通算No.93 エペソの長老へのことば

使徒の働き 20:17、25ー30
 ”17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。
25皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。
26 ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。
27 私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。
28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
29 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。
31 ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。
32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。

本日は”エペソの長老へのことば”という題でメッセージしたいと思います。パウロがエペソの教会の長老に語ったことばから学んでいきたいと思います。

テキストに沿って見ていきます。

”17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。”

テキストはパウロがエペソの長老達を呼び寄せ、彼等に最後のことばを与えている箇所です。
さて、まず何故パウロはエペソの長老を呼び寄せ、そして彼等にこのような警告を与えたのかを考えてみましょう。聖書に書かれている全てのことは偶然ではなく意味のあることです。
聖書の中でAという人にあることが語られ、Bという人にはそのことが語られない時、それはそれで意味があることなのです。

ですから、ここでパウロがコリントでもなくローマでもなく、またガラテヤの教会の長老でもなく、ただエペソの教会の長老を呼んで特別に忠告を与えたこと、このことに何か意味があると思われます。

このテキストはなにげなく読みすごしてしまいそうな箇所ですが、以下のことを考える時、パウロのこれらのことばが教会への預言的なことばであることがわかります。

1 パウロは正しく神のみこころをとらえ、固い教会の土台を据えたキリストの使徒である。人間的にいうなら、彼により、エペソの教会は建てられた。

2 エペソの教会こそ、黙示録の7つの教会の最初の教会である。この教会は時代的には7つの教会の初めの教会であり、いわば、7つの教会の中でも土台の位置にある教会である。
 

そして、このエペソの教会こそ黙示録の7つの教会の最初であり、また土台であるということは、いわばこの教会はキリストの教会を代表する位置にあるといえないでしょうか。これは、ペテロが全ての弟子の代表の立場にあるのと同じ意味合いです。

ですから、これらのパウロのことばは単にエペソという一つのローカルな教会への助言というより、おおげさにいえば、全教会に関する警告、そして、預言ともいえるように思えるのです。

このことはいわば、隠れた意味であり、奥義、たとえに属するものかもしれません。しかし、聖書は度々、このような形で奥義を語っています。ですから、私たちは、このテキストに書かれていることを他の教会への警告、また他人事とせず、神が語られた対象の範囲を正しくとらえた上で聞いていきたいと思います。

”26 ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばき(血)について責任がありません。”

ここで使用されている”さばき(血)”、及び”責任がない”ということばは以下のことばと同じ原語です。

”使徒の働き 18:6 しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたのは、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」と言った。”

ですから、彼はたしかにこのエペソの教会の長老達にさばきについて語ったのです。
パウロがエペソの教会の長老と最後に語る時、さばき(血)について語ったということに注目して下さい。
彼は、教会の受ける恵み、祝福、明るい未来については述べませんでした。逆に彼はさばきについて語ったのです。彼は”あなた方が受ける祝福には私にも受ける分があります”とはいいませんでした。また、”将来、多くのすばらしい神学者があなたがたの間に出て、ますます教会は正しい教理に進む”とはいいませんでした。逆に彼は”私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。”といったのです。

彼はあたかもエペソの教会、ひいては全体としての教会のさばきを見るかのようないいかたで語っていることを読み取らなければなりません。そして、聖霊はこのことをパウロに語らせたのです。

彼にとってこれがエペソの人々と話す最後の機会でした。ですから、彼はこれこそ大事、必要と思ったことを語ったのではないか想われます。そして、この時、彼はさばきー血について語ったのです。また、これは別のいいかたをすると、教会に対する預言なのです。教会が将来、さばきを受けることを彼は見、そしてそれを預言しているのです。

また、彼は教会のさばきについて、”私は..責任がありません”と語っています。彼はどういうことをいっているのでしょう。彼は自分の責任は果たしたと語っているのです。もし、教会がさばきを受けるような状態になったとしてもそれは、自分の語った教え、福音に問題があるのでなく、彼以降の人々に問題があるからだと語っているのです。要するに彼以降の人々の間で、福音そして教えが曲げられていくこと、それを前もって警告、また預言しているのです。

 ”私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。”

彼は彼の分を果たしました。また、少なくとも彼の時までは福音、教理は完全だったのです。伝言ゲームというゲームがあります。7人の人が並べば最後の人のいうことは大部違ったものとなりえます。しかし、最初の伝達者であるパウロは自分は正しく伝えた、自分の責任は果たしたと語っているのです。

”29 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。”

この狂暴な狼はチェーンバイブルの注ではマタイ伝に書かれている羊のなりをした狼、偽預言者のことが引用されています。この偽預言者は教会の外から、間違った教えを持ちこみます。

”30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。”

そして長老、牧会者達自身の中からも”いろいろな曲がったことを語”る人が現われるとパウロはここで語っています。彼はそのような人が”起こらないように”と言ったのでもなく、”起きる可能性がある”と言ったのでもなく”起こるでしょう”と語りました。これは教会に対する預言的なことばです。

また”あなたがた自身の中から..起こるでしょう”と言いました。文字どおりとるなら、これは彼の目の前にいる長老達のことをさします。そして、”あなたがたの後の日の子孫から”とか”あなたがたのずっと後の終末の日に”とはいいませんでした。

ですから、教会の教理の変形、変質は教会時代のかなり早い時期から起きてくることが類推されます。

多くの人は教会が長い間つちかってきた、また積み上げてきた教理、教えには何の問題もないと思っています。それを吟味することもしません。極端な人はみことばと神学がぶつかればみことばを曲げさえします。

しかし聖書は教会がその歴史の早い時期から変質、変形することを度々述べています。もし聖書がそう述べているなら、我々はそのような目で教会を見るべきではないでしょうか。

この箇所がまさにその箇所です。他にもあります。たとえば女が3サトンの粉にパン種を混ぜる話、また野菜であるからし種が大きな木になる話です。また、良い麦の間に敵が毒麦をまくとも書かれています。また以下のみことばも教会の早い時期からの変質、変形を語っています。

”ヨハネの手紙第一 2:18 小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。”

ヨハネは彼の時代には、もうすでに反キリストが現われていると述べています。その反キリストの教えの全てではないにしても、いくつかは教会に入り、変形させている可能性はないでしょうか。

”テサロニケ人への手紙第二 2:7 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。”

不法の秘密はパウロの時から働いています。

”31 ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒(警告ーKJV)し続けて来たことを、思い出してください。”

ここでパウロは彼がエペソの長老達を3年間の間、警告し続けていたことについて語っています。
彼は何を昼も夜も警告してきたのでしょう。

前後の関係からは、”狂暴な狼がはいり込んで来”ること、また”いろいろな曲がったことを語”ることについてだと思われます。

彼がこのように繰り返し警告したことの裏には、逆に教会にすみやかにこれらのことが入り込んでくる可能性が暗示されます。彼はそれを前もって見、そして警告したのです。

32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。

彼は神のみことばについて語りました。このみことばこそ、我々に”御国を継がせることができるのです”。逆にもし教理によりみことばを曲げるなら御国を継ぐのに失敗するかもしれません。

パウロの警告を正しくとらえ、終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー

目次へ飛ぶ  mku4.html