通算No.123 世の初めから隠されていること

テキスト: ”マタイの福音書 13:35 それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。「わたしはたとえ話をもって口を開き、( I will open my mouth in parables)世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」”

本日は「世の初めから隠されていること」という題でメッセージをします。神は世の初めから隠されていることがあるといわれます。そのことについて学んでいきたいと思います。テキストから見ていきます。

まず、このテキストの聖句が語っていることをまとめると、以下の通りになります;

1 聖書の中には世の初めから隠されて、他の時代、人々には明かされなかったこと、真理、教えがある
2 それは聖書のなかにたとえの形で示され、隠されている

聖書の中には、”世の初めから隠されていることども”があるとこのみことばは語っているのです。
キリスト教会の長い歴史の中には多くの知者、学者が排出しています。彼等は多くの働きをしました。ですから、この時代には、今さら聖書の新しい、発見、解釈など何もないかのようにも思えます。

しかし、聖書は、”「口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」”と語ります。聖書は明確にこのことを語っています。”世の初めから隠されていること”があり、それはたとえの中で開かれていくということをです。

主が語る、その方法については、”たとえ話をもって口を開き”( I will open my mouth in parables)と書いてあります。これは、その”世の初めから隠されていること”を語る方法について述べているのです。

このことを考えてみましょう。

もしある人が英語で口を開くなら( I will open my mouth in English),
我々が英語を理解しようとしない限り、彼が語っていることは理解できません。

もしある人が中国語で口をひらくなら(I will open my mouth in Chinese)我々が中国語を理解しょうとしない限り、彼のいっていることは理解できません。

同じように、たとえを理解しょうとしないなら、これらの”世の初めから隠されていることども”は、理解することができません。逆に我々がたとえの理解を求めていく時、世の初めからきいたことのない事実、発見があらわれて来るかもしれないのです。いいえ、あらわれてくるはずなのです。

ですから、たとえを理解、解釈する時、今までの解釈と違うからおかしいのではなく、世の初めから隠されていたこと、聞いたことのないことが出てきてあたりまえなのです。また、聖書的なのです。
何故ならみことばには、はっきりそう書いてあるからです。だから、たとえの解釈を聞く時、気をつけなければならないことがあります。それは、今まできいたことがない解釈だから、間違いだとはいえないということです。勿論、吟味は必要ですが。

「カナの婚姻の話」がどうして終末のリバイバルをさすたとえなのでしょう。「仮庵の祭」がどうして終末の地下教会のことをさすたとえなのでしょう、バプテスマのヨハネがどうして終末の預言者をさすたとえなのでしょう、また、ヨセフと兄弟達との再会の話がどうして、終末のイスラエルの回復をさすたとえなのでしょう。これらは皆きいたことのない、びっくりするような解釈です。正直、たとえをとく本人でさえ、「どうしてこんな解釈が聖書の中に含まれているのだろう」とびっくりしてしまうのです。

しかし、聞いたことのない解釈だから間違いだとはいえないのです。神は”世の初めから隠されていることども”を隠される方だからです。

例をあげましょう。昔、多くの人が「地球は回っている」などと、とっぴょうしもないことをいい始めたガリレオを非難し、裁判にかけました。人類の長い歴史の中で、そんなとんでもないことを言い始めた人は他におらず、彼の考えは今まで誰も聞いたことのないものだったのです。しかし、事実はどうでしょう。実際に地球は回っており、彼は忠実な学者として、最初にそれを発見した人なのです。神はそのように地球をつくられ、地球は昔から回っていたのですが、彼の時まで、そのことを知る人はいなかったのです。そのことは隠れていたのです。

同じように、終末の時代に、びっくりするようなたとえの解釈が出てきても、だからその人がおかしいと、いつも決めつけるわけにはいかないと思えるのです。もちろん吟味は大事ですが。解釈する人は忠実に聖書の解釈の働きをなしているのにすぎないのです。むしろ、そのことを聖書の中に書き、今に至るまで隠しておられたのは、他ならぬ神ご自身かもしれないからです。

多くの人は神が”世の初めから隠されていることを語る”といっても、文字通りにはとりません。「そうはいってももう聖書は何度も読んでいるし、今の時代に、いまさら新しいたとえの解釈なんてないだろう」と思うのです。
しかし、神が”世の初めから隠されている”という時、それは文字どおりそうなのです。

テキストの箇所は以下のみことばの引用です。

”詩篇78:1 私の民よ。私の教えを耳に入れ、私の口のことばに耳を傾けよ。
2 私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。
3 それは、私たちが聞いて、知っていること、私たちの先祖が語ってくれたこと。
4 それを私たちは彼らの子孫に隠さず、後の時代(the generation)に語り告げよう。主への賛美と御力と、主の行なわれた奇しいわざとを。”

この中で神は将来のある一つの特定の世代、「後の時代(the generation)」について、語っています。その時には、多くの聖書のたとえ、隠されたことが開かれるというのです。ですから、多くの神が隠されたたとえ、謎がはっきりと開ける時がいつか、必ず来るのです。その時を待ち望み、期待したいと思います。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー

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