聖書の中では、度々終末の時代は夜であり、その時、目を覚ますことを語っています。これらは何をさすのでしょう。それを見ていきたいと思います。
さて、夜は暗闇の時ですが、暗闇について以下のように書いてあります。
”使徒の働き 26:18 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』”
すなわち、暗闇はサタンの支配であり、光は神の支配であることを見ます。他の箇所ではこう書かれています。
”エペソ人への手紙 5:8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。”
私たちは以前は暗闇のわざの者、すなわち罪にある者でしたが、今は主にあって光となったことを語っています。
”ローマ人への手紙 13:12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。”
このことばから、夜とは闇の時であり、やみのわざの時であることがわかります。
”マタイの福音書 25:6 ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。”
ここでいう夜中とは闇の時です。すなわち主が来られる時は闇のわざがこの世に広がった時なのです。
”ルカの福音書 12:38 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、いつでもそのようであることを見られるなら、そのしもべたちは幸いです。”
真夜中も夜明けも夜です。夜、すなわち罪のまんえんした時代のいずれかの時に主は来られます。その時、主に忠実なしもべは幸いなのです。さて、1テサロニケにはこの夜の時とさばきについて詳しく書いてあります。
”1テサ5:1ー10
1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。
7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。
8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。
9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。”
以上の聖句をみことばに沿ってみていきましょう。
”兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません”
これらの節は主の日がいつか、どういう時かについて語っています。
”主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。”
その時すなわち、主の日は夜中、すなわち、この世の人の間にもまた神の民の間にも罪がまんえんした時代に起きます。
”人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。”
その時は、滅びる人々にとっては平和、安全な時に見えます。滅びる彼等にはそう見えるのです。
”しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。”
暗闇、すなわち罪の中にいない人にとっては”その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。”
”ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。”
眠っている人は罪の中にいる人達です。ですから、その時には少数の目を覚ましている人と多くの夜の闇の中で眠っている人達ーすなわち罪に巻き込まれている人達とがいます。
”眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからでよるです。”
夜に眠り、酔うことが書いてあります。ですから、我々が注意しなければならないのは、夜、すなわち、罪の時代であることがわかります。現在はますます夜が更けて、闇が増している時代です。
”神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。”
ここで神の怒りにあう人と、救いを得る人がいることがわかります。神の怒りにあう人は誰でしょうか。また救いを得るものは誰でしょう。それは今までの文脈から明らかです。神のみ怒りに会うのは夜眠る、すなわちこの世の罪に巻き込まれていく者であり、主イエス・キリストにあって救いを得る者は”光の子ども、昼の子ども”です。
ですから、終末の時代に歩むクリスチャンにとり大切なことはこの世の罪に巻き込まれないことだということがわかります。これらの警告を正しくとらえ、正しく主のみこころを行いたいと思います。
ー以上ー
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