通算No.100 蛇について

テキスト:創世記3:1ー6、22ー24
”1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」
23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。”

創世記にはアダムとエバの話が出てきます。彼等の話はサタンの惑わしの型です。後の世のクリスチャンへの警告として書かれたものなので、私たちはそこから正しい教えを受けていかなければなりません。

ここでの話の流れを追ってみましょう。
1 まず、彼等に与えられた神のことばがあります。これは変更されないものであり、
また、正しいことを語っています。
2 しかし、蛇となったサタンの惑わしがあり、彼は神のことばを曲げたり、変形します。
3 エバは蛇の惑わしの中でみことばに固く立たず、逆に惑わす教えに同調します。
4 その結果アダムとエバは、エデンの園を追い出され、また永遠のいのちを受けませんでした。
”いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。”と書かれています。

アダムとエバはいわば、神のことばを受けながら、それを正しく受け取らず、結果として死を刈り取り、永遠のいのちを受けない者の型であり、これは我々クリスチャンへの警告なのです。

さて、ここでサタンが蛇の形をとったこと心にとめてください。サタンはこの時、自分で直接アダムやエバをだましたわけでなく、蛇を用いたのです。これは後の日にイエスが言われた下記のことばと関連します。

マタイの福音書 23:33ー35
”33 おまえたちども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。”

”蛇、まむしのすえ”ということばはその先祖について考えさせます。この最初の先祖は他でもないエデンの園の蛇です。アダムの時代に蛇を用いて神のことばを曲げたサタンはイエスの時代にも働いていたのです。彼は神のみことばを預かる立場の律法学者、パリサイ人達を彼の”蛇”として用いていたのです。イエスはそれを正しく見分け、正しく対応しました。人間的にみるなら、民を教える立場の人々を”蛇よ、まむしのすえよ”などというイエスは常識外れのようにも見えます。しかし、神の前にはイエスが正しかったのです。これは今の時代も同じです。ですから、蛇の働きを前にして、それを見分けることも、また正しく呼べないこともほめられたことではありません。
 
アダムの時代、蛇にだまされ、神のみことばを変形され、また神のことばへの信頼を失ったアダムとエバは永遠の命を受け継がず、死を受けてしまいました。

同じ蛇の働きを”律法学者、パリサイ人達”も行うのです。彼等により多くの人は神のみくにを継がず、また永遠の命を受けません。彼等のすることを少しみてみましょう。

”マタイの福音書 23:4 また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。”

重荷とは、聖書の権威をもとに人にきびしいこと、果たすことのできない重荷を負わせることでしょう。

”マタイの福音書 23:13 しかし、忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分もはいらず、はいろうとしている人々をもはいらせないのです。”

彼等は人々が天のみくにに入るのをさえぎっているのです。人々に正しく聖書のことばを語り、天のみ国に導く立場の彼等が、何とそれをさえぎっているのです。これこそ”蛇”の働きです。

”マタイの福音書 23:15 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするからです。”

そして、彼等は改宗者をゲヘナ、地獄の子にするのです。彼等の教えを忠実に受ける人々はゲヘナへ行くのです!

蛇に関してパウロはこのように語っています。

”コリント人への手紙第二 11:3、4
3 しかし、が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。
4 というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。”

ここでも蛇は神のことば、真理を曲げることに関連して語られています。すなわち、別のイエス、異なった霊、異なった福音と関連して語っているのです。

さて、これらのことは終末の時代に歩む我々に対する警告です。同じ蛇の働きは終末にも起こらないでしょうか。イエスの時代において、パリサイ人、律法学者、祭司長たちは神の民の間で認められた指導者であり、権威を持っていました。しかし、イエスは彼等が”蛇”であることを正しく見分けていました。

今はどうでしょう。今の時代にも”パリサイ人、律法学者、祭司長たち”の立場にたつ人々がいます。しかし、残念ながら、正しく彼等の教えを見分ける人は少ないのです。逆にそれを見分けようとすれば、神学と違う、注解書と違うといわれるばかりです。しかし、この面においても神のみこころはなされなければなりません。黙示録には蛇のさばきが書かれています。

”ヨハネの黙示録 12:9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古いは投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。”

”あの古い蛇”とはエデンの園の蛇です。ですから、この時に至るまで、終末に至るまで蛇はその働きを続けることがわかります。ですから、今は蛇が働いている時代なのです。決してその働きはとまっていません。逆にその働きを指摘することが難しい時代になっているのです。
 
黙示録には神の民の間で神のことばを曲げる働きをしていた蛇が天ー神の民の住むところから、追い出されることが書いてあります。この時は神のことば、また真理が正しく、回復される時ではないかと私は思っています。そしてその時には”彼の使いども”、すなわち神のことばを曲げる働きに加わっていた人々も天から落とされてしまうのでしょう。

また、エバがその木の実を見た時、”賢くするというその木はいかにも好ましかった。”というように知恵について言及されていることに目を留めて下さい。

イエスの時もまた現在も神のことばは人の知恵の中で変形され、曲げられていますが、そのことに関して裁きがきます。パウロはこう言っています。

”コリント人への手紙第一 3:19 なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」”

知者が捕えられることについてはエレミヤ書にこう書かれています。

エレミヤ書 8:8、9
”8 どうして、あなたがたは、『私たちは知恵ある者だ。私たちには主の律法がある。』と言えようか。確かにそうだが、書記たちの偽りの筆が、これを偽りにしてしまっている。
9 知恵ある者たちは恥を見、驚きあわてて、捕えられる。見よ。主のことばを退けたからには、彼らに何の知恵があろう。”

神のみことばを偽りにする書記(律法学者)、知者は捕えられるのです。これは彼等の終末の裁きの日です。

エレミヤ書 49:7、8
”7 エドムについて。万軍の主はこう仰せられた。「テマンには、もう知恵がないのか。賢い者から分別が消えうせ、彼らの知恵は朽ちたのか。
8 デダンの住民よ。逃げよ、のがれよ。深く潜め。わたしがエサウの災難をもたらすからだ。彼を罰する時だ。”

知恵のある、すなわち人の知恵に満ちていたエドムが裁かれることが書かれています。

ですから、終末の時に生きる私たちは主にならい、何が蛇の働きなのかを正しく見分けていくべきです。

終末における主のみこころを行いたいと想います。

ー以上ー

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