通算No.78 終末の偽預言者

テキスト:マタイの福音書 24:11 ”また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。”

イエスは終末には偽預言者が多く起こり、多くの人を惑わすと言われました。この偽預言者に関してみことばを見て行いたいと思います。

一つ初めに気をつけなければならないことがあります。それは、終末に関する記述には多くのたとえや謎が使われているということです。そもそも”イエスは..たとえによらないで話されることはなかった”のですから、主のことばには多くのたとえがあります。そして、特に終末に関する記事にはたとえが多いのでそれを読みとっていかなければなりません。

何故、終末に関するみことばはわかりずらいのでしょう。それは、終末の日はある人にとっては、救いとあがないの日ですが、他の人々にとっては、さばきの日だからです。ですから、ある人達にはこれらの終末のみことばはこれからますます開かれてくるでしょう。しかし、他の人々には、最後まで開かれないことばとなるはずです。”その日はわなとなる”のです。

終末に関する記事にも多くのたとえが使われています。”宮の崩壊”、”乳のみ子”、”兄弟が兄弟を裏切る”、これらはみなたとえです。

たとえに関連して一つ注目すべきことがあります。それはこのマタイ24章では、神の民の終末について預言されている箇所であるのに、”教会”ということばが全くないのです。逆に宮、選民、都といった旧約的なことばは多いのです。この章に記されている警告のことばはイスラエル人のみにとどまらず”全ての人に語られている”のに何故そうなのでしょう。その理由はこうです。すなわち、教会は他のものにたとえて語られているからです。

以上のことからもこのテキストの節もたとえを用いいていることが類推されます。

さて、このテキストにある偽預言者について調べるのに、聖書の語る学びかたで学んでいきたいと思います。
聖書のいう学び方とは、すなわち、”聖書で聖書を解く方法”です。あるみことばを調べる時、同じことばを使用している他の聖句を参照して調べる方法です。そして、この方法の聖書的根拠はどの聖句にあるのでしょう。他でもない、ペテロの手紙の”私的解釈”と訳されていることばです。

この聖句は”そのテキストのみから解釈しない”ことを述べているのです。それで聖書学者は一つのことばを調べるために、他の聖句を参照するのです。

さて、テキストを見ていきます。まずここでいう預言者ということばに注目します。

”ペテロの手紙第二 2:1 しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。”

このことばでは旧約の偽預言者は新約の偽教師に相当することがわかります。すなわち、旧約の時代、偽預言者のことばを信じた神の民は害を受けました。新約の時代には、同じ惑わしは偽教師を通してくるのです。

彼等が間違ったみことばの解釈を語る時、多くの人を惑わし、滅びに導きます。
このことに関してはヤコブ書に詳しく述べられています。ヤコブは多くの人に教師になるなと勧め、その理由として教師は”ことば”の上で多くの失敗をするものだからと述べています。

”ことば”とはロゴスのことであり、神のみことばの解釈、取次における失敗に関しても述べているのです。また、教師は船における舵、馬におけるくつわ、人間の体における舌のはたらきをすると述べています。これらはそれぞれ、小さいが、しかし、全体を動かします。同じように教師も神のみからだの中の小さな器官であるが、しかしその舵とりしだいでは神の民全体をさばきに巻き込む可能性もある器官、職務であることを述べているのです。

そして、舌は火であり、不義の世界であると述べています。また、小さな火が大きな森を燃やすとも述べています。森にはオリーブ、いちじく、ぶどうといった神の民をあらわす木もあるでしょう。ですから、小さな火により森が燃えるとは、教師、牧師が間違えたため、神の民全体が陥る裁きをさすのです。ですから、旧約では民を惑わしたにせ預言者の被害が大きかったのですが、新約の時代では、教師の間違いということに大きなウエイトがあることがわかります。

さて、イエスは偽預言者に関して語りました。このにせ預言者ということばを他の聖書のテキストからもうすこし見ていきましょう。ペテロの手紙に書かれているように、”そのテキストのみ”から判断する人は独断と誤りに入ります。しかし、いくつものテキストを比較していく人は聖書的で妥当な結論に至ります。

偽預言者に関しては旧約聖書にいくつかの例があるのでそれを参照したいと思います。

1) エゼキエル書 13:1ー6
 ”次のような主のことばが私にあった。
 「人の子よ。預言をしているイスラエルの預言者どもに対して預言せよ。自分の心のままに預言する者どもに向かって、主のことばを聞けと言え。
 神である主はこう仰せられる。自分で何も見ないのに、自分の霊に従う愚かな預言者どもにわざわいが来る。
イスラエルよ。あなたの預言者どもは、廃墟にいる狐のようだ。
 あなたがたは、主の日に、戦いに耐えるために、破れ口を修理もせず、イスラエルの家の石垣も築かなかった。
 彼らはむなしい幻を見、まやかしの占いをして、『主の御告げ。』と言っている。主が彼らを遣わされないのに。しかも、彼らはそのことが成就するのを待ち望んでいる。”

