通算No.92 時代を見分ける

テキスト:
”ルカ12:56、57
56 偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。
57 また、なぜ自分から進んで(自分自身で)、何が正しいかを判断しないのですか。”

本日は”時代を見分ける”という題でメッセージしたいと思います。

テキストから見ていきます。ここで、主は群衆に向かって”この時代”を見分けることを語っています。
この時代とはイエスがおられた時代です。私はイエスの時代は終末の時代の予表ではないかと思っています。もしそうなら、これは終末の時代を見分けることについて語っています。ですから、今の時代の我々と関係があります。

さて、テキストに沿って見ていきます。

”偽善者たち。”

偽善者はその時代を見分けることができません。自分に罪があるなら、罪の時代を正しく判断することはできません。

”この時代を見分ける”

時代が悪いという時、普通はこの世の状態が悪いという意味に使います。さて、それではこのテキストの”この時代”とは、未信者のありさまについていっているのでしょうか。それとも信者のありさまについていっているのでしょうか。それを確認したいと思います。聖書の他の箇所で”この時代”ということばが使われているところをみてみます。

1) ”マタイの福音書 12:42 南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。”

ユダヤ人はソロモンにまさる方の知恵を聞こうとはしませんでした。ですから、ここでは神の民のありさまについて語っています。

2) ”マタイの福音書 12:45 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」”

一時的にせよ、悪霊が追い出されたのは、彼等が神を信じたからであり、神の力により解放されたのです。ですから、これも神の民のありさまに関する話です。

3) ”マタイの福音書 16:4 悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」そう言って、イエスは彼らを残して去って行かれた。”

ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵をもとめます。しるしを追い求めるのは神の民です。

このように”この時代”という表現は神の民に関して用いられることが多いのです。ですから、”この時代を見分ける”という時、現在の神の民の状態を見分けるという意味合いにとるべきと思います。

”見分ける”

見分けるということばは以下で使用されていることばと同じ原語です。

”コリント人への手紙第一 11:28 ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。”

”どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。”

このことばは群衆が時代を見分けられないことを叱責していることばです。まちがってもほめてはいません。現在にあてはめると、終末の時代の群衆は自分の時代の状態を正しく見分けられないと叱責されているのです。

すなわち、終末の時代の群衆は自分達の属している時代、また神の民のありさまを正しく見分けられないのです。自分達が神の前に正しいのか、または悪いのか、裁きの直前に来ているのか、また何も問題はなく、もう間もなく完全になり、麗しく整えられて携挙される直前なのか、正しく自分で吟味できない、そのことをいっています。

自分で自分達の状態を正しく見分けられない、その理由の一つは偽善者だからです。偽りの善なので、神の目で客観的に判断できないのです。

そして、この見分けられないということは大きな問題を引き起こします。体の状態を見分けるにしても、失敗すれば命にかかわります。”この症状はただの食べすぎによる胃もたれだ”と判断したら、実際は急性盲腸だったりすると命の危機がありえます。見分けの失敗は命にかかわるのです。

現在の多くの人の教会に関するみわけは楽観的なものであり、教会が終末に裁かれるとは思ってもいません。彼等の目に見える教会は完全であり、何の問題もないのでしょう。

しかし、主は”どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。”と
いわれます。

”57 また、なぜ自分から進んで(自分自身で)、何が正しいかを判断しないのですか。”

ここで群衆に自分自身で判断することを語っています。何故、群衆に自分で判断するよう語るのでしょう。その理由を少し考えて見て下さい。

たとえば学校で土曜日に先生が生徒に言ったとします。”この宿題は明日持ってくるように。”
それをまに受けて日曜日、子供が学校へ宿題を持っていこうとするなら、こういわないでしょうか。
”日曜日に学校があるかどうか自分で考えなさい。”

一般的に先生は間違えないものです。しかし、いい間違えることもあるのです。いくら先生のことばでも、間違えて日曜日に学校へ行ってばかを見るのは自分だから、子供自身で考えるべきなのです。

群衆に自分自身で判断するよう主が語られたのは、すなわち、教える立場の者達が時代の見分けを間違える可能性を暗示しているのです。

そうです、終末の時は教える立場の者が正しく時代を見分けられない時なのです。

終末には黙示録の時代に入っていきます。黙示録には淫婦バビロンの裁きについて書いてあります。多くの人はこれは教会とは関係ないと思っています。教会が裁かれるということは彼等の考えにはないようです。

しかし、主は時代を見分けるように語られます。この時代の神の民のありさまについて正しい見分けを神によりあたえられましょう。

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー

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