通算No.86 やもめ、みなしご、在留異国人

本日は”やもめ、みなしご、在留異国人”という題でメッセージをします。これらのことばを通して主が語っていることをみていきたいと思います。

聖書をよく読むといろいろな発見があります。

一つ気がつくことは聖書の中で、”やもめ、みなしご、在留異国人”ということばはセットになって出てくることです。これらのことばは多くの場合、一緒に出てきます。以下に例をまとめてみました。

書申命記 10:18 みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。”
”申命記 14:29 あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人や、みなしごや、やもめは来て、食べ、満ち足りるであろう。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。”

”申命記 16:11 あなたは、あなたの息子、娘、男女の奴隷、あなたの町囲みのうちにいるレビ人、あなたがたのうちの在留異国人、みなしご、やもめとともに、あなたの神、主の前で、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ぶ場所で、喜びなさい。”

”申命記 16:14 この祭りのときには、あなたも、あなたの息子、娘、男女の奴隷、あなたの町囲みのうちにいるレビ人、在留異国人、みなしご、やもめも共に喜びなさい。”

”申命記 24:17 在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。やもめの着物を質に取ってはならない。”

”申命記 24:19 あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。”

”申命記 24:20 あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。”

”申命記 24:21 ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。”

”申命記 26:12 第三年目の十分の一を納める年に、あなたの収穫の十分の一を全部納め終わり、これをレビ人、在留異国人、みなしご、やもめに与えて、彼らがあなたの町囲みのうちで食べて満ち足りたとき、”

”申命記 26:13 あなたは、あなたの神、主の前で言わなければならない。「私は聖なるささげ物を、家から取り出し、あなたが私に下された命令のとおり、それをレビ人、在留異国人、みなしご、やもめに与えました。私はあなたの命令にそむかず、また忘れもしませんでした。”

”申命記 27:19 「在留異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。”

”詩篇 68:5 みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。”

”詩篇 94:6 彼らは、やもめや在留異国人を殺し、みなしごたちを打ち殺します。”
 

”イザヤ書 1:17 善をなすことを習い、公正を求め、しいたげる者を正しみなしごのために正しいさばきをなし、やもめのために弁護せよ。」”

”エレミヤ書 7:6 在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、”
 

”エレミヤ書 22:3 主はこう仰せられる。公義と正義を行ない、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出せ。在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また罪のない者の血をこの所に流してはならない。”

”エゼキエル書 22:7 おまえの中では、父や母は軽んじられ、おまえのところにいる在留異国人は虐待され、おまえの中にいるみなしごや、やもめはしいたげられている。”

”ゼカリヤ書 7:10 やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。互いに心の中で悪をたくらむな。」”

”マラキ書 3:5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行なう者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。「「万軍の主は仰せられる。「「”
 
 このようにこれらの3つのことば、 やもめ、みなしご、在留異国人は度々、一緒に使われています。聖書は神によって書かれたものなので、偶然はありません。ですから神はこれらのことばを1セットにすることを通して我々に何かを語っていると思ってよいのではないのでしょうか。

さて、主はこれらを通して何を語るのでしょう。やもめ、みなしご、在留異国人とは神の前にどのような人々をさすのでしょう。それを見ていきたいと思います。やもめに関しては以下のように書かれています。

”テモテへの手紙第一 5:5 ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も、絶えず神に願いと祈りをささげていますが、”

この節は聖書でいうやもめを定義したことばです。すなわち、”身寄りがなく頼りになる人がなく、望みを神に置き、昼も夜も、絶えず神に願いと祈りをささげている”クリスチャンこそ、やもめという言葉により象徴されるクリスチャンなのです。男性、女性、また年に関係なく、真に神に頼って歩むクリスチャンこそ、”やもめ”ということばで表わされる人々なのです。

これらの人々はこの世に嫁ぎません。それでやもめなのです。淫婦バビロンとは違います。彼女はこの世とかん淫を重ね”私はやもめではないのだから”といっています。

ヨハネの黙示録 18:7 彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない。』と言うからです。

また、これらの人々は”みなしご”です。地上の誰をも父と呼ばず、真に天の父に頼るからです。

また、これらの人々は在留異国人です。彼等は自分の国にあって、なお異国の人のようだからです。何故、彼等は異国人なのでしょう。それは自分の国、自分の民に受け入れられなかった方の後についていくからです。このように書かれています。

ヨハネ1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。”

ですから、聖書は、神の民の中には区別があるといっています。すなわち、淫婦バビロンのように、多数派ではあってもこの世につける人々、そしてやもめのようにただ神に頼る人々。

また、ヘロデ、パリサイ人、律法学者のように神の民の多数派、正統派ではあるが真にキリストを受け入れない人々。そしてそれとは反対に神の民に受け入れられず、自分の国で在留異国人のように歩んだキリストの弟子。

また、これらの3つがいつも1セットで現われるのには理由があります。それはこれらのことばが単独で意味があるとともに、この3種類の人の性質を重ね合せた1種類のクリスチャンについても語っているからです。
すなわち、やもめのように、この世と結婚せず、みなし子のように、この世では父と呼ぶ方を持たず、また在留異国人のように、主のように、自分の民に受け入れられない、それらを併せ持った、そのような種類のクリスチャンについて語っているのです。

これらの”在留異国人、みなしご、やもめ”ということばで表わされる人々を我々はどう取り扱うべきでしょうか。このように記されています。

”ヤコブの手紙 1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。”

彼等を守ることが神のみこころです。しかし、終末の日はこの種類の神の民に、迫害が及ぶ日です。以下のように書かれているからです。

”エレミヤ書 7:6 在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、”

”エレミヤ書 22:3 主はこう仰せられる。公義と正義を行ない、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出せ。在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また罪のない者の血をこの所に流してはならない。”

”エゼキエル書 22:7 おまえの中では、父や母は軽んじられ、おまえのところにいる在留異国人は虐待され、おまえの中にいるみなしごや、やもめはしいたげられている。”

”ゼカリヤ書 7:10 やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。互いに心の中で悪をたくらむな。」”

”マラキ書 3:5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行なう者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。「「万軍の主は仰せられる。「「”

しかし、このようにも書かれています。

”書申命記 10:18 みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。”

終末において主に頼る者たちへの神の助けは完全です。
 

ますます終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー 

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