神の知恵により、隠されたことなのですが、私的解釈(そのテキストのみからの解釈)をせず、他の箇所を参照していくときわかってきます。獣について旧約聖書で記してある箇所を見ていきます。

1
”エレミヤ書 15:3 わたしは四つの種類のもので彼らを罰する。「「主の御告げ。「「すなわち、切り殺すために剣、引きずるために犬、食い尽くし、滅ぼすために空の鳥と地のである。
4 わたしは彼らを、地のすべての王国のおののきとする。ユダの王ヒゼキヤの子マナセがエルサレムで行なったことのためである。
5 エルサレムよ。いったい、だれがおまえをあわれもう。だれがおまえのために嘆こう。だれが立ち寄って、おまえの安否を尋ねよう。”

2)
エゼキエル書 5:17 わたしはあなたがたにききんと、悪いを送る。彼らはあなたに子を失わせる。疫病と虐殺とがあなたのうちに起こる。わたしはあなたに剣を臨ませる。主であるわたしがこれを告げる。」”
 

3)
エゼキエル書 14:21 まことに、神である主はこう仰せられる。人間や獣を断ち滅ぼすために、わたしが剣とききんと悪いと疫病との四つのひどい刑罰をエルサレムに送るとき、

4)
エゼキエル書 33:27 あなたは彼らにこう言え。神である主はこう仰せられる。わたしは誓って言うが、あの廃墟にいる者は必ず剣に倒れる。野にいる者も、わたしはに与えてそのえじきとする。要害とほら穴にいる者は疫病で死ぬ。
28 わたしはその地を荒れ果てさせ、荒廃した地とする。その力強い誇りは消えうせ、イスラエルの山々は荒れ果て、だれもそこを通らなくなる。
 

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これらの箇所が”獣”について語っていることは、明白です。イスラエル、エルサレムの神の民が不信の道を歩み、かたくなな心のままに歩む時、神は”食い尽くし、滅ぼすために空の鳥と地の獣”をおくられるのです。この獣は神の民への裁きとして送られるのです。ですから、黙示録の時代に何故、獣が登場するのか、その隠された意味も明白です。キリストは70週(70の7の意味)の間、兄弟の罪を忍耐して許してきました。しかし、この終末の時代に獣が神の許しの中で送られるのです。その理由は我々新約の神の民、またイスラエルの罪が極まったからです。

ですから、何度もいうようですが、黙示録の時代に神の民が裁かれることを聖書は語っているのです。旧約のイスラエルだけでなく、新約の教会も裁かれることを聖書はいっているのです。このことは、黙示録の基本の基本です。我々がこのことを霊の中で、また知識として、理解することができず、しかも終末について何か述べようとするなら、それは全くの無謀です。教会の罪は極まっており、私達の罪のために獣が送られようとしているのです。いいえ、もうすでに私達の社会で、また教会の中で獣の働きは始まっているのですが、我々が気がつかないだけなのかもしれません。

さて、上で引用した箇所の中には、”ききんと悪い獣”とも書かれています。ですから、神の裁きの別の一つの方法は、ききんです。ききんとは食料がない、食べるものがないことです。終末の神の民もききんにあいます。

”黙示録6章:5 小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が、「来なさい。」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。
6 すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」
7 小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、「来なさい。」と言うのを聞いた。
8 私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。”

この箇所を見ていきましょう。

”6 すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」”

1デナリは一人の労働者の1日の賃金ということですから、今の日本なら、1万円位ですか。
1デナリで小麦一枡しか買えないのですから、これはききんです。種まきのたとえから、わかるように小麦、大麦はみことばをたとえています。ですから、これは”みことばを聞くことのききん”をさすのでしょう。

”オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。”

オリーブ油やぶどう酒は聖書の中でひんぱんに登場し、また繰り返し、くり返し書かれています。そのたとえの意味することも明白です。油やぶどう酒は聖霊をさすものです。
だから、終末は”オリーブ油とぶどう酒”、すなわち聖霊の働きに害が与えられる時代です。その結果、教会の集会の中で聖霊以外の霊が働くようになります。聖霊に似ているが、しかし別の霊が働くのです。ですから、今の時代、教会の集会においては、そこに働くものが霊だから、また集会へ出席して恵まれるなら何でもよいというのではなく、聖霊に似た怪しい別の霊が働くことがあり得ることを知り、聖霊と別の霊とを見分けなければなりません。教会の中でさえ、聖霊以外の霊が働くこと、このことが終末には許されてきます。ですから、聖霊を崇める(といわれている)教会だから良い、聖会なのだから、リバイバル集会なのだから何でも良いとそこに働く霊を吟味することなしに何でも受け入れるべきではありません。何故なら、聖霊の働きに害が加えられ、「異なる霊」によるリバイバルが起こる時代に入るからです。いや、もうすでに入っているのかもしれません。今のキリスト教の集会には、別の霊が働いている怪しい集会がもうすでにいくつもあります。