この箇所に、”主の日”の前に現われる”おろかな預言者”について書いてあります。彼等はまことの預言者ではありません。

ここでは終末の偽預言者の一つのパターンが書いてあります。それは、”主の日に、戦いに耐えるために、破れ口を修理もせず、イスラエルの家の石垣も築か”ない人々です。

現在においても、聖書の中に明確に記されている終末における神の民のさばきについて読みとらず、民に適切な警告をしない教師はまさにそのような人々です。

主がマタイ伝で”偽預言者”という時、これらの聖句をも踏まえて語っている可能性があるので、私たちはこれらのことばをも参照すべきです。

2) ”エレミヤ書 14:14ー16 主は私に仰せられた。「あの預言者たちは、わたしの名によって偽りを預言している。わたしは彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、語ったこともない。彼らは、偽りの幻と、むなしい占いと、自分の心の偽りごとを、あなたがたに預言しているのだ。
 それゆえ、わたしの名によって預言はするが、わたしが遣わしたのではない預言者たち、『剣やききんがこの国に起こらない。』と言っているこの預言者たちについて、主はこう仰せられる。『剣とききんによって、その預言者たちは滅びうせる。』
 彼らの預言を聞いた民も、ききんと剣によってエルサレムの道ばたに投げ出され、彼らを葬る者もいなくなる。彼らも、その妻も、息子、娘もそのようになる。わたしは、彼らの上にわざわいを注ぎかける。”

ここでは神がつるぎとききんについて語られているのに、『剣やききんがこの国に起こらない。』といっている偽預言者(本当の預言をしない預言者)について語られています。しかし、これらの剣、ききんは終末の日に神の民の上に必ず起こります。神が語られているように、終末において神の民のさばきは起こり、ききんーみことばのききんも必ず起こるのです。神は、終末の日に『剣やききんがこの国に起こらない。』と言っているこのにせ教師たちについて『剣とききんによって、その預言者たちは滅びうせる。』といわれるのです。

3)”エレミヤ23:16ー21 万軍の主はこう仰せられる。「あなたがたに預言する預言者たちのことばを聞くな。彼らはあなたがたをむなしいものにしようとしている。主の口からではなく、自分の心の幻を語っている。
17 彼らは、わたしを侮る者に向かって、『主はあなたがたに平安があると告げられた。』としきりに言っており、また、かたくなな心のままに歩むすべての者に向かって、『あなたがたにはわざわいが来ない。』と言っている。」
18 いったいだれが、主の会議に連なり、主のことばを見聞きしたか。だれが、耳を傾けて主のことばを聞いたか。
19 見よ。主の暴風、「「憤り。「「うずを巻く暴風が起こり、悪者の頭上にうずを巻く。
20 主の怒りは、御心の思うところを行なって、成し遂げるまで去ることはない。終わりの日に、あなたがたはそれを明らかに悟ろう。
21 わたしはこのような預言者たちを遣わさなかったのに、彼らは走り続け、わたしは彼らに語らなかったのに、彼らは預言している。”

この箇所でも”終わりの日”ということばと”預言者”ということばが共に用いられています。ですから、彼等は終末の偽預言者ーにせ教師であることがわかります。

この預言者達の誤りとは何でしょう。彼等はオウム真理教のように、毒ガスを用いたり、殺人を行ったりしたわけではありません。また人民寺院の人達のように民に集団自殺をしむけたわけではありません。

彼等の誤りとは神を侮る者に向かって『主はあなたがたに平安があると告げられた。』といったことであり、また
『あなたがたにはわざわいが来ない。』といっていることなのです。

平安があるといったり、わざわいがこないといって何が悪いのでしょうか。民を励ますことは牧師にとって大切なつとめではないでしょうか。このことについて、みなさんはどう思いますか。これは大切な質問です。もしこのことにみなさんが適切に答えられないなら、終末の時代の教師、牧師として不適格です。

さて、何故でしょう。それは、終末は神の民の裁きの時であり、その人がクリスチャンであっても神を侮る者、かたくなな心のままに歩む者なら、その時、さばきが臨むからです。

学校の教師にも正しい教師と間違った教師があります。難関の大学へ入ろうとしている生徒に今のままで大丈夫、遊ぶ時間を減らす必要もないし、テレビもファミコンもそのままでよいとやさしいことを言う先生が必ずしも正しい教師とは限りません。本当にその大学の難しさがわかっている教師は”4当5落”だとか、きびしいことをいうはずです。その教師は現状を正しく把握し、自分の勤めを果たしている教師です。

