通算NO.79 取り除かれる聖霊

テキスト:"2テサ2:6、7 
6 あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。
7 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。"

終末には反キリストの到来をとどめている聖霊が取り去られるとのことです。これはどういう意味なのでしょうか。それを見ていきたいと思います。

取り去られるということばの原意は英語ではbe gone out−追い出されると訳されています。ですから、聖霊は教会から自分で出ていくというより追い出される、教会から排斥され、締め出されてしまうのです。これは黙示録のラオデキヤの教会の状態を見る時、よくわかります。イエスが教会の戸の外に立ってたたくとは、すなわち、主がすでに外に出されている状態をさすのです。

さて、このもう一人の助けぬしである聖霊が教会から締め出されるということを正しく見ていくためにはこの地上に助け主、救い主として来られたイエスの歩みを見る時、ヒントが与えられます。何故なら、聖書はイエスと聖霊の関係を助け主、もう一人の助け主というように、ことさらに同じ表現を用いてその類似性について語っているからです。

主イエスについてはこう書かれています。

”ヨハネ1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。”

イエスが来られた時もその国の人々は彼を受け入れなかったのです。救い主、助け主であるイエスは神の民に受け入れられず、排斥され、十字架につけられてしまいました。そして彼を排斥、受け入れなかった民はみなエルサレムへの裁きとともに滅びてしまいました。主イエスの時代は終末の時代の型であり、これは終末におけるもう一人の助け主、聖霊においても同じ形で成就します。聖霊を排斥する神の民は裁きの中に入ります。具体的にはこうなります。彼等が反キリストの到来をとどめている聖霊を自分たちの中から締め出すため、彼等は反キリストの惑わしの中に入っていくのです。

”ヨハネ19:15 彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」”

ユダヤ人達はユダヤ人の王としてこられた方を十字架につけ、「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」といいました。これは預言的なことばです。このように言った彼等は40年後にそのカエサルの軍隊によりほろぼされます。
そしてこれは終末においても繰り返されます。聖霊を締め出した教会は反キリストを神の宮の中に迎え、そしてその反キリストにより滅ぼされるのです。これが淫婦バビロンへのさばきとして聖書に書かれていることがらです。

しかし、もう1種類の人々がいました。それはキリストの弟子達です。イエスの後に従った少数の弟子達は主イエスを信じることによる神の栄光、奇蹟を表わしました。

終末にも同じことがおこります。終末にも主イエスを信じ、その聖霊の働きを信じ、従う弟子達を通して多くのしるしと不思議が現われます。黙11章の預言者達もその例です。この人達においては聖霊は排斥されておらず、聖霊の働きは伴います。

かつて主ははっきり弟子達にいわれました。”マタイの福音書 28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、(even unto  the  end of  the  worldー世の終わりであろうとも)いつも、あなたがたとともにいます。」”

ですから、従う者達の上には大患難の時代でも聖霊の助けがあります。

しかし、多くの神の民は聖霊ー助けぬしを排斥した状態になります。この状態は家から追い出された悪霊のたとえによくあらわされています。これは”この時代”と書いてあるので、終末の時代の予表です。

”マタイ12:43ー45 汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
44 そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
45 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」”

この家は教会をさします。何故なら、教会は神の家といわれるからです。この家は掃除してきちんとかたずいています。何故きれいになったのでしょう。それは、7ということばから連想されるように7年間のリバイバルの中で教会の刷新があるので、その中で邪悪なもの、汚れた霊は教会から追い出され、一時的に教会はととのって掃除の行き届いた状態になるのです。それでは、この家の問題点は何でしょう。きれいにかたずいているのに何故、また悪霊に入られてしまうのでしょう。

その問題はこの家に誰もいないことです。私たちがあきすに入られる原因はその家を留守にして誰もいなくなるからです。同じように、この家は本来は強い方、もっとも強い方を入れるはずだったのに、その方を追い出してしまったのです。これが問題です。悪霊が水のない地をさまようという表現はこの家にいない人をさし示す一つのヒントです。水は命の水ー信じた者に与えられる聖霊のことです。悪霊は聖霊の存在、働きをいやがります。そして、彼等はいったんは追い出されはしても、結局は、あるじのいない家ー教会へと戻っていくのです。

そしてこれが大問題なのです。強い方を追い出したために、今までよりもっと悪い状態、すなわち、リバイバル以前より悪い状態になってしまったのです。7つもの悪霊に入られてしまったのです。

これは何をさすのでしょう。これこそ終末の教会の姿です。

この警告をとらえ、終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー 
 

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