通算No.99 天地をゆりうごかす

テキスト:ヘブル12:15ー17、25ー29

”15 そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、
16 また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。
17 あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。
ー中略ー
25 語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。
26 あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」
27 この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。
28 こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。
29 私たちの神は焼き尽くす火です。”

本日は”天地を揺り動かす”という題でメッセージしたいと思います。

テキストはヘブル書の12章です。この箇所に書かれている”天地を揺り動かす”とはどういう意味なのかを見ていきたいと思います。

順にテキストを見ていきます。

”15 そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、
16 また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。”

”天地を揺り動かす”ことについて記す前にまずヘブル書の記者は”恵から外れる者、エサウのような俗悪な者”
について記しています。このことは後半の”天地を揺り動かす”ことと関係しています。俗悪な者、恵から外れる者が実は”揺り動かされる者、取り除かれる者”なのです。

終末に関する記事にはよくエサウのことが出てきます。エサウは俗悪な者であり、終末に恵から外れる、裁きにあうクリスチャンの型です。我々はこのことからはっきりした警告を受けていかなければなりません。例えば、オバデヤ書にはエサウの終末におけるさばきについて書いてあります。また、黙示録の7つの教会の一つである、サルデス(赤いもの)とは他でもないエドムーエサウのことを象徴的に語ったことばと思えます。

”17 あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。”

今は恵の時であり、私たちがエサウのような者であっても、悔い改めて立ち返ることができます。しかし、終末、患難時代にはある特定の時があるようです。もし、その時を逃すと”後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられ”てしまうのです。

”25 語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。”

終末の時代に”語っておられる方”は聖霊です。終末の裁きの基準は聖霊の声に耳を傾けたかどうかということです。ここではっきりと”天から語っておられる方(聖霊)に背を向ける”者が”、処罰を免れることができないのは当然”だと書いてあるのです。聖霊の声に耳を傾けない者は終末に裁かれる、大患難の中に入っていくといわれているのです。

黙示録の7つの教会へのことばに各教会に向けて”耳のある者はみたまが諸教会にいわれることをききなさい”と書かれていることを思い出して下さい。

耳のある者、聖霊の声に聞きしたがう者は勝利を得、また祝福を受け継ぐのです。逆にラオデキヤの教会のような、聖霊を外に締め出している教会は裁きを免れえないでしょう。

”26 あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」”

ここで言われていることは、終末にはクリスチャンに対して揺り動かしがあるということです。揺り動かしにより、倒れてしまうものと固く残るものとを区分するために、そのことが起きるのです。例えば何年か前に、神戸で大きな地震が起こりました。その時、多くの家屋が倒れました。しかし、その中にも崩壊せずに残った建物もあるのです。地震の前にはどの建物も同じように、しっかりと建っていました。そこには差がありません。しかし、地震により、倒れる建物かそうでないか、はっきりと区分されてしまったのです。

終末にも同じことが起こります。今は誰も彼もしっかりとしたクリスチャンのように見えます。そこには、目に見える差がないように見えます。しかし、終末の日に起きる揺り動かしにより各クリスチャンの間にはっきりとした区分がなされてしまうのです。

”27 この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。”

ここではっきりとこの揺り動かしにより、以下のように二つの区分ができることが語られています。
ー揺り動かされることのないもの
ー造られたもの、揺り動かされるもの

”造られたもの”という言葉の原語には「行い」というニュアンスがあります。神によらないもの、人の手による働きはふるわれ、取り除かれてしまうのです。

以下のように書かれています。

”マタイの福音書 15:13 しかし、イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。”
 

また、揺り動かされるということは、ゆれること、すなわち、地震のことをさしていると想われます。地震に関しては黙示録にも記述があります。

1)”黙16:18、19
18 すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。
19 また、あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そして、大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。”

この箇所を少し見てみましょう。この節に注目してください。

”この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。”

この記述と似た記述が他の聖書の箇所にあります。

”ダニエル書 12:1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。”

”マタイの福音書 24:21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。”

ですから、終末に起きる地震とは、終末の苦難のことをさすことがわかります。これにより、揺り動かされるものと固く残るものとが区分されるのです。

”19 また、あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そして、大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。”

ここに書かれている町、都、バビロンとは教会を象徴的に示す時に使われることばです。また、”神の激しい怒りのぶどう酒の杯”ということばにも隠された意味があります。神の怒りと関連して”ぶどう酒の杯”が書かれているのです。ぶどう酒を飲む者は誰でしょう。毎週集って、ぶどう酒の杯から飲む者は誰でしょう。これこそ教会に集う人々であって、神の怒りはこの人々に対して燃えているのです。

2)黙6:12ー17
”12 私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。
14 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。
15 地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、
16 山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。
17 御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」”

ここで記されている大地震も終末の苦難をさします。太陽、月、星は聖徒をさすことばです。彼等は天の万象であり、アブラハムの子孫です。地震、すなわち苦難の中で、太陽、月、すなわち有名な聖徒も光を失い、すなわち信仰を失っていくことが示されます。また、”天の星が地上に落ち”ます。天の万象は天にある物であり、彼等はキリストとともに天に座す者でしたが、今、地上に落ちる、すなわちこの世の人と同じ者になります。

”それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。”

いちじく、ぶどう、オリーブ等の木は神の民を象徴的にあらわすことばです。ですから、この節では天の星が落ちるとはすなわち、いちじく、すなわち神の民が地ーこの世に落ちるることだといっているのです。

”天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。”

天は天の万象が住むところ、すなわち、キリスト教会です。それが消えるとは、終末にはこの地上から教会が絶滅、廃止される時が来るのです。

”御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。”

また、これはヤコブを見殺しにし、また死に追いやったエサウーこの世につくクリスチャンへの裁きの時でもあるのです。

さて、この天地を揺り動かすことはハガイ書にも記されています。

3)ハガイ2:6ー8、22、23
”6 まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。
7 わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。
8 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。「「万軍の主の御告げ。「「21 「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。わたしは天と地とを揺り動かし、
22 もろもろの王国の王座をくつがえし、異邦の民の王国の力を滅ぼし、戦車と、それに乗る者をくつがえす。馬と騎兵は彼ら仲間同士の剣によって倒れる。
23 その日、「「万軍の主の御告げ。「「シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。「「主の御告げ。「「わたしはあなたを印形のようにする。わたしがあなたを選んだからだ。「「万軍の主の御告げ。「「」”

この箇所も順に見ていきます。

”6 まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。”

天と地、すなわちこの世の人のみならず、クリスチャンの世界を含む、揺り動かしー地震、すなわちよりわけについて語っています。

”7 わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。”

その揺り動かしの時は、主に固くつかないクリスチャンにとっては、裁きの時です。しかし、神にとっては”すべての国々の宝物”すなわち主につくクリスチャンを神の真の宮にもたらす時となります。

その日、「「万軍の主の御告げ。「「シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。「「主の御告げ。「「わたしはあなたを印形のようにする。わたしがあなたを選んだからだ。「「万軍の主の御告げ。「「」”

ゼルバベルは終末の神の真のしもべの象徴です。このしもべはその時、えらばれ、はっきりと印を押されるのです。

これらのことを正しくとらえ、終末における主のみこころを行っていきましょう。

ー以上ー 

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