現代の多くの教師や牧師は終末になすべき適切な警告をその民に与えていません。彼等は終末の日に裁かれるのはどのような種類の人々なのか、一体神がどのような人々を裁こうとしているのか、その対象さえはっきりわかっていません。ですから、神がさばくと定めた種類の人々にたいしてさえ、”患難の前に携挙されるから大丈夫”などと述べているのです。彼等は盲人を手引きする盲人です。

そして、神はこのような預言者は偽預言者であり、偽教師であるといわれるのです。

”「あなたがたに預言する預言者たちのことばを聞くな。彼らはあなたがたをむなしいものにしようとしている。”

ここで、偽預言者について神は彼等の預言を聞くな、むなしい者にされると述べています。ここで注目すべきことがあります。神はここで、何か特定の預言者についていっているのでなく、ただ預言者のことをいっているのです。
何かこれらの預言者を特定することばが書かれているでしょうか。新しく入ってきた預言者に気をつけろとか、名前を聞いたことのない預言者には気をつけろとかは特にいってないのです。
何も特定せず、ただ”預言者たちのことばを聞くな”と述べているのです。このことは何をさすのでしょう。このことはこれらの預言者が当時において、普通の、一般的な、オーソドックスな、皆に受け入れられている大多数の預言者であることをさします。このような預言者が間違え、そしてにせ預言者になるのです。

そして、これは終末においても同じです。終末における、間違える預言者、偽預言者とは、その時すでに皆に受け入れられている人達であり、正統的なオーソドックスな、皆に知られている教師達であり、彼等が間違えるのです。これで終末の時、多くのひとが惑わされる、その理由がわかります。聖書に”また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。”と書かれている理由がわかるのです。

4)”エゼキエル13:9ー16
9 わたしは、むなしい幻を見、まやかしの占いをしている預言者どもに手を下す。彼らはわたしの民の交わりに加えられず、イスラエルの家の籍にも入れられない。イスラエルの地にもはいることができない。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。
10 実に、彼らは、平安がないのに『平安。』と言って、わたしの民を惑わし、壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう。
11 しっくいで上塗りする者どもに言え。『それは、すぐはげ落ちる。』大雨が降り注ぎ、わたしが雹を降らせ、激しい風を吹きつける。
12 すると、壁が倒れ落ちる。人々はあなたがたに向かって、『上塗りしたしっくいはどこにあるのか。』と言わないだろうか。
13 それゆえ、神である主はこう仰せられる。わたしは、憤って激しい風を吹きつけ、怒って大雨を降り注がせ、憤って雹を降らせて、こわしてしまう。
14 あなたがたがしっくいで上塗りした壁を、わたしが打ちこわし、地に倒してしまうので、その土台までもあばかれてしまう。それが倒れ落ちて、あなたがたがその中で滅びるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。
15 わたしは、その壁と、それをしっくいで上塗りした者どもへのわたしの憤りを全うして、あなたがたに言う。壁もなくなり、それにしっくいを塗った者どもも、いなくなった。
16 エルサレムについて預言し、平安がないのに平安の幻を見ていたイスラエルの預言者どもよ。”

ここでも偽預言者について主が語られています。

”わたしは、むなしい幻を見、まやかしの占いをしている預言者どもに手を下す。彼らはわたしの民の交わりに加えられず、イスラエルの家の籍にも入れられない。”

イスラエルの家の籍とは、み国の籍のことです。彼等は自分達がそこに入れないとは想像もしていないはずです。ですから、彼等の一つの特徴は自分で民を惑わすつもりはない、また民を惑わすことになるとは思ってもいないことです。しかし、実際は彼等は惑わされているものであり、自分が滅ぼされる時まで、そのことにさえ気付かないのです。
これらの記述は終末に関してしかるべき警告をせず、そのために民の家のかべが終末の試練の中で崩れる、すなわちその信仰がくずれることを語っています。

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旧約聖書に書かれている4つの偽預言者に関する記述を見ました。これらの結論は同じです。ですから、私たちは聖書が何を終末の偽預言者といっているのかを本当にはっきりと捕えなければなりません。終末の時には、民の預言者の立場ー教師の立場の人々が皆だまされてしまい、正しく終末に関する神の警告を理解できず、民に告げることができず、その結果、多くの民が終末の裁きにあう、そのことを明確に語っているのです。
ですから、偽預言者の特徴は以下のとおりです。

1 多数派、代表派、正統派であり、すでに民に受け入れられている。
2 終末に関する神のみことばを正しく見ることも、聞くこともできない
3 従って、誰が終末に裁かれるのか、適切な知識がない。その人達に適切な警告ができない。
4 その結果自分も裁かれてしまう
 
これらを見ると、確かに偽預言者はもうすでにたくさんこの世に出てきていることがわかります。というより、今、私たちの周りで聞くのは偽預言者のことばばかりといえます。何故なら、終末に関して語る人の中で、神の民、教会のさばきについて語る人はほとんどいないからです。

しかし、私たちは主にあって、正しく終末のみこころを行いたいと思います。

 
ー以上ー

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