”8 私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。”

”剣とききんと死病と地上の獣”と書かれています。これは、以下のエゼキエル書に書かれている
”剣とききんと悪い獣と疫病”ということばとそっくりな表現です。

”エゼキエル書 14:21 まことに、神である主はこう仰せられる。人間や獣を断ち滅ぼすために、わたしが剣とききんと悪い獣と疫病との四つのひどい刑罰をエルサレムに送るとき”

エゼキエル書がエルサレム、すなわち、神の民の都のさばきについて述べているように、黙示録のこの
”剣とききんと死病と地上の獣”も教会の裁きに関して語られています。さばきのために”剣とききんと死病と地上の獣”が送られるのです。

さて、冒頭のテキストを順に見ていきます。

黙示録13:1 また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。”

これは、終末に起きてくる国(EU?)です。 この国を聖書は「獣」だと述べています。獣である以上、神の民の裁きに用いられることが暗示されます。ですから、以下の言葉のように、確かに終末の時、教会は「獣」を用いて裁きを受けるのです。

”黙示録17:16 あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。
17 それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行なう思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。”

さらに冒頭のテキストを見ます。

”11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。”

この獣は宗教的な獣です。”小羊のような”と書いてあります。小羊はキリストです。ですから、
この獣はキリストのような2つの宗教グループの集りです。もっとわかりやすくいえば、この2つは人の目には2つの大きなキリスト教会のグループです。しかし、神の目にはあくまで、”小羊”のような”獣”にすぎません。教会の形は残ってもその実態はもう神の目には”獣”なのです。

”竜のようにものを言った

この獣は形は”小羊”、すなわちキリストの代理人であってもその語ることばは竜、すなわち悪魔のように語るのです。それにより、教会に集う多くの信者が惑わされ滅びに至るでしょう。

”12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。”

この獣の宗教組織(2つの大きなキリスト教組織)は、最初の獣(7つの頭と10の角を持つ獣ーこの世の政治権力)を使用してキリスト教会における地位、権力を確立し、信者を統制します。
このことはかつての大戦中、ある国で起きたキリスト教会の統一を考えれば理解できるでしょう。
その国では、国(獣)の命令に従い、その権威の下でキリスト教各派をまとめ、統制し、その上で教会の中でキリスト以外のものを拝したのです。

”地と地に住む人々”は、天の住人である、真のクリスチャンとは異なります。彼等はこの世についたクリスチャンのことです。彼等は教会に集いながら、結果として、獣(反キリスト)を拝するようになります。
今すでにこの動きは教会の中で働いているのですが、この時、さらにはっきりしたものになります。

13 また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。”

”火を天から地に降らせる”とはどういう意味でしょう。その鍵は以下のことばにあります。

”使徒2:2すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。”

これはペンテコステの時の「聖霊の火」が下った時の描写です。ですから、この獣の教会でも、あたかも聖霊のような火が下るのでしょう。獣の霊の働きにより、偽リバイバルが起こり、偽ペンテコステがおきます。

”14 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。”

「しるし」と書いてあります。獣の霊による偽りのしるしと不思議が行われるのでしょう。ですから、聖霊の声やみことばに聞くより、しるしと不思議、また人間の器を追い求めていく人はこの時、惑わされます。
ですから、今正しく聖霊の声に耳を傾けることは如何に大事なことでしょうか。

もうこのような惑わしは始まっているのではと私は思っています。私は今年の始めにアメリカから来た
某牧師の集会に出席しました。それは英語でいうlaughing revivalの集会の一つです。
そこでは、霊を受けた人々が馬や、猿のようになっているのを目撃しました。そうです、”獣”のように、なっていたのです。またこの牧師が天を指し、「ファイヤ!」と叫ぶと火を受けた人々がばたばたと倒れていくのを見ました。まさに「火」を天から下していたのです。

そして、後日、この牧師に関して驚くべき情報が入りました。彼は集会中、異言でサタン(!?)を賛美していたというのです。それを録音したビデオテープも存在する(頼めば送ってくれる)というのです。これが事実なら、もうすでに獣の働き人が教会の集会の中で「しるし」を行っていることになります。

そして、恐らくこのような働きはさらに大規模に拡大されていくのでしょう。そして、惑わされる人も多くなると予想されます。

ですから、終末について、はっきりわかることがあります。それは、終末になり黙示録の時代になっても教会の存続がすぐ禁止されるわけではないのです。禁止されるのは少数の”カルト”です。彼等は真に神につく民です。しかし、一般的な教会には逆にますます大きな”リバイバル”が起きるでしょう。しかし、これは”獣”の霊によるリバイバルであり、その霊に教会が飲み込まれていくようになると思われます。そして、その中で地に住む人々、この世につくクリスチャン達は、反キリストを拝するようになるのでしょう。
今、正しく聖霊の声に耳を傾けていきましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー

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