通算No.111 杯について

テキスト:ルカ22:20ー22
”ルカの福音書 22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
21 しかし、見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。
22 人の子は、定められたとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。」”

本日は、”杯について”という題でメッセージしたいと思います。聖書の中で杯ということばに関係して語られていることばを見ていきたいとおもうのです。

まず初めに上記テキストの箇所をテキストに沿って見ていきます。

”「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。”

この杯とは、他でもない、我々が聖餐式で受ける杯のことです。これは主の血による新しい契約だといわれるのです。この契約という言葉は以下のことばと同じ原語です。

”使徒の働き 3:25 あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける。』と言って、あなたがたの先祖と結ばれたあの契約の子孫です。

私たちは、今までは世の人と同じように、神なく、望みのない者でしたが、キリストと契約を交すことにより、神の前に特別な者、祝福された者となりました。
キリストの血により、全ての罪は許され、永遠の命を受け継ぎ、神の祝福を受け継ぐ者、長子の特権を得た者となったのです。それは、この契約によるのです。

”21 しかし、見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。”

しかし、問題があります。それは、このキリストの血による契約を裏切る者がクリスチャンの中から、出ることです。キリストに対して不忠実になり、キリストの血による契約をないがしろにし、キリストを売り、裏切る者が出てくるのです。さて、質問があります。この時でも契約は有効なのでしょうか。裏切る者にもキリストの血の契約は有効なのでしょうか。聖書にはこのことに関してはっきり書いてあります。

”22 人の子は、定められたとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。」”

人の子、すなわちキリストを裏切る者、キリストの血の契約を裏切る者は呪われると書いてあるのです。確かにユダはキリストを裏切り、売りました。そして、彼は首をくくり, 死に、そのはらわたは皆出てしまいました。彼は契約を裏切り、そして呪われたのです。

聖書で契約という時、このように両面があることを記憶せねばなりません。すなわち、契約を守ることの祝福、そして契約を裏切ることの呪いです。

この杯に関して、主はゲッセマネの園で苦しまれました。

”ルカの福音書 22:41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。
42 「父よ。みこころならば、このをわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」”

主はこの血の契約を結ばれるために、苦しまれたことを知るのです。

 さて、この杯に関して1コリント書ではこのように書かれています。

”コリント人への手紙第一 11:25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
26 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
27 したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
28 ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。
29 みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。”

ここには、”ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。”と書いてあります。また、”みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。”ともあります。

ですから、ここでも杯を受ける者の契約の2面について、語っています。すなわち、祝福とさばきです。

さて、この杯に関連して、偽善の律法学者、パリサイ人たちについてこのように書かれています。

”マタイの福音書 23:25 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。”

彼等はある種のクリスチャンの型です。杯、すなわち神との契約の外側には気をつけるが、大事な内面には注意を払わない人々です。

”コリント人への手紙第一 10:20 いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。
21 あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。”

ここでは、主の杯を飲みながら、なおかつ悪霊の杯を飲むことについて書いてあります。また、主の食卓にあずかりながら、なおかつ悪霊の食卓にあずかることについて書いてあります。これらはあってはならないことです。
しかし、このように書いてあるのは、主の食卓にあずかりながら、なおかつ悪霊の食卓にあずかる者があらわれるからです。

さて、これらの記述の中で、聖書は”杯”ということばを通して、”キリストの血による契約”について語っていることを知ります。さて、これらのことを踏まえた上で黙示録の記述を見てみます。すると一つのことに気付きます。すなわち、この”杯”を淫婦が手にしているのです。

ヨハネの黙示録 14:8 また、第二の、別の御使いが続いてやって来て、言った。「大バビロンは倒れた。倒れた。激しい御怒りを引き起こすその不品行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた者。
9 また、第三の、別の御使いも、彼らに続いてやって来て、大声で言った。「もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、
10 そのような者は、神の怒りのに混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。

ヨハネの黙示録 16:19 また、あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そして、大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒のを与えられた。

この女、バビロンの名は意味が秘められています。そして、この女は杯を持っています。聖書はこの”杯”により、この女がどのような種類の存在なのかを我々に暗に教えようとしているのです。これは他でもない、聖餐式のぶどう酒の杯であり、主の血の契約の杯です。

この女はこの杯を持っています。ですから、彼女は主の杯にあずかったことのある者であり、また主の食卓にあずかった者なのです。

彼女こそ、終末の時代に長子の特権を売りわたし、裁きにあうこの世につくクリスチャンの姿です。

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。
 

ー以上ー

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