通算No.75 エドムのさばき

テキスト:オバデヤ書全文
”1 オバデヤの幻。神である主は、エドムについてこう仰せられる。私たちは主から知らせを聞いた。使者が国々の間に送られた。「立ち上がれ。エドムに立ち向かい戦おう。」
2 見よ。わたしはあなたを国々の中の小さい者、ひどくさげすまれる者とする。
3 あなたの心の高慢は自分自身を欺いた。あなたは岩の裂け目に住み、高い所を住まいとし、「だれが私を地に引きずり降ろせようか。」と心のうちに言っている。
4 あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き降ろす。「「主の御告げ。「「
5 盗人があなたのところに来れば、夜、荒らす者が来れば、あなたは荒らされ、彼らは気のすむまで盗まないだろうか。ぶどうを収穫する者があなたのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。
6 ああ、エサウは捜し出され、その宝は見つけ出される。
7 あなたの同盟者がみな、あなたを欺き、あなたを国境まで送り返し、あなたの親しい友があなたを征服し、あなたのパンを食べていた者が、あなたの足の下にわなをしかける。それでも彼はそれを悟らない。
8 その日には、「「主の御告げ。「「わたしは、エドムから知恵ある者たちを、エサウの山から英知を消し去らないであろうか。
9 テマンよ。あなたの勇士たちはおびえる。虐殺によって、エサウの山から、ひとり残らず絶やされよう。
10 あなたの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥があなたをおおい、あなたは永遠に絶やされる。
11 他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取った日、あなたもまた彼らのうちのひとりのように、知らぬ顔で立っていた。
12 あなたの兄弟の日、その災難の日を、あなたはただ、ながめているな。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜ぶな。その苦難の日に大口を開くな。
13 彼らのわざわいの日に、あなたは、私の民の門に、はいるな。そのわざわいの日に、あなたは、その困難をながめているな。そのわざわいの日に、彼らの財宝に手を伸ばすな。
14 そののがれる者を断つために、別れ道に立ちふさがるな。その苦難の日に、彼らの生き残った者を引き渡すな。
15 主の日はすべての国々の上に近づいている。あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。
16 あなたがたがわたしの聖なる山で飲んだように、すべての国々も飲み続け、飲んだり、すすったりして、彼らは今までになかった者のようになるだろう。
17 しかし、シオンの山には、のがれた者がいるようになり、そこは聖地となる。ヤコブの家はその領地を所有する。
18 ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となり、エサウの家は刈り株となる。火と炎はわらに燃えつき、これを焼き尽くし、エサウの家には生き残る者がいなくなる、と主は告げられた。
19 ネゲブの人々はエサウの山を、低地の人々はペリシテ人の国を占領する。また彼らはエフライムの平野と、サマリヤの平野とを占領し、ベニヤミンはギルアデを占領する。
20 イスラエルの子らで、この塁の捕囚の民はカナン人の国をツァレファテまで、セファラデにいるエルサレムの捕囚の民は南の町々を占領する。
21 救う者たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主のものとなる。”

オバデヤ書はその書の全部を通してエドムの罪、さばきについて記してある書です。今日はこの書について学んでいきたいと思います。

エドムはエサウの子孫であり、エサウはヤコブすなわちイスラエルの兄です。ですから、このエドムは真の神の民とは兄弟関係なのです。終末には神のみこころを行い、そして殉教に至る真の神の民がいます。しかし、またその民を迫害、死に至らしめる神の民もいます。それがエドムといわれる人々です。

エドムは赤いという意味があり、終末の7つの教会の中には”赤いもの”という名のサルデスの教会があります。このオバデヤ書には終末におけるエドムといわれる神の民の罪について記してあります。

さて、テキストに沿ってみていきたいと思います。

”使者が国々の間に送られた。「立ち上がれ。エドムに立ち向かい戦おう。」”

終末にエドムである神の民に関する裁きの定めが決められ、実行に移される日がきます。
それは彼等の流した弟ヤコブー真の神の民の血の報いです。かつてユダヤ人達はイエス
を十字架につけ、その血はわれらと我らの子孫の上にかかっても構わないと叫びました。そして、彼等は確かにその血の報いを受けました。同じことが終末にもおきます。エドムのさばきは流された弟の血に対する報いです。また、これは淫婦バビロンへのさばきと通じるものがあります。何故ならバビロンが裁かれる一つの大きな理由が彼女の流した聖徒達の血だからです。
 

”あなたは岩の裂け目に住み、高い所を住まいとし、「だれが私を地に引きずり降ろせようか。」と心のうちに言っている。”

彼等は神の民です。また、岩とは以下のペテロへのことばに由来しています。

”マタイの福音書 16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。”

”あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き降ろす。”

また、彼等は天に座するものです。また、星の民ーアブラハムの子孫です。
ヘブル11:12
”そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海ベの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。”

” 盗人があなたのところに来れば、夜、荒らす者が来れば、あなたは荒らされ、彼らは気のすむまで盗まないだろうか。ぶどうを収穫する者があなたのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。
 ああ、エサウは捜し出され、その宝は見つけ出される。”

ここに記されている盗人ということばはサルデスへの以下のことばと関連があります。そして、暗にサルデスこそ、エドムだと述べているのです。

黙示3:3
” だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。”

ですから、自分はサルデスの教会に属していると思うなら、その人は警戒が必要です。聖書は2度3度と繰り返してサルデスこそエドムであることを述べているからです。また、ぶどうとは我々がよく知っているように神の民をさすことばです。

”あなたの同盟者がみな、あなたを欺き、あなたを国境まで送り返し、あなたの親しい友があなたを征服し、あなたのパンを食べていた者が、あなたの足の下にわなをしかける。それでも彼はそれを悟らない。”

パンを食べるという時、聖書の中では聖餐のことをいっている場合が多いのです。以下のことばを見て下さい。
 
 

ヨハ13:18
”わたしは、あなたがた全部の者について言っているのではありません。わたしは、わたしが選んだ者を知っています。しかし聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かってかかとを上げた。』と書いてあることは成就するのです。”

ですから、これは親しい兄弟に裏切られることを述べているのです。

”その日には、「「主の御告げ。「「わたしは、エドムから知恵ある者たちを、エサウの山から英知を消し去らないであろうか。”

聖書は終末に関連して度々”知恵”について述べています。知恵と対応することばは”謎”や”たとえ”という言葉です。彼等は人間的な解釈、知恵、知識には長けていても、ソロモンにまさる方の知恵を求めませんでした。それで、彼等は終末の日に彼等の”知恵”の報いを受けてしまうのです。彼等は人間的な知恵で神のみことばを解釈し、その結果、み言の真意を曲げてしまいました。しかし、終末の日は彼等の解釈したようにはやってきません。その時、彼等は捕えられ、恥を見るのです。

これはダニエル書の中で象徴的に書かれているバビロンの知者と同じ人々です。バビロンの知者はバビロンに属する人々であり、終末におけるこの世に属する知者のたとえです。バビロン王はこの夢を解き明かせない(解釈できない)知者の報いはほろびだと述べました。

これは預言であり、終末にまさしくこのエドムの知者ー聖書学者、解釈者達の上に起こることです。

” 他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取った日、あなたもまた彼らのうちのひとりのように、知らぬ顔で立っていた。”

くじ引きとは意味の隠されたことばです。これを見ていきましょう。これはイエスの下着がくじ引きにされたことと関連があります。同じくじということばが使われているからです。

”マタイの福音書 27:35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、”
この着物とは何を意味するのでしょう。私は着物はイエスにつき従う人々を象徴的に語っているのではないかと思っています。例えば、ペテロの着物はペテロの行くところへどこでも、一緒に行きます。ペテロが山へ行けば着物も山へ行き、海へいけば海へ行きます。同じようにイエスの着物もイエスについていくのです。

また、くじということばはエステル書のプリムの祭とも関係あります。何故ならプリムの祭はくじの祭だからです。このプリムの祭はユダヤ人の敵ハマンがモルデカイ(キリストの型)の民である、ユダヤ人を滅ぼそうとプル(くじ)を投げたことに由来します。このプリムの祭には隠された意味があり、この祭は終末のモルデカイの民(キリストの民)に計画されたたくらみについて語っている祭なのです。

ですから、”エルサレムをくじ引きにして取った日”とはサタンが真の神の民に対して終末に定めた陰謀の日のことです。

”しかし、シオンの山には、のがれた者がいるようになり、そこは聖地となる。ヤコブの家はその領地を所有する。”

エドムと異なり、シオン、ヤコブの家には逃れた者がいると書かれています。終末には逃れて主に見える弟子達もいるのです。

このエドムのヤコブへの裏切りとは具体的にはどのような形で起きてくるのでしょう。私は今は個人的には以下のように思っています。現在EUの各国、ドイツやフランスではカルト規制法案が通りつつあります。そして、このカルトと規定された宗派に、ペンテコステ等のカリスマ的なグループがいくつか入っています。そして、彼等がそのように決めつけられるのはwCCに加盟していないからだとのことです。私が知っている限り、wCCは反キリスト的なグループです。彼等がこのように決めつけられた裏には、エサウーこの世についた多数派クリスチャンの意見が大きく影響していると思われます。また、律法学者ー神学者達がそのように語ったのでしょう。また、このような動きはEU内、また世界中でますます大きくなっていくのではないかと思います。そして、いずれ、聖霊の声に従う人々ーヤコブの上に迫害が来るのでしょう。しかし、このことはみ言の成就の時であり、いずれエサウへの裁きがあります。

全てのクリスチャンをヤコブとエサウに区分する動きはますます起きてくると思われます。

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

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